12

 山脈を越えたところの草原で、テントを使い一夜を過ごした。昨日昼食を食べた場所だ。昼を過ぎたころにベレロ国へ再び向かう。王都周辺には、まだ多数の戦士たちの姿があった。

 王城まで真っ直ぐ向かい、昨日と同じ場所へ着陸する。そこにはすでに多数の人物が待ち構えていた。百人以上はいると思われる戦士たちと、身なりの良い服装の男たち。良い服を着ているのは、全て王族たちだ。しかし良い服とは言ってもベレロ国内の話で、それよりオルラドから渡されたザムたちが着ている服の方が上等な物だった。

 そのうちの一人が進み出ると、頭を下げた。

「ようこそいらっしゃいました。ドラゴニア共和国のファーラ様とニドレフ様」

『こんにちはー』

 ファーラの声が聞こえた瞬間、ベレロ国側がざわついた。前に出た男も目を丸くした。

「……この声は、そこのドラゴン様……ファーラ様の声でしょうか?」

『そうだよー』

「すいません。その、意外な声だったので。女性の方なのですね」

 ファーラは笑顔のつもりだろうが、ドラゴンの顔でやると普通の人は威嚇にしか見えないだろう。それを向けられた男の顔色が悪くなる。

「す、すいませんでしたぁ! 中で王がお待ちですので……」

 そこで男はファーラの巨体を見上げる。王城より巨大な体は、どう考えても城の中へは入れない。表情を引きつらせるのを見たザムは、ファーラへ目配せした。体が輝くと、少女の姿へファーラは変化した。これに誰もが呆然とする。

「これなら大丈夫でしょー?」

「あ、ええ、はい。そうですね」

 呆然とした様子で男たちは城の中へ案内する。

 王城の扉は、ザムの身長の三倍はある大きさだった。分厚い木で出来たそれは、重たく頑丈そうだ。

 城の中は薄暗い。壁に獣脂のランプがあるがその火は小さく、独特のにおいが漂っている。

 廊下のいたるところに剣を持った戦士が立っていた。ザムたちを見る瞳は、恐怖か敵意のどちらかだけだ。その視線にカルルとニドレフは居心地が悪そうにしている。しかしザムは全く自然体で、ファーラは珍しそうに城の内部をキョロキョロ見回していた。

 天井は高い。しかしニドレフにしてみればそうでもない。なにしろ体格が全く違うのだ。部屋へ入るための扉は小さく、腰をかがめなければ無理だろう。

 入り口から真正面にある階段を上り、二階を通過して最上階の三階へ。ここは王と選ばれた王族しか立ち入ることを許されない場所だ。思わずカルルは緊張してしまう。

 案内されたのは大きな扉の前。先導していた男が呼びかけると、中から返答する声が聞こえた。

「ドラゴニア共和国よりの客人一行、謁見の間へ入られよ!」

 ゆっくりと扉が開くと、そこは広い部屋だった。扉から真っ直ぐ毛皮の絨毯が伸び、その先には一段高くなった場所があり、そこにある椅子に男が座っていた。

「ようこそ。歓迎する」

 彼こそがベレロ国の現王。まだ若い。なぜなら王というのは、どの王族が力を持っているかという象徴でしかなく、ただの傀儡だからだ。

 左右の壁には何人もの男たちが立っている。服装を見ると、全て王族だ。多くの氏族の代表者が揃っている。絨毯をはさんで反対側を睨んでいる者がいくつかいるのは、それが敵対する相手だからだ。今ベレロ国は内乱の真っ最中である。

 そんな状態の両者がここに集まっているのは、それほどまでにこれが重用であると理解しているからだ。

 王の前、と言っても絨毯の半分あたりの場所だが、そこまで進むとカルルとザムは跪く。慌ててニッドレフもそれに倣う。だがファーラだけは不思議そうにそれを見ているだけだった。

