エピローグ

 山道を一台の馬車が進んでいる。大きさはそれほどではないが、良質の木材でできており、一流の職人が製作したものだと窺えた。

 馬車は普通だが、それを引く馬に違和感がある。馬車に比べて小さすぎるのだ。普通の馬よりも小柄なポニーと呼ばれる品種である。だというのに、険しい山道を苦にすることなく軽々と足を動かしていた。

「まだ到着しないのですか」

 馬車かの中から聞こえた声に、御者台に座っていた子供にしか見えない小さな男が答えた。

「まだですよ、お嬢様」


 ドラゴニア共和国とベレロ国の初接触から一年が経過した。

 ザムたちがベレロ国から逃げた後、何度かドラゴニア共和国は使者を送り出す。面倒事が起きるかと思いきや、それは起きなかった。なぜならベレロ国側がドラゴニア共和国の言葉を全て受け入れたからだ。いや、反論することなど思いつかなかったのだろう。

 ザムたちの次に送られたのは人間が五人と、ドラゴンが十人だった。ドラゴンは半数以上が五百歳を超える中堅であり、一人は千歳を超えた重鎮である。これは三百年前にドラゴンが起こした生贄騒動と、それによって起こった内乱に遺憾の意を示すという意味があった。彼らは敬意を表したつもりだったが、ベレロ国にとってみれば威圧外交でしかない。王も王族も全員が完全服従を誓った。

 この態度に面食らったドラゴン達だったが、ドラゴニア共和国の人間達にとっては予想通りだった。オルラドをはじめ腹黒い者たちが考えたのは、これ以上ベレロ国の人口が減らないようにすること。正確には、身体強化の魔法が使える者が失われないように国内を平定する必要があった。なにしろその魔法が込められた魔石は、金のなる木である。

「まだですか」

「だから、まだです」

 馬車はひたすら山道を上る。土がむき出しだが、多少の段差はあっても大きな石などは無く快適だ。周囲は緑の葉を繁らせた木々で囲まれている。その枝には鳥や小動物の姿があった。

 馬車の中にいる人物がつまらなさそうに言う。

「さすがに木ばっかりで見飽きました」

「それなら、寝ればいい」

 ドラゴニア共和国とベレロ国の国交がうまくいっているのかと言うと、そうとは言えない。

 ドラゴニア共和国は大使館の設立をベレロ国に求め、それは承諾された。魔石の原石へ魔法を込め、それを輸出することも彼らは承諾した。それどころか無料で魔石を差し出そうとしたので、それはさすがに止めさせた。

 他にも税の引き下げや、魔石を売って購入した食料を国民に分配することを勧めたら、すぐに賛成。ベレロ国内の地質調査や地図の作成を技術者たちにやらせてもらえないかと聞くと、是非にどうぞどうぞ。と、これはドラゴンを並べて挑んだ外交戦略が効きすぎた結果だった。

 ベレロ国は言われたこと全てを、言われるがまま実行する。市場を開いてみてはと言われて実行することにした。それを聞いたドラゴニア共和国の商人たちがやってきたが、そもそも市場というものを知らないのでまともな店は存在せず、商人たちはただ手ぶらで帰ることとなってしまった。

 国民の識字率と能力向上のための学校を設立してはと言われ、すぐさま行動した。が、知識人は貴族以上の身分しかおらず、下級氏族に教えるなど彼らのプライドが許さない。なので結局ドラゴニア共和国が人材を派遣することとなった。

「お腹が減りました」

「リンゴがあるだろ」

 ドラゴニア共和国は大使だけでなく様々な人間をベレロ国へ送り出した。ではベレロ国はどうなのかというと、誰一人としてドラゴニア大陸どころかニドレフやファーラの住むトライグルの街にまで来たものはいなかった。これもドラゴンによる圧力外交の弊害である。ドラゴンが何人も闊歩する場所になど行きたくないと口をそろえるのだ。

 なのでベレロ国は外からの人と物は全て受け入れるが、自分達は絶対に外へ出ないという半分鎖国といえる様な状態になっていた。ドラゴンへの恐怖が払拭される日はいつになるかわからない。

