銀河の使者コピコ

白井京月

2031年のコンタクト

■2031年8月15日


その報告に国連地球防衛軍長官のマービン・オガタは凍りついた。


「ち、ち、ち、地球と謎の彗星が衝突する・・・」

「それも、3週間後・・・」

「その彗星の大きさは月の3分の2」

「衝突する確率は99.9%」

「衝突した場合・・・地球は変形し・・・」

「最も影響の少ないところで、マグニチュード25の地震が・・・」

「マービン。マービン」


ビル博士が声をかけてもマービンは反応しない。

その時のことを、マービンは本当に時間が止まったようだったと言った。


30分ほどの時間が過ぎただろうか。

マービンがぽつりと話し始めた。


「なんとか地球へ来るまでにミサイルで爆破できないのか」

「無理です。あまりにも大き過ぎます」


「そうか。このことを知っているのは誰だ」

「一応、天体班の200人ほどは知っています。

もちろん、緘口令だけではなく、完全に拘束し通信も出来ないよう

徹底しています」


「さて、私はこの事実を誰に報告すれば良いのか」

「そのうち、大印帝国やネーザーランドの宇宙局も気がつくだろうし」

「いや、もう知っているかもしれんな・・・」

「そうです。しかし、国連地球防衛軍の長官は貴方一人ですよ」

「よし、事務総長に報告するとともに、地球緊急事態宣言を出す」

「2時間後だ。準備を頼む」

「ただし、彗星の大きさだけは報告しない。いいな。」

「了解しました。」


それにしても・・・

そんな巨大な彗星が3週間後に来るのなら、アマチュア天文家でも見つけそうなものだ。


報告を受けた国連事務総長は発狂し入院した。

事務総長代行は、緊急議会を開いたものの、その討議は驚くべきものだった。

だれも、報告を信用しなかったのだ。


マービンは決断した。

兎に角、あるだけのミサイルを彗星に打ち込もうと。

マービンは役に立たない議会を無視して、国際防衛人脈を使い、ロケットとミサイルをかき集めた。


すでに、ビル博士の報告から3日がたっていた。

衝突まで、あと18日。


マービン長官はインド洋の中央に位置するディエゴ・ガルシア島にいる。ここが、地球防衛軍の中心基地だった。


■2031年8月25日


マービンが確保したミサイルは約50000発。

しかし、その殆どは大陸弾道弾であって、彗星を迎撃するものではない。

地球外からの攻撃を迎え撃つミサイルは300発しか無いのだ。

しかも、命中精度を考えると、発射出来るのは衝突の1週間前。つまり9月1日だ。もっとも、焼け石に水であることはマービンも知っている。しかし、他にどんな手があるだろう。宇宙ステーションにでも逃亡せよと言うのか。


