第6話 決断

「八代のこと、お前はどうするんだ?」

 帝との通話が終わったのか、スマートフォンをショルダーバッグの中へと閉まった久志へ達也は訊いた。真面目な声音を出し、久志のことを凝視する。きょとんと柔和な笑みを浮かべようとしていた久志の顔から表情が消えた。

「姫子のお兄さんのところへ行って姫子を連れ戻すって答えが模範解答だってことは知っているよ」

「俺は模範解答じゃなくてお前はどうするかを聞きたいんだ」

「……君だから言うけど、正直面倒だなって思ってる。姫子のお兄さんに迎えに来て欲しいって頼まれたけど、僕個人としては別に行かなくてもいいんじゃないかって思ってしまっているよ。だってこんなことは続けたって意味ないし、僕が姫子の親に話しちゃえばあとは家族でどうにかしてくれるだろう? それに僕が告げ口しないにしても、姫子の親が本格的に心配して警察へ相談しようなんてことにでもなったら、姫子のお兄さんは姫子が自分の所にいることを吐かざるをえないよ。姫子が彼女のお兄さんのところにいるってわかったんだから、あとは自動的に解決する」

 久志は無感動に淡々と何の感情もこもっていない声で言った。

「八代本人とは電話で話したか?」

「いや、話させてもらえなかったよ。直接会う以外の方法で僕とコミュニケーションを取りたくないんだってさ」

「……このまま何もしなくても確かに大丈夫だろう。八代はそのうち家へ帰らざるをえない。だがこのままだとお前と八代の仲に確実に亀裂が入る、いや入ったままになると俺は思うぞ」

「わかってるよ。時間に任せて姫子自体が無事であればそれでいいって考えがダメってことくらい。普通の人間はそんな風には考えない。だから姫子のお兄さんと明日、姫子のお兄さんの家がある最寄りの駅で落ち合う約束をして、姫子を迎えに行くことにしたよ。僕は僕自身の思考に沿わなくても、普通でありたいから」

「……お前自身は八代のことどう思ってるんだ? 八代に嫌われたり、別れるようなことになってもいいのか?」

「別に構わないよ。姫子は話してて楽しいし一緒にいて落ち着くから嫌いじゃないし、それなりに愛着もあるけどね。でもそれって姫子以外でも埋め合わせれるだろう。世の中に女の子はごまんといるし、姫子みたいな系統の子だってたくさんいる。だから姫子一人にそんなに執着する必要はないと僕は思うんだ。きっとこう言うとうさ次郎の時みたいに反感を買うんだろうけどね。でも僕にはそうとしか考えられないんだ。かけがえのないだとか失いたくないだとか、普通の人のようにどう足掻いたって思えないし、そういう感覚が湧かない」

 微塵も動揺せず、合成音声じゃないかと錯覚してしまうぐらい流暢に、けれど淡白な口調で久志は答えた。だが彼の瞳がなんとも表しようのない悲しさのようなものを湛えていたのを達也は見逃さなかった。

 不特定多数と同じ感情を共有できない、またどこまでも合理的で共感性に乏しく他人の思いや痛みを感じ取れていない節が久志にはあったが、そんな彼は自分自身のことにはすごく敏感だった。久志自身に向けられた様々な刃には彼は他の人間と同じように傷つくし、感情的になる時もある。自己愛ばかりが強いともいえるが、そんな自分がおかしいと自覚しており、他人と同じような感受性を持たなければならないと考えているからこそ彼は苦しみ悩んでいた。

