第7話 なにかまさがってますか

 仲直りした後、俺は袋小路にソルを連れてやってきた。出たばかりで戻ることになるけれど、親分の命令とあらば仕方ない。


「ここが俺のねぐらだ」


 そう言って中に入るよう手で促す。

 でもなぜかソルは、入り口のところで、ぼうっとほうけたように突っ立っていた。


「親分、どうした?」


「なあ、ジュールス。お前、本当にここで寝泊まりしてるのか?」


「は? そうだけど」


「からかってるわけじゃないんだな・・・」


 ソルは顎に手をやり、ぶつぶつと何か考え込んだかと思うと、ポンポンと労るように俺の肩を叩いてきた。


「・・・苦労してるんだな、お前」


 なんか同情された!

 いやいや、確かに屋根はないし、壁もないし、寝床も厨房もねえけど・・・あれ? ほんとに何もねえな。まんま路上生活者のそれじゃん。

 

 改めて我が身を振り返っていると、なかなかのボンビーっぷりだった。


「生きるのって大変だよな」


 ソルがかわいそうなものを見るような目で、じっと俺を見つめてくる。


 やめれ! 腹立つわ!

 

 なんだか無性にイラッとしたので、隠してあった備蓄を引っ張り出して、見せつけてやった。

 

「へえ、素人にしては結構、ため込んでるな」


 そうだろう、そうだろう。俺はただのホームレスじゃないんだぜ。


 俺が鼻を高くして悦に浸っていると、ソルが麻袋の口を縛って、背中に担ぎ始めた。


「おい、何やってんだ。返せよ、俺のだぞ」


「こいつは没収だ。いいか、これからは『親分のものは親分のもの。子分のものも親分のもの』だ。それにオレンジの弁償がまだだっただろ?」


「量が明らかに違うだろ!」


「利子を含めると、これでぴったしチャラになるんだよ」 


 なおも俺が食い下がろうとすると、ソルは意味深に懐へと手を伸ばした。


「・・・何か文句でもあるのか?」


「い、いやだなあ、親分。そんなわけないじゃないっすか。そっくり全部、差し上げますってば」


 ・・・ぐぬぬ、妖怪人間め。はじめからこれが狙いだったのか。汚ねえぞ。


 恨みがましく睨みつけるが、ソルはお構いなしに、くいくいと手招きしてきた。


「ついて来い」


「どこ行くんだよ」


「オレのねぐらだ。しょうがねえから、ジュールスも住まわせてやる。火も起こせるし、安全だぜ」


「え、いいのか?」


「おう、うちは広いからな。子分の一人くらい増えても問題ねえ」


 うおっしゃあああ! ずっとネックだった住処の確保ができた! これだけでもソルをはめ・・・げふんげふん。子分になった甲斐かいがあったというものだ。


「親分、ご厄介になりやす」


「うむ、苦しゅうない」


 俺たちは北東に向かって移動を始めた。

 

 人目を避けるように、路地の暗がりを選んで歩いていく。広場には近寄ろうともしない。たぶんだけどソルは、すでに顔を覚えられているのだろう。


「ぼうっとして遅れんなよ」

 

 考えにふけっていたら、怒られた。


 ソルは歩くのが早い。競歩並のスピードで、足音も立てずに、するすると進んでいく。


 俺はついて行くのだけで精一杯だ。それでも遅れそうになるから、しばしば駆け足になる。じゃりじゃりと足音もうるさい。


 ここら辺が年季の違いなんだろう。


 せっかくだし、試しにソルの歩き方を真似てみることにした。


 腕の振りを押さえ、歩幅を狭くする代わりに、間断なくスムーズに足を繰り出す。つま先ではなく、踵で地面を蹴る。軽く重心を落とし、前方に向かって、腰を押し出すようにして歩く。


 まだまだ全然ぎこちないが、いくらかマシになったような気がする。


 前を歩いていたソルが振り返って、「おや?」という顔をした。心なしか唇の端が、つり上がっているように見えた。


 次第にガラが悪くなってきた。スラムに差し掛かった証拠だ。目的地のねぐらは、その丁度ど真ん中にあるらしい。


 スラムには何度か足を運んだことがあるけど、いつも入り口で引き返していた。奥まで行くのは初めてのことだ。


 でも、不思議と今は落ち着いていた。仲間がいるだけで、こんなにも心強いというのは、ちょっと意外だった。


「自分の身は自分で守れよ。面倒事に巻き込まれても、オレは知らねえからな」


「言われなくても分かってるよ」


 憎まれ口を叩きながら、ソルの背中にくっついてく。金魚の糞みたく、ぴったりと。三歩うしろをしずしずと。


 もう何年も経つというのに、戦争の爪痕は生々しく残っていた。多くの建物が焼け崩れ、無事だったものも壁が焦げ付いていたり、半壊したりしていた。


 雑草まみれの瓦礫に道を塞がれ、迂回しなければならないことも少なくない。市壁の内側にいるというのに、まるで獣道でも歩いているような気分になる。


 住人たちは胡散臭い奴らばかりだった。

 死体から身ぐるみをいだり、野犬を鍋にして突っついたりしていた。切断された犬の頭部は、恨めしそうに舌を垂らしていた。


「あんまりじろじろ見んなよ。絡まれるぞ」


 ソルに注意され、先を急ぐ。


 しばらくすると、どこからともなく押し殺したような嬌声が聞こえてきた。声のした方を向くと、物陰で中年の男が、まだ幼さの残る少女を抱いていた。


 壁に手を突いた少女を責め立てるように、男が激しく腰を振っている。


 「すわ強姦レイプか!?」と身構えるものの、少女に嫌がる素振りはない。おそらくは売春なんだろう。


 眼福、眼福。

 お盛んで羨ましい限りだ。


 オレが鼻の下を伸ばしてガン見していると、視線に気づいた男が、ニヤリと品のない笑みを浮かべた。反対に少女は顔を真っ赤にして、俯いてしまった。


 慌ててその場を去ろうとする。

 が、いつの間にかソルの姿を見失っていた。


「やっべ・・・」


 ハグレた。それもスラムで。

 

