第13話 ――ボロボロのボール――

「いや~、やっと終わりましたね~。お疲れ様でした。セッション終了です!」


 光は机に突っ伏すようにしている。晴人はセッション完了を喜び満面の笑みだ。冬島は散らばった机の上を片づけ始めているし、翔一はぼんやりと自分のキャラクターシートを眺めていた。

 ふと、カラスの鳴き声が聞こえたので、窓の外を見やるともうすっかり夕焼け空だ。運動部の生徒たちの掛け声も、今は聞こえてこない。

「それにしてもさ」

 皆セッション終了の余韻に浸っていたがそんな中、晴人が口火を切った。

「……敵強すぎじゃなかった?」

 これには翔一も同意見だ。レベル1の初めての冒険者にしては恐ろしくきついクエストだったと思う。特に、ミナは何度も死にかけていた。

 晴人の意見に、GM――冬島はにっこり微笑んで答えた。

「まあ、私は死にそうになるくらいがバランスいいと思いますけどね」

 その笑顔に邪気のようなものは感じられない。きっと、本心からこう言っているのだ。何とも恐ろしいGMである。

「では、セッションも終わったことですし、ドロップアイテムと経験点の処理をしましょう。皆さんレコードシートを出してください」

 GMの一声で、机にうなだれていた光も体を起こして、机の上にレコードシートを広げた。そして、今回のセッションで得た経験点やアイテムなどを書き込んでいく。

 晴人と翔一が黙々と書き進めている中、光はゲットしたアイテムに妙なものを見つけてGMに尋ねた。

「澄泉、ヴァンパイアにもらった剣って結局何だったの?」

 セッションが終わる少し前、ヴァンパイアにもらった箱の中に入っていた錆びた剣だ。見た目は本当にただのボロい錆びた剣らしい。

だが、伝説級モンスターであるヴァンパイアからもらった剣だ。何もないという方がおかしい。きっとこの剣には何かすごい効果が備わっている。光はそう考えた。

 しかし、冬島は光のそうした考えをぶち壊しにするようなことを言った。

「いえ、ただの錆びた剣ですよ」

「そんなぁ~」

 わざわざヴァンパイア城へ行ってまで手に入れたものが錆びた剣だったとは、テンションがダダ下がりだ。

 そんなこんなで、レコードシートは埋まっていく。今回のセッションでは戦闘が多く、敵も強かったため経験点も多くもらえて、三人とも余裕でレベルアップできた。

 一応、依頼は達成できたことになったらしく、クエストの報酬としてまとまったお金も得られた。冷徹なGMもそこまで鬼ではなかった。

 レベルアップによる能力値の補正や新たなスキルの取得などは、もう時間が遅くなってきたこともあって、次回に持ち越すことにした。

「さて、皆さん今日はこれで終了です。本当にお疲れ様でした!」

 冬島の声と共に光は椅子から立ち上がり、カバン片手に教室を飛び出していく。晴人と冬島もそれに続く。一人教室に取り残された翔一ものろのろとカバンを手に取り立ち上がる。教室の外に光たちの姿は無い。奴らはさっさと行ってしまったんだろう。

 翔一は光たちに追いつくために足早に歩き始める。廊下を急ぐ途中、翔一は机を元に戻すのを忘れていたことに気づく。

「……ったく、あいつらは……」

 仕方なく急いで教室に戻る。


 教室の戸を開けると、誰もいない教室に斜陽が差し込んでいる。斜陽は机や床で反射して教室全体を幻想的な淡い橙色に染め上げている。


 TRPGをやった後、机はそのまま四つが向かい合わせになっている。それぞれの机には各自が使ったプレイヤーキャラクターの面影が残っているように思えた。


 自分は今日ここでずいぶんと久しぶりにボールを蹴ったのだ。そのことは翔一に不思議な、けれどもほんのり暖かい何かを与えていた。


 翔一がしばしば感慨に浸っていると、廊下の方から声が響いてきた。

「翔一~! 何やってんのよ! 早くしなさいよ~!」

 光の声だ。

 翔一はそそくさと机を元の位置に戻す。腐っても掃除大使。このくらいはやらなくては。

 最後に、教室全体を見渡し、ゆっくりと戸を閉めた。


「悪いな、待たせて」

 光、冬島、晴人の三人は下駄箱の近くで翔一を待ってくれていた。

 光は遅れてきた翔一にご立腹の様子。頬をぷっくり膨らませて猫のような鋭い視線を翔一に向けているが、別に大して怖くは無い。むしろ少し照れる。

「遅い。何やってたのよ!」

「まあ、夏凪さんそう言うなってば」

「ふふ」

「何笑ってんのよ、澄泉!」

 晴人はいつも通りのスカした笑顔。だが、強面のせいで爽やかさは欠片ほどもない。

 冬島は皆でTRPGをできたことがとっても嬉しいようで、天使のような笑顔だ。

「じゃ、帰ろうぜ」

 靴を履きかえ、昇降口から外に出る。


 机の上ではあるけれど、四人は今日、おそらく人生で初めてであろう大冒険をした。

 それは時につらく苦しいものではあったけれど、終わってみれば実に清々しい。そんな気分を四人は感じ、ふと空を見上げる。

 月が薄ぼんやりと出かかっていて、一番星は向こうの空で明るくまたたいている。


 ふと、晴人がつぶやいた。

「また……やろうな。俺、今日楽しかったよ」

 晴人の言葉を聞いて、光は彼の背中をポンと叩いて言った。

「あったりまえでしょ! ねえ澄泉、翔一」

 光の言葉に翔一もコクリと首肯した。

 冬島に至っては目をうるうるさせているほどだ。

「私……嬉しいです。皆さんがTRPGで喜んでくれて」

 感激のあまり今にも泣きだしそうになる冬島を見て、翔一は自然と笑ってしまう。

「泣くことねえだろ冬島。俺も、楽しかった。ゲームなんてほとんどしたこと無かったけどさ、今日は楽しかったよ。また、集まってやろう」


 結果として、今日のセッションは成功した。今日はプレイヤーである翔一たちだけでなく、GMである冬島もTRPGを楽しむことができたのだ。これを成功と呼ばずして何と呼べばいいのだろうか。