「王の前で不敬であるぞ!」

 壁際にいる王族の一人がそう声を荒げると、案内してきた男が顔を真っ青にして言った。

「この方は、ドラゴン様です。どうかご容赦ください!」

「なっ……! しかし、ただの女ではないか!」

「ボクはドラゴンだよー」

 ザムたちは顔を見合わせる。

「どうしましょうか?」

「簡単だ。ファーラ、軽く火を吹いてやれ。床だと絨毯が燃えるからな。上に向けてだ」

「ちょっ……」

 思わず止めさせようとしたカルルだったが、間に合わなかった。天井に向けて太い炎の柱が屹立する。その迫力と吹き付ける熱風で、周りの男たちだけでなく、近くにいたカルルも悲鳴をあげた。

「これで信じてくれたー?」

 無邪気なファーラの言葉に、呆然とするしかないベレロ国の重鎮たち。何人かは失神してしまい、使用人たちに助け起こされていた。

「た、確かに、ドラゴン様、のようですね……」

 だらだらと恐怖で冷や汗を流しながら王族の誰かが言う。

「そ、それでは、ドラゴニア共和国の客人との謁見をはじめます」

 昨日話をした王の補佐であるモウロが進行役だ。束になった羊皮紙を持ち、それを見ながら言葉を続ける。

「この親書によれば、あなた方ドラゴニア共和国は私どもの国と国交を結びたいということですが、それは本当ですか?」

 緊張した顔のニドレフが答える。

「はい、その通りっす……じゃなくて、その通り、です」

「そうですか……しかしですね、あの山脈、死すら通れない場所の向こうに国があるというのは分かりますが……その先には海と呼ばれる巨大な池があり、その向こうにこの国の何万倍もの大地、大陸でしたか? そんなものが存在するなど信じられません」

 モウロの言葉に王族たちも頷く。

「そ、それはっすね……」

 ニドレフは言葉が続かず、ザムへ救援を求める視線を向ける。小さく息を吐くと、ザムは口を開いた。

「それは実際に行って見てもらわなければなりませんが、あの山脈の向こうにはこことは全く違う世界が広がっている事は事実です。その証拠も持ってきました」

「その証拠とは」

「こちらへ来る前に渡した木箱の中身です。それはドラゴニア共和国からの贈呈品となります。どうぞ御納めください」

 モウロが目で合図すると控えていた戦士の一人が移動し、しばらくすると扉が開いて木箱を戦士二人が抱えて運んできた。それを王が座る台座の前へ置く。

「中を検分させていただく」

 戦士たちが木箱の蓋を開けて中を確認する。すると彼らの顔が驚きと困惑に歪む。モウロが怪訝そうな顔になる。

「どうしたのか?」

「いえ……その、どれも見たことが無いものばかりなので……」

「見たことが無い物? 一体何を持って来たのですかな?」

 その質問にザムは済ました顔で答える。

「入っているのは、剣と鍋と魔石です」

「なに?」

 モウロは近づいて箱の中を覗く。すると戦士と同じように顔が困惑の表情へ変化した。

「これが剣と鍋……全くそうは見えないが……」

「説明しましょうか?」

 モウロは頷くと、騎士たちに木箱をザムたちの下へ運ばせた。

「まずこれは剣です。刃の部分はこの鞘という保護具入れられています」

 ザムは鞘から剣を抜くと、銀色に光る刀身が現れる。見たことも無い武器に誰もが驚きの声を漏らす。

「これは鉄という素材でできています。薄く見えますが非常に頑丈で、切れ味は石製のものより数段上です。しかも軽い。どうぞ手にとって見てください」

 鉄の剣を手に取ると、全員もの珍しそうにそれを観察する。その際、好奇心で刃に指を滑らせ怪我をするというアクシデントがあった。

「続いては、鍋です。これも同じく鉄でできています。ベレロ国で使われている土器とは違い、少々のことで壊れる心配がありません」

 そう言うとザムは手に持った鍋を、力強く床へ叩きつけた。大きな音が響く。その様子に目を丸くする周囲の王族たち。その後あれだけ叩きつけた鍋が壊れるどころか少しへこんだだけだという事を確認して、さらに彼らの目が大きくなる。

