ジュリエットは君だ!

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


「……僕、ジュリエットやりたいです」

 消え入りそうな声で春日野イオリは挙手をした。その場にいた全員が『え?』というような顔をして彼を凝視する。

 それもそうだ。この男が口にした役名はたぶん世界で一番有名なヒロインのものなのだから。


     ○


 我が校の演劇部は文化祭本番まで一ヶ月を切っていてようやく動きが具体化してきたところだった。文化祭用に短くまとめられた『ロミオとジュリエット』の脚本も配られ役者たちは台詞を頭に叩き込み試行錯誤で動きをつけていく。裏方たちも広報のためにビラやポスターを作ったり芝居の中で必要になる小道具や衣装を揃えていた。特に三年生はこれが最後の公演となるのでいつも以上に熱が入っていた。

 ここまでなら普通によくある青春部活ドラマだ。苦しさを仲間と共に乗り越えて舞台上で精一杯発表して『みんなと一緒に作れてよかった』だなんて恥ずかしいこと大声で言っちゃって、まさに泣いて笑ってハッピーエンド。しかし我が演劇部の空気は最悪そのものだった。

 演劇部、共同作業が多くみんなで協力しあうイメージが強いが、確かにそれはその通りなのだが必ずしも仲がいいとか人間関係が良好というわけではない。特に役者と裏方でチームが別れやすくなってしまうのだ。強豪校みたく人数が多い部活ではないので役者と裏方は兼任するのがほとんど。とは言え活動時間は限られているので役者は稽古に裏方は作業に、という感じで同じ部活なのにバラバラで動いているのが実態だ。全員一緒になるのはミーティングや本番とその前後、その他はたまの稽古に裏方が顔出したり裏方の作業量が多い時に稽古をナシにしてみんなで取り組んだりとか微々たるものだ。

 人のいないところで悪口を言う、陰口は世の理だ。役者は稽古中に小道具や衣装にケチをつける。裏方は作業しながら役者の演技の下手さを笑う。チーム内では盛り上がるが噂が噂を呼び、やがて不信感になってしまい、対立関係となる。

 『こんなんじゃアカンやろ! トップは何してんねん』とか思われるかもしれないが、まあこのままでいいと俺は思っている。ちなみに俺はそのトップのうちの一人である。

 演劇の世界では座組が結成された時にトップが二人存在するようになる。『演出家』と『舞台監督』だ。プロの世界では技術監督とかプロダクションマネージャーとか他にも色々な肩書きはあるがちっぽけな田舎演劇部には関係ないので説明は省く。

 『演出家』は映画でいう映画監督みたいなもので作品のテイストを決めるのはまずこの人だ。脚本から完成図をイメージして、役者の演技から裏方が作り出してきたものを全体俯瞰しながら客観視し、良いか悪いかを判断する。演技にダメ出しされても小道具がボツにされても演出家が言うことならばみんな納得する。ちなみにうちの部では俺と同じ三年のピーターが演出を長くやっている。色んな演劇を知っており一年のときからピーターのアイディアは面白く一目置かれていた。演劇のことが学べる芸術大学に進学するらしい。ちなみにピーターは作品のことしか頭になく、部内の雰囲気など知ったこっちゃない。人間関係が原因で物事がうまく自分の思い通りに進まないとブチ切れて灰皿を投げることもしょっちゅうあった(もちろん灰皿は小道具の一つでピーターは煙草を吸っていない)。あともちろんピーターはあだ名だ。本名は誰も知らない。

 もう一つのトップである『舞台監督』、略してブカン。俺こと秋篠コウスケがやらせていただいております。トップとか舞台上での最高責任者なんて言われるが実際は損な役回りの雑用係である。仕事としては演出家や役者裏方がやろうとしていることが実現可能かどうかを見極めることである。予算や時間に対して範囲内であるかはもちろん、一番気をつけるのは危険ではないかということだ。舞台に本物の刃物を出すわけにはいかないし、激しい動きをするのに動きにくい衣装だったら怪我の原因だ。演出家が面白いと思って発案してもブカンはそれを止めることができる。作品が面白くなるのはいいことだが客や座組に悪影響ならそれは実現不可能という判断をせざるを得ない。もちろんただ否定するだけでは嫌なやつでしかないので代案を用意したり一緒に考えたりするのも仕事だ。