「そうか……。でもお前は八代を迎えに行くんだな。常人と同じ行動を取るために」

「うん。みんながするであろう行動を履行して普通の人と同じになる。今は思いが伴わないけど、いつかみんなと同じように考えられるようになると信じて、今回もね」

 久志はそう自嘲した。

「そうかよ。まあお前自身のことに関しては俺は何もとやかく言えねーがな。とにかく八代を連れ戻すのなら、俺はそれに付き合ってやるまでさ」

「ありがとう。君のそういう優しさが僕は好きだよ」

 ぶっきらぼうに言い放った達也に久志はなぜか満面の笑みを浮かべ、礼と共に意味深長なことを口にした。

「お前、告白は女子だけにしろよ! つか俺にはやめてくれ。清香(きよか)がネタにするだろ!!」

 達也は寒気を覚えつつ、久志の胸ぐらを掴んで揺すった。幼馴染でボーイズラブが大好きな腐女子であり、久志と達也をモデルにしたラブストーリーを日々描こうと目論んでいる三村清香(みむらきよか)が今のような久志の発言を聞いたら、またそう言ったことを知ったらと思うと背筋がゾッとした。

「確かに三村さんはネタにするだろうけれど、僕は本当のことを言ったまでだよ」

 久志は達也に喚かれ胸ぐらを掴まれたままでも動じず、先程までの無表情さが幻でもあったかのように、ニコニコと笑うのみだった。











「遠野君に赤井君、遠路はるばる姫子のためにご苦労だった。本当だったら交通費ぐらい出してやりたいんだが、金欠な貧乏学生なもんで勘弁な。その代わり、昼飯はご馳走する」

 電車に揺られておよそ三時間、県外の姫子の兄が住んでいる家の最寄駅までやって来た達也と久志は、改札口を出たところで姫子の兄である帝と落ち合った。

 帝は髪も染めておらず真面目そうな見た目であったが、姫子と同じくたれ目で達也と久志に愛想良く茶目っ気溢れた表情をする、気さくな雰囲気を持った人だった。

「いえいえ。ところで姫子は?」

 久志はそう尋ねた。改札口にいたのは帝のみで、肝心の姫子の姿はどこにも見当たらなかったのだ。

「それがな、家で待ってるって言ってきかなかったんだ。さっさと遠野君に無事な姿を見せてやれよとも言ったんだがな。家まで連れてきての一点張りで……。二人には姫子のわがままにさらに付き合わせて悪いと思うんだが、どうか俺の家まで一緒に来てくれないか? さっきも言ったがもうすぐお昼どきだし、昼飯はご馳走する」

 手の焼ける妹だといわんばかりに苦々しい顔をしながら帝は言った。











 駅から歩いて十分程のところに帝が住んでいる二階建てのアパートがあった。達也達が住んでいる人口密度が高い都会と違い平屋や広い庭を持った家が多く、また田んぼや畑も周囲にあり、閑散とした落ち着いた場所だった。

 帝に案内されながら階段を上り、達也と久志は姫子がいるであろう部屋のドアの前まで来た。二階の一番奥が帝の家だった。

「あれ? 念のため鍵を掛けておいたはずなんだが開いてるな」

 首を捻りながら帝は鍵穴に入れた鍵を抜いた。

「まあいいか。遠慮なく上がってくれ。姫子がお好み焼き焼いて待ってるはずだ」

「お邪魔します」

「お邪魔します」

 帝にドアを開けてもらい、達也と久志は家の中へと入った。玄関には帝のだと思われる男物のスニーカーと革靴が置かれているのみだった。

「嫌な予感がする」

「どうして?」

 達也は久志の問いには答えず、靴を脱ぐと足早に玄関と直結しているキッチンを抜け、部屋へのドアを開けた。

 ベッドや箪笥、机、パソコン等の調度品が壁際に置かれ、折りたたみ式と思われるテーブルが二台、部屋の中心にあった。そしてそのテーブルの上にはホットプレートと、皿等の食器類、そして材料が全て混ぜ合わされたお好み焼きのタネが入ったボウルがラップを掛けられた状態で置いてあった。

 しかしそこに人影は――八代姫子の姿はなかった。

「帝さん! 姫子さんがいません!!」

 大声で達也は後ろを振り返り言った。

「なんだって!?」

 ゆったりと部屋へ足を踏み入れようとしていた帝が慌てて駆け寄ってきた。

「あの馬鹿、どこ行ったんだ?」

 部屋の中をすばやく見回した後、帝はすぐさまトイレやバスルームの方へ行きそれぞれへのドアを開け、中に姫子がいないかを確かめていた。姫子、どこにいるんだ? と呼びかけながら真剣に妹を捜す姿は明らかに焦っていた。帝にとっても想定外な出来事に違いない。