「最後に、これが魔石です」

「届けられた親書に魔石のことが書かれていたが……本当に魔法など使えるというのか?」

「はい。では魔法をお見せしましょう。光れ」

 ザムが持つ魔石がまばゆい光を放つと、おお、と王族たちが今までで一番大きな声を出す。

「なんと……ということは、我々に魔法が使えるというのか……」

「使えるというか、使っていたんでしょう。ベレロ国の者が使えるのは、身体能力強化の魔法らしいのです。魔法の強さは個人差があり、あまり魔法が使えない者もいます」

 ザムは魔法が使えたが、カルルはほとんど使えなかった。魔石の原石に魔法込めようとしたが、どれだけやっても色が変わらなかったのだ。

「この透明な物が魔石の原石です。これを持って、石に力を込めるようにイメージしてください」

 王族の一人がやってみると、わずかだが石が輝いた。透明だった原石が薄く色付いている。

「これで分かってもらえましたか」

「うむ……それでは、このドラゴンについても事実だというのか……」

「その通りです」

 この場所にいるザムたち以外の顔が一斉に強張る。と、一人の男が声をあげた。

「そんな事信じられない!」

「しかし、同じドラゴンであるファーラ様がそう言っているのですよ?」

 全員の視線がファーラへ集中する。彼女はそれに首を傾げて不思議そうな顔。

「なにー?」

「ファーラ様。もう生贄を捧げる必要は無いというのは本当なのですか?」

「うん。そういう約束しちゃったからね。人が大好物のドラゴンは、みんな殺されちゃったしー」

「こ、殺されたなど……ドラゴンはとても強いのでしょう」

「いくら強くてもさー、同じドラゴン百人相手じゃ無理でしょ。ボクは産まれてないから知らないけど、ジジイや父ちゃんみんなでボコボコにしたらしいよ。ひどいよねー」

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。ドラゴン一人だけでも甚大な被害が出るというのに、それが百人。世界の終わりと同じ光景だ。

「では、そういうことで。カルル様は生贄にならないということでよろしいですね」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ! それはこちらの問題だ」

 カルルはウズ家最後の生き残りだ。いくらすでに有名無実化した王族とはいえ、残っていれば騒動の火種となる可能性がある。

「しかし、親書にあるように、カルル様はすでにベレロ国とドラゴニア共和国へ亡命。ドラゴニア共和国民となっています」

 その言葉に一番驚いたのはカルルだ。そんな立場に自分がなっているなど知らなかった。これは前日にザムとオルラドが話し合い決めたことだった。

 実際にはカルルの亡命は認められていない。亡命を求める書類は、今オルラドが中央政府へ運んでいる。完全な事後承諾だ。

「そ、そんなことは認められない!」

「では、どうするおつもりで?」

「決まっている! ウズ家の者は全て処刑だ!」

 壁際に並ぶ王族の一人が叫ぶ。ザムは無表情で底冷えする目で、その王族を睨んだ。そのあまりの冷たさに、王族の男は思わず一歩退いてしまう。

「それはつまり、ドラゴニア共和国の国民を殺害するということですか? ドラゴンと共存する国の者を?」

 その言葉に、周囲の人間の顔色が一斉に悪くなる。

 ドラゴンという存在は、ベレロ国に対して最強の切り札だ。三百年前からその恐ろしさは、骨身に染みている。そんな相手に対して喧嘩を売ろうとは誰も思わない。

 ザムは周囲を見回す。それに目を合わせようとする者は誰一人おらず、反論する者もいなかった。

「では、詳しいことはまた後日。正式なドラゴニア共和国の大使が来ますので。それでは」

「待ちたまえ! お前は何者だ!」

 はて、と、訝しげにザムは首をひねる。

「何者かといいますと、カルル様の護衛兼、ドラゴニア共和国とベレロ国の調整役です」

「調整役?」

「はい。今回の両国初会合はお互いに全く知らない相手のため、様々な問題が起こることが予想されました。なのでベレロ国の住人であった私なら、そこを潤滑に行える手助けができるのではないかということで、その役目を仰せつかりましたザムです」

 そう頭を下げる姿を、モウロは吊りあがった目で睨む。

「その姿は明らかにベレロ国の国民ではないか! どこの氏族の者だ!」

「氏族名はありません」

 ザムの言葉に王族たちがざわめく。

「私はただのザム。下級氏族です」

 その瞬間、怒号が爆発した。王族の誰も彼もが口からつばを飛ばしながら、思いつく限りの罵詈雑言を放つ。薄汚い下級氏族が王城に入るちは何事だ、虫にも劣る者が我らに口をきくとは気分が悪い、この場に貴様のような者がいるだけで死罪の対象だ、等々。

