夜に歩く

椿

夜に歩く

その夜、蒸し暑くてなかなか寝付けなかった俺は街へ散歩に出た。

ワイシャツが汗で背中に張り付いて気持ちが悪い。最近TVのワイドショーなどが「地球が氷河期に入る」と博士やお偉い人が発表したしないと騒いでいるが、そんなことはほとほと考えられないような気温である。


空を見上げると雲はなく紺色が一面斑に広がっていた。

ふと気がつくと俺の横に女がいた。髪は絹糸のように艶やかで肌は磁器のように透き通っている。彼女は俺の歩調に合わせ音も無くぴたりと横を歩いていた。


「失礼ですが、貴女は誰ですか」

「私かい。私は此処の創造主クリエイターだよ」

「はぁ。しかし何故俺と一緒のペースで」

「たまたま君がいたから、なんとなく」

「なんとなく、ですか」

「そうだよ」

俺らは夜の街を歩く。ビル灯に薄くされた空に満月がぽっかり、浮かんでいた。


「灯のせいであまり星が見えないのがこの街の唯一の欠点ですよね」

「そうだな、せっかく私が星を設置したのに見てもらえないとは残念だ。本来なら天川も見えるはずなんだが」

彼女は夜空を見上げ、そう言った。空には星がちろちろと申し訳程度に散らばっている。

「天川ですか。確かにそれが見れないのは勿体無い」

「そうだろう。人間がまだ文明を持つ前、地球から宇宙を見上げるとそれはそれは美しい星々が見えたと言うのに」

「でも今人間は電気という文明の灯がないと生きていけません」

「私は別に星が見えないからと怒ってはいないよ。星々が見えないのは確かに寂しいが、一応利点もあるからね。街の灯と言うのは地球の外から見るとそれはとても綺麗なんだ。街の形が灯でぼんやりと浮かび上がるんだよ。これが良い観光資源になって結構儲けさせて貰った」

「なるほど。ちなみに昔の夜空と今の地球の灯、どちらが綺麗だと思いますか」

「さぁ、どちらだろう。しかし最近レトロブームが到来していてね。昔の夜空の方が今はウケると思うなぁ」

「昔の夜空が見たいのなら田舎や海外に行けば良いじゃないですか。灯のない地域に行けば昔と同じ空が見れる」

「そういうことじゃあ、ないんだよ」

月のように丸い街灯が幾つかちかちかと点滅した。


「あの月、まん丸で美味しそうだと思いませんか」

「おや、君は月を食べたことがないのかい。満月は甘くてそりゃあ美味しいし、新月は酸っぱいがこれはこれで良いもんだ」

「月って食べられるんですか」

「ああそうか。君たちは食べれない、と言うか食べる以前に見れないんだったね」

「見れないって何を」

「本当の月、本物の宇宙をさ。まぁ、私が見れなくしているんだけどもね」

「本当の月。いえ、月は月ですよ。クレーターがたくさんある凸凹した地球の衛星。それが月です」

「そう、見えるように私がしてるだけだよ」

「そうなんですか」

「君は自分で月に行ったこと、あるのかい」

「いえ、一度も」

「何故行ったことがないのに月が食べられないと決めつけるのかね」

月明かりとビル灯に照らされて『最近行方不明者が増加中。心当たりのある方は署まで』と書かれたポスターが浮かび上がっていた。


「偶然っていうのは素晴らしいね。ここまで成長するとは思わなかったんだよ」

「何がですか」

「全てが」

「はぁ」

俺らの散歩はまだ続く。


「太陽系は私の作品なんだ」

「凄いですね」

「特に地球がね、自信作だった」

「太陽ではなくてですか」

「そう、太陽は二番目かな。でも太陽は良いよ。フレアで水星人の肉を焼くと美味でね」

「水星人っているんですか」

「そりゃいるさ。君という地球人がいるのと同じように」

彼女の瞳は気を抜くと吸い込まれそうな色をしている。すでに俺はもう八割ほど吸い込まれているのかもしれない。

「水星人、見たことありません」

「私が見えないようにしてるからな」

「水星人は家畜のようなものですか」

「とんでもない。彼らはれっきとした知能もあり文明もあり、礼儀もある」

「なのに食べるんですね」

「美味しいからなぁ」

「美味しければ良いんですか」

「地球人だって食べているだろう。牛」

「牛には知能はともかく文明、礼儀はありません」

「それは地球人がいるからさ。地球人がいなければこの星は牛のものだった」

「牛が主人公の世界ってなんだか変ですね」

「そう、牛は地球人が主人公の世界はなんだか変だって今も考えてるよ」

「どうでしょうかね」

「そうだ、君も水星人を食べてみるかい」

「いえ、遠慮しておきます」

彼女が差し出した水星人の肉は白く、マシマロのようにふるふる震えていた。


「地球人は食べたこと、ありますか」

「あるよ。さっぱりとした味だったね」

「火星人はやっぱりぶよぶよとしたゼリーみたいな食感ですか」

「何を言っているんだい、君。火星に生物は存在しないよ」

「そうなんですか」

コンビニの光が眩しい。


「そうだ、これから地球人をゆっくりと全滅させる予定なんだ」

「へぇ、全滅させてしまうんですか」

「今まではどこまで地球人が発展するかに賭事をしたり観察をするのが売りだったんだけどもさっき言ったように最近、レトロブームが到来してね」

「ブームだけで我々地球人を消すのですか」

「そうだよ。その方が儲かる」

「それだけのために」

「何がいけない。君たちだって観葉植物に虫がついたら殺虫剤を振りかけるだろう。眺めるだけに存在する植物のために、さ」

「そういうもんなんですかね」

この街一番の高台に着いた。深夜だというのに街の灯は点々と自分の存在を主張し呼吸を繰り返している。


「ああそうそう、最近地球人ブームも起きていてね」

「地球人を消すのにですか」

「そうさ。私が地球人を全滅させると聞いて人々は地球人がいなくなる前にと、こぞって地球人を乱獲、買い漁るようになったんだ」

「買ってどうするんですか」

「もちろん、食べるんだよ。君たちは少々味気ないがヘルシーでね。健康にはとても良いとワイドショーでも言っていたな」

彼女は髪をなびかせながら下界に広がる街を舐め回すように眺めた。

街はまだ起きているというのに俺は人の姿を見つけられなかった。


「冷たい風が吹いてきましたね」

「そろそろかな」

「そろそろなんですか」

「じゃあ、私は帰るよ」

「また会えると良いですね」

「会えないよ」

彼女はそう言い、ふうと消えた。



翌日、俺が目を覚ましたときにも相変わらず熱気は居座っていた。

しかし聴こえない音が深深とほしに響き渡るのが確かに俺の耳には届いていた。

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夜に歩く 椿 @lintaro

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