「マービン長官。彗星の動きが変なんです。揺れたり、速度を変えたりしています。」

「なに?」

「まるで、ナックルボールのようなんです」

「そんな馬鹿な!」

「ですから、軌道を計算しきれません」

「地球と衝突する確率も、98.5%に落ちました」

「ほーう。まあ、今となっては、9月1日からの、迎撃ミサイルだけが頼みの綱だ。核は積めるだけ積む。あとはこの1.5%が少しでも大きくなることを祈るだけか」


■2031年9月1日


300発のうちの80発を発射。

命中予定日は9月4日。


もう、この頃には彗星が肉眼で見えるようになっていた。インターネットでは新彗星発見としか騒がれなかったが、それは異様なほどに綺麗だった。


「あれか。何か名前をつけないとな」


■2031年9月4日


ビル博士が走りながらマービンの部屋の飛び込んで来た。


「聞いて下さい」

「考えれれません」

「迎撃は成功しました。というか、あの彗星は風船のようなものでした」

「天体なのか、何なのか。中は空洞だったようです」

「まったく信じられません」


ビル博士とマービン長官は抱き合って喜びを分かち合った。


■2031年9月9日


ディエゴ・ガルシア島の上空に謎の飛行物体が2機やってきた。

完全なる球形。

大きさは一つが直径2メートルくらい。

一つが直径4メートルくらい。

肉眼ではもちろん見えない。

ゆっくりとらせん状に降下し、基地に接近しつつある。


「マービン長官、どうしましょうか?」

副長官のスンデルは、半ばマービンを試すかのよな口調でそう言った。


「何か電波=メッセージは来ていないのか?」

「はい、何も受信できません」

「とりあえず攻撃してみるか」

「馬鹿なことを。もし中に細菌兵器でも入っていたらどうしますか?」


「・・・つまり、正体がわからない以上、攻撃も出来ないということか」


スンデルはメイン画面を飛行物体の映像に切り替えた。

そこに映し出されたのは二つのカプセルだった。

一つには小さな少女が、もう一つには、大きな男が入っている。

武器も食糧も持っていないように見えた。


「信号を送れ。あなた達は何者か。何をしに来たのか」

「言語バリエーションは450を使うこと」


・・・はい・・・


「英語で応答がありました」

「何と」


「私は銀河の使者コピコ。何をしに来たかは会ってから話すわ」


「おいおい、誰が会うんだ・・・」

(俺は、会いたくないぞ)


至急、地球の代表者を呼ぼう。

何が起こるか分からない。

私は後方で待機しなければいけないのだ。


それにしても何故、この辺鄙なというか基地でしかないディエゴ・ガルシア島に来るんだ。地球の防衛能力を馬鹿にしているのか。


スクリーンに映るコピコの顔が少しずつはっきりしてきた。


なかなか可愛いじゃないか。

それにしても、これは乗り物なのだろうか。

まるで、透明の風船の中に人間が入っているだけだ。

こんな知的生命と戦っても勝ち目はないだろう。

いったい何をしに来た。


この調子なら、もうあと数時間でここに来るな。

何が地球防衛隊だ。こんなに簡単に警戒ラインを越えられるなんて。

とても、報告できない。

報告したら、俺の首が飛ぶ。


マービンはそんな事を考えていた。


■2031年9月10日


予測よりも遥かにはやく、コピコとその従者は地球防衛軍迎賓館の中庭に着陸した。レーダーは何の役にも立たなかった。そして、その第一発見者は迎賓館でソムリエをしているトットン公爵だった。


トットン公爵は腰を抜かしながらも「おーい。誰か来てくれ」と叫んだ。


その声を聞いて、執事やシェフが集まって来た。


「なに、宇宙人なの?」

「変わってるけど怖くないね」

「いやー、可愛いよ」

「武器も持ってないみたいだし」

「透明のボールに入っているのは空気が合わないからかしら」


皆がそんな話をしているときに、コピコは言った。


「マービン長官を呼んできて」


そこには迎賓館の館長、ハリスもいた。


ハリスはおもむろに携帯電話を取り出し、マービン長官の秘書に状況を伝えた。


30分はかかっただろうか。

20人のSPに囲まれる形で、マービン長官と秘書3名が迎賓館に到着した。


コピコは言った。

「お庭でお話しましょう。」

「ここで良いじゃないか」

マービン長官の声は震えていた。


コピコは再び言った。

「お庭でお話しましょう。」


マービン長官は沈黙した。

膠着状態が続いた。

相手は何者なのか。

敵なのか、そうではないのか。

判断する材料が何も無かった。


攻撃する理由も無かったし、攻撃するのも恐ろしかった。


そこに、動物学者のレスリー教授が現れた。

「かわりに私が行きましょう」


レスリー教授は飄々と庭に出るとコピコの所へと歩み寄った。


「さてと。用件をおうかがいしよう。」


コピコは言った。

「コマサンダ・ロンニヨンパッパ・シポロンゲロニクンクン」


レスター教授・・・???