 達也は一度息を大きく吸って吐き混乱する頭を落ち着けると、部屋の中をじっくりと見回した。室内に荒らされた形跡はなく、ベッドは掛け布団も綺麗に被せられた状態で整っており、箪笥の引き出しも全て閉まっているし、テーブルの上のホットプレートや食器類も整然と並べられていた。

「おいっ、何読んでるんだ?」

 ボウルが置かれている前でメモと思われる小さな紙切れ手に取っていた久志に気づいた達也は訊いた。

「姫子が残した書き置きだよ」

 極めて冷静な声で久志はさらりと重大なことを口にし、メモを達也の方へ見せた。

“初プレゼントをくれた思い出の場所で待ってる”

 メモにはそう短く一言だけ、綺麗ながらも全体的に細長い筆跡で書かれていた。

「帝さん、姫子さんの書き置きを見つけました」

 久志は再び部屋へと戻ってきた帝へ告げた。

「何!?」

 驚きの声を上げ、帝は久志の手からふんだくりメモを読んだ。

「はあ~。……遠野君、おそらくこれは君宛だ。『初プレゼントをくれた思い出の場所』とやらに心当たりはあるか?」

 盛大にため息を吐いた後、帝は立ち直るかのように久志にそう問い掛けた。

「はい。おそらく姫子が言う初プレゼントはこれのことだと思いますから」

 そう言って久志は自身のショルダーバッグから、真っ白で首の長い四本足のつぶらな黒いビーズの目を持ったぬいぐるみが付いたストラップを取り出した。その白いぬいぐるみの顎下には緑色の紐が首輪のようにセンスよく結ばれていた。

「アルパカ……だよな? これは」

「俺もアルパカだと思います。実物はこんなに可愛くありませんが」

 帝と達也はそのぬいぐるみ付きストラップを見て口々に言った。

「あれ? マイナーな動物だと思ってたんですが、二人共ご存知なんですね。姫子とペアでこのアルパカのストラップを雑貨屋で、初デートの時に買って、姫子にあげたんです。それが僕から姫子への初めての贈り物です。姫子のは首紐が赤なんですけどね」

「遠野君、そのストラップを買った雑貨屋ってどこだ? どこかのテーマパーク内とかではないか?」

「いえ、違いますけど。これは僕達が住んでいる市内で一番大規模な商店街内にある雑貨屋で買いました」

「そうか。なら夕方にもう店が閉まったりそこに行けなくなるって心配はないな。ならそんなに急がなくてもいいだろう。あいつは基本的に姿をくらました場所からはこっちが迎えに行くまでテコでも動かないからな」

「姫子さんは昔からよく突然失踪したりして帝さんやご両親を困らせていたりしたんですか?」

 帝の姫子の行動パターンをすっかり把握し切っているかのような口振りに引っ掛かりを覚えた達也はそう尋ねた。

「そうさ。お恥ずかしながらな。姫子は昔からこんな風に心配を掛けて人を試しているんだよ。そうしないと気がすまない面倒なところがある奴なんだ。一応ある程度の節度はわきまえているんだけどな。今回のような何日もかけて、さらに恋人を遠方に呼び出して徒労に終わらせるような真似をするなんて大規模ではた迷惑なのは初めてなんだ。本当に申し訳が立たないとは思ってる。そこは姫子の代わりに謝る。済まない。だがそんな愚妹のことをどうかよろしく頼む」

 帝は答えた後に久志と達也に向かって頭を下げた。その真剣な様子から妹である姫子のことを心底気に掛けていることが伝わってきた。

「顔を上げて下さい。わざわざ頼まれなくても僕は姫子を迎えに行きます。恋人を迎えに行くのは彼氏として当然の役目ですから。姫子が僕を呼んでいますし、僕はそんな姫子に恋人として応えたいと思っています」

 久志も真顔で姫子の兄である帝に対して誠意を込めて言った。











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