第7話 再会
商店街の中程にある一軒の雑貨屋の前に、一人ぽつんと立っている白い耳あてを付けたミディアムボブの少女の姿があった。朱色のマフラーを首に巻き、ブラウンのダッフルコートに赤いミニスカート、黒タイツにハーフブーツを履いた足で雑貨屋の前でじっと佇むその少女は間違いなく八代姫子だと久志は遠目でもわかった。人通りもそこそこあり、まだ三十メートル以上離れているのにも関わらず姫子が久志の存在を察知し、視線を送ってきているのにもまた気づいた。
「あの店の前にいる耳あて付けたボブの女子が八代だよな?」
隣を歩く達也がそう確認を取ってきた。帝の家でお好み焼きをご馳走になった後、再び電車に乗り、まっすぐ姫子との初デート場所かつ初めてプレゼントをあげたこの商店街へ、そして雑貨屋まで達也と二人で久志は歩いて来たのであった。
「そうだね。僕達のことを見てるし、間違いないね」
「俺は席を外そうか? 八代が呼んでるのはたぶんメモの書き方からしてお前だけだろうし、カップルの話に部外者は邪魔だろうからな」
「悪いね。確かに姫子は君が同席することを確実に好まないだろうし。ごめんね、ここまで付き合わせたのに君を邪魔者扱いするようなことして」
「別に謝られるようなことじゃねーよ。八代の安否は俺も気がかりだったし、ここにはサブカルの専門店もあるからな。久し振りに同人誌でも漁りに行ってくるさ。話がついたらメールでいいから連絡してくれ」
「ありがとう。君には本当に感謝してる」
「おうよ。じゃあまた後でな。せいぜい頑張れ」
素直に久志が礼を告げると達也は目を逸らしてぶっきらぼうに返し、一人来た道を戻り始めた。
「うん。また後で」
そう去っていく達也の背中に投げ掛けると、彼は無言で返事をするかのように右手を上げた。久志はそれを確認すると、姫子の方へ足を踏み出した。
「姫子」
声が十分届く距離まで近づき、久志はとりあえず恋人である彼女の名を呼んだ。捜し求めていたのだが、いざその本人を見つけたとなると何と声を掛ければいいのか、久志にはわかりかねた。
「久志君! やっと来てくれた」
八代姫子はパッと満面の笑みを浮かべ、声高に嬉しそうに、まるで待ち合わせ場所に現れた恋人の姿を喜ぶかのように言葉を発した。とても三日間も失踪し、久志達に多大な心配を掛けた人間の態度ではなかった。
「どうして突然姿を消したりして、ご両親に心配を掛けるような真似をしたんだい?」
早速そう問い掛けると姫子は口をへの字に曲げた。
「……久志君は私のこと、全然心配じゃなかった?」
「どうしてそういう話になるのかな」
「だって心配してたのは私の親だけみたいな口振りなんだもん」
「もちろん僕も姫子のことを心配していたよ。無事かどうか気が気でなかった。君が無事で本当に良かったと思ってる」
拗ねる姫子を久志は軽く抱き締める。人通りがそこそこある中、スキンシップを図るのはできる限り避けたかったが、行動に起こすことが相手の信用を得る上で大切なのを久志は経験上よく理解していた。しかし姫子はすぐに久志の身体を押し返してきた。
「久志君は本当にそう思ってる?」
じっと疑いを含んだ目で姫子は久志のことを見つめる。そんな姫子に久志は面倒だなと苛立ちを覚えたが、表には出さないようにグッとこらえる。
「思ってるよ。思ってなかったら君のことを捜したりなんかしないし、ここまで来ることはできなかったよ」
殊勝な面持ちを心掛けながら久志は告げた。
「そうだよね。私のことがどうでもよかったら、久志君はお兄ちゃんの家まで行ってくれたりも、ましてやここまで来てくれなかったよね。でもさ、こんなことした私に対していい気持ちはきっとしてないよね? 面倒な女の子だってきっと思ったよね」
「……とりあえず場所を変えようか。ここは人目に付くし、君もどうやら落ち着いた方が良さそうだし」
正直に面倒だと思ったと答えるわけにもいかず、雲行きが悪くなりそうだと感じた久志はそう提案した。姫子の感情の高まり方に少し危険な気配を感じたのもあった。
「……そうだね。どこに行く?」
「近くに公園があるからそこにしよう。ここよりかは人通りがマシなはずだから」
姫子の手袋をはめた手を絡め取り握ると久志は歩き出した。姫子もそれにつられるように足を動かした。握る手にギュッと力が込められるのを久志は感じた。
「久志君はこんな私のこと、どう思う?」
「『こんな私』ってどういうことだい? 姫子は姫子だろう」
突然問い掛けてきた姫子に久志は問い返した。
「こんな風に、勝手に失踪して心配かけちゃうような女の子のこと」
「それを僕に訊いてどうしようって言うんだい?」
「え?」
意図せず低く冷たくなってしまった声に姫子は驚いたように久志を凝視した。自分で思っている以上に姫子の態度に不快感を覚えていることに久志は気づく。姫子はいちいち疑い深く確かめてきてこちらの神経を逆なでしている。
