第28話 あなたに感謝する日(前編)


 狙われているのが私だと分かった瞬間、私は息をのむことしか出来なかった。


 あの大トカゲの時とは違う。大型ドラゴンの時とも違う。


 同じ、人間からの敵意だ。


 本能で戦うようなドラゴン達と比べて、戦いというにはあまりにも一方的な、私をただ憎み、傷つけようとするような視線。


 その視線に射抜かれて、私は一歩も動くことが出来なかった。


「亜琳っ!!」

 彼の持った拳銃が火を噴く瞬間、私の耳に、悲鳴のような、叫び声のような、怒声のような、そんな聞き覚えのない声が届いた。


 視界の隅で、彼を捉える。私に向かって飛び込んできた彼は、そのまま私を抱きかかえるようにして、私と一緒に、倒れ伏した。


 地面に倒れた時に伝わってきた衝撃が、私を金縛りから解いてくれた。


「そ、宗谷、さん……」


 私を抱きかかえていたのは、誰であろう、あの宗谷さんだった。見た目よりもがっしりとした腕が、最初は私をしっかりと包み込んでいた。


 だがその腕はだんだん力を失っていき、ついにはカクリと、宗谷さんが意識を失うのと同時に解かれる。


「えっ、あ……」

 私は、眠るようにして目を閉じている宗谷さんと、今しがた私に向かって発砲したのであろう、あの男を見比べていた。


 頭が働くにつれて、けれどその事実を認めたくなくて……そんな短い葛藤をした後で、私は叫んでいた。


「そっ、宗谷さんっ!!」


 宗谷さんは、私を庇ったのだ。


「えっ!?」

「あっ、嘘……」

 ダキニは驚きの声をあげ、装果は両手で口を押さえて真っ青な顔をしていた。


「そっ、そんなっ!! そ、宗谷さんっ!! 宗谷さんっ!!」

 私は横たわる宗谷さんの体をゆすりながら、必死に呼びかけた。


 撃たれた私が無傷な理由。私を庇って飛び込んだ宗谷さんが目覚めない理由。


 嫌だ、考えたくない。考えたくない。


「起きてっ! ね、ねえっ!? 起きてよ宗谷さんっ!!」

 私は錯乱したように叫び続け、装果はぶるぶると震えながら両ひざをついた。勝手に涙がボロボロと零れてくる。体の震えが止まらなくなる。


「嘘でしょっ!? なんでっ!? なんで私なんかを庇ってっ!!」

 私は事実を認めたくなくて、必死で嫌々をする子供のようになんでと繰り返した。理不尽な出来事の前でただただ取り乱すしか出来なかった。


「あの、マスター」

「だっ、ダキニっ!! そ、宗谷さんが撃たれてっ!! 目を覚ましてくれないのっ!!」

 私は神様にもすがる思いでダキニにそう訴えた。事実神様なダキニなら、何とかしてくれるんじゃないかと。


「助けてダキニっ!! お願いっ!! 宗谷さんを助けてっ!!」

 そんな無茶苦茶な願いを、ダキニに向かって叫んでいた。


「あの、あまり動かさないほうがいいかと」

「あっ!! そ、そうよねっ!! ま、まだ傷を塞いで、病院に連れていけば……」

 頭の中でそれが無駄な事だとは何となく理解していたが、それでも縋りつくような思いで私は宗谷さんから手を離す。


「で、でも、どこを撃たれたの!? ど、どこをどう止血したら!?」

「マスター、落ち着いてください」

「落ち着いていられるわけないでしょっ!? なんであんたはこんな時にっ!!」

 私はあまりにも普段通りの口調のダキニに苛立ってつい怒鳴ってしまう。きっとダキニはこういう時こそ落ち着くことが大事だと知っているのだろうけれど……。


「宗谷さんは撃たれていませんよ」

「だからっ!! ……えっ!?」


