MEMORY01 卵焼き

 夏。未来を賭けた赤点回避大作戦と言う名の期末テストを終え、リターンマッチもなく俺はめでたく夏季休暇を迎える事が出来た。

 そんな激戦の末に手に入れた休暇なのだが、燃え尽き症候群という物だろうか。いかんせん何をする気も起きず、ついでに体も起こす気にならずに横になったまま自堕落な日々を送っていた。無論遊びたくないわけではないので、誘われれば遊びに出かけるが、類は友を呼ぶという言葉があるように、友人の九割ほどが俺と同様に自堕落を極めんと日々を無為に過ごしている。よって必然的に遊びに出かける回数は少なく、今では一週間に一回外出があるかどうかだ。

 この状況を見かねたマイマザーは俺を自堕落から遠ざける為と言う建前のもと、休暇中の朝食と昼食を作らない宣言をしてきた。本音は作るのが面倒くさいからというのは火を見るよりも明らかで、某小学生探偵でなくても容易に推理で来た。

 しかし朝食は無くてもどうせ昼まで寝ているので問題は無いのだが、昼食もないというのは些か困る。家に常備しているインスタントラーメンは食べ飽きているのでなお困る。料理するのは嫌いではないのだが、元々小食な為それに合わせた一人分の料理を作るというのは大食漢一人分作るより面倒くさい。だから料理をする気は微塵も起きないし、ついでに起き上がる気もない。

 ただまぁ二食抜いたとしても夏季休暇中に死ぬ事は無いだろう。そう考えいざ三度寝を決めようとした所で、奴は突然やって来た。

「来ちゃった」

 玄関の扉を開けた先に立っていたその男は言葉の最後にハートを付けているかのように言うが、きっとそのハートは黒く澱んでいるに違いない。全身に一瞬でできた鳥肌が俺にそう教えてくれた。

 流石に気持ち悪かったので存在を見なかった事にしようと扉を閉めようとしたが、男は素早い動きで足をまだ空いているスペースに滑り込ませて扉の進路をふさいできた。そこまでの動きに迷いはなく、その素早さからさっきのセリフを言えば確実に閉められるのを分かっていたなと察する事が出来た。そこまで分かっているのなら言わなければいいのにとは思うが口には出すまい。

 暫く無言の攻防を繰り広げていたが、最近動く事すらしなかった俺が根負けし扉から手を放す事でこの攻防戦に終止符が打たれた。

 無言でドアを閉めるなんて酷いじゃないかと男は笑う。なら言葉には気をつけろと俺は睨む。

 睨まれても動じないこの男は田村といい、分類上は俺の友人にあてはまる。多分。

 ケラケラと笑う田村の額に軽くデコピンをくらわせ、今日は何の用で来たのかを尋ねる。その際に下らない用事であればもう一発との意味を込めてデコピンの再装填は忘れない。

 田村もそれをくらう事は本意ではないらしく、笑うのをやめて実はと話を切りだした。

「飯作って」

 ウインク付きでそう言った。

 ふむと少し考える。コイツは出会った時からアホだとは思っていた。織田信長を殺したのを徳川家康に改ざんするし、忘れ物を自慢げに語ってくる。更には教師に起こられているというのにアニメが見たくて帰っていいですかと聞くなど、エピソードを挙げればきりがない。しかし、飯を作らせる為にこの炎天下の中数十キロも離れている俺の家に来る程アホであったとは何とも信じ難い。

 暑さにやられたか? そう心配してみるが、意外な事に自身はすこぶる健康でまともであると言い張った。前者の真偽は分からないが、後者は嘘であると知っているので否定しておこう。

 おいと田村にツッコまれるが、あまりこの話を長引かせても暑いうえに面倒なので、何故俺に飯を作らせにわざわざ来たのかを問う。

 曰く、あまりにも家でゴロゴロするあまり母親の怒りをかってしまい夕食以外は作らないと言われ、取り敢えずカップ麺でも食べようとしたが家にはない。近くにコンビニはあるが今月は既にピンチで使いたくないから来た、との事だった。

 嫌な偶然というのもあるもので、ひもじい田村の気持ちが俺には分からないでもない。しかし三度寝する直前に妨害したので同情する気は無いのだがな。

 理由は分かったが、何故わざわざ野郎に手料理を振る舞わなきゃならないのかと言うが、野郎が野郎に手料理を振舞うのが一部の界隈をにぎわせるんだ、と力説されてしまった。悪いが俺にはその趣味は無いのでお前のその熱意には付き合えないよ。

