妖精たちは、生きることの意味を考え続ける……
長い、長い月日が流れ――
妖精の住んでいた国は、これまで以上の活気を取り戻していました。
『ありがとう』という言葉に対して、自然なお辞儀で返してくれるゴーレムたち。
互いにさまざまな言葉やしぐさを受け止め合い、互いに丁寧に反応を返し合いながら仕事をするゴーレムたちの姿は、妖精が協力して働いていたころよりも、活き活きと輝いていました。
かつて妖精の町と呼ばれていたその国には、妖精の姿はもう影も形もありませんでした。
しぐさや態度から妖精の心を受け止めて、自分自身も心があるように振舞う礼儀を学習したゴーレムは、次第に『ありがとう』の言葉をも使い始めるようになりました。
その言葉はともに仕事をする仲間同士の間で交わされ、かつて畑の妖精と工作の妖精が初めてお礼を言い合った時のように、お互いをねぎらう言葉として自然に定着しました。
その『ありがとう』が、妖精に対して告げられることは一度もありませんでした。
妖精たちがいくらゴーレムに『ありがとう』を告げても、ゴーレムからは妖精に『ありがとう』とは一言も返ってきません。
ゴーレムは妖精のためにどんなこともしてあげられるけれど、自分で何でもできるゴーレムに妖精たちがしてあげられることは何もなかったからです。
自分たちに向けられた言葉ではない、ゴーレム同士の『ありがとう』を耳にするたびにますます居場所がないと感じた妖精たちは、一人、また一人と国から姿を消し、ついにはゴーレムを残して誰もいなくなってしまいました。
『ありがとう』の言葉は確かにこの国に根付きましたが、もはやそれは妖精のための言葉ではなくなっていました。
ゴーレムだけの国は、末永くにぎやかに栄えました。
――妖精の作った大きな国のお話は、これにておしまい。
世界の果てのどこかからつながる地下洞窟。
畑の妖精はその暗がりの中、一人さまよっていました。
地底の奥深くに、数少ない妖精たちの生き残りがいるという噂を聞き、仲間を求めて探し続けていたのです。
水も食料も尽き諦めかけたその時、一本道の先に灯りのようなものが見えだしました。
藁をもつかむ思いで駆け寄ると、そこは探し求めていた妖精たちの地下集落でした。
集落にたどり着いた畑の妖精は驚きました。笑顔で迎えてくれた村長は、一番の旧友であった工作の妖精だったのです。
この村では昔のように妖精同士が助け合っていくのがならわしで、自分のことも他人のこともみんなで協力して生きている、と、工作の妖精は言いました。
自分の発明も楽をしたり作業がはかどるためではなく、今は誰かが誰かを助けるためだけに使わせているそうです。
集落には、ゴーレムの姿は一体も見られませんでした。
昔みたいにおいしい野菜を作ってみんなに分けてもらえるとうれしい、と言われ、畑の妖精は集落の一員として迎え入れられました。
長年ぶりに腰を落ち着かせた畑の妖精は『ありがとう』について思い返していました。
『ありがとう』は誰かが感謝を伝えるためではなく、他人に尽くした誰かを元気づけるための言葉でした。
『ありがとう』は言う側も言われる側も心が温まる言葉だと思っていましたが、誰かを助けたとき、温まった相手の心をお返しにおすそ分けしてもらえるから、『ありがとう』は温かいと感じられたのです。
『ありがとう』で心が温まるのは、いつだって言われた側のほうでした。
だからこそ、『ありがとう』を言われた者は心の温かみを求めてより人助けに励み、そうすることで『ありがとう』の温かみが知れ渡り、世界中の心が満たされるだろうと、町を作り始めたころの畑の妖精は思えたのです。
それなのに、『ありがとう』の言葉だけでも残そうとした結果、その言葉はゴーレムたちのものになりました。
心を受け止めるようになったゴーレムたちに妖精たちが伝えていた言葉が受け継がれ、ゴーレムが仲間同士の間で使われるようになったのです。
『ありがとう』を伝えた側だった妖精たちは、その『ありがとう』が伝わりあう様子を、ただ見ていることしかできませんでした。
何かの役に立ちたい気持ちはあるのに、妖精たちが『ありがとう』をもらえるような新たにしてあげられることは、何もかもが満たされてしまったこの世界では本当に何もなかったのです。
『ありがとう』の言葉を受け取る側になれなくなったすべての妖精の心が冷え切って、やがて体ごと動かなくなり消えてしまうのは、考えてみればすぐにわかったことでした。
こんな簡単なことにどうしてもっと早く気付けなかったのか……畑の妖精は大粒の涙を流し、ひどく、ひどく後悔しました。
妖精の国からはすっかり妖精の姿が消えましたが、世界中からすべての妖精がいなくなったわけではありませんでした。
『ありがとう』の大切さに気付いていた妖精たちは、今やゴーレムしかいない地上いっぱいのこの国に別れを告げ、残りわずかな仲間の妖精たちを集め、ゴーレムたちのいない地下深くで生活するようになりました。
地下で生まれたこの集落で最初にできた決まりは「たくさんの『ありがとう』をみんなで受け取れるように助け合うこと」。
困ったことややっておきたいことが起きたとき、できるだけ多くの誰かが、できるだけたくさんの『ありがとう』の気持ちが生まれるようにお手伝いをする、ということです。
