乖離

 三日過ぎ、早いもので僕等は物凄く懐かしい振動に揺られていた。

 スライドする景色、せわしなく駆け抜ける日光。

 僕βは文庫本を広げていた。

 僕αはずっと、窓の外を見ていた。

 硝子に反射したりして自分と同じ人間だがこちらを見ていない顔がちらつく度に、僕は落ち着かなかったのだ。

 僕αは進行方向を向いて座っていた。

 僕βは進行方向と逆を向いて座っていた。

 流れる山村。ミニチュアの様な低い建物達。

 ……


 販売品を一杯に詰めたワゴンを押して移動する客室乗務員を、僕βが呼び止めた。彼はチョコレートとコーヒーを買っていた。僕αの分のコーヒーも一緒に頼んでくれた。


「双子なんです」


 不思議そうに二つの顔を交互に眺める乗務員さんに、僕αはそう言った。


「ああ、そうですよね……」


 納得したように笑顔を見せ、それからごゆっくり、と付け加えて乗務員は去って行った。


「僕β」

「何?」

「そういや訊いてなかったんだけどさ、学校で彼女と何を話していた?」


 吹き出す僕β。


「彼女って、誰の彼女」

「Sheの方だよ」

「誰?ああなるほど、幼馴染の」

「そうそう」

「あいつとは結局一度も話してないなあ」

「え?」


 窓の外を、反対側に向かって駆け抜ける電車が満たした。光の激しい点滅が、座席の上を満たした。


「チョコレート、食べれば」口を開く僕β、文庫本に飽きたのか分からないけれど、しおりを挟んで膝元に置いていた。

「うーん、まだいいや」

「そうか、じゃあそっちの分は残しとくよ」


 『彼』の手がじわりと動き、四本の指が、僕が口にするチョコレートと、彼の口にするチョコレートとを隔てた。

 白い、輪郭ぼやけた白。血の色薄い。窓の外の緑が視界の外でちらつく度に、どうしてか輪郭が溶けていくかのよう。僕は僕の手を見た。いつそうしたかは忘れたけれど、カーテンを半分閉めていたので、僕の手は暗く重い肉の塊そのものに感じられた。


 ……どうしてか、惑っている。

 僕は僕でいたくないのだ、と思う。

 彼が僕でいるべきなのだ、と思う。

 だが、理解したのは、僕が今までの僕に違いなかったという事。

 僕は穢れた僕だ。その上で僕は僕であってはならない、と思う。

どうすればいいのか。

ここで電車を降りれば、もう家に帰らずに……

そうしてしまおうか?そうする事だって出来る。

 だって、そうだ。

 問題が減るだけだ。

 彼が同じ事をしようと考えていなければ……


「なあ、β」

「なんだよ、僕α」

「よく考えたらさ、俺よりお前のが外に出てた時間は長いだろ?」

「……だから、何?」

「だから……俺の知らない話題とか、なんかないの?」


 沈黙。

を、恐れていた。

 初めてその事に気が付いたのだ。

 微かな話し声が消え。

 駆動音が消え。

 思いもよらぬ感覚に、唇が震えだした時。


 鳴音。

 甲高い。

 中年の男が前方から、携帯を持って駆け、手前に消えていった。 


「学校に行った時、真っ先に話しかけてきた奴がいたろ」

「ええ、ああ……」

「アイツ、SF映画が好きなんだけどさ」

「最近出来た友達?いつもああなのか?」

「……まあ、そいつの受け売りだと思って聞いてもらいたいんだけど」


 一つ、彼はチョコレートを取り、食べた。


「例えば、この列車がものすごく速く……それはもう、光と同じくらいのスピードで駆け抜ける列車だったとする」

「猿の惑星?」

「その通りなんだけど、その映画はあまり関係ない」

「未来に行ける鉄道の話?」

「それだけならこの列車だってそうだな」

「違いないけど、そんなオチじゃあ笑わないよ」

「要は理論なんてどうでもいいわけだ。過去にも未来にも自由に行ける機械が現実にあったとする」

「なるほど、アイツの話はそこから始まるわけか」

「妄想たくみな奴だって、話しててわかったろ」

「巧みかはわからんけど」

「で、戻すんだけど、パラドックスって話があるじゃないか」

「知ってる知識は反芻しなくてもいいよ」

「過去に戻って僕が僕を殺したとしたら、どうなる」

「未来の僕も居なくなって、じゃあ僕は誰に殺されたんだ?ってなる」

「そう、そう言うどうしようも無い事は本当にどうしようもないので、世界そのものの流れを消しかねない。でもどうにかこうにか辻褄の合ってしまう事象もあるわけだ、つまり、ある一定以上の揺らぎは無問題という事」

「セーフティラインがあるっての?」

「幾ら文明が地球を埋め尽くしたとしても、人間が滅びて何百年、何千年も過ぎれば何事も無かった様になる。それと同じで大きな流れの中でのその異常は些末な物で、どうにかすれば何事も無かったかの様になってしまう、という事だってあるんだよ」

「タイムトラベラーには分厚いルールブックが必要だな」

「そう、アイツはそのルールブックを頭の中に作って俺に披露してた、やってる事馬鹿だけど面白いんだよね」


 また一つ、チョコレートを取る。僕は視界の端だけでそれを捉える。


「へえ、それは気になるな、例えばどんなルールが?」

「タイムトラベルが絡んでも絡んでいなくても、他人を殺してはいけない」

「なんだそれ、パラドックス関係なしに最低限の倫理は持てって事?」

「そう、それを示すための一文。分厚いルールブックに雁字搦めにされて最低限超えちゃいけないラインを見失ってしまう事なんてあると思うんだ。でも実際命に関わった事をするという事はリスクが高い。結構な揺らぎが生まれ、それを元に戻すための揺らぎそのものを消すという事だからどちらにしろ人を殺す事は出来ない、その人の代わりになる存在は世界のどこにもいないからね」

