第2話 間違えて、秘境混浴 〜群馬県 宝川温泉(後編)

 夜の温泉は、また格別に違う姿を見せる。

 それを私はようく知っていたので、ウキウキと廊下を歩いていたら、妙な団体に出くわした。なんだか軽い感じの、ヤンキー風味の一団だ。

 

 ここで断っておきたいが、私は基本的にヤンキーだチャラいだくらいで人を判断しない。髪が金髪でもチャラい服装でも、ものすごく優しい人もいるし、人格者がいることも私は知っている。というか友達にいる。


 そんなわけなので、見た目生きている世界が違うとしても、普段は特に気にはしない。のだが、この一団はちょっと違っていた。

 なんというか、とした視線でこちらを見てくる。私は何の変哲も無い浴衣姿なのだが……

 その時はなんだか妙だなあ、と思いはしたものの、気にせず温泉に向かった。


 そして───


「おおおおおおお!!?? ふ、ふつくしい……!!」


 和の美しさの真の姿は、宵闇に浮かぶ灯りに他ならぬ。

 露天風呂は、今や月夜に照らされ、白い湯煙でもっていよいよ幻想的な姿となっていた。その中で、ぽっかりと……ほの暖かい提灯の灯が、点々と色付いている。

 まるで狐に化かされ、桃源郷にでも降り立ったかのような心もちだ。

 この感想については、ガチである。虚構でも何でもなくマジである。

 こればかりは、実際にその眼で見た人間にしか分からないだろう。


 私はウキウキとしながら、気分によって温泉の場所を変えて楽しんだ。特に気に入ったのは、最初の印象と同じく、小宝の湯である。宵闇に包まれて、渓流のキラキラした流れを楽しみながら、同じく灯りを受けて輝く湯面に包まれ、ほうと溜息をつく。この至極たるや。

 魂の選択とは、このことであろうかと思うほど、私は夢心地だった。


 そこへ───


 突然、静寂に包まれていた背後がにわかに騒がしくなった。バタバタと大勢が入り込み、湯船を揺らす。男性の団体らしい。


「なんちゅー無粋な……」


 温泉の付き合い方は人それぞれ、大勢と楽しむなら声が大きくなり騒ぎたくなる気持ちもわかるが、どうにも神経に障る騒ぎ方である。

 嫌な予感がして振り向くと、


「あっ、さっきのお姉さんだ!」


 なんと、先ほど変な視線を送ってきたチャラい団体ご一行様ではないか。しかもこちらを指差しての第一声である。

 なんというか、無いわー。


(うへぇ……)


 私は内心渋面を作りつつ、表向きは涼しい顔で温泉を楽しむことにした。こんな奴らに夜の温泉を妨害されるなど、たまったものではない。

 しかし、なんということだろう、彼らはべっとり視線を崩さぬまま、話しかけてくるのだ。


「お姉さん、1人なの!? ねえねえ1人なの!?」

「こんな混浴に1人だなんて、どーして? 彼氏いないの?」

「うーんいいねえ、色っぽいねー」


 いやいや。お前ら、体しか見てないな?

 普段服着て歩いてたら、十中八九無視するくせに……うぐう……!!

 な、なんかすごく、ぐやじい…ぐやじい…


 一応ちやほやされてるっぽいのだが、なんかすっごく悔しい気持ちになりつつ。

 でも、ちょっと……怖くなってきた。


 その団体、温泉ののだ。


(え? ちょっとまって、これって出るには彼らの横を通過する必要があるの?)


 うげえ。神様、勘弁してくれよ!

 意図してそうしたのかは分からないが、それって怖くないか?

 いや、私も男友達とは付き合い長いから、あんまり女の本能とかようわからんけど。でも、いやこれって、


(こわい。)


 ここでようやく、私は危機感を持つことができた。

 そこからどうやって出て行こうか考えあぐねいていたが、こちらが呼びかけに対して一向に無視しし続けて飽きてしまったのか、彼らの中で談笑し始める。


(───隙ありだ、小童どもめ!!!)