コピコは続けた。

「サロニモラント・シロトット・パンバリアンガソ」


「英語でお願いできないかな」


「マービン・ソラソラリンダライ・コナネチカポ」


「おい。言語学者を呼んでくれ。それとレコーダーだ。暗号かもしれないから数学者も呼んでくれ」


「おかしいなあ。さっきまで英語で話が出来たのに・・・」


レスター教授はコピコにウィンクして建物の中に戻った。


■2031年9月11日


プードル博士が地球防衛基地に着いた時には、すでに日付が変わっていた。


マービン長官

「プードル博士ですか。。。犬みたいな名前ですな。。。」


プードル博士

「いえ犬みたいではなく、犬の名前です。スペルも同じです。」


同席していたスンデル副長官とレスター教授は思わず噴き出した。


プードル博士は背中に特別なコンピュータを背負い、ゴーグルを付け手袋をしていた。


ビル博士は言った。


「プードル博士は30ケ国語に堪能な言語学博士にして、暗号解読に関する数学博士でもあるのです。コピコの通訳に彼以上に適任者はいません。」


スンデル副長官は溜息をついた。


「プードル先生以上の適任者がいない・・・プードル先生、お聞きしますが、自信はあおりですか?」


プードル博士はお腹をかかえて笑った。ガハハハハ。


「まず、自信がないなら、ここには来ない。しかし、100%の自信などあるわけがない」


プードル博士の自信に満ちた声にスンデル副長官はまた溜息をついた。


「では、何パーセントくらいですか?」


「何%かですって? 天気予報じゃあるまいし。要は、解読できるか、できないか。確率など意味ないでしょ」


プードル博士はお腹をかかえて笑った。ガハハハハ。


「それでは、貴方は天気予報は意味がないとおっしゃるのですか?」


スンデル副長官はまた、溜息をついた。


「ああ。天気予報と、今回の事件を比較するのですか。天気予報なんて、どうでも良いんだよ。どうでも」


最後は激昂して立ち上がり、拳を机に叩きつけた。

よほど痛かったのだろう。スンデル副長官は顔をしかめていた。


「解読というよりも、大事なのはコミュニケーションですよ」


レスター教授がいきなり甲高い声で発言した。


「解読できなくてもコミュニケーションは出来るかもしれない。

解読できてもコミュニケーションは出来ないかもしれない。」


マービン長官が身を乗り出した。


「どういう意味かな?」


「コミュニケーションのうち言語の果たす役割は10%程度です。コピコちゃんの要望を察して、歓待して、気分を良くしてあげることが大事じゃないかなと」


「コ・コ・コ・コピコちゃんって。いつから<ちゃん>になったんですか。」


スンデル副長官は吐き捨てるように言った。


「まあ、まあ。スンデル君。レスター教授の意見を聞こうじゃないか」


マービン長官がスンデル副長官を制した。


「私が思うに、コピコちゃん、いや、コピコは我々を攻撃するつもりは無いと思われる。きっと、地球から何かを持って帰りたいんだろう。それが分かれば、何事もなく自分の星に戻ってくれると思うんだがねえ。」


「ほう。その根拠は?」


「根拠など無いですな。あえて言えば直観ですかね。」


スンデル副長官は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

間を置いてプードル長官が笑い出した。ガハハハハ。


「言語なくして言語なし。バーバルなくしてノンバーバルなし。私思う故に私あり。翻訳なくして通訳なし。わかりますか。最後は記号であり言語なんですよ。だいたいコピコは音を出している。音があれば、犬だろうがカラスだろうが、何を言っているか私には分かる。ただ、コピコは間違いなく我々より高等 な生物だろう。問題は対応する語彙が我々の言葉の中にあるかどうかなんですよ。わかりますか? とにかくだ。マービン長官。貴方の選択肢は私に任せるしか ないのですよ。違いますか?」


