第7話 三人の夢にさよなら

 夏休みも終わって、暦の上では秋のはずだった。でも、まだまだうだるような暑さが残っている。

 僕の夏休みは、素晴らしい日々だった。クラスでも人気の、二人の女の子と毎晩のように愛を語らい、時にはちょっと強引に押し倒して抱いた。二人の体つきの違いを楽しみ、最初は恥ずかしがったり、嫌がったりしていても最後には悦びの声をあげながら僕にしがみついてくるのだった。

(まあ、全部、夢の話だけれど……)

 我ながら虚しいとは思いながらも、授業中も横目で二人の姿をチラリと見ると夢の中で繫がった時のことが浮かんできてしまう。夢の中とはいえ、それは他のクラスの男子に対して優越感のようなものがあった。

 

 放課後、僕は勉強会のために、蒸し暑い空気が入ってくる学校の廊下を移動する。校舎のすぐそばの木にいるのか、まだ元気な蟬の鳴き声が更に暑さを増しているように思えて仕方がない。

「こんにちは」

 久々に訪れる第二図書準備室は、図書室と同じくらいクーラーが効いていて扉を開けた瞬間にひんやりとした空気が流れていた。

「あ、久しぶり」

 それに加えて二人の女の子が、参考書から顔を上げてこっちを見て挨拶を見させてしてくれるのでつい笑顔になってしまう。

 僕の笑顔は不気味かもしれないけれど、こんな可愛い女の子に歓迎されることが人生でなかったのでにやけてしまうのは仕方がない許して欲しい。

 向かって左の席に夏目さんが、右の席に座っていた。夏休み前は僕はどこに座っていただろうと思いだそうとしたけれど、はっきりとは思い出すことができないまま、夏目さんの隣の椅子に座った。

「それじゃあ、早速なんだけれど……」

 僕が席についたとたんに、夏目さんと冬月さんは両方とも身を乗り出してきた。夏目さんはスマホを、冬月さんは本を片手に持っている。あまりにもタイミングがピッタリだったので、二人は机の上で顔を見合わせたまま固まっていた。

「え? 何?」

 ちょっと不穏なにらみ合いのように見えてしまうので、僕は焦りながら二人に聞いてみる。

「何って、新しいネタに決まっているでしょ」

「そうです。夢アプリでの話です」

 うん、まあ、そうだろうと思っていたけれど、何か険悪に張り合っているように見えるので僕は戸惑ってしまう。

「じゃあ、冬月さんからどうぞ」

 僕が怯えているようにみえたのか、二人は乗り出していた体をお互いに引っ込めると夏目さんが譲る姿勢になっていた。

「えーと。では、これを読んでください」

 冬月さんは、さっきから手に持っていた文庫本を僕に手渡してきた。

「えーと、少女向けの小説かな?」

 カバーがかかった本を開くと、色鮮やかな服に身を包んだ少女とやたらイケメンな王子様みたいな男たちが四人ほど彼女を囲んでいる挿絵が、目に入ってきた。

「ふーん。『ぜんまほ』ね」

 いつの間にか横から、夏目さんが覗き込んでいる。夏目さんの髪が、僕の耳に触れるほど近くて心臓が飛び出そうだった。

「ぜ……んまほ?」

「『全寮制男子校の魔法学校に潜入した私だけど、すぐに女の子だとばれてしまって王子様たちに毎晩迫られています』っていう小説よ」

「そこまで長いタイトルではありません」

 夏目さんに覗き込まれる時点で冬月さんは嫌そうだったのに、適当な解説をされるのは心底から不愉快そうにしていた。

「ちょっと短いくらいで、似たようなタイトルでしょ」

「ゆ、有名なの?」

 冬月さんの突き刺すような視線を感じながらも、さすがに頬と頬が触れそう……というか時々触れている距離で話してくる夏目さんの言葉を冷たい対応をするわけにもいかないし、聞きたいことはたくさんあるので話を続けた。

「そうでもないかな。ちょっとエッチな小説好きの間では有名って感じってくらい」

 そう言われてから、パラパラと頁をめくると表紙裏の華やかなドレスのような服装ではなくて、地味な魔法使いの服なのだけれど、だいたい後ろからイケメンに抱きしめられて、キスをされていたり腰や太ももに手を回されていたりという挿絵ばかりが描かれている。