「心配しちゃうから突然何も言わずにいなくなるような真似はやめて欲しい。でもそんな姫子も好きだよって答えればいい? それとも面倒だなんて思っていない。だけど何かあるなら今度から黙っていなくなったりせず僕に話して欲しいとでも言えばいいのかい?」
姫子とおままごとに近い押し問答を続けるのに疲れた久志は模範解答を心掛けるのをやめ、本心を口にした。
「……」
姫子は言葉を失ったのか瞳を揺らしたまま、ただ久志の顔を見上げてきた。泣いてしまうかと冷めた気持ちで久志がいると、予想に反して姫子はクスリと笑い出した。
「やっと本当の久志君に会えた。久志君の行動はいつも、全部心が籠ってないんだもん。まるで良い人を具現化させた機械かお人形さんを相手にしているみたいだった。久志君は上手くごまかせてるつもりだったかもしれないけど、ずっと一緒にいた私はそのことに気づいてたよ。私は久志君が思っている以上にずっと久志君のことを見てたよ。飾り物の言葉はいらないの。本当の久志君の気持ちを聞かせて。こんな私のことを久志君はどう思う?」
姫子はまっすぐ射抜くように久志のことを見つめる。図星を刺され、柄にもなく久志の動悸は激しくなった。悪い意味で心臓がドキドキしていた。
「……とりあえず、その辺に座ってから話そう」
タイミングよく目的地である公園の前まで来たので、久志はそう提案した。
「いいよ」
眼差しがなぜか久志にチクリと刺さったが、姫子は素直に頷いてくれた。久志は木々で囲まれ、大きな噴水と四方にベンチが一脚ずつ置かれているだけの簡素な公園内へ姫子を引っ張っていき、手近なベンチへと二人で腰を下ろした。日が沈みかけ藍色に染まり暗くなりつつある公園内には久志達以外に人影はなかった。
「僕はね、君がいなくなったって君のお母さんから聞いた時、どうしようかって思ったんだ」
久志は姫子と目を合わせ、口火を切った。
「君のことを無事かどうか心配する前に、彼氏としてこの場合どういうリアクションをしてどう行動するのが一番適切か、また体面を保てるかってことを僕は第一に考えていた。正直に僕の思いを述べれば君の安否なんてどうでもよかった。無事ならそれでよかったねで終わるし、もし何か君にあったとしても運が悪かったんだ、残念だったね以上の感情はきっと抱けなかった。そして今僕はいたずらに人を試すような態度を取って確認する君のことを面倒だと感じた。はっきり言ってしまえば不愉快だったよ」
正直に素の自分で言わなければ姫子は納得しないだろうし、話が進まないと思い久志は率直に淡々と告げた。その言葉を受けた姫子は眉尻を下げ、あからさまにしょんぼりとした顔をした。そして瞳を揺らし目を伏せる。
「やっぱり……、そうだよね。私みたいなのは面倒だし、不愉快だよね。勝手にいなくなったり、心配を掛けるなんて。それに久志君にとって私って本当にどうでもいい存在だったんだね。久志君はそんな人かもしれないってわかってたけど、面と向かって言われると悲しいね。でも……そうだよね。それが当然だよ」
そう話しながら姫子は久志から完全に顔を背け嗚咽を漏らし始めた。
やはり泣かせてしまったかと久志は無感動にその様子を眺める。ありのままの自分を晒し喋れば他人は必ず怒り罵しってくるか泣いてしまう。素の自分でいることを許してくれるのはやはり達也だけだ。
けれど本当のことを話すように仕向けてきたのは姫子だ。彼女がそれを望んだのだから久志は誠意を持って答えたつもりだった。
「久志君は根っからの利己主義者だったんだね。久志君はさ、他の人とたまにすごく浮いてる言動や行動をするから私と同種の人間かなって最初は思ってたんだけど、違ったんだね」
「君と同種の人間っていう定義がこんな風に自分の存在価値を確認するために人を試すような人間を指すんだったら、確かに僕は違うね。君の言う通り僕は利己主義者かもしれない」
「潔いんだね。でもその分、誤魔化さないでくれるからありがたいかな。ねえ久志君、私はあなたが言う通り自分を本当に必要としてくれているか確認するために人のことを試すような真似をする人間だよ。自分でもね、そんなんじゃ駄目だと思ってる。久志君みたいにみんなきっと面倒だって思うだろうし、実際にたくさん迷惑を掛けてるしやめなくちゃってずっと考えてはいる。でもね、どうしてなんだろう? やめられないの。こんなことしたくないのにどうしようもなく不安になっちゃうの。私は本当に必要とされているのか? って。本当は死んじゃっても全然構わないんじゃないかって不安になってどうしようもなくなっちゃうの。久志君は今こうやってすぐに不愉快さを顕にしてくれたけど、お母さんやお父さん、お兄ちゃんとか、付き合いの長い友達とかは怒ってきたりはしても完全に嫌な顔はしないの。けどどんどんまたか……って冷めた目をされてきていることだけはわかってるの。ねえ、久志君。はっきり私のことを否定してくれたあなただから訊きたい。こんな私はどうしたらいいんだろう?」
