10

「…………」

 言葉を無くすザムとカルル。特にカルルの顔はひどいもので、色という物が一切無く、見開かれた目は何も映していない。微かに開かれた唇は震えている。

「今日はここまでにしておきましょう。詳しい話はまた明日ということで」

 オルラドが顔を向けると、メイドは一礼してザムとカルルへ近づいてくる。

「彼女たちが部屋へ案内します。今日はどうぞごゆっくり寝てください」

 ザムは一度オルラドを睨みつけると、テーブルにある酒のボトルをつかみ無言で立ち上がる。

 カルルはメイドに言われるがまま、操り人形のように連れて行かれた。

 二人が食堂から出て行き、ドアが閉まる音が聞こえると、オルラドは大きく息を吐いた。「ふうーっ」

「どうしたんすかねえ、二人とも。なんか雰囲気おかしくなかったっすか?」

 能天気なニドレフをオルラドは鋭く睨む。

「まったく……なんて面倒な問題を持ってくるんですか……」

「いや、連れて来たのはファーラさんっすよ」

 いつの間にか眠っていたらしいファーラは、名前を呼ばれたことで目を覚ました。よだれが口からたれている。

「はあ……早く大陸へ確認しなければ。いや、これは直接行ったほうがいいかもしれませんね。最悪の場合も考えられます」

「最悪って何なんすか?」

「国際条約違反による各国からの抗議と、それによる混乱。それならまだ良い方で、もしかすればドラゴンの誰かを処罰する可能性が出てきます」

 それを聞いたニドレフは、頭を押さえて苦悩するオルラドを驚いた顔で見る。

「ドラゴンを処罰って、どうしてそんな事になるんすか? だって生贄は禁止されてるんすよねえ?」

「その通りです。だからこそ、それを破って生贄を捧げよと脅迫したのならば、厳正に対処しなければなりません」

「あれ? でもドラゴンに生贄をよこせって言われたのは、たしか三百年前だったっすよね。だったらもう関係無いんじゃないんすか?」

 ドラゴンが生贄を求めることが禁止された条約は、二百年前に制定された。その時点で三百年前のそれは無効になっているはずだ。

「……それが本当に三百年前の出来事ならば、そうなのですがね……」

「どういうことっす?」

「二人がやってきたベレロ国は外界から隔絶され、文明も遥かに私たちより劣っています。そんな状況で三百年前の出来事が正確に記録されているのでしょうか? 捏造や改変されている可能性があります。もしかしたら三百年前では無く、二百年か百年前なのかもしれません」

 オルラドは固く目を閉じている。

「もしそうならば、今現在生きているドラゴンの誰かが、故意に条約を破り生贄を求めたことになります。それに、本当に三百年前のことだったとしても、その事を誰かが隠していた可能性もあるんです」

 二百年前に国際条約制定反対派のドラゴンたちは、そのほとんどが賛成派のドラゴン達によって殺された。しかしごく少数だが恭順を示して生き永らえた者がいる。そのうちの誰かがベレロ国の生贄を求めたドラゴンであり、そのことを今まで隠していたのかもしれない。

 杞憂であって欲しいが、時に残酷な真実が待っていることはよくあることだ。思わずオルラドは長いため息をつく。

「でも隠していてもすぐにバレると思うんすけど」

「ここは大陸から離れた島です。ドラゴンはまず大陸から出ようとしません。なのでこの事が発覚すると考えなかったのでしょう」

 ドラゴンはこの島をナワバリにしようとは思わなかった。しかし大陸から離れたこの場所は、他の誰からも邪魔されない餌場だと思ったのだろうか。そんな事を考えて、オルラドはさらに強く目を閉じる。眉間には深いしわができていた。

 そこでオルラドはとんでもない事を思いついてしまった。

 ドラゴニア群島の一つであるこの島に人が移住してきて、まだ五十年も経過していない。島の調査もまだ不十分で、そのおかげでベレロ国も発見できていなかった。つまりここでどんな事が行われていたとしても、誰も知ることができず、誰も注意することができない無法地帯であったはずだ。