 まだ挿絵だけで、小説の方は読んでいないけれど、夏目さんが僕の方に傾いて密着しながら、一緒に見ているのは僕がとても悪いことをしているような気分になってしまう。

「いまさら、これくらいで照れなくてもいいじゃない」

 僕の気持ちなどお見通しな夏目さんは、そう囁いた。ちょっと色っぽい声のような気がしてしまって、僕はますます照れてしまう。夢と違って、揺れる髪が触れる感触とともにいい匂いがしてきてしまうのだから、仕方がないだろうと声に出さずに自分に言い訳していた。

「そ、それで? 冬月さん、これをどうすればいいの?」

 冬月さんの、いちゃいちゃしているカップルを憎むような視線が、僕に突き刺さっていた。大慌てで、僕は夏目さんの倒れ込んできている頭を元に戻して、背筋を伸ばして冬月さんに向かいあった。

「もちろん、マンネリだった夏休みの夢から脱却するために、読むの。そして、夢で再現してください」

 冬月さんは、特に怒った声でもないのだけれど、有無を言わせない迫力があった。

「ええと。僕たち受験生だよね……」

「大丈夫ですよ。読みやすいですし、今、すぐ読めます」

 にっこりと笑う冬月さんは、なぜか怖かった。

「……はい」

 僕は大人しく従うことにした。

「それで、今日は『お清めエッチ』を勉強しましょう」

「なんですか。それは」

「『上書きエッチ』とも言うわね」

 笑顔で横から、補足してくれる夏目さんの言うことも分からなかった。どちらにせよ冬月さんの視線が怖いので、諦めて僕は勉強の合間に小説を読むことにする。

 冬月さんの言う通りに読みやすい本だったので、日が暮れる頃には読み終わっていた。後半は勉強する気力がなくなっていただけな気もするけれど……。

「『寝取られ』じゃないですか!」

 読み終わった僕は、思わず机から立ち上がってそんな感想を言った。

「え?」

 僕のことはもう忘れているかのようにちゃんと勉強をしていた二人は顔を上げると、心底不思議そうな表情で僕のことを見つめた。

「ああ、男子はもしかして……最初のルームメイトの男の子に感情移入してしまうのでしょうか?」

 しばらく顎に手を当てて、ものすごい真剣な表情で考えこみながら冬月さんはそんな結論になった。

「ああ、なるほどね。残念ながら、彼はモブなの」

 夏目さんも、僕の気持ちが分かったかのように腕を組んで大きくうなずいていた。

「ええっ……。最初から主人公と一緒に冒険していたし、優しくていい男だし……主役だと思うでしょ」

 僕の感想に、二人は『甘いわね』とでも言いたそうな小馬鹿にした笑みを浮かべながら僕を見下していた。

「主役は、王子様先生くらいの色気がないと務まりません」

「納得がいかない……」

 確かに、僕はモブの男の子に感情移入していたのかもしれない。でも、あの精力絶倫だけれど時々ヘタレな『先生』キャラを冬月さんが褒めているのが嫌でモヤモヤしてしまう。

(お話の中の人物に嫉妬しているのか。僕は……)

 そう自分で気がついてしまうと虚しくなって、自己嫌悪で頭を抱えてしまった。

「まあまあ、それじゃあ、これなんかどうかな?」

 夏目さんが横から、さっき一度見せようとしていたスマホの画面を見せてきた。

「こっちは漫画?」

 少女漫画っぽい絵柄なのだけれど、主人公は社会人の女性らしかった。イケメンだけれど、ちょっと頭のおかしい上司が、通勤電車やオフィスでやっていることは、かなり過激なことばかりだった。さっきの本のイラストと違って、エッチな台詞を吹き出しで喋っているだけでいかがわしさはアップしていた。

「これは……イケメンでなければ、まず許されないことなのでは……」

 目の前でスマホの画面が、隣のクラスメイトの女子がスワイプするとめくられて次々とすごいシチュエーションが展開されていって、目が離せないけれどこのまま食い入るように画面を見ていいのか悩む僕だった。