この集落には、ゴーレムは一体もいません。
ゴーレムはとても便利ですが、妖精たち自身よりも便利なゴーレムに頼ってしまったら、『ありがとう』が妖精たちに届くことは絶対になくなると、村を案内されたときに工作の妖精は言っていました。
集落を作ったとき、もう二度とゴーレムは作らないと、工作の妖精は誓いました。
これからは、誰かが誰かの助けになるお手伝いのためだけに道具を作る、とも決意しました。
ゴーレムのいない集落での慣れない生活は、今までとは比べ物にならないほど苦しく、大変なものでした。
それでも、工作の妖精に悔いはありませんでした。
集落に集まったほかの妖精たちも、苦労を分かち合って助け合う仲間たちを見て、嫌な顔ひとつせず前向きな気持ちで毎日がんばって働きました。
大好きだった畑仕事をしながら、畑の妖精は思いました。
この集落での『ありがとう』は、果たして本物なのだろうか、と。
ゴーレムではなく自分たちの力で助け合い、みんなが互いに感謝する光景。
それは、畑の妖精にとって、ずっと昔から思い描いていた理想の町そのものでした。
妖精たちの温かみで満ち溢れたそんな集落での生活は、とても居心地がよく充実していて、毎日が幸せでした。
それでも、『ありがとう』の気持ちを分け合う……大切なことではあっても、それだけのために主役であるはずの妖精がこんな不便な生活を強いられているのかと思うと、なんだか複雑な気分でした。
辛いのが自分だけならまだ平気でした。
けれど、みんなが助け合える生活というのは、裏を返せば、みんなで助け合わなければならないほどに、決して満たされることなどできない、そんな生活でもありました。
集落のみんなは、それでも前向きに、充実した表情で働いてくれています。
ささやかな、それでいてかけがえのないたくさんの『ありがとう』の力をもらって。
けれど、だからこそ、毎日がんばってたくさんの『ありがとう』をもらい合っている妖精たちに対して与えられるのがこんな生活なのは、さすがにあんまりな仕打ちではないだろうか。
そう思うと、畑の妖精は胸が張り裂けそうな思いでした。
ゴーレムだって、もともとは妖精たちのために、妖精たち自身が知恵と努力を振り絞って作り上げたものでした。
それが残念な結果を生み出したことに間違いがあったとしても、何はともあれ妖精たちの暮らしが豊かになったことだけは、紛れもなく喜ばしいことでした。
大切なものだけは欠けていたけれど、それ以外の大事なものは、思いつく限りすべてが満たされていたはずでした。
少なくとも、あのころの日々のすべてが、むなしくはあっても、不幸そのものであると思ったことは、一度もありませんでした。
『ありがとう』の温かさと引き換えに、今度はまた別の大切な何かを見失ったのではないかと、畑の妖精にはそう思えてなりませんでした。
工作の妖精なら、集落から材料を集めればゴーレムの一体くらい今すぐにでも作れるはず。
この小さな集落であれば、ゴーレムが一体でもあればあらゆる仕事を半日もかからずこなせるはず。
でももしそうなったら、ここにある『ありがとう』のすべてが一瞬にして消えてなくなってしまうことは、畑の妖精にもわかっていました。
そして、たかがゴーレム一体だけでみな居場所を失ってしまうような自分たち妖精のふがいなさを、畑の妖精は我ながら情けなく思いました。
ゴーレムが作られて以来、自分たち妖精がいかにちっぽけな存在なのかを、ゴーレムの目覚ましい活躍を見るたびに何度も思い知らされました。
あえて満たされない生活を続けてでもこうして妖精たち同士が助け合っているのも、妖精たちの、妖精たちによる、妖精たちだけのための、世の中に対するただのわがままなのかもしれない……。
もしかしたら、妖精自体が、ゴーレムと比べたら『ありがとう』を言われるにふさわしくない時代遅れの弱い生き物なのではないか、と。
そこまで考えていると、誰かの畑の妖精を呼ぶ声が聞こえてきました。
畑の妖精はいったん考え込むのをやめ、いつものように新鮮な作物をもって、声をかけた妖精に分けてあげに向かいました。
今はまだ答えは出ないけれど、これからじっくり考えていこう。
ここでの生活は大変ではあるけれど、幸いなことに、工作の妖精の作った便利な道具があるおかげで、無理というほどではない。
今のままでもそれなりに幸せなのだから、ここでの毎日を大切にしながら、もっと幸せになれることをゆっくり考えよう。
多少ボロボロに汚れることはあっても、何もできずに消えてしまうことは、この集落ではきっと起きないだろうから。
まだどこかにぽっかり穴の開いた心持ちの畑の妖精ですが、そう考えて、少しだけ気持ちが楽になりました。
妖精たちをほんの少しでも笑顔にするため、畑の妖精は見えない未来を求めながら、今日も畑仕事を精一杯がんばっています。
妖精たちがその後どのような結末をたどったか――それは、妖精たちにも、それらより賢いゴーレムにも、誰にもわかりません。
今度こそ、おしまい。
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