 もしここがドラゴンにとって格好の餌場だと知っている者がいた場合、二百年以上も自由に人を食らっていたのかもしれない。そうなるとこの島は、人を食うことを禁止された人肉好きのドラゴンたちにとって楽園なのだろう。

「……もしそうなら、そのドラゴンは確実に処刑されますね。まさか生き残った全員がこの事を知っていたとしたら……隔離された場所に生きる人々……まるで牧場……っ!」

 人を食うために人を管理する。人は家畜ではないが、その行為は人を家畜扱いしているのと変わらない。それはまさに奴隷以下の扱いだ。

 今でこそ明確な基準と法律ができたおかげで奴隷たちの死亡率は下がり、無理矢理さらってきた人を奴隷にするようなことは無くなった。しかし違法な奴隷売買や契約を行うものは多く、それが発覚した場合は死罪を免れない。

 現在世界中で奴隷の扱いは厳重に管理されている。なぜなら奴隷も立派な貿易品だからだ。大陸から大陸へ、その大陸にはいない魔人達がやってくる。魔人はそれぞれ固有の魔法が使え、それは様々な恩恵を与えてくれるのだ。

「人を食うだけではなく、家畜のように管理していた……しかも、誰も知らない種族を国ごと……っ! いやいや、早まってはいけない。これはただの想像です。ですが、もしこれが本当だとしたら……国際問題どころじゃないですよ!」

 オルラドは音がするほど歯を噛みしめる。力が入りすぎて体が小刻みに震えていた。その様子をニドレフが困惑した顔で見ていた。

「どうしたんすかあ?」

 あまりにものん気な声に、力が抜けると同時に燃えるような怒りを感じる。

「……ニドレフさん。ザムさんとカルルさんについてのレポートを明日までに三十枚提出してください」

「ええっ!」

 ニドレフは悲鳴をあげた。「ちょっと待ってくださいっすよー」などと懇願してくる声をオルラドは無視して、今後の予定と大陸へ送る文の内容を考える。考えること、書くことがあまりにも多すぎて、無いから手をつければいいのか解らない。

「今日は寝れそうにありませんね……」

 オルラドは立ち上がり、自分の執務室へ向かう。メイドに熱い紅茶を持ってくるように頼んでおく。

「酒を飲まなくて正解でしたよ……まったく……」


 カルルはベッドで布団に包まっていた。しかし目は開いていて、眠る様子は無い。

 部屋は暗い。しかし部屋の隅には間接照明が一つあり、うっすらと周囲の様子が見える。その照明は魔石を使ったもので、メイドに使用方法を教えられたがカルルには上の空だった。先ほどの衝撃から立ち直れていなかったからだ。なのでメイドが照明を操作したのだった。

 カルルはぼうっとした瞳で部屋を見回す。自分がかつて暮らしていた屋敷の部屋より広い。

 広さでだけでなく、壁も家具もベッドも布団も、全てが自分が知っているものより何倍も優れたものだ。王都を出てからこれまで、一体どれだけ自分の常識が覆されたのだろうか。

 カルルは自分の無力さをあらためて感じる。それは幼少のころから知っているものだったが、よりいっそう強く感じた。

 王都から、あの頑丈だけが取り得の馬車の中でずっと一人でいた時を思い出す。あの時もずっとベッドの中にいた。椅子はあったが馬車の振動がひどいので座れたものではないし、だからといって床に座ることも王族という生まれのせいで無理だった。

 しかしもっとも大きい理由は、ただ怖かったからだ。ドラゴンの生贄になることも恐怖だが、それよりも味方が誰一人いないことがより怖いことだった。

 周囲の戦士たちは名ばかりの護衛だ。誰もカルルを助ける気など無い。ドラゴンの元へ行かなければならないという恐怖と苛立ちは、その原因でもあるカルルへ殺気として向けられた。そんな状態で心休まるはずがない。

 それが崩れたのは小戦士長の震えた声だ。恐怖で塗り込められた叫びと共に遠ざかる馬の足音。それに気付いたカルルは頭まで隠していた布団をめくり、ゆっくりと体を起こした。