「まあ、そうね。でも、社会人のお姉さんたちに、このイケメン上司は大人気らしいわ」

「つまり、僕では許されないということなのでは……」

「あはは、まあ、夢ならいいんじゃない?」

 夏目さんは、そう言ってセーフセーフと笑っていたけれど、向かいの机からスッと体と手を伸ばした冬月さんにスマホを奪い取られると、画面をじっと見たあとで没収された。

「これは駄目です。痴漢ものとか犯罪です。喜ぶ女の子なんて実在するはずがありません」

「えー」

 自分のスマホをとられた夏目さんは、口を尖らせて抗議していた。そんな姿もどこか可愛らしい。

「藤堂君が勘違いして、本当に痴漢をしたらどうするんですか?」

「お話の中でしょ。そんなの、『ぜんまほ』だって図書館で先生が迫ってくるシーンって完全に犯罪でしょ」

「藤堂君は、外から姿だけ見えない結界を張ることも、触手植物を操ることもできません!」

「まあ、それはそうだけど……」

 苦笑いしながら、夏目さんは引き下がる姿勢を見せていたけれど、わずかに鋭くした視線で冬月さんに質問していた。

「でも、冬月さん、痴漢ものとかに随分と嫌悪感があるよね。……昔、なんかあったりして」

「普通の女の子は、みんな嫌いでしょう。お話の中で、特別なシチュエーションの時だけ楽しむ人が極一部でいるだけで」

「……冬月さん、いつも朝、随分早いし、入学した時に長かった髪を切っちゃったのが、ずっと気になっていたんだよね」

 ちょっと冬月さんは、聞かれたくないことを聞かれてしまったかのように一瞬、びくりと反応した。

「髪……長かったんだ……ちょっと見てみたかったな……」

 心の中の声のつもりがつい、口からこぼれてしまっていた。イメージ通りの文学少女の図書委員という感じがしてしまう。まあ、今の姿ももちろん似合っていて素敵だと思うけれど。

「そうですね……ちょっと……。髪が長くて、スカートも長くしていると、真面目そうな子だと思われてしまうのか、かなり悪質でしつこい痴漢に付きまとわれてしまったので」

 最後の方は、僕に視線をちらりと向けて僕にも説明してくれたみたいなのだけれど、そもそもそんな話をするのが恥ずかしいと思ったのかすぐにぷいと目をそらされてしまった。

「そうなんだ。その綺麗な足を見せている方が、狙われてしまいそうだけど……」

 立ち上がっていて、机との間に見える冬月さんの太ももを見ながら、また、声に出してしまっていた。今度は完全にセクハラな発言なので、何も申し開きができないなと思った。

「あ、ありがとう」

 『綺麗』と褒められたという認識のようで、冬月さんは照れながらお礼を言ってくれていたので大丈夫らしい。ただ、いやらしい視線が大丈夫なわけではないようで、太ももは僕から見た時には机で隠せるくらいにしゃがんでしまった。

「たまに密着してくるようなおじさんはいるけれど、ずっと待ち伏せをしているような男はいなくなりました」

「大変なんだね」

 女の子は色々大変なんだなとまともな感想を口に出していた。でも、頭の中では『悪質な痴漢』ってどれくらいなんだろうと、さっきの漫画のコマを冬月さんで想像して、かなり嫌なような……興奮するような……複雑な気持ちになってしまっていた。 

「分かった。じゃあ、今日は、冬月さんのご希望の『お清めエッチ』にしましょう」

 夏目さんが特にこだわりもなさそうにあっさりとそう言った。

「でも、お清めってことは浮気相手がいるよね……」

 夏目さんは僕と冬月さんに目線を送ったあと、悪戯っぽい笑みを浮かべると冬月さんの両手をがっしりと握った。

「私が、冬月さんを襲っちゃうでいいのかな?」

「えっ、は、はい。よろしくお願いします」

 頬を赤らめながら、うなずく冬月さん。正直、この光景をずっと見ていたい気がするけれど、これによって、自動的に僕の配役が決まってしまった。




 今日の夢は、要するに『ぜんまほ』ごっこだった。

 僕は、『先生』の役だった。全寮制男子校の魔法学校に、男の子に変身して潜入している冬月さんの正体をあっさりと見破ってしまう優秀な先生だ。最初は、呪いにかかっている彼女を助けるという理由で、かなり強引な感じで彼女を抱いたが、それからはほぼ恋仲という感じになっている。

 そんな中、彼女は『先生』の甥っ子である『生徒会長』にも、実は女の子ということがばれて、デートを強要されるとそのまま強引に口説かれてしまう。

(口説くっていうか、狼みたいに襲っているよな……)

 イケメン王子さまでなければ、犯罪だと思う。いや、本当ならイケメン王子でも犯罪だろう。

 そんな事件の現場を『先生』も目撃してしまい。恋仲になりかけている二人の間にも亀裂が入る。そんなシーンなのだが… …。

(正直、このままずっと眺めていたいな……)

