第2話 世界を知るためのささやかな冒険
この世界の朝は早い。
蝋燭や薪といった灯りを浪費できるのはごく一部の金持ちだけで、大多数の庶民は日の出とともに目覚めて日没を見送って眠る。日本でも健康的な生活を心がけていたつもりでいたが、とうていこの世界での睡眠時間には及ばない。まあ、ただ単に俺がまだ幼児だからということもあるが。
「あなた、もう五時の鐘が」
「そろそろ出ないと間に合わないな」
朝食を食べ終えた俺が部屋や家の外をちょろちょろ動き回っていると、街の中心から鐘の音が聞こえてきた。
日本の寺院によくある重低音ではなく、かん、かんというもう少し高い音だ。この世界にまだ時計は存在しないか普及していないようで、毎日、等間隔で鳴らされるこの鐘の音で人々は時刻を知る。
頷いてから父は部屋の片隅に置いてあった鎧を身に着け始めた。
父母の話から推測するに、父はどうやら街の警衛兵として働いているらしい。いちおうは領主に仕える武門の家……ということになるらしいが、騎馬に乗って従者を従えられる騎士とは文字通りまるで身分が違うようで、家名(名字)もない。
領主であれば地名を己の家の名として名乗ることができるし、何代も家業を続けて広く人に知られるようになれば、〝
よって、俺のこの世界での名前もただのテオである。
古い叙事詩からいただいた名らしいが、その物語を俺はまだ知らない。
「あなた、そろそろ……」
「ああ、あと少しだ」
父の鎧は教科書で見た
「それでは、行ってくる」
鎧を装着し終えると、父は最後に槍を手にして立ち上がった。
「ちちうぇ、かっこういいです」
「そうか? お前はほんとにこいつが好きだなあ」
俺がきらきらした目で見上げると、父はまんざらでもない顔で手にした槍を振って見せた。
前世では祖父に武道を叩き込まれていた俺である。剣や槍を見るとわくわくしてしまうのは男の性分だ。
「テオ、危ないからお父様の槍に触ってはだめよ」
「はは、少しくらいは構わんさ。こいつも小さいのに男なんだなあ」
「それは、男の子はそういうものかもしれませんけど……」
母は少しばかり不満げな顔で俺の顔を見つめた。
「この子はこんなに可愛いのに、危ないことをする必要はないんです」
母の言葉に父は苦笑して俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「そういうわけにはいかんだろう。テオには俺のこの槍を継いで、街を守ってもらわないとな」
「はい!!」
俺は大きな声で頷き、母はまたもや不安げな顔をしたのだった。
やがて、父を見送って手早く家事を終えると、母は俺の手を引いて外に出た。
「テオ、絶対にお母さんから離れないでね」
「はい、ははうえ」
そう言いながらも、母は俺を抱き上げて早足で歩き出した。
俺が記憶を取り戻してからも、どうやらその前も、母は家の外ではいつもこの調子だった。俺は街並みをじっくり眺めてみたいのだが、腕の中で暴れて母を困らせるわけにもいかず、外の世界のことはいまだよくわからない。
やがて母の仕事場に到着し、俺はそっと床に下ろされた。
父は警衛兵だが母は染め物職人の仕事をしている。おそらく街の主要産業なのだろう、家から少し離れたところにある染め物の工場は小さな体育館ほどの広さがあった。その中を女性ばかり数十人もが忙しそうに染料の入った瓶を運んだり布を干したりと動き回っている。
「ではテオ、ここでお友達と遊んでいてね」
さらに工場に片隅には俺と同じ年頃の子供が十人ほどいる。
中世ヨーロッパ(ぽい世界)に保育所などあるわけがないので、目を離せない年頃の子供はこうして仕事場に連れてきて遊ばせておくわけだ。働いているのはほとんど主婦のようだし、交代で面倒を見るのは合理的ではある。
だが。
(話が合わん……いや話と言っていいのかよくわからないけど)
見た目だけ三歳児の俺と、中身も三歳児のほかの子供たち。
目覚めてから数日ほどは一緒におもちゃで遊んでみたのだが、正直どう遊んで良いのかもよくわからない。すぐ隣では女の子ふたりが布製の人形を取り合っているが、たぶんそのまま引っ張り続けると腕が千切れるぞ。
母に心配をかけないようおとなしくしているつもりだったが、さすがに退屈に耐えられなくなってきた。
木刀で素振りがしたい。贅沢を言わないからせめて筋トレをしたい。
(……いや)
俺は内心で
俺は工場の大人たちと入り口を交互に見つめた。
母たちは染め物に夢中になっており、子守当番の女性も今はどこかに行ってしまっている。大きな荷物を運び入れるために入り口は広く、今も開けっ放しにされたままだ。
(申し訳ありません、母上。でも俺はこの街と世界を少しでも見たいんです)
大人と子供たちの目を盗んで、俺はそっと工場の外に出た。
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