彼女の素顔(3)

 とある月夜の、とある山奥の中。風も吹かない静かな森の中に、一筋の雷光が辺りを照らす。

 木々の間を鋭く走る白い稲妻。その閃光を追い回すように複数の黒い闇が続く。

 瞬刻一閃。木々の間に稲妻が落ちる。木々の間を駆け抜けているかのような、それでいて必死に黒い影から逃げていた。追従する幾多の黒い影は、木々の中を「ぬるり」とした風のように追い回す。

 光と影は凍えそうな月明かりの中で、戦っていた。

 木々の間から稲妻が天に向かって落ちた。ふわりと宙に浮いたそれは、月の明かりを全身に浴びたことで銀色に輝き、そして煌めいた。その正体は白銀の毛に覆われた狐だった。

 そして、その狐を執拗に追い回していた複数の影。その姿も月明かりに照らされ正体を覗かせる。それらも同じく狐ではあったが、その身体は銀色の狐より一回り小さく、毛の色は所々擦れた灰色をした漆黒の毛を持つ狐、のように見える姿だった。

 生物としては間違いなく狐であったが、ジャッカルの如く小型で痩せたような体型をしていた。それはまるで獲物を確実に仕留めることができるよう、調整されているような体型をしていた。

 追われる狐と追いかける狐達。両者は一定の間隔を保ちながら、凄いスピードで森の中を駆け抜ける。その差は、広がることも、縮まることもなかった。どちらかが意図的にそうしているのではない。両者とも紛れもない全力疾走であるが故に、その差は均衡していた。

 両者は長い時間、全力疾走し続けていた。その疲労は両者に少しずつ見え始め、均等であった両者の距離間隔は少しずつ乱れ始めていた。

 逃げても逃げても追いかけてくる黒い影に、白銀は焦りを感じていた。それは徐々に脚を縛る枷となっていき、いつしか今まで避けられていたはずの木々が頬や体を裂いてゆく。身体に無数の傷を作りながらも、それでもなお必死に追いつかれないよう逃げ続ける白銀の狐。

 体に溜まった疲れと、無数の傷口から滲む血が思考回路を鈍らせる。両者は木々に体を擦りながら、見えない終着点に向かって森の中を駆け抜けていた。

 最初はかすり傷程度の傷口。それは走るうちに徐々に広がり、幾多の傷口が狐達の血を流し、体力を徐々に奪っていく。

 体の小さい黒い影達の幾つかが光を諦め、森の闇に溶けた。


 私はその様子を見て、夜がもうすぐ明けるんだと確信した。

 次の瞬間、「ぐらり」と平衡感覚が歪んだ。全力疾走と多数の傷口からの失血、そして安心感からの気の緩みか。私は眩暈を覚えた。

 しまった、と感じながら一呼吸。歪んだ視界から戻った私は、今まで走っていことを再認識するのに一瞬遅れた。一歩めの脚は前に出てくれたが、二歩目のイメージが追いつかず、脚がもつれて失速する。

 その瞬間を狙っていたかのように、最後まで追っていた漆黒の一匹が、黒い体を丸めた状態で地面から突き上げるように私に向かって跳ねた。まるで砲弾のような体当たりは、私の脇腹をえぐる。

 飛び込んできた狐を避ける余裕が残っていなかった私は、肺を押しつぶすような衝撃に呼吸が止まる。宙に浮いた私の体は、為す術も無く「ぐるり」と回っていた。私の脚が空を切り、天地がひっくり返り、その先はハッキリとは覚えていない。

 何となく見えたり覚えていたのは、長い間、身体が宙に浮いているのと、私が吹き飛ばされた先が崖下だということ。そして、崖上の複数の黒い影。その顔は不気味に嘲笑っていたことだ。


 どれくらいの時が経ったのだろうか。

 どこまで落ちたのだろうか。

 私は、果たして生きているだろうか。


 草木の匂いがした。私はどうやら、まだ生きているらしい。

 奇跡的だ。体の至る所が痛むものの、命がまだある。

 私が落ちたところを見渡すと、一帯に枯葉が積まれていた。なぜ枯葉が積まれていたかは分からないが、何という幸運だろうか。

 改めて辺りを見渡すも、生い茂る草木が月明かりを完全に遮断していたことで、そこらは暗闇だった。崖上の状態も木々が目隠しになっていて、ここからでは確認できない。同じ条件なら、相手も私を見失っているはずだと、少し安心した。

 しかし、この場所に留まる訳にもいかない。先ほどの相手が崖下に追いかけてくる可能性も無きにしも非ず。そうなれば本当に最期だ。確実に喉元を引き裂かれるだろう。

 この場所から逃げようと思い、手足に力を入れてみる。手足共にピクリと反応はする。しかし、全く思うようには動かなかった。

 耐え難い睡魔が私を襲う。今寝たら、次に目が醒めることは無いかもしれない。絶対に寝てはいけない。眠るように私の意識は急速に薄れていった。

 そして近付く何者かの足音。今の私にはその足音を力なく感じ取るくらいしかできなかった。

 私は目を瞑り、死を覚悟した。

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御稲荷様の景色から S.Lime @jamwithju2

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