10-2 夢のあと

 レイナードの件によって想定されていた混乱も思ったよりは少なく、閉会式は滞り無く行われた。レイナード自身は今大会は棄権と看做され、三位のアイリーンが二位の座をよしとしなかった為、二位の席は空席となった。表彰台で、アイリーンは随分と不機嫌そうに振る舞っていたが、頑に二位の座を拒んだのは、彼女の矜持があったからだろう。一切口をきく事はしなかったが、態度でそう云っているのは明白だった。

 閉会式が終わると、ムードは一変し、すっかりお祭り騒ぎとなった。

 大会施設を埋め尽くす程の出店と屋台。日本特有の物珍しい出し物に、海外からの観光客は興味津々のようだ。鼻孔をくすぐる香りに誘われてしまうのは、カブトムシになった気もする。

 その喧噪に自身の存在を高々と喧伝するように、星々に満たされた大空に大輪の花が咲く。

 色取り取りの万華鏡が並ぶように夜空は輝く。

 NMA主催恒例の大花火大会は、閉会式同様滞り無く行われたらしい。多くの観光客がその景色に舌鼓を打っている。夏の終わりを告げるように上げられる花火は、何処か悲し気に見える。ユウキは海岸沿いでぼうっとそれを眺めていた。


「ユウちゃん、お待たせ!」


 レナが耳元の髪を指先で搔き上げながら此方に走って来る。金魚をあしらった淡い桃色の浴衣に、アップした髪には花弁を象った簪を刺している。慣れない格好をしているからだろうか、そわそわと落ち着かない様子だ。

「浴衣、似合ってるな」

「うん、ありがと」

 レナははにかみながらユウキの隣に立つ。

「これからどうする?向こうの出店とか見るか?」

「ううん。このまま少し歩こう。花火もよく見えるし」

「そっか。じゃあ、そうしよう」

 ユウキとレナはそのままゆっくりと歩き出した。人通りはそれほど多くないのは、同じ時間に試合会場近くで人気のアイドルがライブを行っているからだろう。

 潮風がふわりと頬を撫でる。立秋を迎えてからも残暑が厳しい日々が続いていたが、今日はそんな日が嘘のように心地良い。試合で疲労し火照った身体にはいい薬かもしれない。潮騒の音も花火が終われば、涼し気な雰囲気を運んでくれる事だろう。

「ユウちゃん、あそこに座ろっか?」

 レナは指先で丁度スペースが空いている場所を指差す。そこは針葉樹が植えられた並木道の近くだ。よく見ると、等間隔にカップルらしき人達が並んでいる。暗くてよく見えないが、そういう雰囲気は近付かなくても分かる。

「ダメ・・かな?」

 レナはユウキの着ているシャツの裾を指先で掴む。レナの様子がいつもと違うのは服装の所為だけじゃない。汐らしくなっているのも、《きっと》そういう事なのだろう。

―――やっぱりちゃんとレナには云わないと駄目だよな・・

「そんな事ないよ。座ろう」

「うん」

 レナは安心したように声を漏らす。ユウキとレナは二人揃ってその場所に腰掛けた。手にはさらさらとした砂の感触が伝わってくる。やはりよく見なくても、周囲は恋人同士ばかりらしい。声はよく聞こえないが、砂糖菓子のように甘い雰囲気が漂っている。花火の音は大き過ぎず、小さ過ぎない。だからこそ、二人の囁き声だけはよく聞こえるのだろう。

 ユウキとレナの距離が近いのもきっとその所為だ。

「ユウちゃん、改めて優勝おめでとう」

「おう」

 レナから微かにいつもと違う香水の香りが漂ってくる。頭の中にふわりと入り込むようなサボンのような香りだ。

「まさか、優勝しちゃうなんて思わなかったよ」

「それはもう色んな人達に云われたよ。耳に胼胝が出来るくらい」

「なんか、すっごく遠くにいっちゃったみたい。こんなに近くにいるのにね・・」

「気のせいだろ。優勝しようがしまいが俺は俺だ」

「うん。そうだね」

 レナは身体を動かしユウキにまたぐっと近付く。

 そして、二人の距離はなくなった。

「でも私は、もっとユウちゃんの近くにいたい。もっと近くに」

「レナ・・」

 まるで見たくない何かを拒むように、レナは俯いていてユウキの方を見ようとはしない。ユウキは意を決し話を切り出す事を決めた。

「レナ。俺、レナに話さなきゃならない事があるんだ」

 レナは身体を縮め、膝を胸元に引き寄せる。

「いや。聞きたくない」

 レナは膝に貌を埋めてしまった。

―――やっぱり、こうなったか・・

 案の定、ユウキが考えていた事態になった。レナが一向に話を聞かず、目も合わせない時は、大概自分が納得したくない事を拒む意志表示を意味している。子供の時からずっと一緒にいるのだ。分からない事なんてない。