「うむ。それは分かる。しかし、我々はシナリオを用意しておく必要があるように思う。コピコはいつ攻撃してくるかも分からない。何を要求してくるかも分からない。それに、コピコは英語が出来るはずなんだ。なぜ、英語を使わなくなった。誰かそれを説明できるか?」


沈黙の時間が続いた。


レスター教授がおもむろに話はじめた。


「なに、危険は感じませんね。もし、コピコが攻撃してきたら、その時はこの島ごと自爆する。いかがでしょうか?」


「自爆? 何を馬鹿な事を」


「いや、それほどに攻撃される可能性は少ないということですよ」


「根拠がない。まったくない。自爆してコピコが死んだりしたら、本当に宇宙戦争になって人類が滅亡するかもしれませんよ」


「では、何があっても言いなりですか?」


沈黙を見計らったように、プードル博士は立ちあがった。


「要するに、私にすべてを任せるしかないのです」


ガハハハハ。


スンデル副長官は、頭を抱えて部屋を出て行った。


「よし。頼むよ。プードル大博士」


マービン長官はプードル博士の所へ行くと、強く握手した。


■2031年9月11日(2)


プードル博士とコピコとの接触が始まった。

プードル博士は庭をゆっくりと一歩ずつ歩きコピコに近づく。


「はじめまして。プードルです」


会議での自信はどうしたのだろう。声が少し震えている。


「マービン。ルスコニカ。パブロナロフフフ。カンニダロンコ」


プードル博士は胸にぶらさげたコンピュータの画面を見ながら、キーボードを激しく叩き始めた。わからん。マービンはきっと、マービン長官だろう。それ以外はさっぱりわからん。どうしよう。焦るぞ。私の面子は丸潰れだ。どうしよう。


そうだ。どうせ誰にも分からないんだ。俺だけわかったことにすれば良い。

さてと。


「解読できましたよ。マービン長官。あなたに、コピコの星、M39星に来て欲しい。そういうことらしいです」


マービン長官は、おかしくなった。


「ガハ、ガハ、ガハ。何で俺がそんな星に行くんだ。ガハ。ガハ。ガハ。理由を聞いてくれ。行くのなら話の通じるプードル博士が行けば良い。ガハ。ガハ。ガハ」


この切り返しにはプードル博士もしまったと思った。しかし、もう遅い。


「何をしに長官がM39星に行くのかな?」


「コニバスラ。スンダラホイ。バカバカヨメサン。ニタリコドモサ。」


うーん。全然わからん。でも良いんだ。誰にも分からないだろうから。


「はい。宇宙動物園に地球人が欲しいらしいのです。そこでマービン長官に、その動物園に来てほしいと」


プードル博士の翻訳に周囲はどっとなった。宇宙動物園。そんなものがあるのか?


「スパラバ。テンポナス。シンシロコ。タラコスラダ。ポンポン」


ええい。わからん。ヤケクソだ。


「何でも、知的高等生物を集めた動物園で、自由と永遠の生命が保障されるそうです」


マービン長官は笑い出した。


「フフフフフ。それなら、俺で無くても誰だって良いじゃないか。俺じゃなきゃいけない理由は何だ」


「マービン。シメソナタ。モデモンド。プリカスタ。ヨヨヨチッチ。パ」


プードル博士は考え込んでしまった。

うまい説明が出来なかった。もちろんコピコが何を言っているのかは分からない。ああ、はやく答えないと疑われる。えいやあ。


「コピコはマービン長官が好きだからだそうです」


今度は、周囲が爆笑した。


その爆笑が、マービン長官には不愉快だった。


確かに、マービン長官は有能だったが、その醜男ぶりには定評がありマスコミで写真が公開されることすらなかったからだ。もちろん独身だし、実は童貞だという説まである。マービン長官は少しおかしくなっていた。


