第29話 あなたに感謝する日(後編)


 私は病院の個室で、ベッドですやすやと寝息を立てている宗谷さんを見つめる。


「本当に、大事に至らなくてよかったわよね」

「ええ」

「あんたも大丈夫? 傷は深くなかったって言ってたけれど」

 私は隣に座るダキニを見た。頭や体のあちこちに包帯を巻いて病衣を着ているので、見た目は十分それっぽいのだが。


「入院の必要はないそうです。しばらく通院しろとは言われましたが、傷も残さず治療できるそうです」

「うん、傷も残らないのね。本当によかったわ」

 私はもう何度目かも分からない安堵の息を漏らす。今日だけで一生分の『ああよかった』を使い果たしたんじゃないだろうか。


 ダキニが帰ってきた後で私とダキニ、そして宗谷さんは病院に送られた。装果も付き添いで宗谷さんと一緒に救急車に乗り、私とダキニはジイヤの車で。


 宗谷さんは、お医者様の見立てでは軽い脳震盪だという。油断は出来ないが、暫く安静にしていれば回復するだろうとのこと。


「それにしても宗谷さん、普段とはうって変わってカッコよかったわよね」

 私は銃弾から庇って飛び込んできてくれた宗谷さんの姿を思い起こしていた。

「亜琳っ! って叫んで迷うことなくガバっとね。ちょっと痺れたわ。私宗谷さんに呼び捨てにされたの、生まれて初めてだったし」

 今の安らかな顔で寝息を立てている宗谷さんとは似ても似つかない。あれはやっぱり、男の顔っていうやつかしら?