 馬車の周囲は騒がしい。慌てた声と不安の声がそこかしこで聞こえる。何があったのかと戸惑っていると、さらに複数の馬の足音が遠ざかっていった。そして馬車へと近づいてくる足音。

 カルルは慌ててベッドから下りると、椅子へ腰掛ける。余裕ある表情で。恐怖は見せない。そう決めたのだ。

 馬車の扉を開けて入ってきたのは、お世辞にも身なりが良いとは言えない男だった。髪も肌も服も全てが汚れ、眠たげな目は戦士としての凛々しさなど欠片も無い。

 喋り方も王族を相手にしたものとは思えなかった。しかしそれは恐怖に侵食されたカルルの心を解きほぐす出来事でもあった。

 それも直後のドラゴンとの出会いで帳消しと言えるものになってしまったが。

「……っふ」

 笑いが漏れたことに、カルルは自分で自分に驚いた。

 ドラゴンの事を思い出して笑えることもそうだが、それと同時にザムの顔が思い浮かんだからだ。

 カルルはいま自分が一人きりだということを強く自覚する。あの時から毎日、寝ているときは近くにザムがいた。

 いたからといって何があったわけではない。ただ、たわいの無い話をほんの少ししていただけだ。移動しているときはカルルは馬車の中で、ザムは外にいるので会話することは無い。なので二人が会話した数はそれほど多くなかった。

 それなのにザムの低くぶっきらぼうな声が思い浮かんでくる。そして自覚する。ザムにこれまで助けられていたことを。依存していたことを。

 不意にドアを叩く音がした。

 恐る恐るベッドから下りると、ドアへ近づく。

「誰ですか……?」

「俺だ」

 思いがけない相手の声に、カルルは目を大きく見開くと、ゆっくりドアを開いた。

「ザム……」

「寝てたのか?」

 カルルが首を横に振ると、ザムは唇だけを笑みの形へ変えた。

「そうか。けどな明日からまた大変な気がするから、しっかり寝ておけよ」

「うん……ザム、どうしてここへ」

 そう聞かれたザムはわざとらしく視線をそらすと、後頭部を手で掻きむしる。

「それだけどな……カルル。お前はどう思った」

「どう思うって……」

「生きていていいんだ」

 カルルは一度目を瞬かせる。

「いいか。もう生贄になる必要なんかないんだ。多分お前は諦めてたはずだ。けど、もうそんな必要は無い。お前に生きていて欲しいと思っていてくれた人がいるだろう。思い出せ」

 カルルは大好きな人の顔が浮かぶ。その人は優しい目でただこちらを見ていた。手が自分の頬と髪を撫でたときの感触を思い出す。

「うん」

「そうだ。生きればいいんだ。何も難しいことじゃない」

 二人はただ見つめ合う。しばらくそうした後、ザムは片頬を吊り上げた。

「じゃあ、さっさと寝ろよ。寝坊しても知らないからな」

 そう言ってくるりと向きを変えるとザムは去っていく。

「おやすみ」

 カルルは口の中だけで呟くと、ドアを閉める。ベッドに入ると睡魔はあっという間にやってきて、安らかな眠りへと落ちていった。


 次の日の朝、ザムとカルルはメイドに起こされ、昨日と同じ食堂へ案内される。そこにオルラドの姿は無かったが、ファーラとニドレフはすでに朝食を食べていた。

 二人は「おはよー」「おはようっす」と気の抜けた挨拶をする。それにカルルは「おはようございます」と礼儀正しく挨拶を返した。

 カルルの表情は明るく熟睡できたことが窺える。それを目だけで確認し、ザムは無言で椅子へ座った。

 すぐにメイドが食事を運んできた。籠に盛られたパンと温かいスープに野菜が添えられた目玉焼き。すでにザムたちは驚くことは無くなったが、ベレロ国では考えられないほど豪華だ。普段はパンが一個にスープも一杯だけ。それ以外の料理が出るのは昼と夜だけだった。