顔を赤らめながら速い足取りでコピコとプードル博士の方へと向かった。


「では聞こう。私のどこが好きなのかな?」


「ピンタニコ。ポロトライヤ。ソーニングルット。シリダコンベ」


「おい。はやく訳せ」


「プードル君。君の翻訳は全部でたらめだろ」


プードル博士は口ごもった。

ただ、ゴーグル姿なので、目を読まれる事はなかった。


「でたらめじゃない!」


コピコがいきなり英語でしゃべり出した。


「誰でも良いの。私の星に来て」


「宇宙動物園のためにか・・・・」


「それが、宇宙の平和のためなのわかって。だから長官。あなたがその任務に最適なの」


「え。やっぱり俺なのか???」


マービン長官は焦った。焦りながらもこう言った。


「1日時間をください。それから、食事はいらないのかな?」


「食事はいらないわ。代謝がちがうから」


「よろしければ貴方の役職と年齢を聞かせてもらえるかな?」


「役職は銀河の第1使者コピコ。年齢は5083歳です。ただし、地球時間で計算すると、45991歳ね」


「で、どうして地球へ?」


「怒らないでね。貴方がたはようやく知的生命の最低レベルに到達したの。だからとても興味があるし、地球という星を壊したくないの」


「最低レベルか・・・まあ良い。時間をください。24時間」


■2031年9月12日


ディエゴ・ガルシア島の地球防衛軍迎賓館に国連事務総長であるサロン女史が到着して会議は始まった。会議はマービン長官とレスター教授、それにプードル博士の4人だけで行われた。


「コピコの要求はそれだけ? なら、マービン長官、M39星に行ってください」


サロン女史は軽くそう言った。


「え。しかしなぜ私なんです。もっとカッコイイ映画俳優とかスポーツ選手とかいろいろいるじゃないですか?」


「そんな理由はコピコに聞いて下さい」


「そうですな。理由はコピコに聞くべきでしょうな」


レスター教授がしゃべり出した。


「それだけではない。断じて対価を要求すべきです。例えば、より公平で快適な社会を作るにはどうすれば良いかとか。あるいは不老長寿の薬を貰うとか。ただで、マービン長官を差し出すというのは不公平だ。」


「それもそうね」


サロン女史は軽く答えた。


「そもそも拒否したらどうなるんですかね」


プードル博士も黙ってはいない。


「拒否したら、あっそうですかで帰ってくれませんかね」


「そうだな。持って帰るのは私ではなく猿か、犬か、猫なら良いのにな」


「拒否したら、どうなると思いますか?」


レスター教授は一同をやや見下したように小さい声で言った。


みな、視線を下に落としていたがサロン女史は違った。


「欲しいものはあげればいいじゃない」


「え。私にも人権が」


「なに言ってるの。自らを地球の為に捧げるのはマービン長官、貴方の使命です」


レスター教授は言った。


「今日はこれからコピコと交渉です。交渉にはこの4人で臨みましょう。要点を確認します。なぜマービン長官なのか。拒否するとどうなるのか。対価として何かをもらえないか。そんなところですか?」


「いや、この際だ。聞けることは何でも聞くべきだろう。科学技術の飛躍的な発展が期待できるわけだし」


プードル博士はレスター教授に対抗するようにそう言った。


「焦点を絞りましょう。私のまとめた要点だけでもコピコの出方にどう対応するのか一枚岩とは言えない。それに要求というのはややもするとエスカレートして追加要求が出てくるものです。その時に対価が重要になる。ギブ・アンド・テイクの原則ですよ。そして意思決定者はサロン事務総長しかいない。私たちは付き添いでしかない。役割を明確にしないといけませんな」


「俺は長官を辞任する」


マービンは泣いていた。


「そんなの認めませんから」


サロン女史がそう言うと、会議は閉会となった。


■2031年9月13日


いよいよコピコとの交渉の時がやって来た。

いきなり、サロン女史が話だした。


「コピコさん、はじめまして。私が国連事務総長のサロンよ。地球で一番偉い人。その私が言うの。つまり結論ね。マービン長官は貴方にあげる。でも条件が二つあるの。一つは、どうしてマービンを選んだのかを聞かせてちょうだい。そしてもう一つは、マービンの代わりに何かお土産をください。どう、当然のお願いじゃない? どうかしら?」


