本の木

千石柳一

本の木

 庭に一本、木があった。

 二階建ての我が家より高い木だった。

 その木は秋になると実をつけ、実は自然に落ちる。

 そうして落ちた実を我が家の人間は読む。私も赤ん坊の時から聞かされ読まされ大きくなり、小学校の高学年になる頃には自分から読むようになった。そうやって私は、私たちの先祖はその木とともにあった。

 私が十二歳になる今年は、四冊の実が落ちた。

 その木には、本がる。




 採れたばかりの今年の本を自室に持ち帰り、その中の一冊を読みながら私は眠っていた。

 そんな夜中、誰かの声で目を覚ます。

 すすり泣くような声で。

 どうもその声は外から聞こえてくるらしかった。寝ぼけた目をこすりながら、私は窓を開けて首を出す。秋の冷たい夜風が眠気を奪い去る。


 すると庭で、見たことのない女の子がうずくまって泣いていた。

 そしてその庭には、見慣れたはずの本の木がなかった。

 私はどこか不気味なものを感じつつも、その様子を放っておけずこっそりと裏口から庭に出た。

 窓からのぞいた時と同じ恰好のまま彼女は泣いている。私は近づいて声をかけた。


「きみ、どうして泣いているの」

「ほんがね、できてないの。できてないのにね、うっかりおとしちゃったの」


 泣きながらその女の子はつっかえつっかえで説明する。

 そして彼女は顔を上げた。

 私と同じくらいの年周りの女の子だ。不気味なほど白く綺麗な顔、その大きな瞳に涙がたまって、月明かりをいくつもその中に映している。


 枝葉のように、先へ行くほど広がっていく不思議な髪形だった。その長い髪の先端が地面に触れていた。汚れてしまうと私が思っても、彼女はうずくまったままなので髪が地面から離れない。


「本ってなに? 何の本? うちには本がたくさんあるんだよ」


 我が家の書庫には本の木がつけた実で一杯だ。そしてそれしかない。本の木は樹齢が何年なのか誰にも分からず、ただ先祖代々この地に植わっていたとしかわからない。


「いちばんあたらしいほん。あなたがひるま、もっていったほん」

 私が持っていった本と言えば、今日採れた四冊の本だ。


「もしかして、君って本の木?」

 私は幼いながらもそう推察した。どうやらそれは的中のようで、彼女はこくこくと頷く。


「ごめんなさい。まだできるのにはもうちょっとかかるの。でもついおとしちゃったの。だから、もういちどあのほんをもってきてほしい」

「えーと、全部?」

「ぜんぶ」


 本の木は申し訳なさそうにそう答えた。

 待ってて、すぐ持ってくるよと言い、私は自室に取って返す。

 寝る前に読んでいた本と、机の上に積んでいた三冊の本を小脇に抱え、もう一度彼女の元まで走る。見せてと言うので、本を素直にすべて渡す。彼女はぱらぱらと本をめくっていった。


「これでいいのかな?」

 私がそう聞くと本の木は月明かりの下、ふんわりと笑った。


「うん、ありがとう」

 大事そうに本を抱える。それから、はっと気づいたように一冊の本を開いて私に見せた。


「このほんをよんでいたんだね」

 私は頷く。すると彼女は本を後ろからめくっていく。

 繰るページはすべて白紙だった。まだ最初のほうしか読んでいなかったため、知らなかった。


「まださいごまでかけていないから、このおはなしはおわらないの。ほかのもぜんぶ、さいごのほうはかけていないの。だから、ちゃんとかいてからあなたにあげるね」

「うん、わかった」

「あ、それから……」


 本の木は恥ずかしそうにもじもじと体をくねらせ、唇に手を当てた。

「きょうのことは、みんなには、ないしょにしてね。とくに、あなたのおとうさんにはないしょ」


 どうしてか知りたかったが、そこまで聞くのは野暮のような気がした。うん、わかったともう一度頷くと、彼女は四冊の本を抱いて再び笑った。


「じゃあ、おやすみなさい。ほん、かえしてくれてありがとう。うしろをふりむかないで、へやにもどってね」


 私は言われるままにした。部屋に戻ると眠気が再び襲ってきて、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまった。




 翌朝、目を覚ましてまず思ったのは、昨晩のことは夢だったのかどうかだった。

 けれど、部屋を見回しても本棚を隅から隅まで探しても、昨日採れたはずの本はなかった。


 私は居間に出ると、父と母におはようも言わずに庭へと出た。

 本の木は確かに、いつもと変わらない場所にあった。

 木の姿だった。

 見上げると、実がついている。

 もうすぐ落ちてきそうな、四冊の実が。


 ずっと見ていても、本の木は何も言わなかった。

 学校に遅れるぞと父が呼びかけるので、私は戻って朝食にした。




 夜、父と母と三人で卓を囲んでいた時にふと思い出した。

「ねえお父さん、本の木が落とした本にさ、最後のほうが白いページだったのってある?」

「うん? うーん……」


 そう尋ねると父は顎に手を当て、小首をかしげて思い出すような格好をする。

 ややあって彼はぽんと手を打った。


「あっ……そういえば、父さんがお前くらいの歳だったころ一度だけあったな。その年は五冊本が採れたんだけど、ぜんぶ最後の十ページくらいが真っ白だったんだよ」

 私の中ですべてがつながった。間髪入れずに父に聞く。


「その本、今もある?」

「ああ、書庫にあるぞ」


 食べ終わってすぐに私は庭へ出て、本の木とは反対方向にある書庫の重い扉を開けた。父が私くらいの歳、つまりだいたい三十年前に五冊の本が採れた年のものを探す。


 三十一年前の本が五冊。これだった。

 一冊を引っ張り出し後ろから開く。白紙。

 二冊目も三冊目も最後数ページが白紙。残り二冊もそうだった。五冊すべての本が、最後の数ページだけ白紙。


「ははーん、あの子、この年もうっかりしたんだな」

 それでわかった。

 私の場合は本の木が泣く声で目が覚め、彼女の失敗をなかったことにできた。しかし、おそらく父は似たような状況下、夢の中だったのだろう。

 彼女が泣いていても、気づかずに。それゆえ本は回収されず、ずっとこの状態のままなのだ。


 父に内緒にしてくれと頼んだのもわかった。

 彼女はきっと、今さらのことで恥ずかしいのだ。

 私は五冊の本を抱え書庫を出ると、そのまま本の木の所まで行く。

 そして根元にこっそりとその本を置いておいた。


 これで彼女は、三十一年越しに失敗を取り繕えるはずだ。

 私は久しぶりに、自分以外の存在を助けたことで嬉しさを覚え、それを噛みしめていた。

 完成した三十一年前の本を父に見せて、彼の驚く顔が見られるという楽しみもできた。


「がんばってね」

 私は彼女の幹を撫で、そう言った。 

 それから家へ戻ろうと踵を返す。

 そんな私の背中に、あの女の子の声が聞こえた気がした。

 恥ずかしそうに、小さな声で、けれど明瞭に。


 ありがとう、と。

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本の木 千石柳一 @sengoku-ryu1

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