 特に会話も無く食事が終わり、食後のお茶を飲んでいるとオルラドがやってくる。

「みなさん、朝食はお済みですか」

「ああ」

「とても美味しかったです」

「それはよかった。ではこれからのことを話し合いたいので、こちらへ来ていただけますか」

 向かったのは昨日と同じ、オルラドの執務室の奥にある会議室。もっと大きな会議室は別にあるのだが、そこは誰でも通ることができる廊下に面しているので、話を聞かれる可能性が高かった。

「ではまず、ベレロ国について詳しく教えてもらえますか。大陸へ送る報告書や陳情書を書くにあたって、情報がまったくありませんので」

「詳しくといっても、私は王族ですが政務に関わっていたわけではないので説明できることは少ないのですが……」

 カルルは眉根を寄せる。ザムは俺に聞くなといった態度でオルラドを睨んでいる。それにオルラドは笑って見せた。

「いえ、細かいところは正式に国交を結び大使をやり取りしてからになりますから、まず大まかなところを知りたいのですよ。そうですね……その王族についてや身分制度、政治形態について教えてもらえますか?」

「では、ベレロ国は王を頂点に、王族、貴族、氏族という身分に分かれています。その中でも家ごとに優劣があります」

「言葉が足りないな。氏族じゃなくて、下級氏族だろ」

 ザムの言葉にオルラドが眉を動かす。

「どういうことですか?」

「本当は王族、上級氏族、氏族だったんだが、俺たちと同じ氏族なのが嫌だったんだろ。いつからか自分たちを貴族、俺たちを下級氏族と呼ぶようになったのさ」

 皮肉を込めた言葉に、カルルは小さく俯く。

「なるほど。それぞれが行っている役割は何でしょうか?」

「王族は政治ですね。と言っても、ほとんどは権力闘争でしかしていません。財政管理や地方自治などは全て貴族へまかせっきりです」

 オルラドは話した内容を羽ペンで紙へ記録する。その速さはほとんど喋るのと同時だ。会話しながらも手は常に動き続けている。

「つまり貴族は領地を管理しているということですかね。それに直接王族が関わることは無いと」

 王族が直接領地経営をしないのは、ベレロ国の土地のせいだった。

 土地のほとんどが荒地であり、人が生きるの適した場所は少ない。王都以外の場所は不毛の大地と言っていいようなものだ。なので王族は誰も王都から離れようとしない。貴族たちには離れた場所にあるそれなりに居住性に優れたわずかな場所を与えることで、彼らに広く荒れた領地と寂れた村々を管理させていたのだ。

「軍を管理しているのはどこなのでしょうか? それとも独立した組織としてあるのですか?」

「軍とは何でしょうか?」

「ええと……国を守るために武力に特化された組織のことです」

「ああ。戦士団のことですね。戦士団はそれぞれの家ごとにあります。そこから各氏族ごとにまた組織されています」

「その戦士団は、自由に人員を増減させることは可能なのでしょうか」

 カルルが頷くと、オルラドの目が細められた。

「……それですと、争いごとが多くなるような気がしますが」

 ザムが小さく笑う。

「ああ、その通りだ。おかげで権力争いや領地問題で昔から大小の戦争が絶えなかったらしい。つい最近もあったばかりだしな」

 吐き捨てるようなザムの言葉。カルルの顔が強張る。

「……どういうことでしょう?」

「……ベレロ国で内乱が起こったのです。それはひと月ほど前に終息しましたが、それにより王族はペガ家のみになったのです」

 王はベレロ国の頂点に立つ一人の男だ。王は王族たちの中から、王族に連なる各家の代表者たちによる選挙で選ばれる。つまり、王族でどこが一番強い勢力があるかという象徴だった。王には絶対的な権力は無く、どのような政策も王族たち過半数の賛成がなければ行えない。また王専用の戦士団はあるが、その人数は五十人ほどであり、武力で全てを押し切ることは不可能だった。

 王族たちは自分の権力増加のため、また私腹を肥やすため、四六時中謀略と闘争に明け暮れたと言っても過言ではなかった。家が手を結んでは裏切られ、合併と併呑により家が消え、戦争により滅ぼされ、また誰かが台頭し独立して王族家が増える。