コピコを入れた風船のような容器は少し飛び上ったように見えた。


「ありがとう。サロンさん。もちろん、そう来ると思っていたは。ただ、最初の理由は話すと少し長くなるわね」


「マービンさん。こっちに来て」


「マービンさん。私たちが貴方を理由を選んだ理由は簡単なことなの。貴方は地球上でただ一人、いなくなっても悲しむ人がいないのよ。家族も親戚も友達もいない。頭脳は優秀で誰に対しても好き嫌いがない。だからこういう地位、役割にあるんだけど、貴方に好き嫌いがないように、誰にも嫌われてもいなければ、誰からも好かれてもいないのよ貴方は。普通こんなことを言ったら、怒るか、泣くかするんでしょうけど、貴方にはそういうものを超越した冷静さがある。だから言うのよ。でもね。貴方にとってM39星は楽しいと思うから安心して」


マービンはボロボロと泣いた。そして、もしかしたら生まれて初めて泣いたのではないかとも思った。コピコはその姿を横目で見ていた。


「それからお土産ね」


そう言うとコピコの容器から、コピコの入っている球とそっくりの空の容器が飛び出してきた。


「これを一つあげるわ。これに入るとほぼ永遠に老化せず生きられるのよ。まあ、ブラックホールに吸い込まれたらおしまいだけど。ただね。長く生きるのが幸せかどうかはよく考えてね。誰かが入っても良いし、動物を入れるのもありよ。すべて、自動調整だからオペレーションはいらない。それから、生物が入るとバリアがオンになるから、いかなる攻撃にも耐えられるようになってる。まあ、飾りにしても良いし、分解して研究に使っても良いし、使い方は好きにして。どう。素敵なプレゼントでしょ?」


サロン女史とビル博士、レスター教授は顔を見合わせた。

そして、もったいをつけるようにレスター教授が頷いた。


それが合図だったこのようにサロン女史が話出した。


「ありがとう。交渉成立ね」


「ありがとう」


コピコがそう言ったその瞬間、マービン長官は球形の容器に入っていた。


「ちょっと地球を見学したらすぐに帰りますから」


コピコがそう言うと、三つの球形の容器は宙に浮き、しばらくすると見えなくなった。


残された容器を前に、みんなは腰が抜けたかにように寝転がった。


■2031年9月14日


サロン女史が地球防衛軍の本部にいることがマスコミに漏れると、世界は騒然とした。何かを語らないといけないのだが、何をどう語れば良いのかが、サロン女史には分からなかった。シナリオ無くドバイにある国連本部には帰れない。


幸いなのはこのディエゴ・ガルシア島がマスコミを含め一般人の立ち入り禁止区域となっていることだった。


そしてもう一つの問題がコピコの置いて行ったお土産の処理である。

これには「コピコの球(たま)」という名前がつけられた。


マスコミはまだ「コピコの球」のことも「コピコ」のことも知らない。マービン長官がいなくなったことも知らない。


難題を前にして実はサロン女史はウキウキしていた。私が今までこれほど注目されたことがあったかしら。さあ、世界の要人をここに集めよう。そうだ、主要29ケ国緊急首脳会議(G29)をここでやろう。そして、すべての事実を話してしまおう。誰も信じないかもしれないが「コピコの球」という証拠もある。


そしてマービン長官の後任も決めないといけない。スンデル副長官では無理だろう。彼は未だに寝込んだままだ。


しかし事実をそのままマスコミに話したならば、世界はパニックになるかもしれない。「コピコの球」を買いたいという大金持ちが殺到することは簡単に予測できる。そう、コピコの球の所有権は誰にあるのだろう。これは私のもの、いや、国連のもので決して手放さないということを、まず明確にしよう。