 ダキニの言葉に、私と、そして装果も揃ってダキニを見た。


「この通り、鉄砲の弾は止めましたので」

 そう言ってダキニは、人差し指と親指でつまんでいた銃弾を私たちに見せた。


 私と装果は目を丸くしてそれを見た。


「あ……え? あ、あんた、拳銃の弾を素手で捕まえたの?」

「けんじゅう、というのですかあの鉄砲は。まあ昔の鉄砲よりは威力がありましたが」


 事も無げに言ってのけるダキニ。相変わらずとんでもない使い魔だ。


「え、じゃ、じゃあ、宗谷さんは撃たれてないの?」

「はい」

「だったら、何で宗谷さんは……」

「恐らく飛び込んできた拍子に頭を打って気絶したのかと。ですからあまり動かさず、病院に連れていきましょう」

 ダキニのその言葉に、全身から力が抜けていくのを感じた。はあー、と大きく安堵の息を漏らす。


「よ、よかったぁー」

 私はへたり込みながら、こぼれてしまった涙を拭った。装果も胸に手を当てて顔を綻ばせている。ああ良かった。今度こそ全て解決……。


「じゃないわよっ!! さ、さっきの、撃ってきたあの人は!?」

 私はあやうく気を抜ききってしまう所だった。

「もうここにはいません。既に立ち去ってしまいました」

 ダキニはそう言って、恐らくはあの人が逃げた方を向いていた。


「そ、そう……逃げたんだ」

「お、お嬢様、さっきの人は、まさか以前お屋敷にいらしていた……」

「うん、装果も見ているわよね。お父様の仕事関係の人よ」

 出会った時とは別人のような雰囲気だったが、装果もこう言うってことは間違いないようだ。


「何で、あんなことを」

 あの人は間違いなく私を狙って発砲していた。当然ながら、私には身に覚えがない。


「私、あの人とはこの間初めて会ったわけだし、恨みを買うような事なんて、全然思い当たらないし……」

「理由は、本人に直接聞くしかないでしょう」

「え?」

 ダキニは私に微笑んで、遠く、山の方を見据えた。


「見失いこそしましたが、どこへ行ったかの見当はつきます。少しばかりお傍を離れることになりますが」

 ダキニがお屋敷の方に目を向けると、そちらから銃声を聞きつけたのだろう、薫さんが走ってきていた。倒れている宗谷さんを見て焦っているようにも見える。うん、薫さんには本気で心配させる前に説明しないとね。


「マスターの警護は、薫さんにお任せしますので」

「あっ、ダキニ」


 今にも駆け出していきそうなダキニに、慌てて声をかける。


 ダキニが何をしようとしているのかは分かる。それは多分必要な事だし、出来ることなら、今回の事件はきちんとした決着をつけたいとも思う。ダキニなら恐らく、それが出来る。


 けれど、一番大事なのは皆が無事でいること。ダキニが無事に帰ってくること。


 だからかける言葉も決まっている。


「……気を付けてね」

「はい。行って参ります」

 ダキニは、風のように走り抜けていった。



――



「くそっ! くそがっ!!」

 男は激しく悪態をつきながら、その憂さを晴らそうとするかのように、目の前の木に拳を打ち付けていた。


 何度も何度も、その無駄な行為に執着するかのように何度も。


「くそっ! 何が手練れの召喚魔法使いだっ!! あの役立たずがっ!! 誰一人殺せていないじゃないかっ!!」

 男は恐らくここにいない仲間に向かって文句を言っているのだろう。どうやらあのドラゴンの使い魔達を呼び出したのは、彼では無いようだ。召喚魔法が行われたあの山、魔法少女試験の試験場で、今はこの男のほかには音を立てる者もいない。