 本当は女の子な魔法学校の生徒役である冬月さんは、生徒会長で王子様である夏目さんに生徒会室のソファーに押し倒されていた。

 この生徒会室には強力な結界があって、『先生』でも中々進入することはできずに、悔しがりながら彼女が悲鳴から、喘ぎ声に変わっていくのを聞いて、隙間から裸にされて『生徒会長』も跨がるのを見ているしかなかった。

(素晴らしい光景。素晴らしい声)

 役としては本当は悔しがるシーンなのだけれど、僕からは二人の息がぴったりのように見えて喝采を送っていた。

 裸で絡み合う二人を、隙間から覗くなんて最高のシチュエーションだった。次の僕のシーンなんていらないと本気で思っていた。

「ごめんなさい」

 生徒会室から戻ってきた冬月さんは、泣きながら僕の胸に飛び込んでくる。

『先生』は、図書館のいつもの片隅で彼女を抱きしめる。

「あいつのことなんて、忘れさせてやるよ」

 そう言いながら、大きな資料用の本棚に彼女を座らせると股を開かせて抱き締めた。

(面倒くさい……)

 僕は内心では、ため息をついていた。

(こんなシチュエーションのお芝居が必要なのだろうか……)

 そう思ったけれど、今も喘ぎながら僕に抱きついてくる冬月さんの顔を見れば、まあ、いいかと満足したし、先程の男役で襲う夏目さんとの絡みも素晴らしかった。

 冬月さんが満足しているのなら、今晩の夢は大成功なのだろう。そう思いながら、今晩の夢は果てて終わった。 



 次の日は、妙に視線を感じる一日だった。しかも、女子からの視線のような気がした。

(もしかして、夏目さんや冬月さんとのあんなことやこんなことがばれた……?)

 真っ先にいつもの夢のことが思い浮かんだ。

(でも、夢のことだし、どちらかというと夏目さんと冬月さんの方が積極的なんだけれど……)

 理不尽だと思うけれど、そんな言い訳は通じないだろう。今までの悪行からして、僕が騙したりして無理やりそんなことをさせたと学年のみんなは思うだろう。

(悪行ってなんだ……?)

 顔が悪いくらいで特に悪いことはしていない気がするのだけれど、何故か時々、僕の評判は悪い気がした。

「こんにちは……」

 そんなことを考えていたので、放課後の第二図書準備室には、何度目かの恐る恐る扉を開けて中の様子を窺う入り方をした。

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 夏目さんも冬月さんも、座っている場所も含めて昨日と何も変わらないようだった。二人ともちょっと血色がいい感じで上機嫌に見えた。

(ああ、昨晩の夢は恥ずかしいけれど、満足したってことかな……)

 すっかり、昨晩のことを忘れてしまっていた自分に気がついた。

「どうかしたんですか?」

 誰かに見られているような気がして、後ろを振り返った僕を、冬月さんは不思議そうな目で見ていた。『どうして、こんなに可愛い二人がいるのに後ろなんか見ているんですか?』そんな風に突っ込んでいる視線のような気がした。

「な、なんか今日、視線を感じるんだよね。特に女子からの」

 今日は、冬月さんの隣に座るために鞄を机に置きながら、そんなことを言った。

(もしかして、自意識過剰と思われちゃうかな)