 それが落ち着いたのは百年ほど前。そのときには残っている王族は二家しか存在しなかった。

「……そして一年ほど前、その二家、ペガ家とウズ家で内乱が起きてしまいました。そして現在、ベレロ国はペガ家のみとなっています……」

 オルラドは考えの読めない無表情で、苦しそうな表情のカルルを見ている。

「たしか、カルル様は……」

「……私はウズ家の人間です……」

「そうですか……」

 沈黙が部屋を包む。いつもしまりの無い顔をしている軽薄なニドレフでさえ、気まずそうな顔でカルルをちらちらと見ている。しかしファーラだけは別だった。いつの間にか寝ている。首を後ろに倒して天井を向きながら寝息をたてていた。その事に誰も反応しない。

「つまり……カルル様が生贄に選ばれたのはそういう理由からだったのですね」

「ちょっと違うな」

 オルラドは眉根を寄せながらザムへ顔を向けた。

「内乱で負けたから生贄になったんじゃなくて、生贄にするために内乱が起こったんだ」

「それは一体……」

「私が説明します……」

 ドラゴンへ生贄を捧げる期限が一年後に迫り、王族たちの間には張り詰めた緊張感が漂っていた。

 王族たちは頻繁に集まり会議をくり返した。議題は『誰をドラゴンの生贄に捧げるか』だ。

「……会議はペガ家とウズ家、どちらから生贄を選ぶのか紛糾しました。どちらも自分たちの家から生贄を選ぼうとは考えず、お互いが叫びあうだけで一向にまとまりませんでした」

「それはそうでしょうね。誰も好き好んで自分の身内から生贄を選ぼうとは思いませんから」

「それだけが理由ではありません」

 カルルの目は悲しみに満ちた瞳をしていた。そこに幾分か自分を罰する思いも浮かんでいる。

「……王族には、男性が少ないのです」

 いつからか解らないが、男児の出産率が異常に低くなったのだ。それは十数人に一人といった具合で、男しか家の後継者として認められていないベレロ国では死活問題だった。男が産まれなければ家が消滅、または他の家に吸収されてしまう。だと言うのにドラゴンへ男を生贄に捧げなければならない。

 生贄の条件として、まだ若い人間というものがあった。しかし若いと言える王族の男は多くない。両家合わせても両手で数えれるほどだ。元々男児が産まれ難く、やっと産まれた後継者はどこも非常に大切であり、生贄に捧げるなどとんでもない事だった。

 ペガ家はウズ家から生贄を出すように迫り、ウズ家はペガ家から出すように迫る。その話し合いがまとまることはなく、やがて恫喝になり、そして戦端は開かれた。生贄とすべく若く幼い男児を奪うための、救いがたい争いの始まりだ。

「それは……」

 オルラドはその先の言葉を思いつかなかった。残念でしたと慰めればいいのか。しかしその原因はドラゴンだ。三百年前の出来事のせいとはいえ、無関係ですとは言いにくい。はぐれドラゴンたちを討伐した際に、きちんと調査しておけば防げた惨劇だったかもしれないのだ。

「その……カルル様のご家族は……」

「……みんな、殺されました……私が、ウズ家最後の人間です」

 オルラドは言葉を無くす。

(そこまで粛清したというのですか! 相手から生贄となる男性がいなくなれば、自分たちから選ばなくてはならなくなるというのに!)