―――レナはこれから俺が話さんとしている事を勘違いしているらしい・・

「聞かないならいいや。勝手に話すから」

 レナは頑として石のように丸まったままだ。

「俺が優勝出来たのは、俺だけの力じゃない。アイギスっていうパートナーがいたからなんだ。アイギスがいつも一緒に闘ってくれたお陰で、俺は最後まで頑張れた。これから先も、俺は彼女と闘えた事を忘れないし、ずっと感謝し続けると思う」

 ユウキの言葉はレナに聞こえている。

 暫しの沈黙の後、レナが躊躇うように声を出した。

「ユウちゃんは・・その人が好きなんでしょ・・・?」

 レナは嗚咽を漏らしながら呟いた。身体が小刻みに震えている。

「どうしてそういう話になるんだよ?」

「だって、アイギスさんって女の人でしょ?ユウちゃんが女の人をそんな風に云った事一度も無いもん。私だって云われた事ないし。―――だから、ユウちゃんはその人が・・好き・・なんだ。私よりも、その人の方が・・・」

 ユウキは困ったように後ろ手で頭を掻くと、

「確かに、俺はアイギスの事が好きだ・・と思う。でも、それを知った事で分かったんだ。俺は同じようにレナの事も好きだって」

「ユウちゃん・・」

 レナはユウキの言葉に漸く貌を上げた。瞳に溜まっている涙を横目で見ると、ユウキはバツが悪そうに目を逸らした。

「・・我ながら、最低な事云ってるのは分かってる。二人とも好きだなんて、どこの世界の軟派野郎だってさ。でも、これが今の俺の正直な気持ちなんだ。どっちの方が好きだとか・・情けないけど、今は未だ選べそうにない・・・」

 ユウキはレナの方に向き直ると、

「本当にすまない」

 ユウキは砂浜に両手を着いて、深々と頭を下げた。

「もし俺の心に整理がついてどちらかを選んだ時、レナが未だ俺の事を好きでいてくれたら、その時は―――」

「いやっ!!」

 レナの断固たる声は周囲のカップルが気付く程大きなものだった。ユウキは驚いたように頭を上げる。レナは不機嫌そうにつんと唇を尖らせている。

「ユウちゃん、何様のつもりなのかな?女の子の大切な恋心を天秤に掛けて、あまつさえ自分の気持ちが決まるまで待ってなんて、虫が良過ぎるんじゃないのかな?」

 レナの言葉が正論過ぎてぐうの音も出ない。ユウキの言葉は自分本位で勝手なものだ。それを分かり切っていて云ったのはいいが、やはり最低だという事は変わらない。

―――レナの云う通りだ。そりゃ最低な事云ってるもんな・・

「そうだよな。俺が悪かった。俺はもうレナの事―――」

 ユウキはそれ以上の言葉を止められた。貌を上げた瞬間に、言葉を拒まれてしまったのだ。

 レナの唇によって。

 レナは唇を惜しむように離すと、ユウキの唇に指先を押し当てた。

「これはユウちゃんが早く私を選んでくれる為の先制攻撃。ユウちゃんから私に同じ事をしてくれるのをずっと待ってるから」

 レナがそう云って立ち上がると、今日一番の大輪の花が夜空に舞い上がった。その光に照らされたレナはとても綺麗で目が離せなかった。

「ただし、」

 レナは呆然としているユウキにずいと近付くと、

「あんまりは待てないからね。ユウちゃんがいつまで煮え切らない態度を取っているようだったら、愛想を尽かしちゃうかもだからね」

「・・分かったよ」

「よろしい」

 レナは満足そうに頷くと、ユウキに手を伸ばした。

「じゃあ、屋台の方に行こう!勿論、ぜーんぶユウちゃんのおごりね?」

 執行猶予期間はどうやら認められたらしい。ユウキはレナの手を握り立ち上がる。

「分かってるよ。たこ焼きでもりんご飴でも何でも来いだ」

「そうこなくっちゃ!」

 二人は賑やかな光の中へと消えていった。

 ユウキは漸く走り出せたのかもしれない。

 前途多難で迷い道であっても自分の進むべき道を。

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