「やっぱり忌々しい魔法使いの力など借りるんじゃなかったっ!! 最初から試験場で事故に見せかけて殺してやるべきだったんだっ!!」

 男は殺意を露わに一人喚き散らす。


「あいつら……あの化け物どもめっ! くそっ!!」

「何やらご立腹のようですが」

 男ははっとして後ろを振り返る。私の姿を見るや、顔を引きつらせ、同時にこみ上げる怒りに表情を歪める。


「何か、お気に召さない事でもございましたか?」

 私はそんな彼を煽るように、芝居がかった台詞をかける。


「お前っ! 栃豊亜琳のっ」

「はい、亜琳様にお仕えする使い魔、ダキニと……」

 私がぼろぼろの袴をつまみ、西洋の慣わしの礼を取ろうとしたとき、彼は懐からあの拳銃なるものを取り出していた。


 迷うことなく、引き金を引こうとして……。


「っ!?」

「申します。改めて、お見知りおきください」

 私のモノを動かす魔法で拳銃を弾き飛ばされ、為すすべなく、その場で立ち尽くしていた。

「この……化け物めっ!!」

「そのような悪態をつかれるとは、よほど腹に据えかねることでもあったのでしょうか」


 私は芝居がかった口調を崩さず、一歩、また一歩とゆっくり詰め寄っていく。


「襲撃が失敗に終わったのは、そちらの想定外だったようですね」

「ふん、魔法使いを信じたのが間違いだった。あれだけの数のドラゴンを使いながら、結局はたった三人の魔法使いに返り討ちにあうとはな」

「先ほどから気になっていたのですが、あの拳銃とやらに頼るあなたは、魔法使いではないようですね」


 男は私の言葉を鼻で笑う。


「お前ら化け物と一緒にするな。魔法少女試験の監督には魔法使い以外の人間も関わるんだ。お前らには『監視』が必要だからな」

「その物言い……どうやら相当に魔法使いを嫌っていらっしゃるようですが、今回の件を起こしたのもそれが動機ですか?」

 男は僅かに逡巡したものの、下卑た笑みを浮かべてこう言った。


「お前ら化け物を、害虫を駆除しようとして何が悪い」

 私は、冷ややかな視線をこの男に向ける。


「お前らは人間じゃない。得体の知れない力を持った化け物だろう? だったら世の為に、お前らを野放しになんてしてられるか!」

「それはつまり、私のマスターを狙ったわけでも、栃豊家に恨みがあるわけでも無い。そう解釈して宜しいのですか?」

「お前らは自分達が特別だと粋がっているんだろう? だから騒動を起こして、目を覚まさせてやろうとしたんだ。世間がお前らを危険な生き物だともう一度思い出せば、お前らだってのうのうと生きていられないだろう!」


 ああ、またこれか、と思う。


 魔法は、この世界の神秘。

 不思議と未知の世界への扉を開く鍵。

 その鍵を持つのが、私達魔法使い。

 だから魔法使いは時に崇められ、敬われる。


 そして同時に、畏れられる。


 昔からずっと変わらないことだ。


 皆から慕われているマスターを見ていると忘れそうになるが、やはりこの時代でも、魔法使いは憧れの象徴であり、神秘の体現者であり、そして、やはり畏怖の対象なのだろう。


 この男の言葉は、今を生きる皆が皆思っている事ではないにしろ、心のどこかで、或いはこんな憎悪を抱く人間がいても不思議ではなかった。


「一つ、質問をしても宜しいですか?」

 私は勤めて冷静に、そう言った。


「あの館には、マスターとその御父上に仕える人間が大勢います。庭の手入れをする者、食事の支度をする者、館を掃除する者……ほぼ全員が魔法を扱えない者達です。今回の襲撃で、真っ先に危険に晒されたのは、彼らです」


