第2話 AI

 ソメイの眠る部屋から出て、左右に伸びる長い廊下を右の方へと進む。無機質さが際立つ程に白い廊下を暫く歩くと、突き当りに壁が現れ、行く手を阻んだ。一見すると行き止まりのようにも見えるその壁だが、右手を触れると、触れた部分が淡いブルーに発光し、ポーンという軽快な電子音が鳴り響いた。

「僕だ」

――声紋認証、クリア。ゲートを開きます。

 僕の声に応じた旨のアナウンスが流れると同時に、目の前の壁を縦に二分するようにスリットにも似た溝が入った。その溝は次第に深みを増していき、やがて音もなく縦に割れた。

「……いつも思うんだけどなにそのアナウンス」

 丁度自動ドアのように左右へと開いた壁をくぐり、中に現れた、人が二、三人入れそうな部屋に入るなり疑問を投げる。

 今この空間に居る人間は勿論、僕だけだ。しかしながら、僕は決して流れるアナウンスに対して独り言よろしく話しかけるほど危ない人間でも寂しい人間でもない。

――何って……なんか、こんな感じのほうが雰囲気出ません? 未来的じゃないですかー。

 これまた僕に反応する形で、アナウンスが流れた。しかし、今度は機械的で事務的な口調からは一変して、とても人間味を帯びたものだった。 

「いやいや、雰囲気って……。そんなこと言ったらお前の存在自体が未来的だと思うんだけど」

 っていうか、正直あのアナウンスはなんかダサいと思う。

――まあ、私ってばスーパーなAIですもんねえ。

 AI。

 彼女(一応システム設定上の性別は女性)は、対話コミュニケーション兼オペレーション型人工知能だ。名はセキュア。とある青年が、長きに渡る独り身生活に耐え切れず開発、生み出したのだという。

 青年は、話し相手と開発の助手が同時にできて大変情緒が安定し、今もこのセキュアと共に暮らしているそうだ。


 ……というか僕だった。

 


「まあ、そのスーパーなAIを作った超スーパーなエンジニアは僕なんだけどな。とりあえず地上まで頼むよ」

――はーい。了解でーす。

 間延びした返事と共に目の前の壁が閉まり、微かな重力感を伴って部屋が上昇を始める。

 エレベーターのような挙動で、実際エレベーターのような用途で使っているこの部屋だが、部屋の中にはエレベーターにある操作盤はおろか、ボタンらしきものすら見当たらない。この部屋の操作は全てセキュアが担っているからだ。彼女には、この家のほとんど全てのシステムにアクセス及び操作する事ができるように設定している。裏切られたらと思うと末恐ろしいが、そうでない普段は物凄く便利だった。

「そういえば……なんで僕がここに来るって分かったんだ?」

 遠い目的階までの暇つぶしに、セキュアとの会話を試みようと話し掛ける。反応は思いの外早く、元気の良い少女の声が部屋の天井近くにある壁面スピーカーから聞こえてきた。

――ふふーん。そんなの決まっているじゃないですか。そうですねえ……。あの部屋にあったマスターのノートパソコン、ビデオ通話とかできて便利ですよねー。

「あー、わかったわかった。ったく……見てたんなら言えよな」

 どうやら、僕のパソコンに入り込んでカメラ機能を利用して見ていたようだ。この家にある電子機器は手当り次第に一つのネットワークで繋いでいるため、電脳世界に居を構えるセキュアには実質、入り込めない場所はこの家に無い。

――言え、と仰りましてもねー。どうやら誰かさんはお楽しみ中のようでしたし?

「変な言い回しは止めろ……。ただ僕はやるべき事をしたまでだ。言ってみればいつもの『診察』みたいなものさ」

 僕は基本的に嘘つきな性分だったが、長い付き合いのセキュアにはその嘘もあまり通じない。今だって、肝心な部分を濁した嘘をセキュアはすぐさま看破したらしく、僕の言い分を無視した上で核心を突く質問をしてきた。

――マスター。まさかあの子を……だなんて考えていませんよね?

「……」

 核心を突きすぎだった。突くというよりはえぐるといった感覚に近いほど容赦を知らないセキュアに、僕は無言で、曖昧な笑みを顔に浮かべるだけに留めた。

「おっと。そうこうしている内に目的階が近くなってきたんじゃないか? 話し相手になってくれてありがとう、セキュア」

――あー。また話逸らしましたね。もう……。

 あからさまに話を逸らした僕に、セキュアは呆れたような音声を発した。しかし、僕が話を逸らした時は深く追求してこない辺り、とてもよく出来たAIだと常々思う。

――そういえば地上へお出になるんですよね。もしかして『診察』ですか?

「ああ。最近彼女にかかりっきりで暫くできていなかったからね」

――そうですか……。お疲れ様です。でも、彼女の件はちゃんと考えておいて下さいね?

 追求はしてこなかったが、別に見逃してくれていた訳ではなかったらしい。僕は今度こそ本当の苦笑いを顔に浮かべて、AIに向けて言った。

「はは……。忠告ありがとう。そうだなあ……じゃあ僕が留守の間、彼女の話し相手にでもなってくれないかな?」

――ええ! 私がですか!?

「僕は地上に出るんだし、君にしか出来ないだろう? ほら彼女、見知らぬ場所で一人なんて心細いだろうし」

――うぬー……。……まあ、それもそうですね。分かりました。マスターが帰ってくるまでの間にマブダチになっておきますよ!

「どこで覚えたんだよそんな言葉」

 思わず僕が吹き出したのと同時に、目的階に到着したことを知らせる電子音が鳴り、再び目の前の壁が開いた。

「それじゃあ、行ってくる。後は頼んだ」

――はいはーい。頑張って下さいねー。

 家の中とは打って変わって、光量の増した世界へと足を踏み出す。

 セキュアの見送りの言葉に背中を押されて完全に部屋から出ると、背後で壁の閉まる微かな振動音が聞こえた。

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僕だけしかいない町 クロタ @kurotaline

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