11

 部屋へ戻ってきたカルルは、窓際に置かれた椅子に座って外を見ながらため息をこぼす。

「はあ……」

 すでにカルルの精神はだいぶ参っていた。昨夜熟睡して回復した精神力が大幅に削り落とされてしまっている。

「はあ……」

 何度目かわからないため息が出る。と、ドアをノックする音が聞こえた。ドアを開ければ見知った顔だ。

「……少し、外でもいくか」

 建物を出ると広い庭だ。建物の裏側だと言うのに手入れは行き届き、綺麗に刈られた芝と木の緑が目に美しい。

 カルルは先を行くザムの後ろをついて行く。目的地は知らない。ちらりと後ろを見ると、付かず離れずの位置にメイドが一人いる。おそらく監視だろう。

 石畳の道は両側に緑の生垣が続いていた。背の低いカッルルには少し高く、向こう側が見えない。その先には植物で作られたアーチ。それをくぐって見えた光景に、思わずカルルは歓声をあげた。

「うわ……!」

 広がっていたのは花畑だ。レンガで造られた長方形のプランターに色とりどりの花、柵で区切られた人工的な丘のには計算された量と色の花々が咲き誇る。自然とは違う人の手で作られた美しさだ。

 小走りで駆け寄り、笑顔で周囲を見回すカルルを見てザムは小さく笑う。

「クク。まるで幼い娘ようだぞ」

「いや、だってこんなに一杯の花なんて見たこと無いよ!」

 目を輝かせながら花びらを指で触れた。軽く押すとその反動で花が揺れる。その様子に顔を綻ばせた。

 その隣に立ち、ザムは遠くを見る。と、カルルの雰囲気が変化したのを感じ、ザムはそちらへ目を向けた。カルルの目は過去の悲しみを見ている。

「お母様は花が好きだったんだ。白くて小さい花。ツメイロクサっていうんだけど、知ってる?」

「花の名前は残念ながら知らないな。見たこともほとんど無い」

「そっか……本当に小さくてね。でもそれがたくさん集まって咲いているのは、すごくキレイなんだ。子供のころはよくツメイロクサが咲いてる場所にお母様と、お父様も一緒に出かけたんだよ……」

 二人は無言。ザムはカルルではなく遠くへ目を向け、カルルはただプランターに咲く花を指で撫でる。

「お母様は私のことを、ツメイロクサみたいに可愛いって言ってくれたんだ」

「男相手にかわいいは無いよな」

「……そうだね」

「……母親は、内乱で死んだのか」

「ううん。私が七歳のとき。風邪をこじらせちゃったみたいで」

「そうか……」

 花の前に並んで立つ二人は、はたから見ると可愛らしい子供だ。しかし実際はたった一人生き残った王族と、身分階層の最底辺である男。楽園のごとく整えられた花畑には全く似つかわしくない存在だった。

 それを自覚している男は、そんな自分を嘲笑い、だからこそ言う。

「何もかも失ったけど、まだ生きてるし死ぬ必要も無くなった。だったら生きるしか無いんじゃないか。それとも、ペガ家の連中に復讐したいか?」

 カルルの脳裏に父親の最後の姿が思い浮かぶ。顔を腫らし、血を流しながら伝えられた最後の言葉。

「……ううん。復讐する気は無いかな。ザムはどうするの」

「とりあえずはあのオルラドってやつについて行くって感じだな。俺はなぜか魔法が使えるみたいだからな、これであいつと交渉だな。向こうに戻っても殺されそうだし、できればこっちで暮らしたい。メシも美味いしな」

