第3話 やばい、イケメンだと死ぬ
母の働く染め物工場から、大人たちの目を盗んで俺はこっそりと外に出た。
毎日のように母に工場に連れられて来ているので、腕に抱かれたままでも道筋はなんとなく覚えている。そこから外れないように気をつけながら──迷子になったら大迷惑なので──俺はそろそろと歩き出す。
やがて、目の前に広がる街並みに俺は目を見張った。
(空が……ずっと青い)
日本で見上げていた空よりも強い青、乾いた風がわずかな土埃とともに吹き抜け、遠くには緑の稜線がぼんやりと見える。
目の前には江戸時代の長屋を石と土煉瓦で建てたような集合住宅がびっちりと建ち並んでいる。そういえば俺の家もだいたいこれと同じ造りだった。
工場の敷地の入り口はそのまま街の大通りに繋がっている。道の左右には屋台がいくつも建ち並んで威勢の良い掛け声で客寄せをしており、嗅ぎ慣れないが食欲をそそるスパイスの匂いがこちらにまで漂ってきた。
その中を街の人々が何人も慌ただしく行き来している。
特筆すべきは髪の色が赤や青、緑と色とりどりなことだろうか。一瞬、コスプレに見えてしまったが、眉や
道行く人々はみなそのカラフルな自分の髪や瞳の色に合わせた服を身に着け、特に女性は細やかな刺繍でさらに彩りを加えている。大通りはさながら色の洪水だった。
(これが異世界か……)
目にするもの、漂ってくる匂い、すべてが珍しくて、俺はよたよたと大通りに向かって歩いて行く。
ひとりでうろうろする子供(俺のことだが)に怪訝な顔をする女性もいたようだが、街の観察にいっぱいいっぱいだった俺はその意味を深く考えなかった。
どのくらいそうしていたのか。
実際はさほど時間は経っていなかったと思うが、転ばないように土煉瓦の壁に手を突いて道の端をそろそろと歩いていた俺は、ふと、若い数人連れの男と目が合った。
(……?)
父母や大通りにいた街の人々はみな忙しく立ち働いている。さほど裕福な街ではないようだし(おそらく。これは日本人の感覚かもしれないが)、そうしなければ食べていけないのだろう。労働法だの週休二日制だのがある世界ではないだろうし。
だが彼らはいかにも手持ち無沙汰といった風で、何かの作業をしているようには見えない。
そして何より、その暗く濁った目。
(何だ……? こいつら)
俺が見上げているのに気付いたのだろう、彼らもこちらを見下ろしてくる。
その唇が、にやりと下卑た形に歪んだ。
(……やばい!!)
理屈ではなく直感で俺は駆け出す。だが悲しいかなしょせんは三歳児の身体であり、大の男にはたちまち追いつかれてしまった。ぐいっと貫頭衣の襟を掴んで持ち上げられ、息が詰まる。
「こいつだよな? 例の、門番の家のガキって」
「そうだ」
「たかがガキ一匹だと思ったのに、とっ捕まえるのにこんなに手間食うとはな……」
口々に言いながら、男たちは俺の口に素早く
「そう言うな。この顔ならかなりの金になるぜ」
「そうそう、髪だって金色だし。こんだけ
「ちっ、あの母親がろくに離しやがらねえから……」
どうやら連中は俺を担いで歩き出したようで、袋が規則的に揺れ始める。同時に袋の外から続きが聞こえてきた。
この会話からわかったことはいくつかある。たとえば、カラフルなこの世界でも金髪は珍しいらしいこと。
そして、俺の新しい顔はこの世界でもかなりの美形らしいこと。日本人の感覚を引きずっている自分とこの世界の美醜の感覚がズレている可能性があるのであまり自信はなかったのだが、こいつらが俺が「美形だから」攫ったというなら本当なのだろう。こんな形で品質保証をされても嬉しくもなんともないが。
そして何より問題なのはこいつらの素性。
(人買いか!!)
人買い、奴隷、人身売買。単語だけは知っていても日本ではそれこそ遠い世界のことだと思っていた存在。
奴隷は見目が良い者のほうが高い値が付いたと以前に読んだ。権力者はさながら装飾や美術品のように美形の使用人を並べて己の権勢を示したという。
それに……まあ、奴隷の〝使い道〟とは労働をさせることだけではない。具体的な内容は口にするのも考えるのもおぞましいが。
妙に母が過保護だなとは思ったのだ。三歳児ならば日本でも保育園、幼稚園に入れる年齢だし、目は離せなくともそれなりに自分で動き回れる。外で手を引いて歩くならまだしも、抱き上げたまま歩く必要はない。それはこういう連中に目を付けられて攫われることを危惧していたからではないか。
実際、会話の内容からすればこいつらは以前から俺に目を付けていたようであるし。
(……そんな)
水面に自分の顔を映したときは嬉しかったのだ。
ふわふわとした淡い金色の髪、日本の藤の花を思い出させる瞳、白い頬にうっすら上気した頬。教会に飾られている天使像のような顔立ち。なにせこの身体になって日が浅かったので、自分はこの顔で生きていくのだという自覚もあまり持てず、ただ単純に「前世ほど大変ではないだろう」とほっとした。
だが、ここは日本から離れた〝遠い世界〟なのだと俺は改めて思い知る。
(油断すると……イケメンだと逆に死ぬのか、この世界!?)
麻袋の中で為す術もなくもがきながら俺は呻いた。
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