海が見える人へ

笹山

海が見える人へ

 僕の町は、海になろうとしていた。

 と、もし僕がビル街のど真ん中で叫びでもすると、それを聞いた人は「ああ、こいつの町は海に沈むのだろう」と思うかもしれない。事実最近の環境問題の一つとして海面の上昇はいつも挙げられるものだし、その影響で今にも地表が海に覆われつつある島もある。

 だが、僕の言う「僕の町は、海になろうとしていた」とは、勿論そういう事ではなく、言ってしまえば、今僕がオンボロ自転車を駆るこの砂利道に、海水が張りつつあるということである。以前から舗装の話が持ち上がっては有耶無耶にされていた、車一台がせいぜい通れる程度の、僕の家に続く道は、その所々が水溜りのようにぬかるみ、表面にはさらさらと砂が現れ、深いところともなれば名も知らない水草が生えてきていた。僕の曽祖父の代が入植者となって切り拓いた小さなこの町は、海になってきていた。

 一度試しに、この海溜りの水の、綺麗なものを掬って嘗めてみたところ、抜けるような海水の塩辛さを感じた。幼い頃、父さんに連れられて海水浴に行った折、弟から浴びせられた海水が口に飛び込んできたことを思い出した。あるいは、冬の冷えたある夜、悴んだ手で固定電話の子機を握り、片思いだった女の子に告白したときに思わず流れ出た涙が、口の端から染み込んできたことを思い出した。そんな味だった。

 なによりこの土地が海になりつつあることを示すものがあった。それは、時折海溜りの表面から現れ出る魚の背びれである。はて、背びれだけしか見えないのかと思われるかもしれないが、背びれだけしか見えないのである。海水が薄く張った砂に――つまり海溜りの海底に――接するまでは背びれは確かにあるのだけれど、砂の中にはその背びれの主が動いている気配はない。つまり、今は、背びれだけがそこで動いているのである。

 しかし日を追うごとに、確かに海溜りは深くなっていく、広くなっていく。背びれの下が見えるようになるのも時間の問題だろう。当然のごとく、僕は両親や弟や、友達にもこの『海化』について話したものの、お決まりと言ったところか、どうやら僕にしかこの現象を見ることが出来ないらしい。かと言って、この町の変化を食い止める手立てに、何か心当たりがあるわけでもないし、何より僕自身、海になった町を見てみたいというところがあるので、もう誰にも話すことはなくなってしまった。


 初めて海溜りを見つけてから一週間ほど経つと、砂利道はすっかり、全部が海水に浸ってしまって、細かい砂が地面を多い、かつて車に踏み固められていた砂利は砂の下に堆積するようになった。まるで干潮の時に地表に現れる海底の道のようなこれは、両脇に並ぶアーチ状の木々に挟まれて、涼しい美しさを形作っていた。初夏の木漏れ日は、この浅く透明な海の水面に透けて、白い砂を照らしている。町外の高校への通学の道を急ぐ僕は自転車でこの道を走るが、飛沫は立っても足が濡れることは無かった。どうやら水として僕を含めた人や動物などには影響しないらしく、同じく通学路を共にする幼馴染も、ぱしゃぱしゃと海を掻き分けて進んでも、何も感じていないようであった。

 その日の帰り道、部活を早く切り上げた僕が急ぎ足で町へ帰ると、海は膝下あたりまで深くなっていた。すいすい水を切って進むも、水の抵抗は感じない。水の方ではきちんと僕の歩みに従って波紋が広がり、両脇の木々に吸い込まれていく。

 突然、目の前に巨大な岩のような塊が浮かんできた。ざばりと大きな波が、僕の胸のあたりまで叩きつけられるが、相変わらずその衝撃は感じない。塊は悠々と前方に進みながら、その頂点から飛沫を上げた。木々の高さまで立ち上がるその飛沫で、ようやくそれが鯨の背だと気がついた。呆然と鯨の背を眺めていると、またゆっくりとそいつは下へと潜っていって、ついには海中からも姿を消した。一寸の間呆気にとられて動けなかった僕は、鯨のほかにもそこら中で小魚が泳いでいることに気がついた。膝下の高さになった海では、小さな魚は背びれどころではなく全身を快活に震わせて遊泳している。

