お題噺「あさがお」

桜枝 巧

「あさがお」

 今年からあさがお組、つまり幼稚園年中さんのなっちゃんは、お母さんやお父さんよりも早起きです。

「あさがおさん、咲いたかなあ」

 なっちゃんは朝顔の柄がプリントされた小さなサンダルを履くと、お母さん達を起こさないようそうっと玄関の鍵を開けました。

 カラカラカラ、と扉を横に引っ張って開けると、外はすっかり夏のようで、朝顔のような花を咲かせる太陽が彼女を出迎えます。

「お、なっちゃん、今日も早起きだねえ、朝顔と競争でもしているのかい?」

話しかけてくれたのは、「麻顔市新聞」を配達してくれるおじさんです。なっちゃんは自分が今プランターで育てている朝顔を見つめながら、ううん、と首を横に振りました。

「なっちゃんね、毎日、あさがおさんとよつゆさんがお話するのを聞いているの。二人ともちょっと寂しそうで、特にあさがおさんが……」

「そうかい、そうかい、あさがおさんが、ねえ」

 おじさんは朝顔について語り始めたなっちゃんをさっと遮りました。じゃあおじさん行くから、と言って、「麻顔市」とかかれたバイクに乗るとどこかへ行ってしまいました。

「……つまんないの、朝がお忙しいからって、話くらい聞いてもいいじゃない」

 その時、朝顔のプランターの方から声がしました。

「あらよつゆさん、朝がお早いのね」

「あさがおさんもおはよう、今日もいい天気だ」

なっちゃんは慌てて「あさがおさん」と書かれたプランターに寄ると耳を澄ましました。朝顔はお隣さん家のお姉ちゃん、夜露はその「かれし」(なっちゃんはまだそれが何なのかよく分かりません、何かの名前……でしょうか)さんの声に似ています。二人とも朝顔の花のような笑顔を浮かべる、優しい人たちです。

「……でもあさがおさん、また――朝が来ちゃったね」

「そうね、朝顔は――私は、今日の昼には枯れちゃうものね」

 よつゆさんの声を聞いて、あさがおさんも悲しそうに応えます。

「――うん、そうだね、あさがおさん。でも僕達夜露も、朝顔と同じように、もうすぐ消えてしまうんだ。お日様が朝顔の花をしぼませるように、僕らの姿も消してしまうんだ」

 なっちゃんは朝顔のサンダルをぶらぶらさせながら、いつものように首を傾げます。

「あさがおさんも、よつゆさんも、なんでそんなに悲しそうなの? また明日の朝になれば、あさがおさんはそこに居るし、よつゆさんだって葉っぱの上にいるじゃない」

 すると、いつもはそこで黙ってしまっていた朝顔が、小さな声で言いました。

「朝顔はね――、たくさん咲いているから、しぼんでも次の日にも咲いているように見えるかもしれない。でもそれは、『あさがお』としての『私』ではあるけれど、『私』としての『あさがお』じゃないの。それは『あさがお』も、『ひと』も、同じ」

 朝顔の声は、いつもよりも真剣であるように思えました。

「昨日の朝顔と今日の朝顔が違うように、昨日のなっちゃんと今日のなっちゃんは、見た目やその『こころ』は同じかもしれないけれど全く違うもの。だから、今日は今日なりの花を咲かせるべきなんだ、朝顔みたいにね」

 なっちゃんはふうん? と一輪の、色鮮やかな朝顔に向かって再び首を傾げます。ちょっと難しかったかな、と朝顔は笑いました。

「いつか――なっちゃんにもいつか、朝顔の気持ちが分かるようになるよ。私が――っと、あさがおさんが、あなたのお父さんやお母さんから教えてもらっているようにね」

 おいおい少し話しすぎだぞ朝顔、と夜露が言いました。それっきり二人のおしゃべりが聞こえてくることは無く、ただ一輪の紫の朝顔が少しくたびれた顔をしているだけでした。朝顔の葉っぱの上にいた夜露は、いつの間にかいなくなっていました。

「あさがお……さん?」

「あら、なっちゃん、朝顔見てどうしたの?」

声をかけてきたのは、なっちゃんに朝顔のサンダルや、プランター、花の種を買ってくれた、お隣のお姉さんとその「かれし」さんでした。よくお母さんがじんせーそーだん? にのっているので、朝、顔を合わせるようになったのです。

「朝顔のお姉ちゃん、お兄ちゃん。今日ね、あさがおさんが……」

 なっちゃんは目をキラキラさせて、朝顔の話をしました。二人は麻顔市新聞のおじさんのように彼女の話を遮ったりはせず、嬉しそうに聞いています。

「……朝顔の気持ち、伝わったかな?」

 お姉さんはプランターの朝顔を見ながら、なっちゃんには聞こえないくらい小さな声でそっと呟いたのでした。

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