「たしかにそうだね」

「お前もこっちで保護してもらえるように頼んでみたらどうだ。無碍にはしないと思うぞ」

「うん。考えてみるよ」

 カルルは薄く唇だけで笑った。


 昼食を食べ終わりまったりしていると、オルラドが姿を見せた。朝と同じように会議室へ向かう。

「今度はどんな話だ」

「明日お二人には、ベレロ国へ戻っていただきます」

 ザムの目に剣呑な光が浮かぶ。右手が剣の柄へのびる。

「俺たちを追い返すってことか」

「いいえ、違います。私たちドラゴニア共和国からの親書を届けていただきたいのです」

「親書だと?」

「はい。ドラゴニア共和国はベレロ国と対話し、将来的には国交と貿易を行いたい旨を親書にしたためてあります。これをベレロ国の王へお渡ししてもらえませんか」

 思いがけない提案にカルルは目を丸くさせ、ザムは険しい顔で腕を組む。

「俺はカルルを生贄として連れて来たんだが、それが一緒にいるとなると逃げ帰ってきたと思われて、命令違反の罪で処刑されるんだが」

「そのあたりも親書へ書き記してあります」

「しかし、それだけだとな……でっち上げた偽物と思われる可能性が高い。問答無用で拘束、または殺されることもありうる」

「そのあたりも考えてあります。つまり、説得力があればいいのですから」

「説得力?」

 オルラドが視線を向けた方向へ、ザムたちも顔を向ける。その先にいたのは、眠たそうに船をこぐファーラの姿。全員の視線を感じたのか、薄目を開けた。自分を見つめる顔を不思議そうに見回した。

「つまり、ファーラと一緒に戻るってことか」

「ええ。これで説得力が無いはずがありませんからね」


 翌日の早朝、先日ここへ来た際にドラゴンの姿のファーラとともに降り立った広場にザムたちの姿があった。

「準備はいいか」

 ザムはじぶんの荷物を確認しながら振り返る。そこには小さく頷くカルルと、眠そうなファーラとニドレフの姿があった。ファーラは立ったまま船をこいでいる。

 彼らから少し離れた位置にオルラドが立っていた。ゆっくり近づいてくると、カルルへ大きめの封筒を手渡した。高級な紙で作られ、封蝋がしてある。押されているのはドラゴニア共和国の紋章であるドラゴンの姿だ。

「こちらが親書になります。これをベレロ国の王へお渡しください」

 オルラドの顔はすこしやつれていた。徹夜でこれを書き上げたからだ。それだけが原因ではなく、大陸中央政府へ持っていく報告書なども書いていたせいでもあった。

 カルルは真剣な表情でそれを受け取る。

「カルルは絶対それを落とさないようにしろよ。なにしろ空を飛んでいくんだからな」

 時間短縮のためベレロ国へは、ファーラの背中へ乗って空を行くこととなった。

 こちらへ来たときの恐怖を思い出して、空の旅をカルルは一度拒否した。しかしオルラドの説得に折れ、承知する。

 オルラドが語ったのは、なるべく早くベレロ国へ実情を伝え、国の情勢を落ち着かせることの重要性だ。ザムが聞いた噂によれば内乱が起こる可能性がある。そんな状態では正常な国交が行えるとは思えない。

 しかし、だからと言って簡単に国内を落ち着かせるのは不可能と、ザムとカルルは口を揃えた。それを可能だと言うオルラド。

 その方法とは、魔石の貿易だ。原石はドラゴニア共和国が提供し、それにベレロ国で魔法を入れて輸出する。その魔石はドラゴニア共和国が一括して買い取る。

 魔石の予想販売価格をオルラドは伝えたが、貨幣経済を知らず金額の価値が理解できないザムとカルルは首をひねるだけだった。しかし、魔石一個で小麦がどれほどの量が手に入るか説明すると、二人は目と口を大きく開く。

 魔石を定期的にある程度の数輸出することが出来れば、ベレロ国は少なくとも民が飢えることは無くなるのではないか。そう思えるほどの量だ。

 だが、今度は魔石の利権をめぐって争いが起きるとも考えられる。その対策もオルラドは考えていた。

 魔石を作るにはまず原石が必要となる。見た目は水晶に似ているが別物だ。ザムとカルルに確認したが、今のところベレロ国では原石は発掘されていない。将来的にはわからないが、現在のところ原石は外国から輸入しなければならないということだ。

「そこで取引するのです。原石は安く提供しますが、もし政情不安などが起こった場合は安定的な供給が見込めないのでそれを停止します、と」

 魔石があったとしても、それは宝の持ち腐れとなってしまう。ベレロ国の住民たちは魔石に込められた魔法が使えるのだから。

 その説明に納得したザムとカルル。だがオルラドにはもう一つ目的があった。それは他国に知られないようにベレロ国と接触することだった。

 まず三百年前のドラゴンとの因縁がある。これが本当に三百年前の出来事で、生贄を求めたドラゴンがすでに死亡しているのなら話は簡単だ。しかしそうでは無かった場合、非常に面倒な事となる。

