第8話 ホームレス、ねぐらを手に入れる。

「まだ着かないのか?」


 俺は前を歩くソルに向かって問いかけた。かれこれ三十分近く歩いてる。いい加減にちょっち疲れてきた。


「何だ? もうへばったのか?」


 ソルは揶揄やゆするように声を弾ませた。前を向いたまま。


 モーホー強姦魔に襲われて以来、ずっとこんな調子だ。なぜか頑なに俺と目を合わせようとしない。視線が合いそうになると、気まずげに顔を背けるのだ。


 ・・・ひょっとして俺、避けられてる? 男同士は不潔だってか? この潔癖ヤロー、まだ入ってなかったから! 未遂だから!


 当時の記憶がフラッシュバックして、桃尻を中心にイヤな感触が蘇った。ずぞぞぞっ、と全身に悪寒が走る。


 ちくせう。何でこんな目にあわにゃならんのだ。俺ってば被害者なのに。


 何か明るいネタプリーズ。


「心配すんな、ジュールス。もうすぐそこだ」


「そりゃ嬉しいね。どんなところなんだ?」


「うーん、日当たりが良くて、広い庭つき。二階建てで、バルコニーがある」


 …それなんて豪邸? 俺が日本で借りてたアパートよりも、遙かに良い物件なんだけど。


 二階建てでバルコニーまであるってなると、元は名の知れた商人の邸宅とかかも。そんなデッカい的が戦火を逃れたことも驚きだけど、一人でそこをキープしてたソルも驚嘆に値する。


 潰れた屋根の残骸を乗り越えると、ようやっと目的地に到着した。


「着いたぞ」


 ソルが指さす先には、大きめの廃屋がたたずんでいた。更地の中心に、ぽつんと離れ小島みたいに、とり残されている。まるでどっかの一匹狼さんみたいだ。


「・・・なあ、親分。まさか『アレがねぐらだ』、なんて言わないよな?」


「アレがねぐらだ」


「冗談だろ?」


「本当だ。俺は大人と違って嘘はつかない」


「でも聞いてた話とだいぶ違うんだが」


「そうか? ちゃんと良く見てみろよ」


 ソルに言われたとおり、じっと目を凝らしてみる。


「ああ、うん」


 隣家がないから、確かに日当たりは良いな。周囲の更地を庭と呼べないこともないだろう。


 ちゃんと二階建てだし、南にはこじんまりとしたバルコニーもある。・・・もっとも、壁穴越しに見える階段は、半ばから崩落していたけどな。


「嘘じゃないだろ?」


「そうだな」


 うん、嘘は言ってない。勘違いを誘うような、紛らわしい言い方をしただけだ。それは理解はした。でも納得はできん。


 俺が憮然ぶぜんとしていると、それに気づいたソルが、皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「不満そうだな。ひょっとして、立派な門構えのお屋敷でも想像してたか? 扉を開ければメイドが出迎え、召し物を預かってくれるってか? ここはスラムだぜ。何を期待してたんだよ」


 ソルの言うことはもっともだ。反論したくてもできない。悔しいが、今回はおとなしく反省しよう。悔しいが。


「ようこそ我が家へ。喜べよ、ジュールスが栄えある客人第一号だ」


 ソルが盛大に自爆ったので、俺は真実溜飲を下げた。慇懃無礼にエスコートされながら、蝶番ちょうつがいのイカレた扉をくぐる。


「・・・」


 中の光景を見て、思わず言葉を失った。


「どうだ、広々してて良いだろ?」


「・・・ん? あ、ああそうだな、広い」


 俺は若干、キョドりつつもうなずいた。


 実際、開放感はハンパなかった。窓の鎧戸は軒並み外れ、壁にも亀裂が入っていた。天井と二階の床の一部は崩れ、日差しが差し込んでいる。


 ほとんど外と地続きだ。室内にいるって気があまりしない。大自然の中でテントを張っても、ここまで風通し良くはないだろう。


 だがこの際、そんなことは些末事さまつじだ。

 問題は別にある。


「ところで親分。一つ聞きたいんだけど、ゴミは捨てないのか?」


 俺は足下を埋め尽くすゴミを見て言った。


 そう、ソルのねぐらはゴミ屋敷だった。踏み固められた土の床には、無機物有機物の別なく、あらゆるものが放られていた。


 木皿は割れて用をなさないし、桶の水は腐って羽虫がたかっている。何かの野菜らしき残骸は、液状化して土床と同化しかけていた。そしてそれらを優しく包み込むように、ホコリがうっすら降り積もっている。


 もし俺が家主だったら、とてもじゃないが人なんて呼べない。羞恥心で狂死する。


 だがしかし、ソルは俺の常識の斜め上をいきやがった。


「ちゃんと捨ててるだろ」


「は?」


「ん?」


 俺たちはしばしの間、無言で見つめ合った。


 コイツ、イマナンテイッタ?