 実はウズ家を滅ぼそうなどとペガ家は考えていなかった。なにしろ生贄がいなくなれば意味が無く、また女性がいなくなれば最終手段として新しく男児を産ませるという方法が取れないからだ。

 しかし若いとは言っても十五歳を越えて成人となった者は戦いに赴き運悪く戦死してしまい、まだ幼児であった者は母親が生贄にされることを良しとせず共に心中してしまった。若い娘たちは無理矢理出産させられる恥辱と恐怖で自ら命を絶ち、それができなかった者は母親や親類たちによって命を散らされた。

 屋敷へ押し入った者たちは絶句する。生贄とすべく幼子を、生贄を産ませるべく娘を奪いに来てみれば、幼子と共に血溜りに倒れ、自ら殺めた娘の亡骸を抱えていた。激昂する男たちは八つ当たりで人々へ剣を振るい、屋敷へ火を放つ。

 こうしてカルルはウズ家唯一の生き残りとなったのだ。

 カルルはつむじがオルラドに見えるほど顔を俯かせている。オルラドはこれ以上話を聞くのは無理だと考え、無言で腕を組んでいるザムへ話を振った。

「ザム様一体どうしてカルル様とこちらへ来ることになったのですか?」

「俺はただの護衛だ。カルル一人で旅するのは危険すぎるからな」

「しかし、なぜあなた一人なのですか。護衛ならばもっと人数が必要かと」

「ほかのやつらは全員逃げた」

 オルラドは目を何度か瞬かせた。

「それはなぜですか?」

「怖くなったのさ。いや、最初から全員怖がってた。なにしろドラゴンに会いに行くんだからな。自分の命が無事だとは思えない。そんな恐怖が途中で爆発した小戦士長が逃げ出した。そうしたら他のやつらも逃げ出したってわけさ」

 口を歪めてザムは肩をすくめる。

「ザム様は逃げなかったのですね」

「それが命令だからな。逃げ帰っても命令違反で死罪になるだけだ。だったら進んだほうがいい」

 ザムとオルラドは見つめ合う。不自然なほど無表情で。お互いがお互いの内を覗き込むように。または自分の内を覗き込まれないように。

「ザムさまは王族なのですか」

 その言葉に虚を突かれ、ザムは一瞬間抜けな顔になった後口の両端を吊り上げて笑った。

「俺が王族に見えるか? ただの下級氏族だ」

「職業は」

「戦士だ。いちおうペガ家のバルキロ戦士団所属になってるが、今はどうなのか解らないな。まあ、どうでもいいが」

「バルキロ戦士団とはどういったものなのでしょう?」

「ん? バルキロ氏族の戦士団ってことだが……そうか。そっちは違うんだよな」

 ベレロ国の戦士団は、大きく見ると王族の戦士団のみで構成されている。まず王族戦士団という大きな枠があり、その中で細かく分かれていく。例えばペガ家戦士団の中に、氏族別の戦士団が存在している。ペガ家・何々氏族戦士団、といった様に。

 さらにその氏族戦士団の下に貴族戦士団がある。貴族戦士団も氏族戦士団単位で分かれている。しかし王族戦士団とは違い、その人数は多い。それは領地の村から徴兵ができるからだ。

 徴兵された者はその時点で戦士団所属となり、自分がいた村へ戻ることはできない。さらに下級氏族の戦士の部署移動は頻繁にあり、国中を移動させられる上に満足な休憩も無いため、主な仕事でもある魔獣などの戦いではなく病気や疲労で死ぬ者も多い。

「……そんな状況でよく反乱が起きませんね」

「貴族たちの戦士団は人数も多いし、装備も実力も段違いだからな。反乱が起きても簡単に鎮圧できるさ」

 オルラドの呆れた声に、ザムは口元を歪めた。

「それぞれの戦士団はどれぐらいの規模ですか?」

「王族戦士団が百か二百ぐらい。貴族戦士団は、貴族だけで少ないところは五十ぐらい、多いところは三百ぐらいか。徴兵した場合は……領地によるな。人数の移動もあるし一概には言えない。ちなみに俺がいたところは貴族が二百、下級氏族が三百ぐらいだった」

「それは氏族戦士団単位ですよね。氏族戦士団は全部で何個あるのですか?」

「そんなの下級氏族の俺に聞くな。カルルのほうが知っているだろう」

 オルラドはカルルへ顔を向けた。

「ペガ家の王族戦士団が八、貴族戦士団が十八だったはずです。総人数は……すいません、解りません。ウズ家は……言う必要はありませんね……」

 再び顔を俯けるカルル。それをザムは全く気にしていない素振りで続けて言った。

「現在の数は正直言って解らないぞ。末端の俺に正確な情報が伝わるはずが無いが、噂程度なら届く。ウズ家からペガ家へ乗り換えた貴族もいるし、戦で氏族長とその息子が死亡して吸収された貴族もいる。まあ激しい戦いだったから、かなり人数は減ってるはずだ。なにしろ国の半分が滅んだようなものだからな」

