一番強いパンダのおじさん

さる☆たま

第1話 そいつは音もなく現れた!


 それは、いつもと変わらない帰り道。

 わたしこと、猪熊麻いのくまあさは憂鬱だった。



 夕日に染まる海を臨む坂道を下り、ただ真っ直ぐに家路へ向かう学生服たち。

 何の変哲もない日常。

 変わり映えのない街並み。

 行き交う男子や女子の群れ。

 どれもこれも退屈で、わたしの見ている風景は実に在り来たりなものだ。

「学校は社会の縮図」なんて言うけれど、つまりそれは大人になっても変わらない。この働きありのように行き交う男女の群れが制服から背広に切り替わるだけだろう。

「はぁ……」

 思わず溜息が出る。


 なんか、非現実的な現象でも起こんないかなぁ?

 どこかに、非常識な生物でも現れないかなぁ?

 とにかく、破天荒な事件でも起こって日常をぶち壊してくんないかなぁ?


 胸の内でそんな愚痴を零しているまさにその瞬間ときだった。

 わたし達の「日常」は、突然壊れた。


 ぱりんっ!


 という、と共に………………………………………………


「え?」

 それは、海の方からだった。

 突然、割れた空の隙間から滝のように灰色の闇がなだれ込み、瞬く間に黄金色に光る海を埋め尽くした。

「え、え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 なにこれ、ファンタジー?

 灰色の群れはさらに膨れ上がり、波打つ洪水の如く上陸を果たす。


 そして、「彼ら」による一方的な狩りが始まった。



 逃げ惑う人、人、人!

 その群れの中で、わたしもまた息を切らせながら全力疾走していた。


 一体全体、なんだってのよ!

 わたしが一体何をしたっていうのさ!


 およそ身勝手と思える言葉。この時、わたしはそんな気持ちで胸を満たしながら世界に逆恨みしていた。

 神様なんて人間にとって都合の良い存在だ。困った時に頼っておきながら助けてくれないと責任をなすりつける、打ってつけの言い訳相手だ。

 そもそも、神様なんてるんだか在ないんだか解らない……ていうか、多分在ない。そんな曖昧な存在だからこそ、無条件で甘えられるのだ。

 そして、世界は神様が創ったものだと、どこの国の宗教でも大体そう言っている。だから世界に逆恨みすることは、それを創った神様への八つ当たりなんだ。


 この状況は、わたしが引き起こしたのかもしれないのに。

 わたしが「退屈だ」なんて、神様だか何だかに願ったせいかもしれないのに。


 もちろん、そんな非現実的な理由ではないことくらい解ってるつもりだ。

 解っているつもりでも、やっぱしそう思いたくなる。

 混乱しているせいなのか、そもそもが上に非現実的過ぎるせいなのかは解らないが、現実に「彼ら」が空を割って人間を襲っていたのだから。

 正確には、「彼ら」を見たわたし達がパニクって逃走しているのをただ追いかけているだけなのだが。

 だったら、逃げなきゃいいだろって?

 いやだって、そりゃねぇ…………………………


 いきなしら、誰だって逃げるでしょ?


 ともかく、今はまだ怪我人すら出ていない。いや、逃げる時に揉みくちゃにされて怪我した人とかならいるけど。少なくとも、まだ誰一人「彼ら」に喰われたり引き裂かれたりはしていなかった。そう、今のところは。


 だが、そう安堵していたその時、悲劇が起こった――


 アスファルトを踏みならすようなキャタピラーの音が、その平穏を打ち破った。

『目標、謎の灰色熊グリズリーの群れ。構えよーし、放てぇぇぇぇぇぇい!』

「どん!」という轟音が背後に響く。慌てて振り向くと、視界を埋め尽くす戦車の隊列が火を噴いていた。戦車だけではない、よく見るとミサイル装甲車まである。それらが、あの灰色の群れ相手に一斉砲撃を浴びせているのだ。