 まず改心したはずのはぐれドラゴンがこの事実を隠していた場合、これはそのドラゴンを処罰すればいい。他国に知られる前に、内々で処理することも可能だろう。

 最悪なのは、はぐれドラゴンではないドラゴンが生贄を欲していた場合だ。これはドラゴンに対する信頼を根底から覆す出来事だ。外国からの非難だけではなく、ドラゴニア大陸に住む人間たちから猛烈な抗議があるだろう。今でこそドラゴンと共存しているように見えるが、それまでドラゴンは天災と同じ扱いだった。その被害のほとんどがはぐれドラゴンが原因だとしても、人間にとってドラゴンは全て恐怖の対象だ。彼らがドラゴンを忌避してしまう事は大いに考えられる。

 世界条約の締結とはぐれドラゴンの駆逐により、それまで大陸で数十ヶ国あった国々の統合が進み、そしてドラゴニア共和国となった。しかし今もかつて国であった枠組みの影響は残っており、中央政府からの要請に拒否や反発をする地域も多い。

 それは、まだドラゴニア共和国の人間という意識が薄いためだ。国があった地域はその名前を取った州として運営されており、そこを治める者たちも以前あった国の貴族たちの割合が多いのも原因の一つである。

 なのでこの問題はうまく対処しなければ、ドラゴニア共和国分裂の憂き目に合うかもしれないのだ。オルラドは冷静そうな顔をしているが、内心かなり焦っていた。一刻も早く中央政府へ連絡し、これが事実なのか、また事実だとすればそのドラゴンは死亡したのか、または生きているのか調査しなければならない。

 だが一方で、これはチャンスだと思っていた。それはザムたちが使っている身体強化魔法と、それで製作できる魔石だ。これを大量生産し、これを専売することができれば大きな利益になる。

 ドラゴニア大陸は世界のほぼ中心にあり、放射状に他の大陸が存在していた。そのため海洋貿易の中継地点として現在も栄えているが、その反面問題となる部分もあった。輸出商品の少なさである。

 現在の主な輸出商品は食料。遠い大陸からやってきた貿易船はドラゴニア大陸で消費した食料を購入し、自分たちの故郷へ戻る。または食料を積んで別の大陸へ。大陸は温暖で平地も多く、農耕に適した場所だ。広い農地で多くの作物を育てることが可能で、かなりの量を輸出しているが、それでも食料自給率はまだまだ余裕がある。

 しかし、それ以外が無い。例えばマーマンたちは水の魔法が使えるため、なんと魚を生きたまま船で持ってくることが出来る。エルフであれば森にある貴重な薬草、ドワーフならばその神業で鍛えられた武具など。しかし、ドラゴニア大陸にはそんな物も、優れた技術を持つ集団はいなかった。さらに彼ら魔人は魔法が使え、魔石を作り売ることが出来る。しかし人間には魔石を作ることも出来ない。

 そこへ降って沸いたチャンスだ。これを逃すわけにはいかなかった。

 まず外国に知られる前にベレロ国と接触し、協力を取り付ける。これは地理的なこともあり、うまくいくと思われる。なにしろベレロ国はドラゴニア共和国にある島の内陸にあるのだから。オルラドとしてはベレロ国を共和国に入れてしまうのが最善だと考えていた。それはいきなりは無理であり、そもそも判断するのは中央政府だが、数年後にはそうなると彼は予想している。