 校門のところで、四人は別れ、それぞれの家へと帰り道を歩いていく。帰り道は一人であるけれど、決して彼らは一人ではない。一つのセッションを成功させた四人は、すでに窮地を共にした〝仲間〟であった。


 歩く道は違うけれど、四人の上には同じ満天の星空が広がっている。


   * * *


 家へと帰った翔一を出迎えてくれたのは母親。

 ただいまと言って、自室へと向かう。そんな翔一を母親が呼び止めた。

「翔一……あんた、何かあったの?」

「は? 別に……何もないけど」

「そう……。何かいつもと雰囲気違ったふうに感じたからねえ」

 妙なことを言う母親にはこれ以上構わず、翔一は階段を上っていく。

 部屋の戸を開けると、そこは見慣れた自分の部屋。

 カバンをその辺に適当に置いて、壁に貼ってあるポスターを一瞥する。ポスターの中のサッカー選手の表情は何かを訴えるかのように輝いている。

 翔一はポスターから視線をそらし、近くにあった座布団を枕代わりにして、仰向けになって天井を仰ぐ。


 今より数時間前、自分は紙とペンが作り出す不思議な世界に旅立っていた。

そこでは、冬島が神として君臨しており、騎士の恰好をした光と、マッチ程度の火しかつけられない魔法使いの晴人がいた。二人と一緒に翔一は見知らぬ世界を冒険した。そして、そこで、翔一はボールを蹴った。


 ボールは部屋の隅で無造作に転がっている。随分とボロボロになってしまったサッカーボールはもはや白と黒のコントラストが消えかけていた。今ではすっかりホコリが積もってしまっている。


 翔一がボロボロのボールをじっと凝視していると、不意に部屋の戸が開く。


 ノックもせずに踏み入って来たのは譲。

「兄ちゃん、ごはんだってさ。返事くらいしろよな」


 いつから呼んでいたのだろう。翔一は弟が自分を呼ぶのに全く気付かなかった。それほどに意識をあの、ボロボールに集中させていたのだ。


 翔一は譲をじっと見て、おもむろに言った。

「……譲」

「何……?」

「今度、俺にもゲーム教えてくれよな。できればRPG」

 突然の兄の願いに驚いて、譲は一歩後ずさりした。

「兄ちゃん……一体何があったんだよ?」

 翔一は譲に話し始めた。今日、冬島たちとTRPGをしたこと。そこでは自分はエネルギーボールという特別な武器を使って、村を荒らすインプの企みを阻止したことを。

 譲は兄の話をからかうことなく、時折相槌をうちながら聞き入っていた。

 そして翔一の話が終わると、

「……わかった。そういうことなら教えてやるよ。でも、ゲームとなったら俺は兄ちゃんに負けないかんな。それにしても、あの頑固な兄ちゃんをここまで変えるなんて……冬島さんってすごい人だと思うよ」

 そう言って、譲は階段を下りて行った。

「さて、俺も飯にするか」

 よっ、と起き上がった翔一は部屋を出て階段を下りていく。


 秋川家の食卓はいつもと変わらず誰も何も言葉を発さない。けれど、いつもと明らかに違っていた。あの重苦しい空気は消え去り、そよ風に似た、穏やかな空気に包まれていた。いつも、仏頂面でロボットのように食事していた翔一の顔に、今日は笑顔があった。


 食事を終えて、翔一は自室へ戻った。

 戸を開けて、翔一の足がピタと止まった。


 ポスターのサッカー選手と目が合ったのだ。


 サッカー選手はポスターの中から強い意志がこもった瞳で翔一を見つめる。それは何かを語りかけているようで、翔一はまるで金縛りにあったかのようにその場から動けなかった。ポスターのサッカー選手は、かつて《ファンタジスタ》と呼ばれていた男だった。


 彼の瞳から何かを感じ取ったのか翔一はニイっと口角を上げて笑った。

 そしておもむろに部屋の隅へと歩き出し、ホコリが積もったボロボロのボールを手に取った。


 翔一は知っている。このボールには一言で言い表せないほどの数えきれない思い出が積もっていることを。


 部屋の隅でボールを手に取り立ち上がった翔一は、一人つぶやく。

「……テイル・シュート……か」

 そして、ボールを持ったまま部屋を出て玄関に向かう。

 靴を履いて玄関のドアを開けて、家の外に出る。

 外に備え付けてある蛇口をひねり、翔一はボールを洗い始めた。

 ホコリは流水で流されボロボロではあるが、部屋の隅に転がっていたボロボールはサッカーボールとして息を吹き返し始めた。

 外はもうすっかり夜。上を見上げると、暗い夜空に星がそこかしこで輝いている。月明かりが水に濡れたボールに反射する。

 結構な量の水を出したので、小さな水たまりができた。

 水たまりには翔一の顔が映し出されている。水面に映し出された翔一の表情は仏頂面ではなかった。穏やかな微笑を浮かべていた。

 翔一はボールを空に向かって軽くぽーんと蹴り上げた。

 その瞬間、一筋の風がふいた。風は翔一に纏わりついて、そのまま過ぎ去ってゆく。



 ボールはぐんぐん上がっていく。

 ――高く、高く。天を目指して。

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ペンとと!? 秀田ごんぞう @syuta_gonzo

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