プロローグⅡ ~ガンザ失踪後 市長室~
「この度は秘書であるあなたにまで迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
物で溢れかえった市長室。入り口のドア付近に立つ気品のある男性は部屋の奥のほうで備品の整理をしている若い女性に頭を下げた。
「顔を上げてください。そのようなことを言わせるために呼んだのではありませんから」
「しかし、謝らなければならないのは間違いありません。父が失踪して一番大変だったのはあなただったでしょうし」
女性は作業する手を止め、はっきりとした声で否定する。
「そんなことありません。ガンザさんがいなくなって最も悲しいのはあなた方家族に決まっています。それに比べたら私の大変さなんて……」
二人がいる市長室はガンザの後に新しく就任した市長を迎え入れるために、現在大急ぎで改装中だった。前市長ガンザは突然姿を消してしまったので部屋には彼の私物がたくさん残っており、それらを整理する必要があったのだ。
「すみません。いない人の話をしていても仕方ありませんね。ええと、僕が持って行けばいい物はどれですか?」
「……その机の上にあるものがそうです」
複雑な表情で女性が指差した先にあるのは、何冊も積まれた本の山。どれも分厚い本で読み応えのありそうなものばかりだった。
「他にはありますか?」
「いいえ。書類等はこちらで整理しますし、まだ使えそうな備品に関してはそのまま置いておくつもりです。そこにある本はガンザさんがこの部屋に持ち込んだものなので……」
「わかりました。じゃあ、持ち帰ります」
男性は用意してきた大きめの鞄を開き、そこに本を一冊ずつ収納し始めた。
「あっ、そういえば、もう一つ言っておかなければいけないことがありました」
「何でしょう?」
「先日、ガンザさんが使っていた机の引き出しを整理していたら、壊れた懐中時計が見つかったんです。処分するべきかどうか悩んだのですが、彼の運転手を務めていた男が『捨てるなら俺が預かる』と持って行ってしまって。まったく勝手な男です。本来なら、あなたに確認しなければいけなかったのに」
「大丈夫ですよ。好きなようにしていただいて構いません」
気にしないでいいです、と男性は小さく手を振った。
「申し訳ありません。今度あの男に会ったらきつく言っておきます」
「本当に気にしないでください。それより、あなたは新たな市長のもとでも秘書として働くそうですね。僕はその……言いづらいのですが、あなたが秘書という仕事を辞めてしまわれるのではないかって思ってたんです。父のこともありましたし、もう嫌になってしまったのではないかって」
「……それについては私も悩みました」
女性は少し間をあけてから、迷いを振り払うように力強い口調で宣言した。
「でも、決めたんです。私はユーリ市長の秘書としてガンザさんを待ち続けると」
その言葉が胸に響いたようで、共鳴するように男性も自らの心境を語った。
「そうでしたか。実は僕たち家族も引っ越さずに父を待ち続けることにしたんです。娘のフィールには辛い思いをさせてしまうかもしれませんが、いつか父が帰って来たときに家がないと困ると思うので」
「じゃあ、この街に残られるんですね?」
「はい。何年でもいるつもりです」
男性は頷きながら、机の上に残った最後の本に手を伸ばした。
その表紙に書かれているタイトルは――演説論。これから長い間、この男性の家の書斎にある本棚の中に眠り続ける本である。
この本の間には演説メモが挟まっている。それはガンザが行うはずだった『幻の演説』のために用意されたものだが、現時点ではガンザ以外にそれを知る者はいない。今、本を手に取るこの男性も、それを横で見ている女性もそのことには気がつかない。
次にその存在を知る者が出てくるのは相当先の話になる。それまでこのメモは誰の目にも触れることはない。
だが、いずれ必ず見つけられる。
そして、このメモが見つかるとき、物語はまた大きく動き始めるのである。
演説は幻となり 遥石 幸 @yuki_03
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