「普段から宗谷さんが私をどう思ってくれているかは分からなかったけれど……いやあ、モテる女は辛いわねえ」

「何を勘違いしているのですか、マスター」

 私が気分よく浸っているのを遮るように、ダキニから冷ややかな声が飛ぶ。


「あれ、ひょっとして妬いてる? うふふ、あんたも可愛いわねー」

「周りから言い寄られているような夢に浸りたいのも分かりますが、気持ち悪いので目を覚ましてください」

 相変わらず辛辣にもほどがある言い回しで、私の使い魔は軽蔑するような視線でこちらを見つめている。


 本当に、こいつは私を愛していると囁いた女なのだろうか。


「目を覚ますも何も、それしか考えられないじゃない。いや、歳の差もあるけれどさ。宗谷さんが私の事好きだっていうのも……実は不思議じゃないのよ」

 私は菜園で宗谷さんと話した日の事を思い返していた。そう、宗谷さんが、お母様について語ってくれた日だ。


「それはひょっとして、宗谷さんがマスターを見て、マスターの御母上であるめぐみ様を思い出したと言ったからですか?」

「え、あんた、あの話聞いてたの?」

 相変わらず耳のいいことだ。


「確かにそれでマスターの事を好きになる、というのも考えられなくはないですが、あの宗谷さんがその気持ちを隠しておけると思いますか?」

「お、思わないけれどさあ」

 流石に宗谷さんを馬鹿にしすぎじゃない? いや、宗谷さん分かりやすい人だけれど。


「でも、そっか。思い出したけれど、宗谷さんは私にお母様の姿を重ねているのかもしれないのよね。宗谷さんが抱いていた気持ちって、そういうのかな?」

「いいえ。もし今もマスターを御母上と重ねているのだとしたら、あの時の叫びは『亜琳』ではなく『めぐみ』になっていたはずです」

 いちいちごもっとも。


「じゃあ、あれは一体何だったのよ。あんなに真剣な宗谷さんも初めて見たし、私の事を呼び捨てにしたのだって、他の事じゃ説明つかないわよ」

「ううむ、そうですねえ……」

 ダキニも悩むように首を傾げながら、ふと思いついたようにこんな事を言った。


「マスター、マスターの目元は、宗谷さんにそっくりですね」

「は? え、いやまあ、同じ三白眼だしね」

「顔つきもよく似ていますよ。口元のあたりも、どことなく似通った雰囲気を感じます」

「え? そ、そう? って、それがどうしたの?」

 私は本気で意味が分からなくてそう聞き返した。


 すると、ダキニはとぼけたように、悪戯っぽく微笑みながら言う。


「マスター、宗谷さんはマスターの父親なのでは?」


 ぽんと放たれた一言に、私は思わず笑ってしまった。


「ははっ、何言ってんのよあんた。そんな訳無いでしょうが」

「いえいえ、マスターの御父上より、宗谷さんの方がはるかに似ていらっしゃいますし」

「目元だけね」

「マスターの御母上は、宗谷さんに懸想されていたのですよね」

「それはたぶんそうだと思うけれどさ。でも現実にはお母様はお父様と結婚したんだし」

「子供が結婚する前に出来ていたのだとしたら?」

「え?」


 ダキニの言葉に、私は思わずつまってしまう。


「いや、冗談ですけれどね。ですがそれ以外で宗谷さんがマスターの事を呼び捨てにする理由が思い当たらないですし、案外……」

「まっさかあ……」


 ははは、と笑いつつ、さっきまでと違い、笑い飛ばすことが出来なくなっていた。


「……いや、まさか」

「……ええ、流石に飛躍しすぎだと思うのですが」

 私とダキニは顔を向け合い、しばらく無言で見つめあう。


「マスター、何か、思い当たる節はありますか?」

「いや、そういうのは何も……」


 そこまで言いかけて、ふと、私に菜園の手伝いをしなさいと言った時のお父様を思い出した。


 あの時、お父様は確か何か言っていた。


「何も……」

 確か、そう、窓から下の菜園を眺めながら、あの菜園にも興味を持てと言っていたのだ。そして、あれはお前の……と言葉を切った。


 あの先に続く言葉は何だったのか。


 あれはお前の母親のものだ、というのは少しおかしいかもしれない。あの菜園は確かにお母様のものだが、お母様は大の虫嫌いで、菜園に通っていたのも恐らくは宗谷さんに会うためだったのだから。

 あのお父様の事だ。そんなお母様の心の内にも気づいていたかもしれない。それにお母様のものだと言うのに言葉を切る必要はない。


 もし……言えないことを言おうとしたなら?


 あの菜園はお前の……。


 お前の、本当の父親が育てている菜園だからだ。


 こんな事を、言おうとしていたのなら。


「いや……え? いやいや」

 私はかぶりを振って否定する。そんな、まさか。


「マスター、これからは宗谷さんの事を『御父上』とお呼びしたほうが宜しいでしょうか?」

「それはちょっと宜しくないわねえ。お父様と区別がつかなくなっちゃうから」

 冗談を交わしながらも、私は冷汗で背中がじっとりと濡れてきているのに気付いていた。


 確かに宗谷さんの事は好きだし、庭師として尊敬もしている。けれど、私のお父様は、間違いなくお父様で……。


 そんなことを考えている時、ドアがノックされた。突然の音に私はびくりと身を震わせる。


「お嬢様、私です」

「あ、しょ、装果。うん、どうぞ」

 私のたどたどしい返事で、紙のコーヒーカップを3つ、トレイに載せた装果が入ってきた。


「お嬢様、宗谷さんの様子はどうですか?」

「あ、うん、まだ目覚めない。すやすや寝息はたててるけれど」

 そうですか、と塞ぎ気味の装果。装果からしてみれば、宗谷さんの身が心配なのだろう。お医者様は大丈夫だと言ってくれたが、こればかりは本人が目覚めてくれないと安心できないものだし。


