その出会いはクッキーのように (3)

 誰かの笑顔を、人々の小さな幸せを守るために。

 ――とはいっても、クロウの目的はそれほど難しいものではなかった。

 警戒区域のはずれ、クロウの親戚の老婆の家に赴き、仏壇に飾られている指輪を取ってくるというものであり、その目的はクロウが警戒区域に入って数分後には達せられていた。

 指輪は、親戚の老婆、その夫の形見だった。老婆が避難をした際に、印鑑や通帳はしっかりと持っていたが、今は亡き夫との絆である指輪を忘れてしまっていたのであった。

「いつもは気にしていなくても、大切なものってあるよな」

 飾り気のない銀の指輪を手の中で転がしながらクロウは呟いた。

 ほんの数時間前。形見の指輪を取ってくる、と約束した時の老婆の顔を思い出しながら……。


 親戚の老婆は、避難の際にクロウの家にやってきたのだった。しかし当然というか、小学生の頃はある程度の交流があったものの、年を重ねた今となっては完全に疎遠になっていた。

 そもそも、老婆は昔から気が強く、クロウは事あるごとに難癖に近い小言を言われていたので、あまりいい感情を持ち合わせていなかったりもするわけで。

 正直なところ、ちょっと面倒だな、などとクロウは思ったりもした。

 だからといって、全く顔を合わせないというわけにもいかない状況ではあったので、とりあえず老婆に挨拶をしたのだった。

「どうも。ばあちゃん、久しぶり」

 老婆はクロウの家の居間に居た。座布団の上にちょこんと座り、なにをするということもなく、じっとしていたのだった。

「おや、クロウかい。世話になるね」

 久しぶりに見た老婆は、クロウの想い出の中の彼女の姿よりも、ずっと小さくなっているように感じた。

 それだけではない。どこか悲しそうな、思いつめたような雰囲気を感じた。

「大変だったね。大丈夫?」

「ええ……」

「ともかくさ、ゆっくりしていってよ」

「ええ……」

 老婆はただただ、気のない返事を返すだけだった。

(年を取ると弱気になるっていうけど、こういうものかね)

 クロウは、ふむ、と軽く息を吐くと、老婆の居る居間から出て行こうとした。

 その時――

「うちは……。あの家は大丈夫かねぇ」

 ぽつり。

 老婆の声が、クロウの耳に届いた。

「……大丈夫さ、ばあちゃん」

「あのテロ。場合によっちゃ、おっきなビルも壊されたりとかもするんだろう?」

「【キルヒェの予言】のテロ……。ニュースで言ってたけど、そういうこともあるらしいよね……。けど、大丈夫さ。きっと」

「…………」

 沈黙。クロウは、自分の言葉になんの根拠もないことはわかっていた。

 半壊か、全壊か。老婆は自身の家がどうなってしまうことを想像したのであろうか。

 不幸、というものは誰にでも訪れるものだ。想像し得る中での最悪のパターン。その訪れを恐怖するのは、例え年を重ねようとも避けられないことだ。

 だからこそ、であろうか。

「あっはっはっは。悪いねクロウ。まぁ、なんとかなるさね」

 老婆は笑った。

「いやぁ、あたしゃバカでねぇ。じいさんの指輪。仏壇に忘れてきちまったんだよ」

 クロウの目には、老婆の笑顔は本物のように映っていた。

 本物のように見えたからこそ、どこか痛々しく思えた。

 心が、苦しくなった。

「あの人、結婚してからずっと指輪してくれててねぇ。そんなものを忘れちまって。あたしゃバチ当たりってもんさ。ほんと」

 ニヤリ、と自嘲気味に老婆は笑う。

 そんな老婆に対して、クロウは言った。

「取ってきてやるよ」

 クロウは、そういう人間だった。

 例え、関係が薄くとも、悪意を向けられていようとも。

 困っていたり、悲しんでいたりしている人を放っておけない人間だった。

 は、と老婆は笑顔が固まった。

「じいさんの指輪。取ってきてやるよ」

「ば、バカ言っちゃいけないよ。危ないよ。あんたに怪我があっちゃいけない。あんなものん、たかが指輪さね。あんたの方が大事だよ。だからそんなこと……」

「任せろって」

 遮るように、クロウは微笑んだ。

「えっと……」

 クロウは一瞬、言葉に詰まった後……。

「大丈夫さ。ちょっとしたツテがあるんだ」

 ウソをついた。

(まぁ、《力》があるから、なんて言ってもアレだしね)

 あわあわと、口を動かす老婆を見据え、笑みを一層強めてクロウは宣言した。

「指輪、取ってきてやるよ。絶対に」

 そして、ふわり、と老婆の頭に手を置いた。

「そもそも、ばあちゃん家は警戒区域の外れだろ? らくしょーらくしょー」

「いや、でも……」

「大切なもの、なんだろ」

 うぅ、と言葉に詰まる老婆。数秒の沈黙の後に「……無理だったらいいからね」と小さく言った。

「任せな、ばあちゃん!」

「ありがとう、ね……」

 眉間にしわを寄せながらも、微笑む老婆。

 その目には、うっすら涙が浮かんでいた。

 それから30分もしないうちに、クロウはキルコロース水を用意して、自転車に乗り込んだ。

 もちろん、両親にバレないように、コッソリと、だ。


 指輪を見つめながら、老婆のことを思い出していたクロウは我に返った。

「おっと、いけね」

 クロウは指輪を持ってきた箱の中に大事にしまうと、背負ったバッグの中に入れた。

 クロウが指輪を手にするまでの間、断続的に、なにかが破壊されるような音が響いていた。音は徐々にクロウの居る場所に近づいているように感じはしたが、今はもう響いていない。

「テロは、終わったのかな……」

 遠く、夜空を見つめる。

 もうもうと立ち上る黒煙が見えた。月明かりと、火災による炎であろうか。時刻は深夜というのに、どこか明るかった。

「ともかく! さっさと帰りますか」

 そうだ。早く戻らなければ。

 まず、来た道を引き返す。

 そして、道を封鎖している警察に「爆睡してて逃げ遅れちゃってました!」とか適当に愛想笑いを浮かべて通してもらう。

 最後に、坂道の頂上に置いてある自転車を回収し、老婆の待つ自宅に戻る。

 そう、あとはそれだけ。

 それだけで終わるはずだった。


 しかし、彼は見つけてしまった。

 元来た道を走っている途中に。

 クロウが老婆の家に向かう際にはなかったものを。


 ――それは、血痕だった。

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キルコロース! -bittersweet sugarless sweets- 風継カジキ @AerialSea

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