 周囲を飛び交うそれらに、カルル達はうろたえる。言葉をぶつけられているザムはというと、一切動ぜず涼しい顔だ。

 一向に治まる気配の無い喧騒に、ついにファーラが限界を迎えた。

「うっるさーいっ!」

 それは王族たちの声を圧倒する叫び声だ。石造りの壁が震えている。近くにいたザムたちは、あまりの大きさに耳が痛い。カルルにいたっては、意識が朦朧として目が焦点を結んでいないほどだ。

「ファーラの方がうるさい……」

「だってー」

 我に返った王族たちが口を開く前に、ニドレフが言った。

「えー、ザムさんはドラゴニア共和国から正式な依頼を受けて、協力者としてここに来ているっす。それに対する暴言は、ドラゴニア共和国への暴言と受けとるっすよ」

 それを聞いて王族たちは言葉を詰まらせた。

「そうだよ。友達の悪口は許さないからねー」

「いつから俺はお前の友達なったんだ」

「えー? 友達でしょー」

 ザムは肩を竦める。が、その口元は笑っていた。

「……では話は終わりのようなので、私たちは帰らせていただきます」

「い、いや、お待ちください。みなさまを歓迎するための晩餐会の用意ができていますので、今夜はここにお泊まりください」

 ザムは眉を寄せる。彼らにはわざわざ留まる必要性が無い。

「せっかくですが……」

「晩餐会ってことは、ごちそう出るよねー! やったー!」

 断る前にファーラが歓声をあげた。嬉しそうにはしゃいでいる。

「……どうするっすか」

「まあ、ドラゴン相手に何かする度胸は無いだろう……多分な」

 無言のカルルは不安そうな面持ちでザムを見ていた。


「しかし、せまいな」

 ザムとカルルは王城の二階にある部屋へ案内された。ここは王城へ宿泊する王族のための客室だ。ベッドは二つあるが、それだけで部屋に隙間はほとんど無い。

「こうして見ると、外の世界がどれだけ裕福か分かるな。ここは王族が泊まる部屋だっていうのに、あの村の宿屋よりせまいぞ」

 ベッドに寝転がり天井を見上げているザムを、カルルは無言で見ていた。

「……いつの間に私はドラゴニア共和国の国民になってたのかな」

「実際は、まだなってない。それを申請する書類をオルラドが持って行ってる」

「勝手だよね。ザムもそうなったの?」

「俺は少し違う」

 カルルを亡命させたのは、そうした方がその身を守ることが出来ると考えたからだ。カルルがベレロ国の国民のままだと、その扱いは王族たちの一存で決められてしまう。ペガ家独裁になってしまった国では、カルルの存在は邪魔でしか無いのだ。おそらく処刑されることとなるだろう。

「俺はオルラドにベレロ国との繋ぎ役を頼まれたんだ。そのためには、まだ形だけでもベレロ国の人間のほうがいいんだよ。まあ、どうなるか知らんがな。お前は、やっぱりベレロ国から離れるのは嫌か」

 カルルは居心地悪げに身じろぎする。

「まあ、少しはそういう気持ちもあるけど……どうしても離れたくないって訳じゃないかな……」

「向こうじゃ王族らしい生活ができないかもしれないぞ?」

「……」

 カルルは黙り込む。それに背を向けるようにザムは姿勢を変えた。

 二人に会話は無く、しばらく時が過ぎる。陽が落ちて室内は暗い。一つだけの小さなランプでは、部屋の様子がかすかに見える程度だ。

 扉をノックする音。カルルははっと顔を上げ、ザムは剣に手をのばす。

「晩餐会の用意ができました」

 呼びに来たのは使用人ではなく、鎧を着た戦士だった。

「ファーラたちは」

「先に待っております」

 王城の者に部屋へ案内される際、ザムは四人同じ部屋を希望した。しかし王族用の部屋であっても、二人用の部屋しか存在しなかった。なので仕方なくザムとカルル、ファーラとニドレフという組み合わせで二部屋に別れていた。