 カルルの肩が一度震えた。しかし顔を上げない。ザムは苦虫を噛み潰したような顔で、椅子に背をもたれかからせた。

「きな臭い噂もある。ウズ家という外敵がいなくなったから、次の敵は身内ってことさ。仲の悪い氏族が蹴落としあい、新たに加わった貴族と元からいた貴族の間で諍いもあるだろうさ。またすぐに内乱が起きるんじゃないかって話さ」

 二人を見ながらオルラドは脳内で整理する。

(一括管理していないので正確な人数は解りませんね。個人で増減も可能ですし。しかし聞く限りでは多くないようです。徴兵した人々もあまり戦力にはなりませんね)

 オルラドはベレロ国と戦うことになった場合について考えていた。内乱の原因となったドラゴンの事でこちらを攻撃してくる可能性があるからだ。賠償だけですむとは限らない。

(できれば戦争は避けたいですが、どうしようもない場合もあります。しかしそうなったとしても、まず負ける事はないはずです)

 ドラゴニア共和国の全兵力は二十万を超える。それも全て職業軍人だ。それを全てベレロ国に投入することは不可能だが、数以上に武装の違いがある。ベレロ国には弓が存在しないが、ドラゴニア共和国には弓だけでなくクロスボウも存在している。遠距離攻撃ができないということは、一方的に攻撃されるということだ。これは圧倒的にベレロ国にとって不利である。

 しかしオルラドには一つ懸念があった。

「……」

 彼は透明な石を取り出した。それは綺麗にカットされて美しく光を反射している。

「それは何だ?」

「魔石です。ただしまだ何も魔法が入っていない状態の物です」

「魔法が入っていない?」

 意味がわからずザムは訝しそうにテーブルに置かれた魔石を見る。それに興味を引かれたのか、カルルも俯けていた顔を上げた。

「はい。魔石というのはその中に魔法を入れることができるので。入れた魔法によって使える魔法が変わり、光の魔法を入れればこの照明のように光り、炎の魔法を入れれば炎を出せるようになるのです」

 オルラドに言われてザムはその魔石を手に取る。カルルも興味深そうに魔石を覗き込む。

「さて。魔法が使えるのが魔人、使えないのが人間だと説明しました。そこでなのですが……」

 そこで言葉を切ったオルラドへ、ザムとカルルは顔を向けた。彼は何か含みがある目で二人を見ていた。

「お二人は人間でしょうか? それとも魔人でしょうか?」

 思いがけない言葉にザムとカルルは顔を見合わせる。カルルは困惑したように眉を下げ、ザムは小さく笑う。

「人間に決まってるだろ」

「そうですか?」

「当たり前だ。俺たちは魔法なんて使えない」

「本当に?」

 ひたりとザムを見るオルラドの目。ザムはそれを受けて表情を消した。

「お二人と私たちは体格に大きな差がありますね」

「たしかにな。それに何の関係がある」

「私たち人間の平均として、個人差はありますが男性は私とニドレフ程度まで背が伸びます。しかしザム様、あなたは私たちの腰ほどしか身長がありません。人間の子供程です。度それは異常と言っていいでしょう。そして、その剣です」

 ザムは肌身離さず持っている、腰に下げた石製の剣へ目をやる。

「それで魔獣を倒したそうですね」

「ああ。これで何度も魔獣と戦ってきた」

「ニドレフさん、あれをちょっと持ってみてください」

 ニドレフは「俺っすか」と驚きながらザムの元へ向かい、断りをいれて剣を手渡してもらう。

「ちょ、何でこんなに重いんすか!」

 石製の剣は普通の剣の半分ほどの長さだ。しかし重さは鉄製の剣の三倍はあった。ニドレフは実力のある剣士で体は鍛えられているが、この石製の剣を使って戦うのは難しいだろう。