「……なんで俺も行かなくちゃならないんすかね……」

 ニドレフが心底嫌そうな顔で大きなため息をつく。

「あなたはお二人の護衛です。それにドラゴニア共和国の代表者も必要ですから」

「それならオルラドさんが行けばいいっすよ」

「私は中央政府へ行かなければ行けません」

「だったら、ファーラさんだけで」

「ファーラ様はドラゴン代表という立場ですね。それに……ファーラ様にそんな役目が果たせると思いますか」

 二人はファーラへと顔を向ける。彼女は大きなあくびの後目をこすり、再び立った状態で船をこぎはじめた。どちらもしばらく口を開かない。

「……無理でしょう? なのでお願いします。なに、難しいことはありません。カルル様と……ザム様がきっとうまくやってくれます」

 オルラドはファーラに近づいて声をかける。

「ファーラ様、起きてください」

「うん……ふぁーあ。ねむいー」

「もう出発する時間です。変化してください」

「ふぁ……わかったよーう」

 ファーラの全身が光り輝き、それはあっという間に見上げるような大きさになる。光が消えると、そこには巨大なドラゴンが出現した。

『変化したよー。ふぁあ……』

 ファーラは地面へうつ伏せするように姿勢を低くする。背中へ上りやすくするためだ。

 ザムとニドレフはするすると簡単にファーラの背中へよじ登った。カルルはというと、上から垂らされたロープを体に括り、上から引っ張り揚げてもらう。ゆらゆらと不安定に揺れながら高い場所へ上がっていく恐怖に、カルルの顔色は青くなる。やっとファーラの背中までたどり着くと、安堵でへたり込んでしまった。その様子を気にもせず、ザムとニドレフは飛び立つ準備を行う。

「ロープはちゃんと結んだか? きつさは大丈夫か?」

 ザムは肩越しに後ろを振り返る。すぐ近くにカルルの顔があった。カルルの顔色はまだ若干青いが、今すぐどうにかなるような状態では無い。

「親書は絶対に落とすなよ」

「はい」

 カルルは前に回した革製の肩掛け鞄を抱く腕に力を込める。

 背中に乗った三人の並び順は、前からザム、カルル、ニドレフだ。前にザムたちがいるのは、ベレロ国の王都へ向かう方角を指示しなければならないからだ。

『じゃあ、いっくよー』

 ファーラは大きく翼を動かす。猛烈な風が起こりドラゴンの巨体が宙へ浮き、猛烈な砂埃が舞う。

 オルラドは腕で顔を砂から守りながら、上昇してゆくファーラたちへ叫ぶ。

「どうぞご無事で。良い知らせを待っています」

 それに返事は無く、みるみる姿は小さくなっていく。ある程度の高度へ達したドラゴンは、一気に前へ飛び出すと青空を横切っていった。それを見送るとオルラドは振り返る。

「さて、私も行くとしましょうか」


 ザムたちは雲より少し下を飛んでいる。

 上空は寒く、また吹き付ける風は容赦なく体温を奪う。なのでファーラの背中に乗る三人は厚手のマントを身にまとっていた。さらにマフラーで口元まで覆っていたが、やはり寒いものは寒い。顔に当たる風は強烈で、目を開けるのも困難だ。

 背後から回された腕に力がこもることを感じ、ザムは顔だけを後ろに向ける。目を必死に閉じたカルルが、震えながら強く抱きついていた。安心させるようにザムは腰に回された腕を軽く叩く。

 飛び立った場所はすでにはるか後方だ。空を飛ぶ鳥よりも速い。昼ごろにはキリス山、ベレロ国では死すら通れない場所と恐れられている、外界とベレロ国を遮断する険しい山脈の前まで到着した。一旦地上へ降りて休憩する。

「もうこんな場所まで来たのか」

 改めてドラゴンの規格外さにザムは言葉を無くす。しかしカルルはそんなことを思う余裕は無く、寒さと恐怖でガタガタと体を震わせていた。

「ちょっとまってくださいっす。すぐに火を起こすっす」

 ニドレフは何かを取り出す。それは魔石に短い棒が付いている物だ。棒の部分をつまんで枯れ木に近づけると、一瞬魔石が輝いて小さな火がともる。それで枯れ木に火をつけた。

 それを見てザムは感心した声を漏らす。

「それが魔石か。便利だな」

「これは着火用の魔石っす。魔石が小さいっすから安いんすよ」

「大きな魔石だと何か違うのか?」

「込める魔法の量が多くなるっす。これはこの程度の小さな火しか出ないっすけど、攻撃用の魔石なら大きな火の玉を飛ばしたり、勢いよく炎を吹き出したりできるっす」

 ニドレフが持つ魔石の大きさは指の先ほど。これが拳大の大きさになれば攻撃用の魔石として使える。とは言っても魔法が無限に使えるわけではなく、魔石に込められた分しか使用することはできない。およそ三回分ほどだ。節約すれば回数は増やせるが、そのぶん威力が小さくなってしまう。