 それでもなお食い下がる田村。終いには哀愁漂う顔で懇願された。

 まぁ俺としても此処まで頼み込まれると飢え死ぬといい等と言えず、肩にポンと手を置いて帰れとしか言えなかった。その事に対して流石に冷た過ぎではないだろうかと言う反論をされたが、自業自得なので同情する気はないと反論し返した。

 そう言われると田村は何も言い返せないようで、ぐぬぬと恨みがましい目つきで睨んでくる。

 再び無言の攻防戦。今度は視線による討論なのだが、手に取るように田村の思考が読み取れるあたり長い付き合いだなと少し思ってしまう。

 互いの額にじんわりと汗が浮かんできた頃、ふいにぐぅと空腹を告げる音が二つ俺達の間に響く。そういえばさっき起きたばかりで昼飯どころか水も飲んでなかったっけか。胃液だけしか入ってないならそりゃ腹も減る。

 数秒自分の腹に手を当てて考え、田村の顔を見てため息を一つ吐く。俺一人分の料理作るよりは二人分作った方が面倒くさくは無い、か。

 しょうがないから簡単なものなら作ってやると言うと、田村はよっしゃとガッツポーズをとりおもむろにスマホを取り出してどこかへ電話をかける。

「飯作ってくれるってさ」

 奴の口から漏れ出る不穏な言葉。その瞬間俺の体は考えるより先に動き、その手にある召喚媒体を奪い取りスリープになる前に画面を見る。そこに表示されている名前は田村の母ではなく『宮野』という文字。俺のもう一人の分類上友人の名である。

 コイツとグルで昼飯をたかりに来たな、と胸倉掴んで問い詰めるが田村は何故か俺を小ばかにしたような笑みを浮かべ、まだまだ甘いなと左の方向を見ろと親指で指し示す。するとこちらに向かってくる人影が二人見えた。中央にいるのが宮野だという事は分かったが、その隣は誰なのかと目を凝らす。

「ただでご飯が食べられるって聞いて来たよ」

 そう言い放ったのは分類上友人で役職は宮野の彼女である森永。いつもニコニコと笑っている印象がある奴だが、今日の笑顔は見てるだけで此方の怒りを煽ってるようにしか見えないのはきっと田村に良いように転がされたせいだろう。まぁそれを抜きにしても息をするように人を無意識に煽ってくるわけだが。

 それに同調するように宮野もニヤニヤと笑みを浮かべて、男に二言は無いよなと言いたげな視線を俺に向ける。恐らくここまでのシナリオを考えたのはコイツだろう。よくよく考えれば同じ自堕落を極めんとする田村が一日一食で過ごせないはずがないではないか。くそう、浦で誰かと繋がっているという可能性を思いついていれば絶対に田村を追い返していたというのに。

 何か言い返そうとした所でもう一度俺の腹の虫が鳴く。どうも俺の胃はこいつらを追い返す時間さえ惜しいようだ。

 俺は再び盛大にため息を吐いて家の中に入る。それを見た三人は了承を得たとみて、お邪魔しますと妙な所で礼儀正しさを見せつつ俺の後に続いて入ってくる。

 木造一軒家の新しいとは言いにくい廊下を歩くと、少し廊下が軋む音を立てる。其処を過ぎればキッチン、と言うより台所と表現した方がしっくりくる装いの場所に出る。俺はその隣の居間に三人を座らせた後、何を作ろうかと冷蔵庫を開けて食材の確認をする。週末の為か大した食材はおいておらず、作れそうな料理もだいぶ絞られる。

 しかしまぁ突然押しかけて昼飯たかる奴らにそこまで手の込んだものを出す義理もないかと思い、パッと頭に思い浮かんだ食材を手に取っていく。そして手を洗い、まな板と包丁を用意して料理を開始する。

 まず最初に作るのはホウレン草のひたし。手鍋に水を入れて最大火力で温めてお湯を沸かす。その間にホウレン草を適量とりわけ、軽くもみ洗いしてザルにあげておく。

 お湯が沸騰したのを確認して大匙一杯の塩を入れて、ザルにあげておいたホウレン草を根っこからお湯に中に入れる。流石にそのままだと手鍋に全て浸からないので、菜箸で優しくホウレン草を曲げながら全体がお湯につかるようにする。そして二分のタイマーをかけて放置。その間に小皿にごま油を二杯、めんつゆを六杯を共に大匙でいれて混ぜ合わせる。少し味見をし、少しだけ味が物足りなかったので醤油を少量加える。

 ピピピとタイマーが鳴った所で鍋を火から離し、ホウレン草をザルにあげて再び水で洗う。触った感覚としては、ちゃんと茎まで熱が通ってやらラかくなっているので大丈夫だろう。ある程度水で冷やしたら水気をよく切り、包丁で三センチ程度に切り分けていく。そして仕上げにボウルに切ったホウレン草を入れてその上からさっき作った出汁をかけて暫く冷蔵庫で放置。これで取り敢えずホウレン草の浸しは完成だ。