 演出家が舞台を成功に導き、ブカンは失敗を阻止する。そんなポジションだ。成功に導く方法とはとても曖昧だが失敗しない方法と考えれば具体性がありシステマチックだ。各部署と連絡を取り合い情報の齟齬がないか、稽古を見て安全に進行しているか、裏方の作業状況を見て間に合いそうかどうか。そうやって事前に不安の種やアクシデントの可能性を潰していき、本番中も歯を食いしばりながら見守るのだ。

 そう、とにかく俺の仕事は公演を失敗させないことなのだ。部内の空気がチクチクしていても期日までに必要なものたちが揃っていけばいい。不安要素・不確定要素などの問題は順番に解決していけばいいのだ。意外とマイナスのエネルギーが活力になることも知っているし、何より本番さえ終われば拍手されキャーキャー言われてみんな気分良くなって『ゲキブサイコー』だなんて恥ずかしいこと大声で言っちゃって全部綺麗な思い出に成り下がるのだから。

 俺は今回もそういうものだと悟っていた。しかし事件は起きる。ヒロインであるジュリエット役の夏江チナツがギックリ腰を起こしてしまったのだ。


     ○


 緊急のミーティングが開かれて、久しぶりに演劇部全員が教室に集められた。俺は黒板に『ジュリエット役について』と書き、みんなに今後の方針を説明した。まず部内で代役ができるやつがいないか集う。いなければ学校内でクラスメイトたちに、それもいなければ学校外部に。期日は一週間以内で候補ゼロだった場合は別演目か演劇部は文化祭公演を中止にするか。そこまで言うとみなざわついたがそれは最悪の場合ということを強調しておいた。

「私はまだやれるんだから! ……イタタタタタ」

 チナツは叫んで抗議するが、立ち姿も歩き方もおばあちゃんでしかないジュリエットはどう見ても無理であった。

「いいから大人しく座ってろよ。じゃあ、主要人物の配役はできるだけこのままにするとして、とりあえずこの中でジュリエットやれそうな人は?」

 問うてみたがみんな顔を見合わせて反応に困っていた。これは予想できた。すでに役が決まっている女子以外になるとその他大勢役の一年生数人か裏方専属の子だけになる。しかしこの部で主演女優を演じ続け学校内にも大きな影響力を持つ女王様チナツの後継などプレッシャーが大きすぎるだろう。まして女子社会の厳しさは男子の理解の範疇を超える。

 やはり全体の配役を見直し実力のある女子をエスカレーター式にジュリエットにするしかないだろう。台詞の入れ直しや衣装のサイズ直しが多数に発生してしまうが、事情が事情なのだ。これならピーターも灰皿を投げずボールペンを折るくらいだろうし、衣装さんには頭を下げて作業を手伝ってやればなんとかなるだろう。

 そう考えていると一人が手を挙げた。

「……僕、ジュリエットやりたいです」

 その場の空気が固まった。声の主は春日野イオリ。俺と同じ三年。小柄で体のラインは細く、色白で顔立ちも幼少時から変化なく今でも私服だと女子に間違えられる。しかし戸籍上も生物学上も立派な男である。

 視線に耐えかねたのかイオリは手を下げてさらに小さくなった。

「……冗談です嘘ですナンデモナイデス」

 周りの空気の緊張が解けて和む。俺もつられて胸をなでおろした。

「えー! いいんじゃない? イオリちゃんならハマリ役かも」

 声を出したのは衣装とメイク担当の女子だった。よくイオリや男子を女装させて遊んでいる。彼女がそう言うと部員たちはざわめきだした。

「別に男が女役やったりなんて演劇じゃ珍しくないよな?」

「イオリ先輩が化けたら近くで見られない限り男だってバレませんよ。照明が全力で照らします!」

「春日野は一応エキストラ役で脚本の流れは頭に入ってるっしょ。スムーズに移行できるんじゃね?」

 賛成しているのは裏方チームの面々だった。イオリは役者として長くいるが、これまで大きな役についたことはなく稽古にもずっといる必要がなかった。他の役者と違い余った時間は積極的に裏方の手伝いに参加するので裏方チームと非常に仲がいいのだ。