「これ、大斧ぐらいの重さがあるっすよ!」

 片手で振りまわせない重さではない。しかし実戦が可能なほど速く触れることはできないだろう。しかしザムはこれを軽々と扱っていた。そのことを思い出したニドレフは、驚愕の目をザムへ向けた。

「ニドレフさんは優れた剣士です。彼が扱えない武器を、子供の体格でしか無いザム様が楽に扱えるのは異常と言えます。おそらく何らかの魔法を使っているのでしょう」

「ちょっと待て。ならお前は俺が魔人だっていうのか」

「はい。しかもベレロ国の住人全てが」

 荒唐無稽とも思える言葉に、ザムとカルルはただ絶句する。

「その魔石に魔法を入れてみてください」

「そ、そんなこと出来るわけがないだろ。だいたい魔法なんて使えないんだ!」

「魔石を握って、体の中の力を送り込むようにイメージしてください。部屋の照明を使うのと同じ要領です」

 オルラドの真剣な目に折れ、ザムはしぶしぶながら魔石を片手で握る。すると手の中の魔石が輝きだした。

「なんだ!」

「えっ!」

 ザムとカルルは同時に驚きの声をあげる。

「やはりそうでしたか……」

 やがて輝きは消えた。ザムが手を開くと、無色透明だった魔石が色付いている。白と黄色が混ざったような淡い色彩だ。

「色がついたということは、魔石に魔法が入ったということです」

「信じられない……」

 カルルは呆然と魔石を見つめる。

「ニドレフさん、その魔石を使ってみてください。あ、剣は持ったままで」

 ニドレフは左手に魔石を握り、そこから力を引き出すイメージを頭に浮かべる。すると魔石が輝きだした。

「おっ? なんか体が軽いっす。この剣も重たくないっす」

 そう言いながらニドレフは石製の剣を右手一本で振り回す。楽しそうな笑顔を浮かべているが、やっていることは非常に危なっかしい。

「身体能力を向上させる魔法ですか。新しい魔法ですね」

 魔法は魔人の種族それぞれ使える魔法が違うが、似ている魔法はいくつかある。例えばマーマンたちは水を手から出せるが、トカゲに似た魔族リザードは口から水を吐くことができた。数十種類ある魔法の中で、身体能力を向上させる魔法は発見されていなかった。

「これは使えますね……」

 この魔法を求めるのは肉体を酷使する職業の人々だ。土木作業員に船着場の荷物運び、さらには筋肉が衰えてきた老人や魔獣や獣を狩るハンター、そして軍人。

 この魔法を使うだけで、子供が優秀な剣士ほどの身体能力を得ることができるのだ。訓練した剣士がこの魔法を使えば、その能力はどれほど上がるのだろうか。その効果を聞けば、どの国も欲しくて仕方がないはずだ。

「売るとしたらどの程度の値段で……製造数は……いきなり大量に取引してはいけませんね……」

 オルラドがこの魔石をどうやって外国へ輸出するかという事を考えていると、ニドレフが持つ魔石から輝きが消えた。

「あっ。魔法が切れちゃったっす」

「ふむ。使える時間も調査しなければいけませんね」

 そこで呆然としているザムたちに気付く。オルラドはここで話を切り上げることにした。まだ考えることは多いが、情報は集まった。

「ではここまでにしましょう。昼食まではまだ少し時間があるので、部屋で休んでいてください。外出は……街へは無理ですが、屋敷の敷地内なら大丈夫です。その時はメイドに一言言いつけてください。案内をさせますので」

 オルラドが遠話石を使うとメイドがドアを開けた。立ち上がりそちらへ向かうザムとカルル。まだ表情に多少の驚きが残っていた。

 寝ていたファーラを引き摺るようにして運ぶニドレフの姿が消えると、椅子に座ったままだったオルラドは、「さて」とつぶやいて立ち上がる。

「さっそく大陸へ送る文書を考えませんと、ね」

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