10-1 夢のあと

 もう何年も帰っていなかった故郷のように思えた。

 国立魔術研究開発機構第一五研究所。ユウキは明日の表彰式を控えているため、ホテルに留まっていなければならない立場である。が、ユウキにとっては、式典など二の次だ。

 既に夜の八時を回っている。他の研究棟には多くの人が残っているが、第一五研究所には誰もいる筈はない。

 しかし、ユウキには確信があった。ユウキが向かう場所には《目当て》の人物が必ずいる事を。

 セキュリティーカードを翳し入り口を開く。施設内は真っ暗で非常灯のみが淡く不気味に光っている。ユウキは慣れた足取りで中を進んでいく。

 目的地は一つ。ラルフ・ウォルターが使用している、この施設内で唯一の個室だ。

 ユウキは扉の前まで来て、その脚を躊躇うように止めた。

 この先に待っているのは、現実に在る《真実》だ。

 真実は普遍であるが、それが人にとって普遍な事象として受け入れられるかは別だ。時に現実は残酷に人の心を切り刻み、圧し潰す。ユウキは苦しい程にその《残酷さ》を経験している。

 しかし、経験があっても慣れる事がないのは、人がそれに慣れてしまえば、もう人としてはいられないからだろう。

 ユウキは意を決し、扉を開いた。

 室内には相変わらず使い方がまるで分からない電子機器が散見される。その人物はその中に埋もれるようにして腰掛けていた。


「やあ、ユウキ君。待っていたよ」

 

 ラルフは見透かしたようにユウキに視線を向ける。全てを知っていたと謂わんばかりの掴み所のなさは、相変わらず健在らしい。ユウキは部屋の中に入り、後ろ手に扉を締める。無駄話をする気は一切ない。いつものように煙に巻かれる前に、本題は切り出す。

「ラルフさ―――」

「さてと、それじゃあ向かおうか」

 ユウキの言葉を塗りつぶすようにラルフは声を上げると、椅子から立ち上がった。そのまま部屋の一番置くへと進むと、

「君は彼女にとっての《王子様》になれたようだ」

 何も無い壁に手を翳す。すると、壁が横にスライドしていき、その奥には暗い通路が見える。目を凝らしてよく見ると、地下に向かう階段があるようだ。

 ラルフはユウキを惑わす悪魔のように手招きする。

「さあ、付いておいで。君の愛しい《お姫様》がお待ちかねだ」

 ユウキの驚きを余所に、ラルフはその暗闇の中へと消えていく。

 たじろいではいられない。ユウキはラルフに続くようにその中へと入っていく。壁に手を付け歩いていくと、その中が螺旋状になっているのが分かる。真実への扉を開くように、螺旋はその回転を止める事はない。暫く進んでいくと、モネの青色を発光させたように光が漏れているのが見える。ラルフはその中へと入っていく。ユウキも足取りを早め、その中へと入っていった。

 ユウキは目の前の光景に思わず息を飲んだ。


「彼女がアイギスだ、ユウキ君」


 こじんまりとした小部屋だった。それはまるで彼女を囲う箱庭だ。

 部屋の中心には、人が一人分入れる程の大きさのカプセル型の容器が据えられている。その中は透明な液体に満たされていた。それを囲うように荊のような配線が伸び、カプセルの周囲にある見た事もない機器に接続されている。カプセルはまるで繭のように外界との接触を断ち、中の様子は窺えない造りになっているらしい。が、一部だけが切り取られたように硝子張りになっている。

 ユウキの目には映っていた。そこから見えるのは、常に隣で闘ってくれていたアイギスの貌だ。彼女は静かに滔々と眠りについている。

「アイギス・ファーレイ。十八歳。元NMA直属特殊魔導部隊隊長。NMA所属の魔術師の中で、歴代でも五本の指に入る若き天才さ」

 壁に寄り掛かるラルフは過去を思い出すように目を瞑る。

「彼女は戦争孤児だった。幼い時分に両親を亡くし、NMAが所有する孤児院で保護されていた。彼女は持ち前の負けん気と明るさで、まるで戦争を経験した子供ではないようにいつも振る舞っていたらしい。それでいて、面倒見のよいとても良い子だったそうだよ。が、その子供時代も直ぐに終わりを迎えた。彼女には潜在的に莫大な魔力量が内蔵されていたからだ。七歳の時点で、《今の》君の五倍だ。凄いだろ?」

 ユウキは思わず目を見開いた。魔力量自体がその人物の実力値というわけではない。が、子供時代でその魔力量を保有する者は間違い無く、魔術師としてS級以上の実力を持っている。

「その力に目をつけたNMAのお偉いさんは、彼女を全寮制の魔術師養成学校へと入学させた。彼女は幼い身でありながら、自分の身の振り方を分かっていたのだろう。入学するやいなや、瞬く間に力を付けていった。十歳になる頃には正規のNMAの武装部隊員でさえ圧倒する力を持つようになっていた。周囲からの嫉妬や陰口もあったろうが、彼女は一度も不満や弱音など噯気にも出さなかったようだ。そんな彼女の周囲にはいつの間にか多くの者が集まるようになった。そして、彼女は十二歳の時に、NMA創設以来の最年少武装部隊隊長となった。その時点の彼女の魔術師としての実力はSS級。誰もが彼女の光ある将来を想像した。———が、三年後、彼女はある強敵と遭遇する」