「ちょっと待ちなさい! 私は認めないわよ!」

 声を荒げたのはやはりチナツだった。それに続き役者チームが反撃する。

「いくら見た目が女に見えても演技では男の癖が出てしまいますよ」

「イオリにいきなり大役は荷が重すぎやしないか?」

「男のジュリエットって超絡みづらいんだけど~。あと演劇部は品がないって馬鹿にされそう」

 ミーティングをすると毎回コレだ。役者と裏方で意見が別れて騒ぐだけ騒いで収集がつかなくなる。またピーターがブチ切れてその場は解散となり、俺が後日折衷案を持ってくる流れか。

「黙りなさい! イオリがジュリエットなんかやったらめちゃくちゃ可愛いじゃない、私より可愛いだなんて許さないんだから。絶対に認めない!」

 チナツは褒めているのか、そうじゃないか。

「可愛いだけじゃジュリエットはできない」

 ピーターが静かに口を開いた。全員静まり返る。

「きっかり一週間後、ジュリエットのオーディションをやろうと思う。参加資格は台詞を全部覚えていること。コウスケ、それでどう?」

「ああ、即結果発表ならなんとか間に合うんじゃないかな。じゃあみんな今日はひとまず解散。稽古はジュリエット抜きか、プロンプでできるところを進めて。裏方も影響ないところはガシガシやっちゃってくれ。ジュリエットの衣装はペンディングだからな。以上」

 皆散り散りに教室を出て行く。イオリの背中はいつも以上に小さくなっていた。


     ○


「コウちゃんどうしよう」

 帰り道、イオリは震えながら泣きそうな声を振り絞って俺の後ろをついてきた。

「どうするもこうするもお前がやるって言ったんだから」

「でも……」

 イオリとは小学生のときから一緒だが、自分で言い出したくせに後になって不安がるのは相変わらずだった。

「正直、あの状況で挙手したのすげーと俺は思っているよ。チナツに殺される覚悟で女装したかったのかよ?」

「違うよ! 女装は別に、まあ、嫌いではないんだけど。でも、演劇もロミジュリも大好きで最後にそれができるのすごく嬉しくて。それがなくなっちゃうのは絶対に嫌だったから、思わず……。もちろん僕以外にジュリエットやる人がいればそれに越したことはないんだけど」

 普段は自分の意見は全然言わないのに、イオリがここまで熱気のある発言をするのは初めてだった。小さな体が堂々と立っている姿に、俺はなぜだが感化された。

「熱血青春モノって感じだな」

「コウちゃんが冷めすぎなだけだよ」

「俺、個人的にかなりイオリのジュリエットが見たくなってきた」

「え?」

「オーディションまでに特訓するべ」


     ○


 昼休みや放課後の空いた時間を見つけて俺とイオリは空き教室にこもった。イオリは三年間の役者経験があるので基礎的なことに問題はなかった。元々通る声ではあるし、台詞もすぐに覚えてきた。

 問題は動き、体の使い方である。いくら可憐な女性とは言え、舞台上で棒立ちや繊細すぎる動作が続けば客を飽きさせてしまう。おそらくピーターはオーディションでランダムにシーンを指定しそこを演技させるだろう。映像の演技とは違い、舞台を意識できるかどうかは舞台役者の最低ラインだ。

 俺なりに得た知識や観劇してきた経験をイオリに伝えてみてもうまく生かせなかった。言葉では表現しきれない壁はある。思い切りが足りない印象だ。もしかして男の癖が出てしまうことを意識して動きが小さくなってしまっているのか?