 ザムが魔石を貸してくれるように頼むと、ニドレフはそれを渡す。魔石についている棒を指でつまむ。この棒は魔石から出る火で火傷しないために付いているのだ。

 ザムが魔力を込めると、魔石に火がともる。

「これは便利だな。火打石よりずいぶん簡単だ」

「……これはどこでも使ってるもんなんすけどねえ。火打石なんて誰も使ってないっすよ」

 これから行くベレロ国とはどんな場所なのかと、ニドレフは呆れるとともに不安を覚えた。

「ねー、ごはんまだー?」

 空腹のファーラが恨みがましそうに見ていた。姿は人に変化している。

 ニドレフはいそいそと鍋を用意し、そこに皮袋で持って来たスープを入れて火にかけた。温まるのを待ちきれないという様子で、ファーラは鍋を覗き込む。

「……」

 カルルは三人からやや離れた場所で岩に座っていた。膝を抱えて、その視線はどこを見ているのかわからない亡羊としたものだ。

「どうした」

 隣へやってきたザムが声をかけるが反応しない。

「やっぱり戻るのは嫌か」

「……そういうザムこそどうなの? 戻ったら殺されるかもしれないのに」

 ザムたちはドラゴニア共和国からベレロ国への親書を運んでいるが、これが本物だと王や王族たちが信じるとは限らない。なにしろこれまで一国の中だけで完結していた世界なのだ。外国の存在など知らず、海の向こうに自分たちの国の何万倍という大陸があるなど夢物語でしかない。

 その証人としてファーラとニドレフがいるのだが、それもどうなるかわからない。あちらにしてみればカルルはドラゴンの生贄であり、ザムは命令に違反して戻ってきた罪人でしかないのだ。

 不安と不満を込めた目をカルルが向けると、ザムは小さく笑った。

「その程度の事なんかもうどうでもいいさ。ドラゴンに会いに行く時点で命の危険があるなんて分かりきった事だ。それが今じゃドラゴンの背に乗って空を飛び、一緒に飯を食ってるんだぜ。それに、前はベレロ国だけでもとんでもなく広いと思ってたが、それを比べるのも馬鹿らしい世界を知ったからな」

 広大だと思っていたベレロ国は、小さな島の一部分でしかなかった。しかしその島は、大陸の何百分の一でしかない。ザムは王や王族たちに対して畏敬や畏怖は少ないが、それでも国を統べる者としていくらかの思いはあった。それがだ、彼らが支配し傍若無人に振舞う世界は、あの大きな世界地図で見れば爪の先ほどでしかないのだ。それを知ってしまった今となっては、たとえ王だとしても威張る姿は滑稽に感じてしまう。

「そうかもね。でも、こっちの話を聞いてくれなかったらどうする?」

「その時のためにファーラがいるんだろ」

 オルラドはドラゴン状態のファーラに乗って王城まで直接向かうことを提案した。それはドラゴンの姿を見せつけることで親書の信憑性と重要性を知らせると共に、カルルとザムの身の安全のためだった。ドラゴンと仲が良いところを見せれば、ベレロ国の者たちが彼らに危害を加えようとは思わないと考えたからだった。

「そうだけど……もしドラゴニア共和国との対話を拒んだら?」

「まあ、今すぐどうにかならなくても、何度かやり取りすればどうにかなるんだろうさ。オルラドの話によれば、俺たちが作る魔石で大量の小麦と交換できるみたいだし。それを知ったら手の平を返すだろうさ。いいまいち信じられないけどな」

「そういうことじゃなくて、ザムはどうするのかなって……」

 ザムの立場は命令違反をした戦士だ。これが貴族や王族なら別だが、下級氏族は確実に死罪となる。ベレロ国に裁判は無い。法律も無い。権力を持つ王族たちの言葉が、ベレロ国にとって全てだ。一言命じるだけで人一人の命は消える。

「その時はファーラたちと一緒に逃げるさ。オルラドに頼めば何とかしてくれそうだし、それが無理でもあっちのほうがずいぶんマシだ」

 ベレロ国民は絶えず飢餓に襲われている。荒れた土地でなんとか栽培した作物は、ただでさえ量が少ないのに税でほとんどが奪われてしまう。毎年のように餓死する者が出る。子供の生存率も非常に低く、産まれた子供の半分以上が一年以内に死亡した。一度飢饉が起これば村の一つや二つは消滅してしまう。

