第5話 寝坊と早起き

 玄関を開けると、珍しく朝から千鶴がいた。相も変わらぬその豊満な胸に視線を奪われるが、理性が凝視することだけは妨げた。

 どうやら向かいの家に住む幼馴染が、珍しく一番最後というわけだ。

「おはよう」

「おはようございます友くん」

 可愛らしい笑顔と、会釈程度のお辞儀が返ってくる。

「あいつはまだみたいだな」

「類ちゃんが最後って珍しいねー」

「千鶴が朝からいることも珍しい」と言いかけて言葉を飲み込んだ。もしかしたら彼女自身も好きで遅刻しているわけではないのかもしれない。俺がいう事で彼女の自尊心を傷つけてしまうかもしれないし、今朝はこうやって来ているわけだし、言う必要もないだろう。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった!」

 自虐ネタでも披露して場を繋ごうかと思ったところ、ようやく類が玄関から出てきた。よほど急いでいたのか、髪が少し乱れているのがわかった。

「いやー、昨晩夜更かししちゃって」

 ついこの間、深夜三時に電話してきた奴が何を言うのやら。喋りたいことがあれば、無理をしてでも起きてくるというのに。

 だが逆を返せば、こいつは昨晩喋りたいことを考えてきていないということだ。この間のように、長々と小難しくもくだらない話をされることはないだろう。

「おはよー」

「今日は千鶴もいる!おはよう!」

 今更になって気づいたのか、類が千鶴を見て驚く。

「今日は一番乗りだったんだよー」

 その言葉を聞いて、ちらりと俺のほうを見る。「またまたご冗談を」なんて顔をしているが、残念ながら嘘ではない。間違いなく彼女が一番乗りだ。

「今日は槍でも降るかもな」

 どうやら、その一言で類もわかってくれたようで、ショックを受けた顔をしていた。

 しかし、今度は彼女が本物の千鶴であるかどうかを確かめようと、胸を弄ろうとしている。千鶴も嫌がっているようで、必死に抵抗していた。

 微笑ましい光景ではあるが、あんまりのんびりしていると、歩いて十五分とは言え遅刻してしまう。

「あんまのんびりしてると遅刻しちまうぞ」

「はーい」

 間延びした返事は、わかってるのかわかってないのか。すぐに千鶴の胸を触ろうとするのをやめ、地面に落とした鞄を持って歩き始める。

「そういえば、さっき『槍でも降るかも』って言ってたじゃない?」

 歩き出してすぐに、類が口を開いた。余計なことを言ったかもしれないと、軽く後悔した。

「ああ」

「あれって『雨が降る』から派生して、大袈裟に表現するために『雪が降る』、『槍が降る』って言うようになったわけだよね?」

 正直詳しいことは知らない。珍しいことがあった時に、「明日は雨が降る」と言うことがあるだけだ。

 なんとなく使ってる日本語でも、内容を正しく理解して使っていないこともある。実際、その言葉も正しいのかどうかもわかっていない。

「晴れの日よりも雨の日が少ないから、『確率の低いことが起こった』という比喩表現なんだよね、多分。それで、さらに珍しいことが起きた時には、確率がより低い『雪』が採用されて、ありえないことが起きた時には『槍』が採用されるわけだ」

 多分、と補足はついているものの、その推察で間違いはなさそうだ。たとえ間違っていても、納得の出来る内容なので、少なくとも俺には問題ない。

 問題があるとすれば、一点だ。ありえないことを起こったときに使う言葉が『槍』であるなら、先ほど俺が口走ったのがまさにそれだ。つまり、千鶴が気づいて怒ったりしないかどうかが不安だ。

 俺は気づかれない様に、目だけを千鶴に向けた。彼女は先ほどのことを覚えていないのか、そこまでの意図はないと思ってくれてるのか、にこやかに類の話を聞いていた。

「つまりさっき友くんが言った表現は的を射てるってわけさ!」

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、類はビシりと俺を指差す。

 余計なことを言いやがって、と俺は心の中で舌打ちをした。口に出さなければこのまま気づかれなかったかもしれない、

 再び千鶴を見ると、はっと気づかされた顔をしていた。

「つまり私が一番最初に来たことがありえないって・・・」

「ち、違うぞ千鶴、そういう意味では」

「あ、悪いことの前兆かもしれない」

 すぐさま取り繕うとするも、類が言葉を遮る。

 悪い前兆というよりは、既に悪いことが起きてるとも言える。というかいきなり何を言い出すんだこいつは。やはり突拍子もない奴である。

「『雨が降る』っていうのが良くないことを比喩する表現かもしれない。そう考えると、『珍しいことが起きるのはその前兆』って意味かもね」

 確かにそう考えることも出来なくない。雪が降ることも、槍が降ることも悪いことの比喩となる。そうなると、先ほどの言葉がより一層良くない意味なのではないかとも思えてくる。

 千鶴の顔色を窺おうとすると、鼻に水かかかった。辺りが暗くなってるのもあり、雨が降り始めたのだと察した。ぽつぽつと次第に勢いが強まっていく。

「やはり千鶴が朝からいるのが・・・」

「類もやめてよー」

「いつまでも言ってないで走るぞ!」

 朝から三人で走って登校することとなった。


 もう一つ、走っているときに思い出したことがあった。

 珍しいことが起きると雨が降る。千鶴が朝早くにきたことも珍しかったが、類が一番最後というのも珍しかった。

「そりゃ雨も降るわけだ」

 独り言ちると、より一層雨が増した気がした。

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類が友を呼ぶ! ありすえしーらえくすとら @arice_eciraEX

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