 木々の間を縫ってスズキやカサゴがふらふらしている。舗装された道路まで出て、町の端まで来てみると、隣町との境界で海は隔たれていた。あちら側には普通の地面が続き、こちら側には海が広がる。この町は巨大な水槽になっているらしかった。路傍に停められた軽トラックの下からは、猫と一緒にニシンの群が飛び出し、バス停の根元には貝類が寄り集まってじっとしている。名も知らぬ、鮮やかな極彩色の鱗を光らせる魚も多く、どうやら海域などは関係無しに世界中の魚が集まっているようであった。

 僕は自転車を押して、休まず生命力を発揮する魚たちに目を奪われながら家に帰った。少し高台にある家の中にも、海はお邪魔していた。足元をグッピーに似た小魚の群が行き交っていた。


 僕の家には、学校のプールくらいの広さの池がある。例の曽祖父から相続したこの池の池水は、どうやら全部海水に成り変わったようだった。元からそこに放たれていた鯉が、いまだ元気に泳いでいることから、僕はまた海を掬って嘗めてみると、もう塩辛い味はしなかった。一方で海水魚も鯉と一緒に着かず離れず戯れているところを見ると、海水は海水らしい。

 

 夏休みのことであった。砂利道の海が腿の上まで高くなってきたころ、池はもう人一人分の高さまで水位が上がっており、僕はその中に、このあたりの海では見たこともない大きな影が揺らめいているのに気がついた。ゆっくり水面に現れたその背びれには、映画で間接的に見た覚えがあった。鮫である。鮫が池の中で、鯉を護衛につけて泳いでいる。僕は言いようのない高揚感を感じて、自転車を倒して池に走り寄った。鮫は僕に、その雄々しく流麗な姿態を見せつけるように、僕の眼前を横切った。この町が海になっていくことに、次第に慣れつつあった僕は、一匹の鮫を目にして再び期待に胸を膨らませた。この鋭利な刃物の流線型を描く鮫のような、かつてより直接目にしたかった数々の大魚が、この海に現れてくれるのではないか。そういう夢想に耽り始めると、僕は居ても立ってもいられなくなり、どうにか『海化』の進行が早くならないものかと考えあぐねた。


 夏休みが終わるころ、海はついに胸のあたりまで到達した。

 家の大池はついに周りの海と一体化し、以前まで池の中で窮屈そうにしていた鮫は庭に乗り出し、鎮座した飼い犬の周りをぐるぐる泳いでいる。くわえて、池のように以前から深い海になっていた窪地や川からも、大型の魚や、鯨、海豚などの海生生物があふれ出たようで、街中は巨大な水族館と化した。特に僕の興味を引いたのは深海生物の登場だった。チョウチンアンコウやフクロウナギが、家の押し入れや、下駄箱の中に潜むようになって、僕は暗がりを見つけては覗き込むようになった。秋の海は、空と共にはるか高くなり、家の屋根も電柱も、その頭を水面にうずめた。日が早く落ちるようになったために、学校から帰るころには、深海魚に出くわすことも多くなり、僕はつい帰るのも忘れて彼らに見惚れるようになってしまった。


 相変わらず他の人たちは気がついていないらしく、風呂にクラゲが浮かんでいても母が叫んだりすることはないし、鮫に追いやられたイワシがボール状の群になって、友達の家の居間のど真ん中を占拠していても、友達は漫画に夢中になっている。

 この美しい、海に沈んだ町は、僕の生活の一部となり、僕の青春の思い出の端々に、その紺碧の瑞々しさを添えていった。高校の友人たちと文化祭の打ち上げのために、僕の家の広い庭でバーベキューをしたときには、一頭のシロナガスクジラが僕らの頭上で飛沫をあげて、地を震わせるような嬌声をあげた。初めてできた恋人を僕の部屋に招いた時には、色鮮やかな熱帯魚が僕らの重ねた手の周りで遊んでいた。