「宗谷さん、格好良かったですよね」

「え?」

 装果は私とダキニにカップを手渡すと、そのまま椅子に座るでもなく立ったままじっと宗谷さんを見つめた。


「危険も顧みず、迷わず飛び込んでいましたものね」

「ええ、そうね」

 何か得体の知れない雰囲気に囚われたように、私の返事もどこか空回り気味に響く。


「……お嬢様を庇って」


 得体の知れない雰囲気の正体、それを作り出していたのは、装果だった。


「お嬢様、一つお聞きしても宜しいですか?」

 装果は、いつもの笑顔で話す。

「お嬢様は、宗谷さんの事……どう思っていますか?」


 どきりとした。


 さっきまでの私の心の中を見透かされたような質問にもそうなのだが、何より、装果の纏う雰囲気が、少女のそれではなく、女のそれだと感じたから。


「えっ、あ、も、勿論好きよ!」

 私はなるべくとぼけたようにそう言った。嘘は言えないし、事実私は宗谷さんに恋愛感情を抱いているわけではない。


「宗谷さん優しいし、庭師として尊敬してるし! と言っても恋してるわけじゃないけれどね!」

「ふふっ、家族として好き、ってことですか?」

「えっ!?」


 その言葉は、今の私には禁句だった。


 私の笑顔の仮面が剥がれ、明らかに動揺してしまった。


「あっ……」

 だが私以上に動揺し、笑顔の仮面を剥がしてしまった少女がひとり。


 ぽろりと、傷ついたような表情で、装果は一粒涙を流した。


「あっ!!」

 その動きに呼応したようにカップが一つ、床に落ちた。中身を床に撒き散らして、ころり、と空になったカップが転がる。


 装果が持っていたカップだった。


「あっ! す、すみませんっ!! ぼ、ぼさっとしてましたっ!!」

 慌てて飛び散ったコーヒーをハンカチでふき取り始めた装果。


「しょ、装果、あ、あの、あのね」

「わ、私っ! あ、新しく注いできますのでっ!!」

「あっ! しょ……」

 装果は私が取りつく暇もなく、床を拭き終えてささっと病室を後にしてしまった。


 私は心の動揺を必死に抑えて、装果を追いかけようと立ち上がる。


「マスター、追いかけるつもりですか?」

「そうよ! 今すぐ追って装果に……」

「どうする、つもりなのですか?」

 ダキニは困惑したように歯切れ悪くそう言った。


「それは……うん、装果に誤解されたままじゃだめよ。必要なら、今の話も装果に」

「装果さんに今の話を……伝えるつもりですか?」


 ダキニの言葉に、私ははっとした。


 例え私の動揺が恋愛感情によるものではないと説明出来た所で、宗谷さんの過去に気付いてしまったら?


 装果は宗谷さんの事が好きだ。その宗谷さんが、過去にお母様と関係を持ち、そして私を残していたのだとしたら……。


「言えるわけないじゃないそんなのー!!」

 うあー、と私は頭を抱えてうずくまる。


 あー、だめだ。八方塞がりだ。この事態をどう収拾すればいいのだろう。


 というか未曽有の危機を無事乗り越えたと思ったのに、最後の最後でこんな困難が待ち受けているとは。ぶっちゃけこれなら大型ドラゴンがもう一匹出てくるとかの方がまだましだったかもしれない。


「す、すいません。私が余計な事を言ったばかりに」

 ダキニの声も相当落ち込んでいる。責任を感じているのだろう。

「……ううん、どの道宗谷さんのあの行動で装果は傷ついてたのよ。だから、私を庇った理由を考えていったら、誰かが同じ答えにたどり着いていたかもしれないし」


 ダキニをフォローしつつも、十数年間私と宗谷さんとの関係に疑問を持たなかった自分が不思議でならない。ああ、せめてもっと早くに私が気づいていれば。


「うっ……あっ」

 その時、ベッドからかすかな声が。


「あっ、そ、宗谷さん!」

「あ……ここは?」

 宗谷さんは目を開け、起き上がりながら不思議そうに私と、そしてダキニを見て尋ねた。


「ここは病院よ。体は大丈夫? 宗谷さん」

「えっ、いえ、特にどこも痛くは無いのですが、どうして私はここに……あっ! お、お嬢様っ!? 大丈夫なのですかっ!?」

 宗谷さんは突然声を張り上げ、目の前にいる私の心配をする。どう考えてもベッドで寝ているあなたの方が重傷に見えるわよ。


「うん、大丈夫。かすり傷一つ無いから」

「あっ、よ、良かった」

 はあー、と息を吐く宗谷さん。心底安心したように、胸をなで下ろすかのように笑顔を浮かべて。


「ねえ、宗谷さん」

「はい、何でしょう。お嬢様」

 宗谷さんはいつもの宗谷さんに見える。気が弱くて、優しくて、笑顔が子供みたいで、でも時々遠い目で菜園を眺めていたり……。


「あの……さ……」


 何か聞かなければならない。確かめなければならない。


 けれど、何を聞けばいい? 何と聞けばいい?