 ザムたちは薄暗い廊下を進む。廊下はなんとか二人がすれ違える幅しかない。

「こちらです」

 案内された場所は、一階の端にある部屋だった。中に入るとやけに薄暗い。部屋は広いのだが、壁に設置されたランプが少なく、反対側の壁もよく見えない。

「カルル、ここが王城の晩餐会をやる部屋なのか?」

「何度かしか王城の晩餐会に来たことないけど、たしか違う場所だったと思う。それに、椅子もテーブルも無いし……」

 暗闇の奥から人の姿が現れた。それは謁見の際に見かけた王族が数人と、武装した騎士が十数人。剣呑な目で二人を睨んでいる。

「ここが晩餐会の会場か?」

「誰に口をきいている、卑しい下級氏族が!」

 王族の一人が顔を歪めながら、ザムへ憎しみを込めた目で睨む。他の王族も、歯軋りせんばかりの表情だ。その危険な雰囲気に、カルルは思わずザムの背に隠れる。

「カルル・ウズ! 貴様はなぜここにいる!」

「それはさっき説明したよな。もう生贄になる必要は無いんだって、さ」

「信じられるかそんなもの!」

 叫ぶ王族たちを、ザムは呆れた目で見回す。

「それで、俺たちをどうする気なんだ」

「カルルをこちらへ渡せ。そうすれば貴様の命だけは助けてやる」

「カルルをどうするつもりだ」

「決まっている。ドラゴンの生贄にするのだ」

 思わず二人の目が点になる。

「いや、だからカルルは生贄になる必要は無いんだって。それに、ドラゴンが人を傷つけることは禁止されてると、あの親書に書いてあっただろうが」

「あんなもの偽物に決まっている! 貴様らがでっち上げた代物だ!」

「我が国の何万倍も巨大な大地だと、そんなものが存在するかっ!」

「ドラゴンが人の言葉に従うなどありえんわっ!」

「貴様があのドラゴンと口裏を合わせたのだろうが!」

 口々に叫ぶ王族たちに、ザムは辟易とした表情を向けた。

「……人の言葉に従わないはずのドラゴンが、俺と口裏を合わせるって、矛盾してないか?」

 疲れた顔で首を振るザム。その姿に馬鹿にされたと感じた王族たちはさらにいきり立つ。

「いいからカルルを置いていけ!」

「お前ら、これはちゃんと許可を取っての行動なのか」

「あんな腰抜けどもの意見など必要ない!」

「もしも相手の機嫌を損ねたらなどと、意味の無いことを言いおって。すべてコイツらの虚言だとなぜ気付かないのだ!」

 この王族たちは最初から親書の内容は嘘であると信じていた。その原因は、彼らがドラゴンの姿となったファーラを見ていなかったからだ。先日飛んできたドラゴンの姿を見ていた者は声を荒げる彼らをたしなめたが、実際に見ていないためその言葉は届かない。謁見の間で彼女が炎を口から吐いていた所は見ていたが、その間違った認識を正すことはできなかった。

「……言っても無駄か」

「とにかくソイツをこちらへ渡せ! 秘密がばれる前に生贄にしなければならんのだ!」

「秘密?」

 カルルの肩がビクリと震える。王族は思わず口がすべったという表情だ。

「……カルルの氏族には男の子が産まれなかった。そこでそのカルルを女でありながら男と偽り育てていたのだ」

「カルルが女だと……そんな馬鹿な」

 ザムが困惑した顔で見ると、カルルは目を合わせない。

「それがばれれば、ドラゴンの怒りに触れてしまう。知られる前に生贄にしなければ!」

 ならば他の王族の息子を生贄にすればいいはずだが、戦争によって残っている者はペガ家側だけだった。内乱終結寸前に生き残った唯一のウズ家の子を探してみれば、それがまさか女だったのだ。このことで混乱と長い話し合いが持たれたが、誰もわざわざ自分の息子を生贄にしようなどとは思わない。そして一か八か、カルルを生贄にすることが決まったのだ。