 そんな場所と比べれば、まさにドラゴニア共和国は楽園と言えた。

「そっか……」

「お前もそうするんだろ」

「えっ!」

 カルルは大声で驚き、ザムへ勢いよく顔を向けた。

「何驚いてるんだ」

「いや、だって……」

「まさかお前、向こうへ戻るつもりだったのか?」

 ザムは心底不思議そうに問いかける。それに混乱しているカルルの姿を見て、呆れた声を出した。

「言い方が悪いが、お前は一人きりだ。ベレロ国へ戻ったところで周りには敵しかいないぞ。そんな状態でまともに生活できるわけが無いだろうが」

 内乱でウズ家の者たちは、徹底的に殺された。知られている係累だけでなく、愛人やその他に産ませていた庶子なども徹底的に調査して。

 これは王族に男が極端に産まれにくいことが関係していた。自ら戦士として戦場に出た男は全て戦死してしまい、幼児は母親らの手で殺められてしまった。新たな子を産ませようとした女たちは自害。こうして公にされているウズ家の男は死に絶えてしまった。

 そうなると残るのは、密かに産ませた子供のみだ。これはウズ家だけでなく、ペガ家でも暗黙の了解で行われている事だった。

 男が産まれる可能性が低いのなら多く産ませるしかない。しかし王族はすべからく身分が高いため、夫婦となるには相応の相手が必要となる。同じ王族家でも氏族には上下があり、その差が婚姻の問題となるのだ。

 男が少ないため、必然的に複数の妻を持つことになるのだが、そこでも妻同士の序列があった。さらに誰が最初に男児を産むかで一悶着があり、産まれた男児が殺害されることも多々あることである。

 それで男児が産まれないとなると非常に困るのは跡継ぎだ。ベレロ国では男しか氏族を後継することができず、後継者が存在しなければ他の氏族へ吸収されることになってしまうのだ。もちろん吸収された氏族のほうが肩身が狭いのが当たり前なので、誰もがそれを回避したいと考える。

 そこで使用人や貴族の娘に産ませた男児を、妻の誰かが産んだ子供にするのだ。王族と貴族には血の繋がりが無いことになっているが、すでに互いの血は昔から混ざり合い、純血の王族など存在していない。

「唯一のウズ家の生き残りであるお前は、はっきりいってペガ家にとって邪魔でしかない。絶対に殺される」

「……」

「ウズ家を再興したいのなら、ドラゴニア共和国に協力してもらうしかないだろう。どうなるかわからないが、男のお前はウズ家党首として認められるはずだ。一代では無理かもしれないが、何代か後には……」

「……それは、無理かな……」

 諦めの声は非常に弱々しい。それにザムは一瞬眉を動かしたが無言だ。

「……お父様に、生きて、って言われたんだ」

 カルルの膝を抱える手が、服を強く握る。

「二人で必死に逃げたんだけど、追っ手に捕まってね……殴られて顔が血だらけで、剣で胸を突き刺されながら……私に、生きてって……最後に、そう言ったんだ……」

 涙をこらえる様に膝へ顔を埋め、カルルは目を強く閉じる。

「……俺は祖父さんだな」

 ザムの言葉にカルルの肩がわずかに動く。

「俺はいわゆる愛人の子でな。父親とはほとんど顔を合わせたことはないが、正妻のほうは仕方がないんだがずいぶん嫌われた。母親は優しかった。けど、まあ冷遇されてたよ」

 カルルはザムの横顔を見る。口元は歪められているが、そこに悲痛さは全く無い。こんな話をしている自分への嘲笑だけが見て取れた。

「でも、そこまで酷いものじゃ無かった。祖父さんがいたからな。祖父さんは何かと母親を守ってくれた。俺もそうだ。祖父さんはいろいろな事を教えてくれた。もしもの時のためにな」

「……それは、後継者として?」

「ああ。勘違いするなよ。俺は王族なんかじゃない。貴族でも底辺に近い。しかも母親は下級氏族だしな」

 貴族は王族と違い男が産まれにくいという事は無い。しかし男の子供がいても病気や事故で亡くなることもある。また権力者という者はその力を自己満足に使用することに躊躇いが無く、それが男であるなら自ずとそういう行為に及ぶものだ。貴族は王族と違い、下級氏族と交わることに忌避感はあまり無い。それどころか弱者を征服する暗い喜びを覚えるだろう。