 もうちょっと言葉を選べばよかったと後悔したけれど、二人の反応は意外なものだった。

 二人して顔を見合わせて『ああ〜』という感じで納得すると、二人は楽しそうな笑顔でしばらくそのまま二人の世界を作っていた。

「ええとね」

 夏目さんも冬月さんも何かに同意したらしい。かしこまって二人とも僕の方に向き合った。

「昨日、『最近の藤堂君っていいよね』っていう人がいて……」

「え?」

 いい話だと思うのに、僕が一番信じられなくて冗談だろうと疑っていた。

「それで、『最近、仲良いよね。今、彼女がいるのか知っている?』と牽制してきたものですから」

「牽制……。え、そ、それは誰が?」

「誰かは、どうでもいいでしょう」

 冬月さんの棘のある言葉にも、僕は食らい付いていく。もてない僕からすれば、それはどうでもよくない話だ。

「だから、言ってあげたの。『今、藤堂君は私たちで取り合っているところだから』って」

 夏目さんが、ウィンクをしながら楽しそうにそう言った。

「……え?」

「固まってしまいました」

「可哀想に。言葉の意味は理解できても、今までの人生であまりにも何もなさすぎて受け入れられないのね」

 冬月さんと夏目さんの言葉もしばらく届かないくらいに、確かに固まっていた。

 まさか、まさか。この僕がこんな勘違いした台詞を言わないといけないのだろうか……。

「二人とも、僕のことが好きってこと……?」

 それでも、恐る恐る聞いてみた。この後、爆笑されてしまうことを覚悟しながら。

「そうよ」

「その通りです」

 二人は、少し照れながらもにこりと笑いながら、そう言ってうなずいた。

「……」

「まだ、信じてないですよ。この人」

「夢の中だと、最近は頼もしいのにね」

 二人は、ちょっと不満そうに僕の顔を覗き込んでいた。

「え……本当に?」

「本当ですよ」

「これから、どちらかを選んでもらえますね?」

 笑顔で二人はそう言った。どこか私たちを選ばないことなんてありえないですよね圧力も感じていたけれど、それはもちろんその通りで僕が二人を選ばないなんてことはあり得ない。

どちらも可愛らしいし、話していて楽しい。冬月さんが、思っていたよりも変な妄想大好きだったとか、夏目さんが時々、腹黒い一面を見せるとか、親しくなる前とは違う側面も見えたけれど、それも含めて今、三人で話す時間はとても楽しい。

 できれば、夢も含めてずっとこのまま三人でいたいとも思う。でも、確かにもう卒業は迫ってきている。ここで、会うことはもうすぐなくなると考えれば……。

「うん。分かった。少し考えさせて」

 どちらかを選ぶと僕は決めた。

 二人は満足そうに微笑んでいた。



「本当なのかなあ」

 次の日の朝、昨日のことはまだ夢だったんじゃないか、もしくは二人の悪戯だったんじゃないかと疑りながら、家を出た。

(確かに、夢でイチャイチャすると愛おしい気持ちが深まる気がするけれど……)

 駅の改札を通っても、まだ僕はぶつぶつ言いながら歩いていた。

(そういう意味じゃ、僕はもう二人に完全に依存しているよな)

 昨日、二人のうちどちらも選べずに、二人とも去ってしまう場合を想像して、胸が張り裂けそうなくらい痛くなった。

 選んで欲しいというのであれば、どちらかを選ぶしかないのだ。

(どっちが好きだろう……)

 自分の気持ちが冷静に分析できないくらいには、混乱しつつ人が溢れるホームで電車を待っていた。

(でも、やっぱり冬月さんかな……)

 そう思った瞬間に、目の前に冬月さんの姿が見えて驚いた。電車が到着して扉が開いて、中に入ると反対側のドア付近に冬月さんが立っていた。

「藤堂君」

 文庫本から目を少し上げると、僕に気がついてくれた。わずかに浮かんだ笑顔が眩しくて、僕の心臓をどうにかしてしまいそうだった。

「おはよう。冬月さん、この電車だったんだ」

「いつもは、もっと早い時間に乗っているのだけれど、今日は事故があったからこんな時間になってしまって……」

「ああ、そんなこと言ってたね」

 悪質な痴漢に会うから、学校にはとても早く着いていると言っていた。

「でも、藤堂君がいてくれてよかった」

 控えめな笑顔だけれど、僕の心を惑わすには十分だった。

「僕なんかで、安心できる?」

 そんなことはないと言いながらも、僕は気持ち悪くニヤついていたと思う。

 当たり障りのない穏やかな雰囲気での会話を続けていると、電車は途中の駅に着いた。

「あと、一駅か」

 もっとこのままずっと向かい合って話していたいような、早く降りて並んで歩きたいような贅沢な悩みをしていた。

「うわ」

 事故の影響か、いつもの倍近い人たちが電車の中に入ってきて、電車の中は満員になってしまった。

 後ろから押されてちょっと嫌だなと思ったけれど、冬月さんと密着できるのはちょっと嬉しかった。

 真正面で向かい合って、お互いの胸と胸が触れ合った。柔らかい胸の感触を僕は確かに抱いて心の中でガッツポーズをしていた。

 冬月さんの方は、少し照れて体を横に向けて顔を下げていた。

(残念)

 夢の中でのやりとりを思えば、今更これくらいで照れなくてもと思うのだけれど、夢と一緒にしちゃいけないな反省した瞬間だった。

 「うぐっ」

 後ろから一人に押された。いや、体当たりされたみたいな衝撃があった。僕は必死で両腕を伸ばして冬月さんを守っている……つもりだった。

(え、何だこれ)

 僕は、少し浮いているかのように僕の後頭部を見ていた。

(まさか、僕は、あんなので死んじゃったのか?)