「早くこちらによこせっ!」

 王族の男が一歩前に出ると、カルルはザムの服を指先で握る。

「嫌だね」

 ザムが言うと、王族の目が不快そうに歪められる。すると戦士たちが二人を包囲するように移動し、剣を構えた。ザムは冷徹な瞳で周囲へ目を走らせる。

「……どうするつもりだ」

「抵抗するなら仕方がない。カルルは生かして捕まえろ。そいつは殺せ」

 戦士たちは剣を振りかぶり、二人へ向けて飛び出す。ザムは背にカルルを庇い、腰の剣を抜いた。

 気合の声を上げて斬りかかる戦士の剣を、ザムは切り払う。剣を弾かれた戦士は、手の中のそれを見て目を見開いた。剣の長さが半分ほどになっていたからだ。

 ザムが構えている剣は、こちらへ来る前にオルラドから渡された鉄製の剣だ。強靭で鋭いそれは、戦士の持つ石製の剣を切断する。

 続けて襲い掛かってきた戦士二人の剣も、ザムは切断して見せた。それに誰もが驚愕の目を向ける。

「この剣を見ても、あの親書が嘘だと言えるか?」

「なにをしている、全員でかかれ!」

 それを合図に戦士たちが襲いかかろうとした瞬間、ザムはカルルを突き飛ばした。その先には剣を構えた戦士。自分へと向かってくるカルルの体を、思わず受け止めようとする。

 その瞬間、ザムは動いた。カルルの受け止めようとした戦士へ一瞬で肉薄し、その体に強烈な当身。どれほどの衝撃だったのか、その身が後ろへ吹き飛ばされた。

 突然のことに誰もが一瞬動きを止めた。その隙に倒れこんでいたカルルの体を肩へ担ぐと、ザムは扉を蹴破る。そして外へ飛び出した。

「に、逃がすな!」

 ザムは廊下を全速力で駆ける。人を担いでいるとは思えない速さだ。

 前方に戦士が立ちはだかった。ザムたちを案内した男だ。剣を両手で構え、ザムの胸めがけて突き出す。それを剣で滑らせるようにして防ぎ、すれ違いざまに腕を切りつける。戦士の口から悲鳴がほとばしった。

「ザ、ザム!」

「口を閉じてろ。舌を噛むぞ」

 カルルを担いで走るザムを見て、目を丸くさせている使用人を弾き飛ばす。途中で廊下が左右に分かれていた。そこで立ち止まる。

「どっちだと思うか」

「わ、わからないよ」

「そりゃそうか。ファーラ達と合流したいんだが。そうすれば簡単に逃げられる」

 左へ向かうと、曲がり角から戦士の集団が姿を見せた。慌てて反対側へ走る。後ろから誰何する声がしたが、無視して走った。

 何度か廊下を曲がり、避けることができそうにない戦士たちを幾人か気絶させる。そうしているうちに自分たちがどこにいるのか分からなくなってしまった。

 廊下の前後から声が聞こえる。曲がることができる道は無い。近くにあった扉に手をかけると鍵がかかっていなかった。その中に素早く入ると、扉を閉じて鍵をかけた。室内は狭い物置で、明かりが無く真っ暗だ。

「ふう」

「……ザム、下ろして」

 肩からカルルを床へ下ろすと、ザムは扉へ体を密着させた。外から聞こえる音と気配を探る。

「行ったか……さて、どうやってファーラたちを探すか……」

「ザム……」

 今後の計画を真剣な表情で思案するザムへ、カルルはおずおずと声をかけた。

「どうした」

「私が女だって聞いて驚かないの?」

「そんな事か。王族や貴族の間では、後継者が産まれるまでそういうことをする場合があると聞いたことがあったしな。それに、お前が男だろうが女だろうが、俺には関係ない」

 にべもない言葉にカルルは絶句する。

「気にするのは俺より自分だろ。お前は男して育てた親を恨んでいないのか」

「……恨んでなんかないよ」

 両親は、カルルが自由に女性として過ごせないことを常に悔いていた。その埋め合わせとして多くの衣装を買い集め、人目の無い自宅内では常に女性の服装を彼女へ着せている。その姿を見せると両親が喜ぶので、カルルは幼少のころ何度も一日に衣装を変えていた。