 これは装果の事だけじゃない。自分の事でもある。きっと今何か聞こうとしなければ、一生聞く勇気が出ないかもしれない。


 それだけに、怖い。

 体が、小刻みに震えた。


「その……」

 言い淀む私の肩に、何かがポンと触れた。


 私の隣には、私の愛しい使い魔が、柔らかい笑みを浮かべて立っていた。


 無条件で包み込んでくれる母親のような優しい目。お母様の事など何も覚えていないというのに、どうしてかそんな気持ちを思い起こさせてくれる。


 私はダキニに、勇気をもらった。


「あのっ! 宗谷さんっ!!」

「は、はいっ!!」

 宗谷さんは私の言葉にかしこまって返事をする。


「宗谷さんは……」

 私は慎重に頭の中で聞くべき事柄を吟味し、そして、言った。


「どうして、私を命がけで庇ってくれたの?」

 過去の事。そして、宗谷さんが私の何であるのか。一言で確認するための質問だった。


「それは……」

 宗谷さんは一瞬だけきょとんとして、そして、笑顔を浮かべて、言った。


「当然じゃないですか」


 その答えは、私の意図を、いい意味で裏切ってくれた。


「え?」

「だって、お嬢様だって、誰かお屋敷の者が危険に晒されればそうするでしょう。一度装果を身を挺して守ってくれたと聞きましたし」

 優しい笑顔でそう語る宗谷さん。


「それに、危ない、と思ったら体が勝手に動いていたんです。あの時は無我夢中で飛び込んだので……これ以上理由を説明してくれと言われても、正直よく分かりません」

 はは、と何故かばつが悪そうに笑う宗谷さん。照れているのか、それともきちんと質問に答えられなかったと思っているのか。気弱で優しい、宗谷さんらしい答え方だった。


「……そうね。そうよね」

 そういえばいつかの装果も同じような事を私に言っていたっけ。


 ダキニが危機にさらされていたら助けるか否か、って質問。


「ありがとう、宗谷さん」

 私は改めて、庇ってくれた宗谷さんにお礼を言った。


 難しく考えることはなさそうだ。

 私だって、答えはあの時と同じ。

 それに庇ってくれたというのなら、弾丸を止めてくれたダキニだってそうじゃないか。


 危険を顧みず、私を助けてくれたのだ。


 私の事を、大切だと、思ってくれているのだ。


「ダキニも、あの時はありがとうね」

「ふふっ。いえ、当然の事をしたまでです」

 お互いにそんな風に言って、私とダキニは笑いあった。


「じゃあちょっと、装果のとこに行ってくる」

「はい。行ってらっしゃいませ、マスター」

 ダキニに送り出されて、私は装果の元に急ぐ。


 さて、装果にはどう言って聞かせようかしら、なんて。不謹慎かもしれないけれどちょっとワクワクしながら。


 もう不安は無い。


 だって装果も、私の大切な人の一人だから。



――



 その後の事をかいつまんで話しておこう。


 知っての通り、私は魔法少女試験をすっぽかした。結果は言うまでもないが、不合格。

 だがあの時は魔法少女試験の二次会場であった山で魔法を悪用したテロ事件が起こり、その上他の各所でも同様の手口とみられる事件が相次いでいた。魔法犯罪対策課は対応に追われており、その余波もあって、あの日の魔法少女試験自体が中止になってしまったのだ。


 だからあの時皆の危機を無視して試験会場に向かっていたとしても、私は魔法少女試験を受けることすら叶わなかったわけだ。そう考えるとやはりあの選択は正しかったのだろう。