 今ならまだ追いつけるか? そう思ってソルの進んだであろう道をたどるが、余計に迷っただけだった。


 無闇に動き回ったらいけないのは、迷子の鉄則だ。でも、こんな無法地帯で一カ所にとどまってられるほど、俺の心臓は丈夫じゃなかった。


 うろうろと捨てられた子犬みたいに、さまよい歩く。見知らぬ土地で一人ぼっち。不安で押し潰されそうだ。


 長いことそうしていると、さすがに惡目立ちしていたのか、ヒゲもじゃの男から声をかけられた。


「おい、坊主。どうした? 道に迷ったのか?」


「え? いや、大丈夫。父親おやじを待ってるだけだから。心配してくれて、ありがとう」


 俺はとっさに取り繕った。

 だってこの男、怪しーんだもん。何がどうとは言えないけど、気遣う風の言葉尻とは裏腹に、俺の背筋には悪寒が走っていた。


 すぐ逃げ出そうとしたけど、時すでに遅し。男はそれを許さなかった。


「親父の名前は何て言うんだ?」


「ヨーク」


 うっかり実父の名前をを口にし、激しく後悔した。ソマルナ王国では珍しい名前だ。すぐにボロが出ちまう。クソ、何でもっとありふれた名前にしなかったんだバカ。


「ヨーク? 聞いたことねえな」


 案の定、男は首をかしげた。


「下町の人間か?」


「そ、そう」


「にしちゃ、おかしいな。俺はこれでも下町には顔が利く方なんだ。でもヨークなんて名前は知らねえ」


「さ、最近まで、病気で家にいたから」


「へえ、じゃあ生活が大変だっただろう。よく生き延びていられたな」


「ちょ、貯蓄を切り崩したんだ・・・」


「貯蓄があったのか! そいつは羨ましいな!」


「・・・」


 マズい、マズい。どんどんメッキががれていく。どうしてこうなった。ちくせう。


 俺が顔を青ざめさせていると、男が呆れたように苦笑を浮かべた。


「健気に親父を待つのも良いが、ここらは治安が悪い。下町まで送っていってやるよ」


 あれ? ひょっとしてコイツ、そんな悪い奴じゃないのか?


 そう思って、つい警戒心を緩めてしまう。その一瞬の隙に、まんまと男に腕をひねり上げられた。


「まあ、手間賃は払ってもらうけどなぁ」


 男が黄ばんだ歯を見せて笑った。


 そのまま宙に持ち上げられる。握り締められた腕が、根本から引っこ抜けそうだ。


「痛ってーな! 離せよ!」


 両足をじたばたさせて、男の腹を蹴りつける。でも、いっこうに応えた様子はない。それどころか、お返しとばかりに鳩尾みぞおちを殴られた。


「うぉえっ・・・!」


 内蔵がひっくり返ったみたいだ。ひどくせき込み、のどの奥から胃液がこみ上げてくる。


「暴れるんじゃねえよ。おとなしく我慢してりゃあ、すぐに終わるんだ」


 地面に叩きつけられる。そのまま後ろ手に両腕を押さえつけられ、うつ伏せに組み敷かれた。


「良い勉強になっただろ。暢気に見知らぬ大人と会話なんぞしてるからこうなる。次からは、さっさと逃げるんだな」


「ふざけんなチクショウ! ぶっ殺すぞ!」


 大声でののしるが、わき腹を殴って黙らされた。


 下着ごとズボンを下ろされ、子供特有の柔らかい桃尻に、堅い何かが押しつけられる。想像したくはないが、嫌でもそれがナニか想像してしまう。


 確かに羨ましいとは言ったけどさぁ!

 こういう意味じゃねーよ!


 俺が必死になって抵抗していると、ふいに鈍い音が響きわたった。同時に体が自由を取り戻す。


 怖々うしろを振り向いてみると、そこには下半身丸出しで白目をむいた男と、血塗れの煉瓦を持ったソルがいた。


「急にいなくなってんじゃねえよ」


「お、おやびん・・・!」


 思わず涙があふれ出してくる。


 感極まって抱きつこうとすると、ひらりとかわされ、桃尻を蹴り飛ばされた。


「いつまでも汚ねーもん見せてんじゃねえ。さっさとしまえ、このボケナス」


 そういや、俺も下半身丸出しだったっけ。モーホー強姦魔とおそろはゴメンなので、いそいそとズボンを履き直す。


 その間にソルは、きっちり男の身ぐるみを剥いでいた。頼りになるぜ。さすがは親分。


「これに懲りたら、二度とオレから離れるんじゃねえぞ。分かったな、ジュールス」


「おっす、親分、一生ついていきます!」


「何か違う意味に聞こえんだけど・・・」


不肖ふしょう、ジュールス。この身も心も捧げる所存でありやす!」


 俺が腰を割って宣誓すると、ソルはげんなりした顔でため息をついた。 

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