 カルルの髪の毛を長く伸ばせない事を、母親は泣きそうな顔で何度も謝っていた。綺麗な髪の毛なのにごめんね、と、くり返された悲しげな声を彼女は思い出す。

 次に浮かんだのは父親とペガ家の追っ手から逃げていた時だ。結局捕らえられ、カルルは泣きながら父親へ手をのばす。殴られて血まみれの父親は叫んだ。「その子は女だ! ドラゴンの生贄にはできはしない!」その言葉を聞いた王族は顔色を青くした後、怒りで真っ赤になると父親を剣で貫いた。叫ぶカルル。口から血を吐きながら彼は言った。「ごめんなカルル……生きて……」そこで事切れた。

「……私のこと、いつも大切にしてくれた。私を、最期まで……」

 唇を噛みしめて涙を浮かべるカルル。それを見ていたザムは、不意に誰かの視線を感じた。それは壁に開いた小さな窓からだった。

「カルルって女の子だったのー」

 それは間延びした聞きなれた声。暗闇の向こうで、わずかに瞳が輝いていた。

「ファーラか!」

「え。ザムさんそこにいるんすか?」

「ニドレフ、お前もいるのか。どうしてここに」

 ニドレフの話によると、部屋で待っていたが一向に晩餐会へ呼ばれず、そうしていると急に城内が騒がしくなった。何があったのかと何気なく口にすると、ザムとカルルが鬼ごっこしてるとファーラが言い出したのだ。

 聞くとしばらく前に部屋からザムたちが出て行ったというのだ。なぜそれが分かるのかというと、ドラゴンの五感は人間何十倍もあるからだった。においと音でこの城内程度なら簡単に把握できる。

 そして違う場所へ行った後、ザムたちは複数の人に追いかけられているらしい。ファーラは鬼ごっこと言ったが、絶対にトラブルがあたのだとニドレフは把握した。

「それでファーラさんにザムさん達の居場所を探ってもらったら、この場所へたどり着いたってわけっす」

「そっちは外なのか? 人がいるのか?」

「そうっす。人は城の入り口に多いみたいっすね。なんか松明を用意してるみたいで、それが準備できたらこっちに来るかもしれないっすね」

 それを聞いてザムは考えた後、決断した。

「よし、ファーラ。この壁を壊してくれ。その後ここからファーラの背中に乗って脱出する」

「ええっ! 何でっすか」

「ここにいたらカルルがまた生贄にされる。下手したら殺した後に生贄として持ってくるかもしれないな」

「……殺しちゃったら、生贄じゃなくると思うっす」

 そうかもしれないなと思いながら、ザムはファーラへ壁を壊すように頼む。すると、ファーラは人間の姿のままで壁をぶち抜いた。ドラゴンに変化すると思っていたザムはあっけに取られた。

 が、その音で人が集まってくるのは時間の問題。すぐにドラゴンへ変化してもらい、真っ暗のなか苦労してファーラの背中へと登る。多少時間がかかったが、無事に全員登ることができた。

「あ、光の魔石持ってたの忘れてたっす」

「先に思い出せよ!」

 ニドレフが光の魔石を使う。眩しい光に、暗闇になれた目が焼かれた。それもすぐに慣れる。ここは城の裏手にあたる。ザムが周囲を確認すると、松明の炎がいくつもこちらへ向かってくるのが見えた。

「ファーラ、行けっ」

 ドラゴンの翼が空気を叩く音と共に、その巨体が地面から浮き上がる。その風を受けた人々から悲鳴があがった。いくつもの松明が突風で消えて混乱が広がる。

「きゃああっ!」

 悲鳴をあげるカルルをザムはしっかり片手で抱き寄せる。

「掴まれ!」

 落下防止のための命綱は無い。ザムはファーラの背中にある棘に、右腕だけで抱きしめるように掴まる。

「ファーラ、もっと速度を落としてくれ!」

『なにー? 聞こえないー?』

「速度を落としてくれ!」

 命綱も無いまま星明りしかない暗闇を高速で飛ぶのは、それだけで心臓が止まりそうになるほどの恐怖だった。カルルは言葉も無くザムの体に抱きついて震え、ニドレフは止まることなく口から言葉にならない悲鳴をあげている。

 ザムは肩越しに後ろを振り返ったが、王城の明かりはすでに遠く、芥子粒のようにしか見えない。顔を前に戻すと、そこは夜の暗闇しかない。夜明けはまだ遠かった。

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