サロン博士はドバイにいるカメロン第3秘書に電子メールを打った。

G29の開催日は9月19日とした。もう少し世論の反応を見る必要があると判断したからである。


いや、サロン女史の本音、あるいは深層心理は世論の反応を楽しみたいという事だったのかもしれない。


風説の中には、宇宙人と交信しているという説もあった。宇宙ステーションがインターネットで提供する宇宙画像へのアクセスが急増した。また、その 画像が捏造だという噂も広まった。新聞ではサロン女史とマービン長官の経歴が写真入りで大きく報じられた。宇宙人が地球に住もうとしているとか、地球から資源を持ち出そうとしているとか、いろいろな説が流れた。UFOを見たという目撃情報や写真も報道された。


サロン女史はG29の開催準備を急ぐように迎賓館長に直接指示し、食事や議場、宿泊施設等の細かい打ち合わせをした。婦人の同伴は認めないこと、SPもつけないこと、そして当然ながらマスコミは入れないことを確認した。そして、その日に自分が着るシャネルのスーツを緊急で取り寄せることも忘れはしなかった。


■2031年9月15日


それは満月の日だった。雲ひとつない空。その空に異変が起こった。


月が二つになったのだ。満月の隣にもうひとつの満月。


街が騒然となったのは言うまでもない。テレビもラジオもすべてが特番になった。


ゲストで呼ばれた宇宙物理学者は何も分からないという。しまいには二つに見えるだけで実際には一つだと言いだす始末だ。


こういう時には、にわか学者が増える。重力のバランスが崩れて自転速度が変わるとか。地球が太陽から離れて寒冷化するとか。これから、三つ、四つと増殖するという説まで登場した。


一方で地球防衛軍のサロン女史も空を眺めていた。あれはコピコの球、それも大球に違いない。サロン女史はそう思った。


そして、事実はサロン女史の想像通りだった。


もう一つの月は、コピコとその従者、そしてマービン長官を連れて発進した。もうひとつの月はみるみる小さくなり、やがて消えて行った。


二つの月に関する話題が世間から消えるには、まだまだ時間が必要だった。


論戦が戦わされるだけでなく、どことなく不安を煽る事件だった。


■2031年9月19日


G29会議が開催された。サロン女史の開会宣言が始まった。


「皆さんにお集りいただいたのは他でもありません。この、中央に置かれた透明の球(たま)。この球について、今日は皆さんにお話しなければなりません。先日、銀河の使者コピコと名乗る宇宙人からの贈り物です」


会場がどよめいた。


「詳しい話は、この後、レスター教授からお話があります。この球は<コピコの球(たま)>と呼ぶことにしました。これは乗り物です。そして、マービン長官はこの球に乗って宇宙へ飛び立ちました」


またまた、会場がどよめいた。


「問題はこの<コピコの球>をどう扱うかです。その為には、皆さんにこの球について知ってもらう必要があります。では、レスター教授の説明を、お聞きください」


レスター教授がサロン女史の隣の席に来てしゃべり出した。


「レスターです。どうぞ宜しくお願いします。さて、この球は乗り物という話がありましたが、それだけではありません。この球の中に入ると、ほぼ不老不死の永遠の生命が得られます」


またまた会場がどよめいた。


「あ。静粛にお願いします。この程度の話ではないのです。ここからが重要なのです。どうか、冷静に、そしてお静かにお聞き下さい。議論は私の話が終ってからでもたっぷりと時間がありますから」


「さて、この球の中に入るとさらに球を作ることが出来ます。つまり、誰かがこの球の中に入ると、地球人すべてが永遠の生命を得ることができるのです」


「もちろん、強力なバリア機能がありまして攻撃でやられることはない。しかも食糧すら必要が無くなる」


「さらに、わかからないのは、一度この球の中に入ると、出ることが出来るのか出来ないのかがわからないのです。出られないとしたら、セックスはできませんね。まあ、二人で入れるかどうかも分からない」