 私は男を真っ直ぐに見つめる。


「魔法使いを恨むなら、何故、彼らまで危険に晒したのですか?」

「魔法使いにくみする奴らなど、化け物の仲間も同然だろう?」

「……身勝手ですね」


 私は内から湧き上がる怒りを抑えきれず、口の端から漏らしていた。


「魔法使いという肩書きは、魔法が使えるという事以外何も伝えてはくれぬでしょう。そんな表層だけを見て人間を知った風な口で語るより、まずその魂を見極めなさい」

「偉そうにほざくなっ! 力に溺れた魔法使い風情がっ!」

「力だけでは、皆に慕われ、愛される事は叶わぬことでしょう」


 私は知っている。私のマスターが、慕われている訳を。


 力など大したことはない。魔法が使えない人間にとってはそれも眩しく映るのかもしれないが、マスターをマスターたらしめているものは、そんなものではない。

 力及ばずとも立ち向かい、好きなものの為に泣き、その者の為に身分を越えて尽くすことができるその心。


 その心こそが、何よりもマスターを輝かせているものだった。


「あなたも見たでしょう。力無き、魔法を使えない普通の人間が、私のマスターを庇った姿を。命を賭して守ろうとするあの姿が、力に惹かれ付き従うものの姿に見えますか?」

 私は、再びあの男との距離を詰める。


「あそこにあったのは、ただ純粋な、愛する人を守ろうと必死になるものの姿です。力では到底手に入らない、人と人とを結ぶ絆です」

 私は、男の目の前に立った。


「それに引き換え、あなたはどうなのですか?」

「何っ!?」

 男はどこか怯えるように、それでいて虚勢を張り続けながら、私と対峙していた。


「力がどうのと仰っていましたが、先ほどあなたが手にしていた『拳銃』とやらは、その『力』ではないのですか?」

「っ!!」

「本当はあなた自身が恐れ、魅入られているのではないですか? 不条理で、理不尽な、暴力という『力』に」


 男ははっきりと目を見開いて動揺した。


「だから、過剰に力を持つ者を羨み、そして手に入らないその力に嫉妬したのでは? 手に入らない魔力を持つ魔法使いを恨み、その代わりとなる暴力で」

「黙れっ!」

 男は激昂していた。


「お前に、お前ら魔法使いに何が分かるっ!? 俺の何がっ!!」

「何も分かりませんよ。あなたの気持ちを一番知っているのは、あなた自身でしょう。だから内面に目を向けなさい。自身の魂を見極めなさい。今なら見えるでしょう、あなたが憎しみを向けていた魔法使いを鏡にして、己の心の内が」


 私の言葉に、男は虚を突かれたように怒りを解き、戸惑い、そして、目を背けるようにして私を睨み付けた。


「魔法使いがっ!! お前らにっ!! 惑わされるかっ!!」

 その言葉は憎しみから出た言葉ではなく、己の弱い心から目を背けた男の、ただの負け惜しみだった。


「お前らに、お前ら等にっ!!」

「……直視出来ませんか。ならば、報いを受けてもらうほかはありませんね」

 私はほんの少しだけ、マスターの負担にならない程度に魔力を込める。全身から立ち上がった闘気を感じたのか、男はたじろいだ。


「暴力に魅入られたその曇った目を覚ますには、暴力を、身をもって理解してもらうほか無いでしょう」

「やっ、やめろっ!! 止せっ!!」

 私に何をされるか予感したのだろう。男は今度こそ心が折れたように尻餅をつき、あたふたと後ずさりした。


「お屋敷を荒らし、皆を恐怖に陥れた罪。力無きものを理不尽な暴力で襲った罪。そして、マスターの命を狙った罪……万死に値します」

「まっ! た、助けてっ!! 嫌だっ!!」


 男はもう既に恥も外聞もないのか、泣きわめきながら顔を歪ませ、必死に命乞いをし始めた。


 恐らくこれがこの男の本心なのだろう。臆病で、力の前に容易く膝を屈するその心が、やがて身を守るために虚勢を覚え、力を持つ者を憎み、歪んでいったのだ。


 この男に限った事ではない。多くの人間が、力や権力に屈し、それと折り合いをつけるように心に鍵をかける。この男に過去何があったかは知らないが、この弱さは、彼だけのモノではない。