 雪は海に溶けることなく、霜の降りた海底にしんしんと降り積もっていった。雪の降る海中を見ていると、そういえば実際の海でもこのような雪が見られると聞いたことを思い出した。確かその原因はプランクトンの死骸であったはずだが、僕が目にしたのは本当の雪であった。この冬、僕は大学受験を終えて、進学先が決まった。この町には当然大学などないので、県外にまで出ることになった。春までの間、僕は見納めという気持ちで、頻繁に散歩に出ては海を渡り、魚たちと戯れた。春分に近くなるとフキノトウなどの山菜が目を出しはじめ、その芽や若草に隠れるようにクマノミが漂っていた。僕は彼らに近づいて、一時間も二時間も、じっとしゃがみ込んで様子を見ていた。


 だが、心配はいらなかった。僕だけに見える海が、どうして僕の町にとどまる必要があるだろう。つまり、僕が引っ越すと、海もまた僕のもとへ越してきた。大学近くに住まう僕の第二の町は、海に彩られ、キャンパスもまた魚たちが跋扈する遊泳地と化した。桜の並木道の真中を、リュウグウノツカイと一緒に僕は歩いた。


 それから何度か、僕は引っ越しをしたけれど、海は必ず僕についてきてくれた。僕の四半生は、高校時代からそのほとんどを海の中で過ごすこととなった。その美しさ。僕の思い出は海の中に落とされた水中花のように思い出すたびに咲き誇り、涼しい輝きをたたえて僕を支えてくれたのだ。結局原因は分からずじまいであったが、もしこの海を僕に与えてくれた者がいたとするならば、僕は溢れんばかりの感謝の念を抱くだろう。


 さて、長らく続けてきた海の日記であったが、今日で終わりとする。

 僕は明日、結婚する。

 海はこれからも僕を包んでくれるだろうが、これからの思い出や支えは、僕の人と一緒に築いていきたい。彼女は、僕が海を見ていることを聞いても、「それでも」と言ってくれた。僕は彼女とこれからの広大な時間を過ごしていくことを決めたのだ。

 それでは。



     ※



 私が病床に伏す前のことである。この身もいよいよかと感じ始めていた私は、身の回りの整理のために、妻と共に押し入れや衣装ケースをひっくり返して分別をしていた。若い頃に書いた日記が出てきたのはその時であった。日記を開くと、町が海になり始めたときからの日常が思い思いに綴られており、私はまるで我が子の作文を見るかのように感傷に浸ってしまった。だが、日記を読んでいるうちに、私は結局海のことはほとんど誰にも話していないことに気付いた。無論誰彼構わず話して回る必要もないのだが、実は近頃とある思うことがあり、私は今際の病床より、この短編を書き記そうと考えた。私の経験した、いや、今も私を包み込むこの海が、私に限ったことではないのかもしれない、ということが誰かに伝わるように。

 もう気付いただろうが、この短編の前半で記したのは、私の日記のところどころを抜き出し、ある程度話の脈絡を持たせたものである。日記を書き終え、妻と生涯を共にすることとなったあとも、海はいつも私と共にあった。高校の時分からであるから、もう七十年、海に浸かっているという事である。すでに慣れきってしまっていた私であったが、病に倒れ、思うように歩き回ることもできずにベッドに伏して海中から見上げているうち、私のなかにとある考えが芽吹いてきた。

 そのきっかけというのは、長年私の担当医であった先生から聞いた話であった。最近困ったことは無いかと聞く先生に、私は「最近ということでは無いが、ずっと昔から海を見るのです。もしやこれはなにかの幻影で、私はもうずいぶん前から病に侵されてきたのではないでしょうか」と聞いてみたのである。先生は少し考えるふうに顎に手を当ててこう言った。

「病ということは無いでしょうが、気になる話です。実は以前にも同じようなことを仰った患者さんがいたのです」

 私は半分妙に納得がいった。自分だけに当てはまるということがそう無いことは、長い人生で十分に理解できていたからであった。先生は話を続けた。

「その患者さんは、たしか成人してから海が見えるようになったという事でした。なんでも、日を跨ぐにつれ、水深が深くなっていく。いいや、深くなっていくというよりも、海面が高くなっていくのです、と」

「ああ、全くその通りです。私は高校生のころからだったのですが」

「人によって違いがあるのかもしれません。私の懇意にしている医者仲間がいるのですが、彼は精神科医で、同じように『海が見える人』を何度か相手にしたことがあると言っていました。『海が見える人』の海が見えるようになった時期はそれぞれ異なっているそうですが、みなさんが徐々に町が海になっていくと仰っていたそうです」