 事件は私達の所を含め、魔法使いが対処したおかげで一般人に被害を出すことなく収束させることが出来たとのこと。特にあんな大型のドラゴンが現れたにも関わらず最小の被害でとどめることが出来たという事で、私とダキニ、それと薫さんや装果まで表彰されることになった。

 名誉なことで嬉しいのだが、当然魔法少女試験には何の影響もない。ちょっとぐらい選考基準が甘くなってくれてもいいのに。


 あの大型ドラゴンは、魔法犯罪対策課の人が到着する前に消滅した。使い魔を呼びだしたマスターが繋がりを断ったのだろう。召喚された時とは逆に、光を出しながら何もない空間へと消えていったのだ。


 結局、ダキニが捕まえてくれたあの男以外は誰も捕まえることが出来なかったとのこと。そのせいで犯行の規模の大きさの割に分からないことが山ほど残った。あの大型ドラゴンを呼び出すための技術的問題やその魔力をどうやって集めたのか等も謎のまま。


 犯人の動機は魔法使いに対する一方的な私怨。私達魔法使いのイメージを落とし、世間に危険な存在として認知させるのが目的だったとか。とても身勝手で許されるような事ではないが、今回の騒動で一般人をその脅威から守り抜いた魔法使いは、皮肉なことに世間でのイメージを向上させていた。恐らくそれが彼に対する一番の罰になるのだろう。


 だが、はっきり言ってしまえばそんな事は私達には関係なくて。


 今まで宗谷さん達が精魂かけて育ててきた我が家の菜園は、見るも無残な姿になってしまったのだ。


「保険も下りるって宗谷さん言ってたけれど、足りないわよね」

 私は自室でベッドに座りながら、今回の事を振り返っていた。


「一年草はすぐに植え直しが出来るって言ってたけれど、そうじゃないやつはまた一から育て直しだもん。梨の木だって、本当はあれ何年ももたせるやつだっていうし」

 ドラゴンにバリバリ齧られてしまった木は当然もう駄目になってしまっている。残った梨の木はほんの僅かだった。


「まあ、こればかりは仕方がありません。台風や洪水でもそうですが、駄目になったら、また植えなおすところから始めるしかありませんから」

 隣で穏やかな笑みを浮かべる私の使い魔、ダキニ。


「それに、金銭の面ではあの魔力梨を買い取ってもらえる分があるじゃないですか」

「ん、それはまあ、そうなんだけれど」


 今回の件で魔力梨の存在を知ったいくつかの研究機関が、私に魔力梨の提供を願い出てきたのだ。


 魔力梨は使いようによっては誰でも魔力を人工的に回復できる可能性を秘めており、その価値は計り知れない。今の所これを扱えるのは世界でも私とダキニだけなので、提供を断れば私だけの強みとして使っていくこともできる。魔法使いの中ではこういう自分だけの強みといえる魔法技術を秘匿する輩も多いのだが。


「問題はいくらで売れるか、よね」

 私は背中からぽすん、とベッドに倒れこみ、ふう、と一息吐く。


 私は魔力梨の製法を秘匿するつもりはない。


 魔法技術の発展に貢献することに私は誇りを感じるし、魔力回復は魔法使いの長年の課題でもあったのだ。それを克服する技を独り占めしようとは思わない。提供は喜んでするところだ。


「あの魔力梨の価値が分かる所なら、十分な金額になるのでは?」

「どうかしらね。あれはどちらかといえば作り方に価値があるわけだし、あんたがいなければ作れないってなればそもそも価値がなくなっちゃうのよ?」

 研究機関はダキニ無しでも同じものが作れないかと考えるだろうが、不可能だと判断されれば、それはダキニの固有技術として研究する価値が激減してしまう。


「どうにか菜園の損失分を補う金額になればいいんだけれど」

「マスター、菜園がああなってしまったのはマスターのせいではありません。あまり責を負おうとしないでください」

 ダキニは私を心配しているのか、そんな事を言う。


「確かに私のせいじゃないけれどさ。何かこう、せっかく私も梨を育ててたんだから、力になりたいじゃない。私が協力したいっていうのはそういう事だから」


 私はベッドに広がった自分の髪と、ダキニの長い白髪を手に取って指で絡めた。ダキニの毛は細くてつやつやで、束になっているのを撫でるとまるで動物の毛を撫でたように柔らかくて触り心地がいい。