 俺は部室から適当なドレスと長い髪のカツラをイオリにつけさせた。

「恥ずかしいよ」

「女装は嫌じゃないんだろ? というか合格したら着させられるんだぞ」

「セクハラ! パワハラ!」

 男に貶されてもちょっと嬉しいのはなんでなんだろうな。とにかくフル装備したイオリはやはり女性にしか見えなかった。

「今のお前はイオリじゃなくてジュリエットだ。もう一回やってみ?」

「……名前がなんだというの? バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない――」

 最初はぎこちなかったが、イオリの動きは格段に変わっていった。段取りで動かされているような印象は消えて、台詞がイオリの体を操っているようだった。

「すごく良くなった、と思う。こんな長いスカートじゃ足が隠れてガニ股かどうかなんてわからないしな。細かいこと気にせずノリノリで動けばいいんじゃないか?」

「本当に……?」

 まだ自信なさげな様子だ。もうワンプッシュ!

「お前、本当に綺麗だよ」

 イオリは顔を真っ赤にして教室を飛び出した。俺もとても恥ずかしくなってきた。なんなんだよ、もう。


     ○


 オーディションの日、ピーターの前には衣装を着たイオリと治りかけの腰を擦るチナツがいた。結局それ以外の候補は集まらなかったのだ。

「よろしくお願いします」

 まずはチナツの番だ。ピーターが突然台詞を飛ばしてもチナツは堂々と応酬する。チナツも最後の公演なのでジュリエットに対し念入りに準備してきたのは誰もが知っていた。ピーターが脚本を読み進めていきチナツはジュリエットとして食らいついていく。だが途中で表情が曇っていく。汗の量も尋常じゃなくなる。限界だ、もうこれ以上は無理だ。俺はストップの判断を下す。

「私はまだやれるんだから!」

 泣き叫ぶチナツは俺を睨んでいた。すぐに保健室に運ばせる。チナツは小学生のときから我を曲げない性格だ。痛いほどよく知っている。だが俺は良き友人である前にブカンなのだ。

 次にイオリの番がきた。ピーターは後半中盤あたりから台詞を始める。イオリはなんなく台詞を返す。特訓のおかげか、緊張しつつもいい具合にジュリエットを演じている。突然、ピーターが黙る。イオリは終わりの合図だと思い気を抜いた。

「まだ芝居は終わっちゃいない!」

 ピーターが一喝する。演じ続けることを強要するがピーターは台詞を喋らない。俺は理解した、台詞を全部覚えてくるというのはジュリエットのところだけではなく他の役のものもという意味だったのだ。しかし脚本全部覚えていたとしても、それをいきなり一人で表現するだなんて酷すぎじゃないか。

 イオリは怯まなかった。すぐにジュリエットに戻り、台詞を続ける。下手な一人芝居なら複数の役を変えながら演じるが、イオリはそうしなかった。ジュリエットの台詞のみを喋り、他の役の台詞は口に出さない。しかし出てくるジュリエットの台詞はちゃんと他の台詞の応答として成立した声色になっている。まるでイオリの周りに他の役が立っているような幻覚に陥る。話は進んでいく。ピーターは止めない。そしてジュリエットは最後の独白を口にする。

 数十分、イオリは一人で演じきった。こんなこと他の部員どころかチナツでさえ不可能だ。恐ろしい子。

「素晴らしい、ジュリエットは君だ!」

 ピーターが拍手する。周りの人間も喝采する。俺はなんだか泣きそうだった。


     ○


 ジュリエットをイオリに変えて稽古が再開した。あれだけのジュリエットが見れたので問題はないと思ったのだがそうでもなかった。

 『芝居の嘘』は通用するときとそうじゃないときがある。多人数に囲まれるとどうしても男が女役をやっているという違和感が浮き彫りになってしまうのだった。いくらイオリは見た目が女子っぽくても声だけはどうしても男だとわかってしまう。特に本物の女声とやりとりしていると悪目立ちする。だからといって無理に女声を出させると喉に負担をかけさせてしまう。ヘリウムガスなど滑稽にしてしまうだけで芝居の雰囲気をさらに壊す。