 ラルフは掌に持っていた携帯端末にスクリーンモードで画像を映し出す。

「ファイザル・J・アウレス。第一級犯罪者。ブラックリストにも登録されていた凶悪な人物でね、殺害した人間は計測不能。滅ぼした国家は実に十一。呪殺に長けた魔術師で、NMAの生え抜きの魔術師でさえ何十人も彼に殺害された」

 ユウキにも聞き覚えがある名だった。その当時、ユウキは小学生だったが、この事件を受け集団で登下校した事が思い出される。

「野放図となっていたファイザルには捕縛ではなく、抹殺の命令が下されていた。しかし、彼と闘える人物や部隊はそうはいない。そこで白羽の矢が立てられたのが、当時重犯罪者のみを対象として動いていた特殊魔導士部隊隊長のアイギスだ。彼女は快くそれを承諾した。でもね、それに多くの部下は反対したそうだ。彼女はたった一人で奴と闘うと云って聞かなかったからだ。彼女は自分の部下を犠牲にしたくなかったのだろう。彼女は部下の反対を圧しきり一人でファイザルに闘いを挑んだ。結果的に、彼女はファイザルに勝ち、見事捕縛してみせた。―――その代償が、《これ》という訳だ」

 ラルフは遠い目でカプセルの中のアイギスを見る。

「ファイザルの呪術によって精神が崩壊したアイギスは、生きながらの死人となった。それから彼女は多くの名医に預けられるが、誰もが彼女の回復を諦めた。それから、苦肉の策として最後に選ばれたのが僕というわけだ。医者でもない僕に彼女を預けるなんて正気の沙汰とは思えないだろう?」

 ラルフの問い掛けに、ユウキは無言のままだ。

「でも、任された以上僕も責任があるからね。医者には出来ないアプローチを試みようとしたわけだ。それが―――」

「プロジェクト『Aegis』」

 勝手に声になっていた。ユウキ自身は無意識だった。しかし、声が出てしまったのだ。

「・・そう。僕は精神という曖昧な人間の一部を臓器移植のように補完しようと考えた。精神を代替するモノを移植し、自然にそれが癒着すれば、精神も同様に回復させる事が出来るのはないか、とね。その代替物が『Aegis』という彼女の性格を限り無く忠実に再現した自律型人工知能さ。しかし、それだけでは不十分、と私は考えた。物事を動かすには、内的要因だけでなく外的要因も重要となる。その外的要因の刺激策が、ユウキ君。君というわけだ」

「・・初めから、全て計画通りだったんですね?」

「君を選んだ事も僕の想定通りとでも云いたいのかい?」

 ユウキはじっとラルフを睨み付ける。

「残念だけど、君は僕の計画には全く含まれていなかった。アイギスに接触させる人物も既に候補がいたからね。でも、僕は図書館で君を見た時に見えてしまったんだ。君に重なる『ハルカ・シングウジ』をね」

「母さんを知ってるんですか?」

 ユウキは驚いたように口を開く。

「この世界でハルカ・シングウジを知らない者はいないさ。彼女は君の知っているように、NMAの武装部隊に所属していた。しかし、それだけじゃない。君がまだ子供の頃にはマジックファイターとして多くの大会で優勝を搔っ攫っていた名ファイターだ」

「でも、母さんの名前なんて、歴代の大会優勝者のリストになんて無かった筈・・過去の映像にだって」

 ラルフは口元を抑えくすくすと笑い始める。

「近過ぎて意外と分からないものなのかな」

 ラルフは携帯端末にとあるマジックファイトの試合映像を映し出す。一人は格闘タイプのファイター。もう一人は全身に白銀の騎士甲冑を纏ったファイターだ。手には二本の剣を持っている。

「マジックファイターとしての現役時代、一切貌を晒す事なく常に勝ち続け無敗神話を創り上げた騎士『アクラーハ』。名前をアルファベットにして逆さに読んでご覧よ」

 ユウキは頭の中にスペルを思い浮かべる。

―――アクラーハ・・スペルは確か『AKURAH』・・逆さに読むと、『HARUKA』・・!?

「分かってしまうと捻りも洒落も無いネーミングだろう?」

 ユウキは思わず片手で頭を抱える。

 どうして今までこんな事に気付かなかったのだろう、と。

「案の定、君は彼女の血を継ぐ子供だった。潜在的な力は未知数だったが、僕は賭けに出た。君の《才能》と《努力》にアイギスの命を掛けたのさ」

「随分軽く云ってくるじゃないですか?」

「そんなつもりはないよ。ずっとこの事を君に隠していた僕が云っても説得力はないだろうけどね。―――ただ、これだけは信じて欲しい。僕は君ならアイギスを目覚めさせると確信していた」

 いつにない真剣な口調だった。ユウキはわだかまりを振り払うように大きく首を振ると、

「もういいです。俺にはラルフさんの心の中は覗けない。だから、今の言葉が本当か嘘かも、正直なところ分からない。でも、一つだけ感謝しています」

 ユウキはカプセルに近付いていき正面に立つと、安らかに眠るアイギスの貌を眺める。たった五ヶ月の中で起こった出来事が、まるでメリーゴーランドのように頭の中を廻る。

「俺はアイギスに会えて、本当に強くなれた。アイギスが居なかったら、きっと今の俺は此処に居ない・・それだけは感謝しても仕切れないから」

「そうか」

 ラルフは瞼を伏せ満足そうに微笑んだ。ユウキは目を瞑りカプセルに額を当て彼女だけに聞こえる声でそっと呟く。


———ずっと待ってるから———


 その言葉に、アイギスは頬を桜色に染め微笑む。

 ユウキの瞼の裏にはその姿が見えた気がした。

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