 

 俺は目の前のガキンチョの言うことが理解できず、無意識のうちにフリーズしていた。


「何だよ、町中でゴブリンでも見たような顔しやがって。普通に床に捨ててるだろ」


「床に捨てるなー! ゆ、か、に、捨てるな!」


 思わず声を荒らげていた。ソルが身をらせて唾を避ける。


「うるせーな! デケェ声出すなよ! どこに捨てても一緒だろ!」


「だったら外に捨てても良いだろーが! 何で室内に捨ててんだよ! 見ろよこれ、完全にゴミ屋敷じゃねーか!」


「面倒くせーんだよ! 害はないんだから良いだろ?」


「害ならある。こんだけ汚れてりゃ、鼻炎に、アトピー、肺炎、食中毒。何でもござれだ。親分が頭に飼ってるノミだって、家が綺麗なら湧くこともなかったんだ」


 俺が堂々とした態度で指折り数えていくと、ソルは少しだけ消沈した。


「・・・じゃあ、どうしろっつーんだよ」


「簡単なことだ。掃除しろ」


「ソージって何だ? うめえのか?」


 思わずズッコケそうになった。お前はどこぞの忍者だよ。


「掃除ってのは、いるものを取捨選択して、整理整頓して、室内を洗い清めることだよ」


 ふーん、とソルは分かったような分からないような表情を浮かべた。


「オレ、小難しいのは苦手なんだ。ソージはジュールスに任せる」


「え、ちょ、待てよ。親分は手伝ってくれないのか?」


「言い出しっぺはお前だろ? 後から文句は言わないから、勝手にやってくれ」


 そう言ってソルは窓から猫みたいに消えていった。玄関使えよ。


 残されてた俺は、混沌とした室内を見渡し、途方に暮れた。


「・・・マジで?」


          *


 ようよう掃除が終わったころには、太陽が中天を過ぎていた。ゴミ屋敷の掃除は重労働で、思いの外、時間がかかってしまった。


 でもその甲斐あって、廃屋は見違えるほど綺麗になっている。


「あー、疲れた」


 俺は掃き清められた土床に寝ころび、鉛みたいに重い手足を投げ出した。もう無理。限界だ。


 最初に、必要なものとそうでないものを仕分け、明らかに使い道のないゴミは、外に運び出して捨てた。まずここで腕がパンパンになった。


 次に、ぼろ布をヤスリのように使って、土床の汚れを削り落とした。ついでに虫も追い出した。中腰を強いられ、腰が爆発したかと思った。


 最後に、寝床のわら天日干てんぴぼしにして、ノミどもをやっつけた。もうこの時には満身創痍で、気力だけで働いていた。


「あのヤロー。結局、最後まで手伝わなかったな」


 明らかに一人でこなす仕事量じゃなかった。しかも汚したのはソルで、俺じゃない。理不尽で何だか、モヤモヤする。


「・・・まあ、子供相手に目くじら立てても、仕方ないか」


 俺は大きく息を吐き出した。


 廃屋に転がるガラクタの中には、子供の玩具も混じっていた。強がっちゃいるが、ソルもあれで遊びたい盛りだ。ずいぶんと無理もしているんだろう。


 木彫りの小さな馬を頭上に掲げる。


「・・・」


 ちょっと想像してみたが、これで遊ぶソルの姿が思い浮かばなかった。アイツ、何でこんなもん持ってんだろ。


 しばらく木馬をもてあそんだ後、俺はふらふら立ち上がった。


 大掃除で無駄にカロリーを消費してしまった。空腹で今にもぶっ倒れそうだ。胃に何か入れないとヤバい。


 どうしようか悩んでいると、どこからともなく香ばしい匂いが漂ってきた。


 頼りない足取りで玄関に向かう。外に出ると、ソルが焚き火で何か焼いていた。


「よう、ジュールス。ソージってのは終わったのか?」


「ああ」


 俺は生唾を飲み込みながら答えた。視線はソルの手元に釘付けだ。


 ソルは枝に刺さった何かの白い身を、くるくる回しながら炎であぶっている。その度に匂いが漂ってきて、今にも理性が弾け飛びそうだ。


「食えよ。ご馳走だぞ」


「もらっていいのか?」


「遠慮すんな。オレはさっき食った。それに親分は子分の面倒を見るもんだろ?」


「おやびん・・・!」


 俺はソルに後光を見た気がした。


 受け取った白身にかぶりつく。ちょっと生臭いが、プリプリしてて最高だ。


 まとまった量のタンパク質を口にするのは、久しぶりのことだった。ずっしりとした重みが胃に感じられる。


 我を忘れて平らげると、ソルががもう一本、焼いてくれた。


「気に入ったみたいだな」


「ここ最近、食った中じゃ一番うまかった。コレ、何て言うんだ?」


「ムイムイ」


「ず、ずいぶん可愛らしい名前だな」


 何か急に罪悪感が湧いてきたぞ。祟られたりしないよな?


「うまいんだけど、はしっこくて滅多に捕まえられねえんだ」


「へえ、どんな生き物なんだ?」


「角があって、羽があって、茶色い虫だな。・・・あっ、あそこにいるのがムイムイだ」


 ソルの示した先を見る。そこにいたのは、サンダルサイズの巨大なGだった。


「・・・」


「あれ、どうした? ジュールス? おーい、ジュールース」


 初めて食ったGは、エビに近かった。


         *


 ショックから立ち直った時には、すっかり暗くなっていた。俺たちは焚き火を片づけ、廃屋に戻った。


「おやすみ」


「ああ、また明日な」


 藁山にもぐり込んで、仰向けに寝る。


 ぼーっと天井の穴から夜空を眺めていると、間柱に刺さったやじりを発見し、妙に歴史を感じさせられた。 


「時の流れは偉大だなあ」


「アホ言ってないで寝ろ」


「へいへい」


 言われた通りに目蓋を閉じる。


 でも今夜は一段と冷え込みが激しく、寝つきが悪かった。未だに路上で眠っていたら、死んでいたかもしれない。


 もぞもぞ寝返りを打っていると、足の裏が暖かいものに触れた。


「・・・」


 すぐに文句を言われるかと思ったが、ソルは何も言わなかった。もう夢の世界なのかもしれない。子供は夜が早いからな。


 俺は調子に乗って、ぴとりとソルにくっつき、人間湯たんぽを抱えながら眠りに落ちた。

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底辺に転生したので、強く生きようと思う。 トーテム二等兵 @Totem123

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