 陸上自衛隊……ではない。それは、一昨年の初め頃から対地球外生命体用に組織された防衛隊DAC(悪魔的生物攻撃部隊)の戦車隊だ。

 自衛隊よりも遥かに殺傷力の高い兵器を有し、世界中から選りすぐりの人材を集めた地球規模の精鋭部隊だ。

 なんでこんな組織が創られたのか未だもって不明なのだが、なんでも「近い将来、宇宙の彼方から恐ろしい侵略者がこの地球を攻めてくる」などという眉唾な学説を真に受けて発足したらしい。

 わたしは今日この時までその話を某国が海底深くに仕掛けたとかいう地震爆弾並みのデマかとばかり思っていたのだが、まさか本当にそんなアホな軍隊が存在していたなんて!

 そして、まさか本当に地球外(なのかは不明だが)生命体とやらが現れるなんて!

 逃げるわたし達を背に、今もなお鉄の守護神達が灰色の悪魔の群れへと砲弾の雨を注がせている。弾幕は、景気良く夕暮れの空を染めていく。だが――――


「ぱこーん」というコミカルな音を立て、鉄の塊が次々と夕空に舞った。


 ……………はい?


 えっと、なに今の?

 たしか、DACって地球最強の兵装を備えているって話じゃなかったっけ?

 たかが熊如きに、何片手でぶん投げられているワケ?


 わたしはワケが分からなかった。


 だってそうでしょう?

 地球最強の軍隊が灰色熊の群れ……の先頭にいるって、んなアホな!?


 冗談めいた光景に、わたしは半ば呆然と立ち尽くしていた。

「DACの戦車隊が全滅しただと!? もう地球はお終いだ!」

「畜生ぉぉぉ、俺まだ一度も彼女出来たことないのに。このまま死ぬなんて嫌だ! リア充、先に逝けよ!」

「逃げるのよ、地の果て……いや、宇宙でも何処でもいいから!!」

 口々に勝手なことを言い放ち、我先にと駆け出す群衆。

「おい、そこどけっ!」

「痛っ!」

 とっさに肩を突き飛ばされ、尻餅を突くわたし。

「な、なにすんのよ……って」

 座り込んだまま毒づくわたしの頭上が、突然暗くなった。


 えっ何、これ……た、多分、雲か何か……だよね?


 立ち上がろうと恐る恐る右手を後ろにやり、ふとザラついたような硬い毛触りが指先に伝わってくるのが分かった。


 えっと、これってひょっとするとひょっとして……


 わたしはゆっくりと首を上へと向けた。すると、そこには――

「ぐぁるるるるるぅ……」

「あ、えっとその……ど、どーぶらい・びーちぇる(こんばんは)?」

 姉から聞きかじったロシア語で、灰色のシベリア熊っぽい生物に挨拶してみた。

 そいつは口端からよだれを垂らしながら牙を見せ、鋭い黒爪を立てながら右手を高らかに上げた。そして、物凄い勢いであたしの頭上にその凶刃を振り下ろす!

「ひっ!!!」

 逃げるいとまがあればこそ。わたしは瞬発的に目を瞑り、頭を抱えて地に伏せた。


 あ、これ、詰んだな。

 神様ごめんなさい!

 世界様すんませんっした!!

 お父さん、お母さん、お姉ちゃん、先立つ不孝をお許し下さいっ!!!




「……………………………………………………て、あれ?」


 何も起こってない? ほわぁーい? Do You Courtどぅーゆーこーと


 疑問符を頭に浮かべながら、わたしは再び恐る恐る顔を上げる。

 すると、そこに灰色の脅威は消え去り、代わりに白と黒が綺麗に分かたれた世界が広がっていた。なんとなく左手を背後に回してその身体に触れると、

「あ、もふもふ……」

 柔らかな毛触りが、指にとっても心地よかった。

 それは、愛くるしい瞳をこちらに向けて言った。

「お嬢ちゃん、怪我はなかったかい?」

「あ、はい……大丈夫で…………す………………」

 優しい声で気遣ってくれたに、わたしは思わず返事をし……て、あれ?