「だけど、それは俺が十四になるまでだった。祖父さんが亡くなったんだ。後ろ盾が無くなった俺はもちろんお払い箱。ちょうど戦士団の徴兵命令が来ていてな、俺はそこへ放り込まれたってわけだ」

「お母様は……?」

「十歳の時に亡くなった」

「そうですか……でも、それならあなたの方こそ自分が氏族の党首になろうとは思わないんですか?」

 ザムはその言葉を鼻で笑う。

「あんなまともに作物が育たないような領地は、こっちから願い下げだ。それに、もう無いからな」

「無いっていうのは?」

「……俺の父親はウズ家側だったのさ。そして滅ぼされた」

 カルルの表情が固まる。それを見たザムは唇を歪めて笑う。

「お前が気にすることじゃないさ。それが戦争ってものだろ」

 ザムは空を見上げる。カルルも同じように空へ目を向けた。

「祖父さんは俺によく言ってた。死ぬことに価値は無いってな。俺は死んだほうがいいんじゃないのかって聞いたら、鼻で笑ったよ。ワシから受けた恩を返さずに死ぬなどワシが許さん、って。結局返す前に死んだけどな」

「死ぬことに意味は無い、か……」

 その時ニドレフの「メシができたっすよー」というのん気な声が聞こえた。それに思わず苦笑する二人。

「とりあえず、生きていれば美味い飯が食える」

「うん。それに、ドラゴニア共和国のほうが食事は豪華だよね」


 食事が終わると、再びドラゴンの姿に変化したファーラの背に乗り、山脈の上空を飛ぶ。馬車で通ったときは何日もかかったのに、これなら二時間程度で通過できてしまった。

「あっという間ですね……」

「ああ」

 ザムとカルルは呆れながらも、前方に見えたベレロ国を真っ直ぐ見ていた。

 周囲を山脈に囲まれた土地は、ほとんど色が無い。岩山と荒野が目立ち、ぽつぽつと緑が点在するだけだ。最初に上空からこの景色を見たときザムは感動したが、外の世界を知ってしまえばここはただの不毛の地にしか見えない。

 ときおりザムは進む方向を調整してやり、太陽が山脈に触れる程度の時刻になると、目的地である王都が見えてきた。

「……何だ」

 まだ遠い王都を見るザムの目が細められる。しかしカルルとニドレフには遠すぎてわからない。

「何かあったのですか」

「まずいな。すでに内乱になってるかもしれない」

「ええっ!」

 カルルとオルラドが同時に驚きの声をあげた。ザムは真剣な目で前方を睨む。

 彼の目には、王都周辺に存在する多数の人影が見えていた。まるで王都を左右から押しつぶすかのように二つの集団に分かれている。人数の差はあまり無いように見えた。

 集団には掲げられた旗が点在している。旗は氏族を示すもので、それがあるということは、集団の中に貴族か王族の者がいるということだ。

「幸いにも、まだ本格的な戦闘にはなっていないみたいだな」

 王都から煙が上がっていないことをザムは確認してつぶやいた。

 ベレロ国で起こる戦争の主戦場は、王都の中となるのが普通だった。その原因として、王族が全てこの王都に集結しているためである。

 勝利条件として、相手集団の頂点を倒すというのが一般的だ。ベレロ国の戦士団で頂点に立つのは王族だ。その王族がどこにいるかというと、王都の中。

 王都の土地は有限であり、また面積は非常に狭い。そのため王族の屋敷は密集して建てられていて、敵対する王族同士、氏族同士が隣に住んでいるなどという事態に陥ることもあった。そんな場所で争うとどうなるのか、想像するのは簡単だ。

 ならば王都から一旦逃げればいいのではと思うが、そうはいかない。王都の外は生きるのに厳しすぎる土地だ。ずっと王都の屋敷で快適に過ごしてきた王族たちには、全く我慢できるものでない。

 王都がこの場所にあるのは、地下水源があり井戸を掘ることが出来るからだ。ベレロ国で井戸を掘ることができる場所は少ない。その例外が王都で、ここならば掘れば地下から水が出てくる。

 水は人が生きるのに必要不可欠だ。それが豊富にある場所へ住みたいというのは誰もが思うことであり、王族たちはこぞってこの土地に屋敷を構えた。というより、他の場所に住むのが非常に困難であるのだ。