 そんな隙を見逃す私では無い。

 軍艦巻きのタオル一枚であることがこれほど頼りないと思ったことはなく、血の気が引きながらも、なんとかやり過ごして一団を突破し、部屋に戻ることに成功した。

 奴らは「あれ、お姉さん帰っちゃうの〜?」なんて下卑た笑いをしていたが、こんにゃろう。悔しい。楽しいはずの温泉の味わいを、汚されたような屈辱とでも言うのだろうか。それを味わった気がする。


 悔しい気分のまま、その日の夜は、おとなしく部屋に戻り寝ることにした。

 渓流の音が、嫌な気分を押し流してくれるような───

 そんな心地よさを感じ、眠りについたのだった。



◆  ◆  ◆  ◆



 翌朝。


「ふふふふふ……こんなこともあろうかとー!!!!」


 私は、早朝5時に起きていた。

 もちろん、である。


「ふっふっふ。元来、邪悪なものは朝日に弱いと聞く。これだけ早朝なら、嫌な気分も吹き飛ぶ爽快なひとっ風呂に違いあるまい!! いざ出陣んんんん!!!!」


 人は言う。

 『転んでも、ただでは済まぬ、人と風呂』と。


 そんなわけで、最初は大きな風呂がいいなと、ここに来た時も最初に入った、プールのような広さの「摩訶の湯」に入ることにした。

 狙い通り変な輩はおらず、というか人もおらず、実に貸切状態!!

 その上、早朝特有のきりりとした冷たい空気に、身が引き締まる思いだ。朝は朝で、こうも表情が違うとは───


 湯船に包まれ、身体の緊張が一気にほぐされる。

 ああ、気持ち良い。


「そういえば、ラッキースケベ的な事態には全然遭わなかったなあ」


 うら若い女子にしては親父のようなことを考えつつ、そもそも、若い男は昨夜の一団だけだったことに気付く。うーむ。残念なような、そうじゃないような。

 考えをめぐらしつつも、なんだか眠くなりかけた───その時だった。


「うっはー!! 貸切だぜ!! すっげー!!」


 昨夜の騒ぎとはまた違った、なんというか、純粋な感動とでも言うべき感嘆が視界の外れから聞こえてきた。


「うえ? あ、そっか。私はそっちからじゃ見えないのか」


 たまたまだったのだが、私は入口から見ると岩場に隠れた場所にいたらしい。


「うひょー!! これなら、人目を気にせず行けるぜー!!」


(随分はしゃいでるなあ。声も若いし、なんというか微笑ましい)


 暖かな気持ちで、そちらに目を配らせると、飛び込んできたのは───


「ヒャッハー!!」


 テンションが最高潮に上がったのだろう、ちょうど目に入ってきたのは、10代くらいの若い男子が湯船に飛び込もうとしたその時。

 足が上がって。

 片足が。

 股間が。


───なんかピョンピョン股間で跳ねる細長いが。


「───あれ?」


 すごくゆっくりと時間が流れていたように思う。

 その中で、私はゆっくりと今発見したものに思いをめぐらせ───

 それが何であるかを、理解した。


「あ。ラッキースケベ、達成しちゃった☆」

「はわあああああああ!?」


 対して、こちらの存在に気づいて股間を超隠している男子。申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げながら、


「ごごごごごめんなさいっ!? す、すすすみませんでしたァァッ!!!」


 ほうほうのていである。

 なんだか、ちょっとそれは───


 かわいい。


 思わず笑いがこぼれた。

 こんなに平和なラッキースケベがあったとは、人生捨てたもんじゃないな!!


「いえいえ。ごゆっくり♪」


 内心ドキドキしつつも、大人の余裕をかまして、笑顔で温泉から出る私である。

 ふっふっふ。

 大人の女である。

 ふっふっふ。


 そんなわけで、最後に入った朝風呂は、実に気持ち良いもので終わることができた。そのまま行った朝食も最高の出来で、素朴ながら味は一流だ。

 そんな中、おかわりをしていると。

 なにやら給仕さんたち、それもある程度中年に近い女性たちが、何かと話しかけてくれるのだ。


「もっと食べて下さいね? おかわりたくさんありますからね」

「はえ? ありがとうございます、食べてますよー(もぐもぐ)」

「こちらもたくさんありますからね、いいんですよ、たくさん食べて」

「う? あ、はい、ありがとうございます」


 なんだか、やたら食べてね、食べてねと親切にされるのだ。

 最初はこの宿のサービスかなと思っていたのだが、特に別の家族やカップル、夫婦にはしていない───

 と、ここで、私はハタと気がついた。

 女一人で居るのは、だ。


(も、もしかして……失恋旅行だと思われてるぅぅぅ!?)


 よほど、混浴に女一人旅の威力は絶大だったのだろうか。

 この後も、やたら心配顔で親切にされる私。

 親切は嬉しいのだが、これはなんともはや───


「なんちゅーか……まあ、こんなのも私らしくって、いいかな」


 苦笑して、朝食に「ごちそうさま」をする私。

 

(うん。また来よう)


 密かに心に決め、部屋の鍵を手に取る。


 さらさらと絶えず聞こえる渓流の音色。

 季節は、春から夏へと変わろうとしていた───

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旅は冒険、風吹くままに! 雛咲 望月 @hinasakiyu

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