「お願いだっ!! 悪かったっ!! ゆっ、許してくれっ!!」

 だが、程度や種類の違いはあれどその弱い心を、他の誰かも同じように抱えて生きているという事に、この男はもっと早くに気づくべきだったのだ。


 そう、こんな凶行に走る前に。


「生まれ変わったら、今度は他者の心に目を向けて生きてみなさい」

「ひっ!!」


 振り下ろされた拳に悲鳴が重なり、私の手が地面を抉った。


 辺りに響く轟音。派手に土が舞い上がり、塊となって雨のように降り注いだ。私は、自分にかからない様に一歩引きさがる。


「確か、こういうのを」

 私は改めて男を見た。


 白目を剥きながら、土まみれになって泡を吹いている。だが、体に外傷があるわけではない。


「今の言葉では、フェイント、と言うんでしたか」


 私はこの男を、殴りはしなかった。


 何も難しいことは無い。男は勝手に恐怖に囚われ、勝手に意識を失った。ただそれだけだ。


「私も随分甘くなりましたね。殺生が出来ないのは承知していますが、まさかこんな男にまで手心を加えるようになるとは」

 私はふうとため息をついた。昔はこんな男、一も二もなくぶちのめしていたはずだ。


「私も、変わったのでしょうか?」

 私は独り言を空に向かって言い放つ。同時に、マスターに初めて神と名乗った時のことを思い出していた。


 元々自分に仕える人間と分け隔てなく接してきた彼女は、そんな私の事も受け入れてくれた。最初こそ私の素性の怪しさに疑いの目を向けていたが、今では……。


「本当は、自分がそんな器だとも思えないのですがね」

 私は改めて、自分を思い返してみる。


 過去を引きずって、マスターとぶつかり、己を偽って接してきた時間。あの人を失った時の後悔を忘れることが出来ず、繰り返さないために私はここに来て、その為だけに生きようとした。今度こそ失敗しない様にと、恐怖に怯える子供のように。


 弱い心を抱えていたのは、私のほうだった。


 さっきまであんな偉そうなことを言っていても、所詮はただの小娘だ。


「神様が聞いて呆れますね」

 自嘲気味に呟きながら、しかし、と心の中で思う。


 私はもう、そんな風には生きない。


 マスターと出会い、ぶつかりながらも、彼女を慕い、愛し、心を開くことが出来たのだ。止まってしまった私の時間を、再び動かすことが出来たのだ。


 だから私は、マスターの傍にいる。


 彼女を失わないためではない。

 彼女を愛しているから。


 そんな単純な理由だけで、私は彼女の傍にいたいのだと思える。

 それでいいのだと、今は思える。 


 さああ、と心地よい風が頬を撫でた。


 私は、改めて山の気配を感じる。

 召喚魔法に使われたのであろう魔力の残滓が、まだあたりに漂っていた。それが元々あった山の気と混じり合い、ゆっくりと溶けていく。


 山に魔力が取り込まれていくように。自然と一体になるように。


 ここは元々そういう土地だ。


「昔はこんなに人のいない場所ではありませんでしたね。魔力の集う地として、いつも修行者がいました」

 マスターには黙っていたが、ここは私の因縁の地でもある。あの人を、ここで伸びている男のような身勝手な奴らから守れずに、死なせてしまった場所。


「マスターが私を呼び出せたのも、恐らく長年放置されて溜まっていた魔力が、マスターの召喚魔法に作用した結果なのでしょうね。そう考えれば人がいなくなったおかげで私はマスターと出会えたことになるのですが」

 廃れてしまったこの山。そのおかげで今の私がいること。


「……やはり、殴らないで正解でした」

 気絶している男を一瞥して、あの時とは違う結末を迎えられたことに、私は満足していた。


 そう、変わったのだ。私も、そして世の中も。

 今私が生きているのは、過去ではないのだ。


 ならば、また憎み憎まれる人生を再現する必要もないだろう。


「また、墓参りに来ます。恐らくはあなたも、栃豊家の先祖としてここに祀られているのでしょうから」

 私はあの人に向かって語りかけるつもりで、空へとそう呟いた。


「ふふっ、この話をマスターにしたら、何て思うでしょうね」

 私は何だか楽しくなってきて、自然と笑みを零していた。


「まさか神と名乗る女が、自分の遠い先祖に恋をしていたただの人間だった、なんて知ったら」


 ふふふ、と笑いながら、鼻歌交じりに私は山を下りていった。

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