 まるで幽体離脱とか幽霊になった時のような僕の視界だった。

(いくら何でも弱すぎるだろう……)

 そう思ったけれど、僕が背後から浮いて見ている『僕』は魂が抜けて動けなくなっていたりはしなかった。

(生きている……それどころじゃなくて……)

 明らかに意志を持って動いている。左手は冬月さんのお尻へと伸びていた。

 ビクッっと冬月さんはお尻を撫で回されて一度、大きく反応した。

 顔をわずかにあげて、僕に対して『どういうつもり』という視線を送っている。でも、『僕』は全く気にした様子はない。それどころか、その反応を楽しむように、左手はさらに下まで撫で回すと、スカートの裾を掴んで軽く捲ると中へと侵入した。

 『昔の痴漢を思い出して怖い』

 『でも、藤堂君なら、触られるのも別にいい……かな』

 冬月さんの中で、二つの感情が交錯しているのだろう。しかし、僕の姿をした『僕』はその嫌らしい手を止める様子はない。僕は、やきもきしながら冬月さんに伸びる手をじっと見ていた。

(もしかして、これは夢で僕が入れ替わったみたいなことだろうか) 

 今までなら、僕が後ろから体当たりして入れ替わってのが、今日は逆に体当たりをされて、押し出されてしまったのではないだろうか。

(じゃあ、これは夢か……)

 いやいや、今朝は普通に起きたはずだと思いながらも、いつも不思議にちょっとリアルで朝に起きても感触を覚えている気がする。

 そして、何より今の状況が現実だと思えなかった。

 斜め後ろから、『僕』と背中越しの冬月さんをじっと見つめている。

 『僕』の右手もそっと冬月さんのお腹の方に伸びていっていた。横から抱きしめているような形だけれど、左手はお尻の方からスカートの中へと侵入しているし、右手はお腹から徐々に胸の方へと上がっていっていた。

(やめろ)

 困ったような表情で、また顔を上げて『僕』の方を何度か見ている冬月さんだった。その様子を見ているといつものように止めなきゃとは思うのだけれど、どこかで『夢だから』と思っている。

 『僕』はちょっと強引に右腕を伸ばして、冬月さんをもっと密着するように抱き寄せた。冬月さんは、もう、この場は諦めたように顔を伏せてじっとしている。

 その態度を見た『僕』はにやりと笑ったように見えた。密着した中で、今度は右手を完全に冬月さんの胸を包み込んだ。

(お、おいやめろ。……いや、夢ならいいのか? いつもの演技で、冬月さんも悦んで……いや、痴漢はトラウマみたいなことを言っていたじゃないか。駄目だ駄目だ)

 じっと『僕』のスカートの中でまさぐる左手と胸を揉むいやらしい右手の動きを見ながら、僕はどうすればいいか葛藤しすぎて目が回っていた。


 電車が学校のある駅に到着した時には、僕の視界は元に戻っていた。

 結果的には、冬月さんが『僕』に痴漢をされているのをずっと見ていた。ただ、されるがままになっているのを見ていた。

 ほんの一瞬だけ、冬月さんは僕のことを見た気がするけれど、その後は引っ叩かれたり責められたりこともなくただ、一人、早歩きで先にホームから出ていってしまった。

 一緒に並んで学校に行くという野望が潰えたどころではなくて、呆然と見送りながら状況を整理しようと頑張っていた。

(ええと、これは夢じゃないのかな……)

 しっかりと足を地面につけて歩きながら、確認する。となると意識だけが宙に浮いていたのが、幻覚っぽい何かだとしても真実だということになってしまう……。

 でも、それが一番ありえることのように思えた。

(冬月さんには、別の『僕』に乗っ取られてあんなことをしてしまったと言わなければ……)

 言葉にしてみると、これは相当に頭がおかしい人の言い訳だなと頭を抱えた。

 とは言え、事実なんだからそう伝えるしかないと胃が痛くなりながら歩いていたけれど、ふと、以前、夏目さんや昨日、有紀たちが言っていたことを思い出した。


『三人で繫がっているとおかしくなるみたいな……都市伝説が……』

『人格が変わっちゃったんだっけ……』


 授業が終わったあと、冬月さんは足早に教室の外へと出てしまった。

 ただ、廊下に出たところで冬月さんは振り返るとじっと僕の方を見つめてから、いつもの方向に歩いていった。

(第二図書準備室に来いってことかな……)