 ただ、例外は二人ほどいる。

「ひまです」

「木の数でも数えてろ」

「ちょっとザム! 対応がどんどん雑になってますよ」

「延々そんな愚痴ばっかり言われたら、嫌になるに決まってるだろうが」

 ゆっくり進む馬車の上で、ザムとカルルはそんな言い合いを続ける。

「まだ到着しないんですか……」

「日が暮れるまでには到着するはずだ」

「もう夕日が見えるんですけど……」

 傾いた太陽はすでに紅く色付いている。影は長く伸び、左右に木々が並ぶ山道はすでに薄暗い。

「見ろ。あそこで木が切れてるだろ。あそこが目的地だ」

 十分もしないうちにそこへたどり着く。山道を上り終えると、山の中腹にある開けた場所に出た。多少の傾斜はあるが、ほぼ平地に近い。そこには小さな木造家屋と狭い畑。さらに二匹の馬と山羊。そして子犬と遊ぶ小さな子供だ。

 家の扉が開き、妙齢の女性が出てくる。女性が声をかけると子供は振り向き、そちらへと駆け寄っていく。子供を抱きしめると、ザムが操る馬車に目を止めた。

 ザムはゆっくりと馬車を進め、家から少し離れた位置で停止させた。御者台から下りると声をかける。

「ここはガルムンド様の家ですか」

「そうですが……あなたは……」

 馬車の扉が開き、出てきたのはカルルだ。一年前とは違い髪の毛は肩より長く、服装は若草色のドレス。どう見ても男性には見えなくなっている。

「はじめまして。私はザム。こちらはカルル・ウズと申します。ガルムンド様に一度お会いしたくてやって来ました」


 太陽がほとんど姿を消したころ、扉が開いた。

「今帰ったぞ……ん? 客か」

 それは大柄な男だった。身長は高く、体も筋肉が盛り上がっている。肩に大きなイノシシを担いでいた。

「おかえりなさい。あなたのお客さんよ」

 髪の毛と同じ赤色の目が、ザムとカルルへ向けられると、訝しげに細められた。

「知らない顔だな」

 二人は椅子から立ち上がると、ガルムンドへ頭を下げる。

「はじめまして。私達はベレロ国から来ました、ザムとカルルといいます」

「その二人が何の用で?」

「こちらをお読みください」

 カルルは封筒を渡す。ガルムンドはそれにドラゴニア共和国の封蝋がされているのを見て、わずかに眉を上げた。無言で封を開け、中の手紙を読み始めると確かな驚きの表情へと変化する。

「あなた?」

「……ちょっと向こうの部屋にいてくれ。俺は二人と話がある」

 ガルムンドの妻は心配そうに何度か振り返りながら、子供の手を取って別の部屋へ向かう。扉が閉まる音がすると、ガルムンドは無造作にイノシシを肩から下ろし、椅子へ座った。

「……お前が、その、俺への生贄で間違いないのか?」

 困惑した目が向けられると、カルルは微笑んだ。

「はい。そうです」

 一年前、オルラドから報告を受けたドラゴニア共和国は調査を始めた。しかし何しろ三百年前の出来事なので残された資料は少なく、調査は難航した。しかもその内容が、もしかしたらドラゴンが条約違反をしているかもしれないということで、内密にやるしかなかった。幸いなことに、そんなドラゴンはいなかった。

 そしてつい最近、条約に同意したはぐれドラゴンから有力な情報を入手した。「そういえば、三百年後に生贄を捧げろと人間に求めたとか言っていたドラゴンがいたな」と。調べてみるとそのドラゴンは条約を守ることを誓い、今も辺境で生活していることが判明した。

 ドラゴニア中央政府はすぐに調査班を送ることに決めたが、それを知ったカルルがとある事を提案した。

「その役目、私にやらせてもらえませんか」

 最初は反対されたが、カルルの熱意に押し切られた。これはカルルに直接関係している事なので、当事者の言葉を無視できなかったのだ。しかし一人で行かせるわけにもいかず、その白羽の矢が立ったのがザムである。最初は嫌がっていたが、こちらもカルルに説得されてしまう。