「相変わらずお優しいことです。時々、貴方は仏の生まれ変わりではないかと錯覚してしまいそうです」

「何それ、皮肉?」

「ええ、半分は」


 ダキニは寝そべる私の頬に手を伸ばし、優しく撫でる。ダキニの手の温かさが伝わってくる。


「あとの半分は?」

「……マスターは既に、ご存知でしょう?」


 ダキニの目が細められ、ゆっくりとその顔が近づいてきて……。


「ん……」


 私は、目を閉じた。


 互いの熱を感じながら、柔らかい唇の感触を味わっていく。


 ちょっとまだ恥ずかしいけれど、もうする事への抵抗は薄れてきていた。

 だって私は、ダキニを……。


「次は、何か別のものを育ててみますか?」

「ん、そうね」

「ふふ、マスターは、次は何が食べたいですか?」


 赤く染まる頬。高鳴る鼓動。


 互いの吐息がかかる距離で見つめ合い、微笑み合う。


「そうね、次は……」

 ああ、何がいいかしら。

 茄子やトマトでもいい。それともまた果物にしようか。これから育てるなら、イチゴとかでもいいかもしれない。


 次は何を……。


「ってちがああああああああああうっ!!」

 私は叫びながらガバッと跳ね起きた。


「何でいつの間にか私が何か育てることが当たり前になってるのよっ!!」

「え、育てないのですか?」

 不思議そうに聞き返すダキニ。さも当然だと言わんばかりの視線だ。


「いやいやいやっ!! 違うわよっ! 私は農家さんになりたいんじゃないのっ!! 魔法少女になりたいんだってばっ!!」

「はあ、試験はまた半年後だそうですね」

「うん、だからそれまで時間が出来る……ってそうじゃないってのっ!!」

 ああ、根本的な問題を忘れてしまう所だった。


 そう、私が目指す夢はただ一つ。


 どんなに困難だろうと、輝くその目標に向かって、今日も前進していかなければならない。


 私が憧れて、夢見た世界へ。


「マスター、農業は……楽しくありませんでしたか?」

「え? いや、楽しかったわよ? 大変だったけれど、いろんなことを経験できたし。ひと夏の思い出としては十分すぎるくらいの体験だったわ」


 お父様に菜園の世話を無理やり命じられて、何を育てようかと装果と一緒に悩んだ。

 宗谷さんに助けてもらったり、薫さんが魔力梨の利用法を思いついてくれたり、お父様から新しい杖を貰ったり、うちに入り込んできたドラゴン共を退治したり。


 本当に、色々な思い出が詰まった夏になった。


「あんたとも……出会えたしね」

「マスター……」


 私の大切な使い魔、ダキニ。


 そう、お父様に菜園の世話を命じられなければ、ダキニと出会う事も出来なかったのだ。


 そう考えると、お父様には感謝しなければならない。

 私をこのひと夏、菜園の手伝いにかり出してくれて。


「ん……」


 再びダキニと顔を近づけ合い、熱いキスを交わす。


 ダキニにも、私は心の底から感謝している。

 いや、ダキニだけではない。私は沢山の人から、沢山の事を教わった。沢山の大切なことに気付けた。


 そんな皆に、私は改めて感謝する。


「マスター」

「ん?」

「次は、何を育てますか?」

 潤んだ瞳。優しく微笑むその顔。相変わらずの美人顔をうっとりとバラ色に染めて私を見つめてくる。


「ふふ、そうねえ」

 育てるとしたら、これからの季節はイチゴだろうか?

 それともやっぱり茄子やトマトも育てておこうかな。私大好きだし。


「次は……って違うってのっ!!」

 危うく同じ流れで流されそうになりながら、私は声を大にして叫んだ。


「だからっ! 私は魔法少女になりたいんだってばっ!!」



 これが私の、ひと夏の魔法少女修行……もとい、農業奮闘記であった。

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魔法少女農業、始めました。 MADAKO @MADAKO

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