 私はそれから、動かぬ体の代わりに頭を必死に――そう、必死に、である――動かして考えた。老いると皺が避けられないのは長年海に浸かっているからではないか。海はどこまで高くなるのか。そして、私の頭を最も悩ませたのは、この海は一体何なのか、そしてなぜ見える人と見えない人がいるのかの二つであった。

 これから私が記すことは、ほとんどが推測であり、なんら根拠のあることではない。しかし、それは一つの真実であると信じたい。人一人が生涯を通じて考えてきたことが真実性の一片も含んでいるとは思いたくないという希望もあるが、どうしても私にはこれが事実であるとしか思えないのである。

 すなわち、海は、我々の墓場である。

 日記に記されていた通り、私の海は数多くの生物が行き交う楽園と化している。そこに人間の存在は無く、また影響もない。彼らは思うがままに生きる肉体を享受し、生気に身を震わせて飛び回っている。じっと動かぬように見える巻貝や海星も、次の日見るとまったく位置を変えている。彼らは実感と共に生きている。自身が生きているのだと主張するべく生きている。そして私は、彼らの仲間に加わりたいと心の底から羨望の思いを抱くようになっていた。彼らがどこから生まれたものであるのか、私は、自身のその羨望に気付いた途端に思い至った。彼らはまさしく、私のような海に魅入られた人間のゆく末であるのではないか、と。『海が見える人』は今の私と同じく、海の仲間に入れてほしい、その広く透き通った海原を駆け回ってみたい、まだ生きたい、そう思ったのではないか、と。そして彼らは願い叶い、各々が好きなように姿を変えて、新たに海の住人として生まれ変わったのではないかと私は考えた。


 マルセル・プルーストは著作の中で、ケルト信仰を引用してこう述べている。

 曰く、「死人の魂は動物や植物の中で囚われの身となり、数少ない生者と関わることで、その魂は再び解放され生者と共に生き返る」

 さて、魂の檻となっているのは、今はこの肉体ではないか。生者と呼べるのは、この海で自由に泳ぎ回る彼らのような活気に満ちた者たちではないか。敢えて前述の引用を言い換えるならば、「自然界の魂は、人間の肉体の中で囚われの身となり、数少ない海と関わることで、その魂は再び解放され海と共に生き返る」と解釈できるのではないか。

 我々人間が生まれながらに死人とまで言うつもりはないものの、この不自由な肉体は、私には魂の牢獄であるとしか思えないのである。プラトンに言わせれば、この海こそイデア界である。必ず死を迎える我々の肉体に囚われた、元は海に生きた魂は、再び海のもとへと還るのである。

 『海が見える人』はただ幸運であったとしか言いようがない。彼らの魂は海へと還り、今も私の真上を威風堂々たる顔つきで流れている。彼らは今こそまさに生きていると言えるだろう。私が死に、海で生まれたのちには、きっと新たな誰かのもとに海が現れることだろう。そうして少しずつ囚われの魂は解放され、散らない水中花として生を享受するであろう。そして私も解放された魂の一つとして、彼らとともに海を泳ぎ、生きるのである。かつて海に生まれた魂が、死んで人間となり、また海へと生まれていく。壮大な輪廻の行きつく先がどうなっているか、私は海に身を漂わせながら楽しみに待っていたいと思う。


 以上が私の推論である。希望である。

 今私に死の恐怖は無く、一片の絶望も無い。

 ずっと昔から海が見えることが自分だけだと思っていた私は、どこかで疎外感を感じていたのかもしれない。もしこれを目にした方の中に、海が見える人がいるならば安心してほしい。その海はあなたを優しく包み込んでいる。あなたの帰りをゆっくりと待ってくれている。その時がきたらあなたは私たちの仲間となる。あなたには帰る場所があるのだ。

 また、海が見えない人にも伝えたい。今はまだ海が見えなくとも、いずれあなたのもとに海は現れるかもしれない。その時あなたは喜んでこれを迎えるべきである。人間から見た海は、それはそれで素晴らしい。それは人間としてだからこそ見ることのできる海の美しさであり、生の美しさであるのだから。


 皆さんのお帰りをお待ちしています。

 それでは。

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