泣き顔を晒しながら姫子は声を震わせ久志に縋りついてきた。久志はそんな彼女の肩を形式的に抱いた。
「……僕には君の悩みに対しての答えを示すことも、適切なアドバイスや励ましを送ることもできないよ。君が人を試すのをやめられないって言うのなら、それは本当にやめられないことなんだろうし、僕にとやかく言うことはできない。簡単に性格や習性を変えることができたら姫子も、そして僕もこんなに悩んだりなんかしない」
「久志君にも悩み事があるの?」
「あるさ。姫子が僕のことを自分と同種の人間だと勘違いした点はそこにあると思うよ。君は僕に対して自分は面倒な人間じゃないかって訊いて僕はそうだと感じたし、はっきりと言った。同じように僕は僕自身のことを共感性の欠落した利己主義者だって自覚はあるし、事実君はそんな僕に不満を抱いていた。だから失踪までして君は僕のことを試したんだろう?」
「……」
姫子は視線を逸らすだけで何も言わない。
「一つだけ姫子に打ち明けると、僕は昔から他の人と同じように感じることができない人間なんだ。君が僕を浮いていると感じる時があったのはきっとそのためなんだろうね。僕はそんな自分がはっきり言って嫌いなんだ。みんなと同じ感覚を持ちたい。普通の人になりたいんだ。でも君に見抜かれたし、まだまだ努力が足りないようだけどね。君も人を試す分、信頼を勝ち取れるように日々努めているんだろう。面倒だって言った手前アレだけど、僕は姫子のことをいい子だって思ってたし、ある程度の好意は本当に持ってたよ。そこは誇ってもいいと僕は思う。でもだからこそ今確信した。僕達は似てるところはあれど決定的に違うって。僕自身は淡白で面倒事を嫌うし、姫子は自分の存在価値への実感がないと満足できない。たぶんこの先付き合い続けていけば、僕は僕を試す君がどんどん面倒になり、君はきちんと応えてくれない僕に対して不満が募っていくことになると思う」
「それって要は別れようってことだよね」
姫子は乾いた声で笑った。涙でぐちゃぐちゃになった顔に無理やり浮かべた笑顔はひどくアンバランスだった。
「うん、はっきり言ってしまえばね。たぶん、僕と君はこのまま付き合い続けてもきっと上手くいかない。どこかで亀裂が生まれる。現に君は僕に不満を持って行方不明になるなんて大掛かりなことをやらかしたし、僕はそんな君のことを面倒だと感じたし。だからきっと今別れた方がお互いに傷つかずに済むと思う。僕は君を全てを受け止められるぐらい器の大きい人間じゃないし、君にはきっと合わない」
久志は容赦なく告げた。下手な気休めは姫子のためにも、そして自分のためにも絶対にならないし、これが最善な選択だと久志は思っていた。一般的な感情論ではどうかわからなかったが。
「久志君はひどい人だね。慰めの言葉一つ掛けずに平気で人の心を抉るようなことを言う。……でもすごく真面目でもあるんだね。良い人とは思わないけど悪い人じゃない。そんな久志君のこと私は好き。……ううん、好きだった。久志君の言う通り、きっと私とあなたは合わない。いいよ、別れよっか。でも最後に一つだけお願いがあるの」
「何だい?」
無理に笑顔で応じようとする姫子はやはりものわかりがよくて、今まで付き合ってきた女の子達の中で一番いい子だったと思いながら久志は尋ねた。
「キスして。そうしてくれたら久志君のこと、きっぱり忘れるから」
姫子はそうねだってきた。温和で大人しそうな外見に反して大胆な子だと改めて久志は感じた。
「ごめん、それはできないよ」
「どうして? キスぐらい久志君には安いものなんじゃないかって思うんだけど。久志君は別にうぶでもロマンチストでもなさそうなのにな」
「ここで君とキスしたところでそこに何の生産性もないから。してあげるのは確かに簡単だけど、後で虚しく感じるのは姫子だと思うよ」
「まるで久志君は何とも思わないような口振りなんだね。でも変に優しいんだね」
「優しい、かな? そう言われたのは初めてだ。まあその代わり家までは送るよ」
「あはは。……ありがとう、遠野君」
姫子は苦笑いを浮かべながら複雑そうに、そしてよそよそしく礼を言った。
「じゃあそろそろ帰ろうか、八代さん」
そんな姫子に久志もまたよそよそしく返し、ベンチから腰を上げた。それから一人、先に歩き出す。
それが久志と姫子がただのクラスメイト同士に戻った瞬間だった。
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