 横を見ると、夏目さんは何やら友だちに捕まって、そのまましばらくは自由になれなさそうな雰囲気だった。

(頭のおかしい会話をするなら今のうちか……)

 そう決意をすると、足取りは重かったけれど急いで第二図書準備室に向かった。


「信じますよ」

「え?」

 自分で言ったことなのに、信じるという返事をもらって驚いてしまった。

(本当に、こんな話を信じているの?)

 僕は疑問に思いながら冬月さんの顔を見つめた。別に冗談だと思っている様子もなさそうで、普段よりも落ち着いている気がした。落ち着きすぎている気さえした。

「別の自分に乗っ取られちゃったんですよね」

 冬月さんは、じっと僕を見たあとでそう言うと第二図書準備室のいつもの勉強している机から、奥の巨大な本棚の方へ移動していった。

「え、あ、うん」 

 流し目で僕の方を見るとわずかに手を動かして手招きしたように見えた。

(こっちに来いってことかな)

 何か、人に聞かれたくない話があるのだろうか。それにしてもさっきの目はちょっと妖しい気がして背筋がぞわっとしてしまう。

「え? あの……それで?」

 冬月さんは、自分から左右を巨大な本棚に挟まれた一番奥の行き止まりまで行くと、僕の方を振り返った。手は柱のある後ろに回して、顔だけちょっと前に出しているので僕からは全く無防備な姿勢に見えた。

 無防備どころか、胸を強調して誘っているような態度に僕は思わずつばを飲み込んだ。

(いやいや、変な想像はするな)

 自分を強く戒めていたけれど、それは無駄な努力だった。

「あのアプリを使って、別の人格に乗っ取られちゃうのは繫がっている相手との結びつきが足りないからなんですよ」

 そう言って、冬月さんは僕の手をそっと取った。

「え?」

「私と強く繫がってくれますか?」

 彼女の顔は、もう僕の目の前にあった。そして、引っ張られた手は彼女のささやかな胸の膨らみに乗せられていた。

「冬月さん、これは夢じゃないよ」

 そう言いながらも、自分でも自信が持てなかった。

「分かっています」

 冬月さんは微笑みながらそう答えた。僕とは違って自信があるように見えた。

 どちらにしても覚悟は決まっているということだよね。そう思いながら、僕も覚悟を決めた。ただ、夏目さんの満面の笑みを浮かべている顔が一瞬、浮かんだ。

 けれど、好きなのは冬月さんだと抱きしめた。

 恋人らしく僕たちは見つめ合った。

「悪い藤堂君に汚されてしまったので、お清めをよろしくお願いします」

 ただ冬月さんは、微笑みながら僕の手をずっと握ったままでそんなお願いをしてきた。

「え?」

 戸惑う僕に答えることはなく、冬月さんは無言で引き寄せた僕の手をそのまま自分の胸に押し当てた。冬月さんの柔らかい胸の感触が手の甲からも伝わってきて、僕の頭は血が上りすぎておかしくなってしまうんじゃないかと思った。

 冬月さんも自分でしておいて、顔を真っ赤にしてちょっとふらついているようだった。

 少し悪いことをしている気分にもなったけれど、冬月さんのいつもの夢を知っているから、これは本当に冬月さんの望みなんだと分かる。

(いい。大丈夫だ)