 次に作るのはメインの鰯の蒲焼きだ。浸しを作ってる間に丸々冷凍保存されていたのを解凍しておき、これを捌いて使う。

 軽く流水解凍してまず最初に出刃包丁で頭を切り落とす。頭から切り離した胴体の腹の部分に切れ目を入れてそこから内臓を取り出し、流水で内臓などが残らないようにきれいに洗い流す。それを四匹分行い、開きの状態にしてキッチンペーパーの上に並べて水気を吸わせる。本当ならここで塩ふりをして身を引き締めさせたい所なのだが、いかんせん時間が惜しいので省略するとしよう。

 四枚の鰯に片栗粉をまんべんなく付け、下準備完了。

 温めたフライパンに油を適量入れ、油が温まった所で皮目を下にして中弱火でしっかり焼く。何度かひっくり返しながら、全体がきつね色になった所で一度火を止めて別皿に移す。その際に一つだけ身が崩れてしまったのだが、まぁこれは田村のにしよう。味は変わらないのだから文句はあるまい。

 そう思いつつフライパンの油をキッチンペーパーで軽く拭き取り、みりんと醤油を大匙三杯ずつフライパンに入れて混ぜ合わせつつ弱火で熱を加える。ある程度火が通った所でさっき取り出しておいた鰯を投入し、その上からみりんと醤油を一杯ずつかけて味を絡める。照りを出すためにスプーンで周りのタレをすくってかけるとジュワァ……っと音を立て香ばしい匂いで鼻腔を刺激した。居間ではこの匂いを嗅ぎつけた森永が良い匂いがするとはしゃいでいる。

 しっかり焼けたところで桜の絵が施された長方形の皿に盛りつけ、その脇に先程作っておいたホウレン草の浸しを添える。が、ここで少しだけ思ってしまった。彩が地味であると。

 ホウレン草の緑に蒲焼きの艶のある茶色。出来としては申し分ないと思うのだが、後もう一色欲しいと思ってしまう。

 ふむと少し考えた末に、卵を取り出してかき混ぜる。其処にみりんと砂糖を少量加えて、全体になじむように混ぜ合わせる。

 そして溶いた卵をさっきまでとは違う長方形の形をしたフライパンに流し込む。卵が焼かれる音を聞きながら、卵を破らないようにそっとも巻く。火から離してキッチンペーパーで形を整えればもう一品の卵焼きの完成だ。

 もう一つ少し工夫凝らしてみよう。そう思って卵を割った中にみりんと砂糖、そしてマヨネーズとわさびを入れて混ぜる。この組み合わせは一見何してんだよと言われがちであるが、マヨネーズを加えることによって卵焼きはふわふわに仕上がるし、ワサビを入れることによって風味が生まれ中々美味しいのだ。

 先程と同じように熱したフライパンに溶いた卵を流し込むと激しい音を立てて卵に熱が加わる。負ける硬さになるまで表面でポコポコしている気泡を眺め、その数が少なくなったところで素早く巻き始める。そして形を整え、さっきの卵焼きと共に切って皿に盛りつける。うん、これで見た目もばっちりだな。

 うんうんと若干の達成感を感じつつ皿を運ぶ。するとおぉという歓声が田村と宮野の口から洩れる。森永はというと、ニコニコしつつ控えめに何故か拍手をしている。取り敢えず掴みはオーケーだな。ご飯をよそいながら俺は小さく笑う。

 いただきますと四人の声が重なり、それぞれが食べたいものを一口口の中に放り込む。俺は卵焼きを食べる。柔らかく少し甘い卵焼きの中に、少しだけ香るワサビの風味。これが良いアクセントになり、ついもう一つ口の中に放り込んでしまう。

 蒲焼きは田村に好評で。さっさと食べてしまった。此方の蒲焼きをじっと見てくるが一欠けらだってやる気は無いので諦めろ。そう伝えるとあからさまに残念そうに肩を落とした。

 そして意外にもお浸しが森永に好評で、お代わりを要求された。これに関してはまだ少しだけ残っていたので皿に再び盛ってやる。宮野は終始黙ってはいたが、食べ終わった時に美味しかったと一言だけ添えて食器を下げた。少し照れているのだろう、愛い奴め。

 こうして突如襲来して腹減り同盟の空腹を満たす事が出来、俺も四日ぶりの昼食にありつけた。

 誰かの為にこうして料理を振舞うというのも悪くないものだなと感じつつも、やはり面倒くささはあるので本当にごく稀にでいいなとも思った。そんな一日だった。

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