 とは言えこれは作品の質の問題であり公演が不可能になるわけじゃない。ブカンの範疇ではなく演出家の仕事だ。ピーターならきっとなんとかしてくれるだろう。


     ○


 いよいよ文化祭本番まで一週間を切った。俺は会場である講堂を視察し、照明や音響機材の兼ね合いをダンス部や軽音楽部と話し合い、文化祭実行委員とも打ち合わせを終えた。外部向けの段取りは完了したので後は内側の仕事だ。舞台上での役者の導線確認、舞台裏での小道具の配置、大道具の転換手順。諸々を確認していく。様子を見ていると役者も裏方も大詰めという感じで熱気に溢れていた。

 人手が足りないといことで衣装作成の手伝いに出向いた。するとそこにはチナツが作業しており、他の裏方部員は話しかけづらいのかやや重たげな雰囲気だった。

「私がジュリエットの衣装作っているのを見て笑いに来たんでしょう」

「違うよ。でもそうやって作業しているの久しぶりに見る気がする」

「私としては腰はもう完璧に治っているの。でもまたみんなに迷惑をかけるわけにはいかないからこうやって自分にできることを全力でやるのよ。ほら、あんた手が止まっている!」

 チナツが器用に裁縫を進めていく。俺はぎこちなく布を断裁していく。

「あんたは今、全力?」

「ほどよく全力だよ」

「嘘、当たり障りのないことして仕事した気になっているだけよ」

 ブカンの仕事というのは当たり前を用意することであって、その成果は誰も気づかない。俺もそういうものだと割り切っているが、サボっていると思われるのは心外だ。

「お前なあ」

「最近の稽古見た? イオリも、他の役者たちもすごく悩んでいる。ピーターも辛そう。なんとかしなさいよ」

「あいつらの問題で、俺にできることは何もないよ」

「なんでそうやって距離をとって他人ぶるの。昔はもっとみんなと話し合って熱くなって解決策を考えてたじゃん。今回もイオリをジュリエットにするために二人でコソコソと特訓してたんでしょ? 役が決まれば放置? 最低。私はとっても惨めな気持ちよ!」

「お前、嫉妬してるの?」

 頬に熱い感触。ヒリヒリと痛い。ビンタされるのも久しぶりだ。

「私は大好きなイオリが苦しんでるのがたまらなく嫌なの。演劇に命かけてるの。冗談じゃなくて、イオリも私も、ピーターもみんなも。あんたは?」

「気持ちだけじゃどうにもならないことだってある」

「あ、そう。まだ昔のこと引きずっているんだ。私は過去のあんたを肯定する。芝居のために熱くなって、ピーターの作品を面白くするために先輩の反感買うようなことをして、結果同期がいっぱい辞めちゃって公演中止になったけど。私はあれでいいと思ってる」

「みんないい思い出で終われば、それでいいだろ!」

「今のあんたはそれすらできてないじゃない。ブカン失格よ」

 チナツは涙声で吐き捨て、作りかけのジュリエットの衣装を放置して出て行った。勝手な女だ。ジュリエットの衣装はフリフリが大量に増やされて装飾華美になりすぎであった。イオリのこと好きすぎである。

 次の日の朝、ピーターからメールが届いた。『チナツを役者復帰させる。部活開始前に話がしたい』と。


     ○


 ブカン的に、ピーターの意見は賛成だ。元々のジュリエット役に戻るだけの話である。チナツには無理のない範囲で演技することを徹底させる。再修正の作業は期間もなく大変だが、イオリのジュリエットがこのまま続くよりかは作品の質の向上も望める。イオリには悪いが、やはり男が女役を急ごしらえでやるだなんてど素人の俺らには無理だったのだ。

 俺はその日の授業をサボり、河原でブラブラとしていた。このまま学校に行かなければ演劇部はどうなるだろう。俺なんかいなくてもなんとか本番やれるんじゃないか? ピーターは演劇部の頭脳で絶対必要だし、チナツも看板女優で、イオリもマスコットみたいなもんだし、他のみんなも誰ひとり欠かせない。俺は? チナツの言葉が頭の中で復唱される。……なんかムカつく。言わせてやる、秋篠コウスケがいなければ公演は成立しないと絶対に言わせてやる! 俺は学校に向かって駆け出した。