「さらにこの球には生体反応がある。つまり、これは超高度なバイオ機械ではないかと思われるのです。科学者としては、この球の研究もまた興味深いものになる」


「さて、この球をどう扱いますか?」


「この球についてどうプレス・リリースしますか?」


「それとも緘口令を敷いて、トップ・シークレットにしますか?」


「以上で、私の話はいったん終わりにします」


■2031年9月25日


サロン女史は「コピコの球」の中にいた。いろいろ考えたうえでの行動だったのか、衝動だったのか。ただ、誰かが入ると自らの権力を脅かされるような不安に駆られただけかもしれない。決して、不労不死が魅力だったのではない。相対的に不利になりたくなかったのだ。


しかし、サロン女史は「コピコの球」に入ってから後悔している。この球はサロン女子自身が複製を作れるからだ。きっと、様々な目的から、複製を作れという要請、圧力がかかることだろう。面倒な事だ。


そして要請に一度でも応えると「コピコの球」は理論上は無限に増殖可能になってしまう。一個でも複製を作ると、自らの優位性はなくなるのだ。


みんな色々と言ってくるだろう。不治の病に冒された患者を救う事も出来る。通り魔に襲われる事も、事故に逢うこともない。


そのうえ、宇宙空間を自由に移動できるし、食事も水も必要ない。


一歩間違うとだ。この地球は「コピコの球」で満員になる。


サロン女史は、そんな想像して頭痛がひどくなり意識を失った。「コピコの球」の中でも頭痛はするし意識も失うらしい。


■2031年9月26日


サロン女史は「コピコの球」の中で目を覚ます。


一度この球の中に入ると出ることは不可能だ。一生、つまり永遠にこの中で生きることになる。不死は昔から人類の夢でったが、実現してしまうと悪夢なのだとわかった。サロン女史はもう、自分が人間ではなくなったのだと思った。


ここにいてはいけない。この地球には仲間がいない。私もM39星に行こう。そうすれば、みんなコピコの球の中にいるはずだ。きっと、彼らとなら話も合うだろう。もう、地球にいても意味がない。


そう思った途端、サロン女史の入ったコピコの球は宙に浮き、すいすいと上昇を始めた。大気圏を超えて、月のそばに行った。さらに、周回軌道を描きながら太陽系から離れる。どのくらいの時間でM39星に着くのかはわからなかったが、それもどうでも良いことだ。なにしろサロン女史の寿命は無限なのだから。


一方、G29ではサロン女史とコピコの球がなくなって大騒ぎになっていた。急病で死んだのなら説明できるが、行方不明というのはまずい。レスター教授たちは緊急会議を開いた。


いろいろと議論はあったが、結論は出た。失踪の理由を書いた手紙を捏造することにした。それは次のようなものだった。


「突然ですが、私は国連事務総長という職にふさわしくない人間だと悟りました。マービン長官と二人で山奥で修行をすることにします。これから人類は宇宙人たちと仲良くしなくてはいけません。こんなことを言うと、頭がおかしくなったという人もいらっしゃるのでしょうね。でも、決して宇宙人と戦わないでください。これが私の最後の言葉です。長い間ありがとうございました。皆様に神様のご加護がありますように」


「これなら世間も納得しますね」


スンデル副長官は声を弾ませた。


プレスリリースが行われ。マスコミはこの声明を伝えるとともに、いろいろな論説が出回った。


2031年。銀河の使者コピコが地球に来た年。しかし人々は「月が二つになった年」としてこの年のことを記憶する。しかし、地球防衛軍の人たちがコピコのことを忘れることはない。そして、また再び地球に来て欲しいと思っている人もいる。もう、地球にはコピコの球はない。サロン女史は大泥棒だ。


「これで地球は当分、平和になりそうですね」


レスター教授は寂しそうにそう言った。みんなは小さく頷いた。(了)

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