 いつか見た夢のように自分に気合いを入れる。僕は冬月さんを引き寄せるとゆっくりと唇を重ねた。

 夢での予行演習と同じで、最初にちょっとだけ恥ずかしそうにするけれどその後は舌先が入っていっても積極的に応じてくれる。

「ん」

 胸に触れていた手も開いて、冬月さんの胸を包み込んだ。その瞬間、決して嫌がってはいない甘い声が冬月さんからこぼれた。

 もう、僕を止めるものは何もなかった。

 冬月さんを壁に押し付けると、もう片方の手もスカートの中に入れると、尻から下へと撫で回した。下腹部を触りながら片脚を上げさせるように引き寄せた。

 恥ずかしい格好に冬月さんは困ったような表情を一瞬見せたけれど、すぐに欲情のままに僕の首に手を回しながら抱きついてされるがままになっていった。



「え?」

 外はもう少し薄暗くなっていた。元々、暗い第二図書準備室の奥は日が落ちて、差し込む夕焼けの光も黒っぽい赤が差し込んできていた。

 図書室も廊下ももう人は少なくなっていた。夏目さんも今日は、友だちと帰ったのだろうと思っていたら、いつの間にか巨大な本棚の入り口に立っていた。

 横顔に夕焼けの光が差しているだけで、影が多くて表情はよく分からなかったけれど、目を丸くして驚いているように感じた。

「ああ、そういうことね」

 夏目さんは、全てを理解して諦めたかのようにそう言った。

「そう。そういうことです」

 冬月さんが、僕の後ろで着衣の乱れを直しつつ、僕の腕に手を絡めていた。振り返る気になれなかったけれど、ちょっと勝ち誇った笑顔でそう言っている気がした。

「昨日までは、そんな素振りはなかったのにね」

 してやられたという感じで夏目さんは、息を吐きながら苦笑した。

「遠慮とかしないって、言ってたしね。仕方がないよね」

 夏目さんは顔をあげた。ちょっと無理に笑顔を作って、冬月さんとうなずきあっているように見えた。

(本当に僕のことを好きだったのか……)

 冬月さんもだけれども、まだ心からは信じていなかった自分がいた。まさか、自分がこんなに悲しそうな顔をさせてしまうなんて思ってもみなかった。

「夏目さん。ごめんね」

 僕は一歩前にでて、謝った。

「いいよ、別に……。冬月さんを大事にしてあげてね」

 夏目さんの瞳は潤んでいた。

 僕が冬月さんのことを好きな気持ちは間違いがない。

(でも、もし、今日、電車で出会ったのが夏目さんだったら……?)

 そうだったら、ひょっとして僕が選んでいたのは、夏目さんだったりしないだろうかと考えてしまった。

「でも、残念」

 夏目さんは背筋を伸ばして、さばさばした声でそう言ったあとで、僕に頬に手を伸ばしてきた。

「これは、『私の作った藤堂君』なのにね」

 僕の頬に手を当てて、怪しい微笑みを浮かべながらそう小声で言った。

「どういう……」

「それじゃあね。お幸せにね!」

 質問をする間もなく、夏目さんはくるりと振り返るとそのまま手を振りながら小走りで去っていってしまった。

 本棚の間に取り残された僕と冬月さんは、しばらく呆然としながら床に座り込んでいた。

「うん。それじゃあ、もう遅いし帰ろうか」

 僕の言葉に、冬月さんはうなずくと差し出した僕の手をとって握った。

 手を繫いだまま外に出るのは、とても心が躍る一時だったけれど、もう三人で集まったりして変な夢の話をすることもないのだなと思うとちょっと寂しくなって、冬月さんの手を強く握りしめてしまう。

「そう言えば、『私の作った藤堂君』ってどういう意味だろう……」

 僕は、ぼそりとつぶやいた。

 冬月さんが一瞬、驚いた目でこちらを見た気がするので、冬月さんからの言葉を待ってみたけれど、何も言わずに、ただ微笑むだけだった。


 もう忘れて冬月さんとの下校デートを楽しむことにしようとしたけれど、時々、気になる言葉が浮かんでは消えていた。


『最近の都市伝説では、二人登録しているとよくないかも……みたいな話があるんだけれど』

『なんか人が変わっちゃうんだっけ?』

『そんな話だった気がするね。優しい王子さまキャラだった先輩が、ちょっと恋人にも乱暴になったりしたって噂で聞いた気がする』


(ああ、もしかして……)


『……純情だなあ。藤堂君、そんなキャラだったかなあ』

『えー。藤堂。そんなキャラだったっけ。一緒にいけないあんなことやあんなことをしたじゃんかよ』

『冬月さんは……あの藤堂君でいいの?』


(音楽室の夢で……違う! その前の夢ですでに……。僕はもう夏目さんが設定した僕になっていたのか?)

 僕には何の実感もない。だから、背筋が寒くなったりもしないけれど、でもどこか怖い話のような気がした。

 僕は横目で冬月さんの方をちらりと伺った。

 冬月さんは、じっと僕の表情を見たあとで無言のままにっこりと笑った。 

 そして、僕の手を握る力が更に強くなって握りしめていた。

 僕を安心させるためなんだろう。

 でも、どこかいまさら逃さないよという意味にも思えた。

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夢でつながりましょう 風親 @kazechika

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