     ○


「俺的に、イオリのジュリエットがすげー見たい!」

 駆け込んでみた教室ではピーターの前でイオリが泣いていたので俺は思わず叫んでしまった。そこにいる演劇部全員が俺を凝視する。

「ブカン的考えが聞きたい」

 ピーターは腕組したまま姿勢を崩さない。

「悪い、今日は超個人的な話しかできない。イオリのジュリエットをこのまま続けるのは難しいのはわかっている。でも、チナツには悪いけどイオリがやったほうが絶対に面白いと思う。だから問題を解決するために、他の役柄も性別を全部転換できないかって思うんだ。それならイオリだけが浮くことはなくなる。ブカン的には今からこんな大変更絶対にしたくない! だけど俺はそれがすごくしたい!」

 みな、目を丸くしたまま動かない。

「ロミオを女が、乳母を男が、ってこと?」

「まあ、そんな感じ。ピーターの演出意図ではないと思うけど……、やっぱダメか?」

 ピーターはうつむいたまま喋らない。やはり無理か、と思ったら大爆笑を始めた。周りのみんなもだ。

「やっぱり同じこと考えつくもんんだな! 俺も男女逆転ロミジュリをみんなに提案していたところ。全員了解済み、後はお前の判断だけだったんだよ」

「へ? でもチナツを役者復帰させるって」

 するとチナツが小道具の剣を俺に突き立ててきた。

「私がロミオよ! あんたには絶対に譲らないからね」

「ごめん、書き方が紛らわしかったかも」

「なんでイオリは泣いているんだよ」

「なんか僕のせいでこんなことになって。申し訳ないやら嬉しいやら」

 俺が勘違いしたまま突っ走てっていただけなのか。とても恥ずかしい。

「ブカン! 衣装全面的に作り直しで死ぬしかないんだけど」

「ピーター先輩、コウ先輩、男女逆転ってことで音響照明をシリアスな感じから思い切ってコミカルに方向転換したいっす!」

「コウスケ、稽古スケジュールこれじゃ間に合わないよ、どうするべ?」

 みんな口々にあれこれ言っているが、誰も否定的ではなかった。

「皆の衆、これからあと一週間もない中芝居を作り直すけど、こんな無理難題は気持ちでどうにかするしかねえ! 役者裏方関係なく不眠不休だからな、覚悟しろよ!」

 この芝居は絶対に面白くなる、というかする。なんだかみんなの中にそんな気持ちがあることを共感できた。

「お前が一番熱血だよな」

 自覚している。俺、ブカン失格だな


     ○


 舞台が成功したのならそれは演出家のおかげだ。俺は特に言うことはない。チナツのロミオ姿は輝いており、イオリのジュリエットは誰もが息呑む演技であった。コミカルな進行ながら最後は悲劇としてきちんと締めたのはピーターの演出力とそれを支えた役者裏方の力である。俺はただ歯を食いしばって見守っていただけだ。

 あっという間の勢いで本番が終わった。みんな死にそうなくらい疲れきっているはずなのに、拍手喝采を受け止める緞帳の裏では役者裏方関係なく抱き合い泣いて笑ってハッピーエンドという状態だった。俺はピーターと無言で握手した。

 イオリが泣きながら抱きついてきた。嗚咽しつつも何かを口走っているがほとんど聞き取れない。間違いなく今回一番の功労者だ、お疲れ様。

 チナツが離れたところでこちらを鬼の形相で睨んでいる。

「ロミオは私! ジュリエットは私のもの! ティボルト殺す!」

 ツッコミを入れる前に、剣を振り上げたチナツは顔を苦悶させてその場に崩れた。よく上演中に腰がもってくれたものだ。介抱しながらみんな大爆笑だ。

 拍手はなかなか鳴り止まない。『みんなと一緒に作れて良かった』とか『ゲキブサイコー』だなんて、そんな恥ずかしいこと絶対に言わないからな!

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ジュリエットは君だ! 深夜太陽男【シンヤラーメン】 @anroku

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