「いや、驚いた。まさか、な……」

 大柄な赤毛の男、ガルムンドという名前のドラゴンは、驚愕と呆れの混じった顔でカルルの顔を見ている。

「三百年前の約束を、律儀に守るなんてなあ」

「それだけガルムンド様が恐ろしかったということですよ」

「それは、悪かった。俺も若かったんだ」

 ガルムンドとカルルは笑い合う。かつて生贄を食らう者と、生贄として捧げられた者であった二人の表情は穏やかだ。

「で、そのあんたが俺に何の用だ。復讐にでも来たのか?」

「いいえ。そんなつもりはありません。ただ話してみたかったのです。かつては人の生贄を求め、そして今は人と共に暮らすドラゴンを」

 カルルの真剣な言葉に、ガルムンドは決まり悪そうに視線を外した。

「奥様とはどこでお知り合いに」

「……あーっと」

「いいじゃないですか。知らない仲ではないのですから」

「さっき知り合ったばっかりだろうが」

 唇を歪めてガルムンドが苦々しい表情を見せると、カルルは朗らかに笑った。


「なんだか普通の人でしたね。ドラゴンなのに」

「三百年も経てば性格も丸くなるだろうさ」

 カルルが生贄に捧げられる相手だったドラゴン、ガルムンドに会おうと思ったのは、彼が今は人間の女性と結婚して共に暮らしていると聞いたからだった。かつてはただの食料程度にしか思っていなかった相手と結婚するなど、どういう心境の変化があったのか、カルルは知りたくなったのだ。

「でも、崖から落ちた奥さんが、ちょうどそこで寝ていたガルムンドさんの背中に落ちたっていうのが出会いとか、運命を感じますね」

「だとしたら、かなり運が悪いな、あの女は」

 ザムが嘲るように言うと、その頭に何かが当たる。カルルが木の実を投げたのだ。これは持って来た食料の一つだった。

「食べ物を粗末にするな」

「そんな事を言うからです」

 不満と怒りを含んだカルルの声。その意味がわからないザムは胡乱な目を向ける。

 二人は馬車の中に寝ていた。馬車は小さめだが、もともと体格が子供並なのでちょうどいい広さだ。寝ているのは幅広の座席だ。座ると互いに向き合うように、左右の壁に設置されている。それはベッドとして使えるように最初から設計されていた。

 なぜ馬車で寝ているかといえば、ガルムンドの家には客人が寝るための部屋が無いからだった。その事にガルムンドの妻はしきりに恐縮していたが、二人は全く気にしていない。

「早く寝ろよ。明日はすぐに出発しなきゃならないからな」

 カルルたちがここへ来れたのは、忙しいスケジュールに無理矢理割り込ませたからだ。今後の予定は詰めるだけ詰め込まれていた。明日はほとんど休憩も取らず走り続けなければならない。

「どこに行くのだったかしら?」

「ミーティア領の領主たちと昼は視察、夜は晩餐会だ」

「前と同じね」

 現在のカルルは、ドラゴニア共和国では中々に話題の人物となっている。『秘境の国から亡命してきた悲劇の姫』として。

 ドラゴニア共和国とベレロ国の接触は、一般には知られず密かに行われた。慎重にゆっくりと行われたそれは、一年ほどかけ発表されることとなる。

 その際、カルルがドラゴンの生贄として運ばれていた、という事実は隠された。すでにドラゴンとの共存が普通となったこの時代では、それが知られると様々な憶測が飛び交い、混乱を招くと考えられたからだ。しかし実際は、その事で他の大陸の諸外国から突き上げられることを恐れた、というのが本音である。

 一般に伝えられたストーリーは、内乱により家族を失ったカルルはわずかな護衛と共に今だ見ぬ国外の世界へ逃亡。そこで偶然ファーラと出会い保護された。その時すでに護衛はザムだけとなっている。カルルとベレロ国の実情を知ったドラゴニア共和国は、内乱へ密かに介入。ベレロ国が安定したことでその事実を公表。そして現在、互いの国は国交を始めた。という事になっている。

 ドタゴア政府はベレロ国と親交を持つにあたって、カルルを広告塔にすることを初期の時点で決めていた。そのため彼女に様々な教育を約一年も施し、どこへ出しても問題の無い上流階級の女性へと鍛え上げた。それは強制したわけではなく、その提案を受けたカルルが承諾した上である。

 ただし、一つ条件があった。それは、一人の男をボディガードに付けること。

「何で俺がお前の予定まで管理しなきゃいけないんだよ。こんなの護衛の仕事じゃないぜ」

「何言ってるの。ザムに護衛以外の仕事なんてできるわけ無いわ」

 ザムは寝転んだまま向きを変え、背中ではなく顔をカルルへ向けた。眠たげな目で見つめる。

「何ですか?」

「いや、女みたいな言葉遣いは、まだ慣れないなと思っただけだ」

「私は女性ですって何度言えばわかるんですか!」

 カルルは顔を真っ赤にすると、ザムめがけて枕を全力投球するのだった。

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ドラゴンに生贄を 山本アヒコ @lostoman916

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