私たちのこと
群青更紗
2015.07.31
氷雨は人類最後の男だったんだよ、と、祖父である火垂に聞かされても、若葉は「ああ、それで」と思うだけだった。
百年前の戦争が元で、人類から性別が消えた。戦後の地球環境が、性未分化疾患者しか生き残らせなかった。結果として人口は激減、絶滅を防ぐために世界は結集、クローン生殖が一気に普及――新たな人類の時代が来た。
新人類は性未分化ゆえに生殖機能は持たない。しかし、本来は性別分化が正常ゆえに、銘々男か女の性を選んでホルモン投与を必要とする。但し途中で変更可能で(戸籍上は全員“中性”)、恋愛も結婚も自由で、成人後は婚姻の有無に関わらず施設からランダムに増やされたクローン養子を貰って親子を形成し、一生を終える。このスタイルは戦後十年ほどで定着し、今もそのままだ。
ところが実は、半世紀ほど前に、一体の性分化個体が生まれていた。気付いた施設職員がそのまま隔離し、自らの養子として育てたという。
それが氷雨だったと――。不治の病で世を去った氷雨の通夜の後、二人で一息付いたところでそう告げられた若葉の、予想と異なる反応を見て火垂は苦笑した。
「あんまり驚かないね」
「うん、まあ」
若葉は少し俯き、湯呑みの中を見ながら答えた。茶の水面が揺れる。
「驚かなかった、って事はないんだけど。色々と納得した気持ちの方が大きくて」
火垂が目を細める。若葉は続けた。
「球都(地球の首都)の中心部に家構えて、医者はおじいちゃんだけを頼って、最期までお願いして。――『男』である事を、出来る限り隠すためだったんだね」
『木を隠すには森の中』とは前人類から伝わり続ける諺だが、まさにその通りだ。地方へ行けば行くほど、他人への干渉が強くなる。人の口に戸は立てられず、ならば口に上らせないようにするのが吉だ。
「時々『妙だな』と思うことは有ったんだ。それが何だったかは、うまく言えないというか、思い出せないんだけど。でも多分それは、私たち『中性』との、決定的な違いの何かだったんだよね。今はそう思う。――それでも、さすがに分かんなかったよ」
若葉は顔を上げ、火垂を真っ直ぐ見て笑った。
「“お母さん”が、男だったなんて」
若葉から見ていた母・氷雨は、完璧に「女」だった。いつも品良く化粧をして、お洒落が好きで、スタイルも抜群だった。柩で眠る今も、美しい顔をしている。男である可能性など、考えた事も無かった。
「それで良かったんだ。それが氷雨の望みだったから」
火垂によれば、周囲には「男性ホルモン投与者」だと説明しながら育てていたが、氷雨は十歳にならないうちに、自らを“女”だと認識したという。つまり氷雨は、人類最後の男であると同時に、人類最後の「性同一性障害者」でもあったのだ。そこで精巣を摘出し、女性ホルモン投与を始めた。四十年前の話だそうだ。
「『世界でたった一人の男』なんてね、ろくな人生にならないと思ったんだ。人類規模では貴重かもしれないけれど、氷雨個人の人格は無視されるだろう。それは厭だったんだ。僕は自分の生み出した子たちには、みんな幸せになってほしかった。普通であってほしかったんだ」
遺影の中の氷雨は、物凄く幸せそうだ。若葉を無理矢理抱き寄せ、自分は満面の笑顔でピースサイン。二ヶ月前のものだ。確かに平和だった。
「で、ね。氷雨の精巣、一応凍結保存してあるんだけど。どうする?」
言われて若葉はハッとした。そして考えた。然るべき研究所に渡せば、人類の未来は開けるかもしれない。けれど、氷雨の過去や、火垂や自分のこれからが、世間に脅かされる事は避けられない。
そして、仮に例えば、何らかの手段で遠い未来に遺したとしても、
「――空に還したい、と思う」
若葉の言葉に、火垂は頷いた。
「分かった。大丈夫、氷雨もそれを望んでいた。それじゃ、一緒に柩に入れよう」
火垂の言葉に、若葉はホッとした。翌朝一番に火垂が大事に持って来た小さな白い箱は、リボンがかけられケーキの箱のように見えた。もちろん中身は “父”である。二人でそっと柩に入れた。
火葬された氷雨は、病没者とは思えないほどしっかりした骨を遺した。こんな立派なものは見た事がないと、火葬場の担当は目を丸くしたが、火垂も若葉もただニコニコと笑って流した。
あれから十年。若葉は結婚し、養子を貰い、火垂も一緒に平和に暮らしている。
私たちのこと 群青更紗 @gunjyo_sarasa
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