 では戦争になると王族たちはどうするのかというと、屋敷に篭城する。戦闘は配下である貴族たちに任せるのだ。自分は屋敷で身を丸くして、配下の戦士団が相手を撃破し、敵対する王族の屋敷を占領するのをただ待つのみ。王族は誰しも自ら戦おうなどと考えず、剣も鎧も身に着けることなく一生を過ごすのだ。たとえ押し入ってきた戦士を目の前にしても、抵抗することもなく殺されてしまうだろう。

「内乱って、どうすれば……」

「睨み合っている今のうちに王城へ行くぞ。ドラゴンの姿を見れば大人しくなるだろうさ」

 ザムはファーラへ王城に向かって行くように指示した。高度を落としながら王都へ近づいていく。ドラゴンの姿を確認した周囲の人々から恐怖の悲鳴があがる。逃げようとする者たちが続出し、混乱が広がっていった。それを無視して一行は空を行く。

 王城は王都の中心にある。貴族の屋敷が木製であるのに対して、すべて石でできていた。しかし綺麗に切り出された石ではなく、角ばった歪な大小の石を積み上げたもので、見た目は美しいとは言えない。

 王城の前には、なんとかファーラが着陸できる広さの場所が存在していた。そこへゆっくりと降下してゆく。

 ファーラの足が地面へ着き、翼を動かすのを止めると、それまで聞こえなかった喧騒が聞こえてくる。男女問わず響く悲鳴。慌ただしい足音。

 ザムたちがファーラの背から下りても、誰も姿を現さない。

「ファーラはまだ人の姿にならないでくれ」

『どうしてー?』

「ドラゴンの姿なら迂闊に手を出してはこないはずだ」

 三十分ほど経過すると、王城の正面の扉が開き、武器を持った戦士たちが現れる。その顔は全員恐怖で引きつっていた。人数は五十人はいるだろう。その数の優位など、彼らにとって何の意味も無い。相手はあのドラゴンなのだ。

 人垣の向こうから、五人ほどの護衛とともに一人の初老ほどの男が姿を見せた。平静を装っているが、額に浮かぶ汗は誤魔化しきれていない。

「ド、ドラゴン様であられますれば、一体どのようなご用でこちらへいらっしゃったのでしょうか……」

 しどろもどろに話す男にザムは目を細め、カルルへ耳打ちする。

「誰だ?」

「王の補佐をやっているモウロ・ペガ様です」

「……ドラゴン様?」

 自分言葉に反応が無いことに、恐る恐るモウロが声を出す。ファーラは目で質問すると、それを受けたザムは頷く。

「我々はドラゴニア共和国からの親書を持って来た。これを王へ渡し、王族達と話し合って今後どうするか決めてもらいたい。明日のこの時間、またこちらへ来る。その時に返答を貰いたい」

 ザムはそう言うと、ニドレフへ目線を送る。自分を指さして驚きながらも、カルルから渡された親書を持ってモウロへ歩いていく。

 自分たちよりはるかに大きい体を見て戦士たちは身構えるが、襲い掛かってはこなかった。親書を手渡すと、ニドレフは小走りで戻ってくる。

 ザムたちは素早くファーラの背に上がり、体をロープで固定する、その間、誰も近づいてきたり声をかける者はいなかった。

「では明日。良い返事を期待している!」

 そうザムが叫ぶと、ファーラは大きく翼を広げた。巻き起こる風と砂埃に戦士たちは顔を腕でかばう。風がおさまり目を開けると、すでにドラゴンの姿は遠く空へ小さく見えるだけだった。

「これ、うまく行くのかな……」

「心配するだけ無駄だ、カルル。なるようにしかならない」

「でも……」

「いきなりうまくいくなんて、オルラドも考えちゃいないさ。それに、ベレロ国とドラゴニア共和国の取引なんて、俺にはどうでもいいからな。オルラドに恩が売れればそれでいい」

 その言葉に疑問を浮かべるカルルに、ザムはニヤリと笑う。

「そうすれば色々便宜を図ってくれそうだろ」

「……ザムはベレロ国から出てどうするの」

「さあな。俺は戦士しかやったことがないからな。そのあたりもオルラドに何とかしてもらうさ」

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