 ええっと……………………………………………………パンダ?


 目をぱちくりしながら、わたしは反対側に向き直った。

 そこにいたハズの灰色熊グリズリーはどこかに消えて、遠くの方では同じく灰色の大群が身構えながらこちらを睨みつけていた。

 正確には、こちら側にいる白と黒の「もふもふ」に。

 そして振り返ると、もふもふパンダが口を開いた……………………ん?

「おい、ガキども。鉄屑オモチャ相手にはしゃぐのは、楽しかったか?」

 今度はドスの効いた声音で、ジャイアントなパンダ様が灰色熊グリズリーどもを威嚇する。て…………………………………………………………

「し、しゃべってるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! パンダが人語を解しとるぅ!?」

「たかが熊猫パンダ風情が、不意打ちが効いたくらいで調子に乗るなよ?」

 あまりにファンタジーな展開に絶叫するわたしの背後で、今度は別の声がそれに応える。

「所詮あ奴は我ら闇熊族グリズリーの中でも最弱! ただの鉄砲玉よ!!」

「ええええええええええ!? グリズリーもかよぉぉぉ!!」

 最早、わたしの理解など軽く飛び越えた領域で、双方の熊が当たり前のように罵り合っていた。

熊猫パンダ風情と言ったか? 面白い、ならば少しだけ遊んでやろう!」

「ほざけっ! 闇熊魔円舞ディーバ・ド・サイクロンっ!!」

 闇熊グリズリー達が身をよじりながら一斉に飛び上がり、空中で駒のように回り始めた。

 それはたちまち灰色の竜巻へと姿を変え、互いがスピンし合いながら分厚いアスファルトを巻き上げて接近する。

「ひぎゃあああああああ!! こっち来んな、あっちへ行け!」

 立たない足腰で這うように逃げるわたしを庇うように、もふもふパンダ様が前に出た。

「ふん、下らん舞だ。そんなチンケな舞踏でこのワシと張り合おうとは、片腹痛いわ!」

 吠えるや否や、パンダのおじさんは地を蹴った。

 華麗に宙を舞うパンダ様。足を振り上げて上下逆さに浮き、そこでピタリと止まった。

 最早、目を白黒させるだけの私を尻目に、パンダ様は浮きながら眼を光らせる。

「知っているか、竜巻の弱点を?」

 その問いに、しかし答えられる者など誰もいなかった。

 ただ一人、このわたしを除いては。

 この時、わたしは気づいてしまっていた。パンダ様が言わんとしていることが。

「この勝負、もふもふ様の勝ちね……」

 ニヤリと笑みを浮かべ、もふもふパンダ様は一言宣った。

「それは、頭上だぁぁぁぁぁ!」

 叫ぶなり、もふもふ様は竜巻の目の中に急降下した。鋼のような爪先を真下に伸ばして。

 そして――――大爆発が起こった。

 中央の竜巻がまるで暴走する水道のホースのようにひしゃげ、周囲の竜巻達を巻き込みながら円を描く。それがやがて巨大な台風となり、赤い飛沫と共に灰色の塊を次々に飛び散らす。

 偶然、私の足元に飛んできたその破片を触ると、ざらざらとした毛触りが指を刺激する。

「ひぃっ!」と、わたしは思わず指をひっこめた。

 そして、台風は静かに過ぎ去った。

 その跡に立つ影は、白と黒……そして微かに朱色が混じった斑模様のあのお方。

「も、もふもふ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 わたしは恐怖も忘れて立ち上がると、もふもふパンダのおじさんに脇目も振らず飛びついた。


 こうして、わたしと「もふもふ様」の甘く切ないラブストーリーが幕を開けたのでした(多分)

 めでたし、めでたし。






















 しかし、我々は気づいていなかった。

 これがまだ「彼ら」の侵略の序章はじまりに過ぎないということに――


 次回へつづく…………かもしれない。

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一番強いパンダのおじさん さる☆たま @sarutama2003

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