エレベーターで異世界に行く方法
気づかないうちに異世界に迷い込んでしまうケースはある。
悠々夏自身も何度か経験している。
しかし、今回のこのエレベーターで異世界に行く方法は、ヤバい気がした。たぶん、彼は戻って来られない。
悠々夏は階段に向かってダッシュした。
特別運動が得意な悠々夏ではなかったが、この時は確実に、ボルトよりも速かった。2階、3階、4階、くるくると階段を上り、5階に着くと、飛び蹴りの要領でエレベーターフロアに飛び込んだ。その時ちょうど扉が開き、悠々夏の革靴の底が、青年の頬に突き刺さった。
「もう、なんだよいきなり」
青年は口の端から血を流していたが、悠々夏はスルーすることにした。2人は1階に戻っていた。
「やっぱりこの検証は危険だから、ここは本職のわたしに任せて」
悠々夏は右手で自分の胸をトンと叩いた。
「本職って、バイトだろ?」
青年は口から血を流しながら疑り深そうな目で悠々夏を見ている。
「見習いってこと。あなたはここで待っててね」
「わかったよ」
青年はかなり不満そうだったが、大人しく引き下がった。
悠々夏はエレベーターのボタンを押し、扉が開くとエレベーターに乗り込んだ。
「やっぱりさ、やめといた方が――」
青年は手を差し伸べようとした。
「大丈夫よ。異世界行ったら写真撮ってくるから、じゃあね」
そう言って、悠々夏は青年に向かってひらひらと手を振った。扉が閉まると、青年は床に座り込んだ。
額には、大量の汗が浮かんでいた。
悠々夏は、スマホで手順を確認しながらボタンを押し、階層を移動した。
たぶんだけど、異世界に行くには、行きやすい条件となる場所と、行きやすい性質を持った人がいる。ガーネットが言うには、わたしは行きやすい性質を持っているらしい。おそらくあのアホ学生もそうだ。自分で気づいてないだけだ。だから何かに引き寄せられる様に、わざわざあんなインチキくさい占いの館なんかに足を運んで来たのだろう。
10階に着いた。これで5階に行けば、女の人が乗ってくる、はず。悠々夏は少し震える指先で5階のボタンを押した。階層が、9、8、7と徐々に下がっていく。6、5。着いた。ポン、という音がし、扉が開く。
きた……
そこには、腰まである長い黒髪をした、赤いワンピースの女が立っていた。女は何も言わず、エレベーターに乗り込む。なぜか、女は俯いているわけではないのに、どんな顔をしているのかわからない。女は箱の奥まで行き、背中を向けたまま立ち止まった。悠々夏も何も言わず、1階のボタンを押した。すると、エレベーターは下がることなく、上の階へ上昇を始めた。
成功した――
6、7、8、9、10階。ポン、という音が鳴り、扉が開く。
悠々夏はゆっくりとエレベータを降りた。
エレベーターの扉は閉まり、下に下がって行った。
とくに変わったところのない、無機質なエレベーターフロア。
先に進むと、出口があった。黄緑色をしたガラス張りの扉を押して開け、外に出る。
外は、黄昏時なのか、全体に黄色がかっていた。
高くそびえるビルが、黄金色に輝いて見える。
とても、静かだった。
ずっとまっすぐ続くアスファルトの道路の先に、五重塔のような建物の影が見えた。逆光なのか、黒くなっていてその建物の細部は良く見えないのだが、それは、とても魅力的なものに感じた。悠々夏は、その建物を目指して、決して車が通る事のない道路を、ゆっくりと歩いて行った。
青年は、1階のエレベーターの前で壁にもたれて座り込んでいた。いや、眠りについていた。
ポン、という音で目を覚まし、寝ぼけ眼で顔を上げると、扉が開き、悠々夏が降りてきた。
「あ……」
「待ってってくれたんだ。案外男じゃん」
「いや、それは……」
そう言うと、青年は立ち上がった。
「どうだった?」
「異世界になんて行けなかったよ。あんなのデマ。残念でした」
悠々夏はそう言って、手の平をぱっぱっと振って、そして微笑んだ。青年も、少し安心したように笑った。
2人がビルを出ると、あたりは真っ暗になっていた。風に、夏の匂いがした。
「うーん、生命の息吹を感じるわ」
悠々夏は両腕を夜空に向かって伸ばして背伸びをした。青年はちらっと悠々夏の方を見て言った。
「なんか、すっきりした。ありがとう」
「わかってくれたならいいよん」
悠々夏はそう言って頭の後ろで手を組んでいる。
「お代だけど――」
「あぁ、お代ならいいよ、もうもらったから」
「もらった? 」
今回はヤバかったんだ、おじさんが助けてくれなきゃ戻って来られなかったし。
1億くらいの価値にはならないかな。
悠々夏は異世界から持ち帰ってきたモノを早くガーネットに見せたかった。
「じゃあさ、晩飯おごるよ。なんでも好きなもの」
「ホント? 」
悠々夏の瞳が輝いた。
「あ、でももう帰らなくちゃ。お父さんに怒られちゃう! じゃあね」
そう言って、悠々夏は長めの黒髪をなびかせて走り去った。青年は、右手を中途半端な位置で上げたまま、悠々夏が見えなくなるまで後ろ姿を見守っていた。
青年は、悠々夏に好意を持ったようで、この後から頻繁に占いの館に顔を出すようになった。
しかし、顔がタイプじゃない、という理由で悠々夏はスルーを続けている。
ハニー・ゴー・ラウンド〜HONEY GO ROUND〜 竜宮世奈 @ryugusena
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