「それでも、他人を殺そうと考える人はいるだろ、現実でもそうだから」

「そう、ルールを破る人間はどこにだっている、でもタイムマシンの場合それは世界の存在そのものに関わっている」

「つまり」

「タイムマシンなんてものは存在しても決して使ってはいけない」


 また一つ。チョコレートが減っていく。


「でもさ、その理論を完全に理解した人なら使う権利があってもいいよな」

「そう、アイツもそう言ってたけど、それでもみだりに使うもんじゃないらしいな」

「殺す事ばかり話しているけどさ、逆はどうなるんだろうな」

「例えば、交通事故で死んだ他人をその時に戻って助けてやる、的な話か?」

「そうそう」

「それは可能だが、条件がある。当人を結局その状況から事前に回避させる事は出来ないという事。起こる事件との最低限の繋がりは残しておかなくてはならないんだ、うまく矛盾の穴が埋まるように。だからあわや大怪我を免れた、みたいな状況をうまく作らなくてはならない」

「なるほど、そうすれば話的にも面白くなるもんな」

「いやあ、ミもフタも無い事を言うなあ」

「そういう話じゃないの?」

「俺達はクソ真面目に理論が足りないながらもシミュレーションしてるわけ」

「楽しそうだな」

「楽しいよ、例えば今度は助けられた側の目線で考えてみよう、事故から助けてくれたのはなんと自分自身だったとする」

「え、それって矛盾は生じないのか?」

「助けられた自分は、釘を刺されるわけだ。いつか未来に、事故に巻き込まれた自分を助けなければならない、ってね?」

「助けなければ、どうなる?」

「やはり世界は消滅する」

「ああ、迷惑な話だ」

「もっと迷惑な話もあるぞ」

「聞きたくないなー」

「未来の自分はなんと、自分の身を挺して自分の事を守ってくれたとする」

「ああ、そしたら結局自分もその事故で死ななきゃいけないわけだ」

「そう、ただの延命措置だよな。だが、結局死ぬという結果があるのだから、前述した『事前の回避』が、この場合は可能となる」

「え?でもそしたら、自分は事故によって死ぬという事を知らずに終わるから……」

「気付かせればいいわけだ。自分が未来から来て、自分の命を延ばそうとした、という事を……そうすれば変わらない結果が出来る、君の様に身も蓋も無い事を言ってみれば、その時の自分がそれを受け入れてくれなければ、未来の自分はここに来れていない、という事になるからね……というように、うまい具合に辻褄は合うであろう考え方はしている」

「そうか……じゃあもう一つ」

「何?」

「お前はどうして、俺を助けに来たんだ?」


 僕βは驚いた素振りも見せず、腕時計に一瞬だけ目を配らせて、こう言った。


「幸せのままで死にたかったから」


最後の言葉を残す僕β。

爆炎があたりを包みこんだ時、もう『現在の』僕はどこか別の場所へ飛ばされ始めていた。記憶も、身体も。








 『……先程起こったこの脱線・衝突事故に関しまして、これまでに確認されているだけで乗客××人が死亡。○○人が重軽傷を負い、県内四か所の病院で手当てを受けているとの事です。――只今映っております映像は、事故が起こった現場の現在の映像です……ええ、車両は大きく九の字に曲がっており……――ええ、先程映像が一部乱れました、大変申し訳ありませんでした。この時間は予定を変更して、特別報道番組をお送りしています』


 目が覚めた時、僕はやはり振動に揺られていた。

 スライドする景色、せわしなく駆け抜ける日光。

 いつの間に居眠りをしてしまったのか……


――あれ?トイレにでも行ったのかな……


 僕がそう心の中で呟いたのは、真向いの座席に彼の姿が無かったからだ。



――でも、荷物も無い……


 もう一度窓を見た所で、僕は目を覚ました時には眩しく見えた風景が、いつの間にか薄暗くなって、それどころか赤い逆さまの山脈みたいな雲が並んでいるのを見て、僕は戸惑ったのだ。


『次は、××――』


 無機質なアナウンスが耳に入ってきた時も僕の目は見開いたままで、見開いたままの目玉に、電柱がチカチカ夕焼けを点滅させるみたいに次々と目に入り、次の駅が自分の降りるべき駅――否、自分が今日最初に出た駅である事を、すぐには思い出せなかった。


――ああ、一周して来たのか……


 僕は俄かに理解し、そして彼がもう戻ってこないという事も理解した。


――馬鹿だなあ、アイツ。

どう考えたって、俺なんかよりアイツが俺になった方が良いだろうに。僕だってその方がその後気楽に生きれるかも、なんて思っていたのに。優しさのつもりなんだろうか?


――ん?なんだろう、このチョコレート、いつの間に買ったんだろう。しかも半分残ってるし。ああ、餞別のつもりか。馬鹿だなあ……


 馬鹿だなあ馬鹿だなあと僕は繰り返して、なんだか悲しくなってきた。結局彼はなんだったろう。電車に乗ってから彼は文庫本ばかり読んでいたから、話す事無く終わったし。

 箱をさり気なくカラカラ鳴らすと、中で固い物がぶつかる音がした。何だろうと思い僕は箱を持ち上げ坂道を作った。平面の滑り台を、ラグビーボールみたいな形をしたチョコレート、チョコレート、チョコレート……それから白いチップの様な物が出てきた。それも何気無く持ち上げると、針かなんかで書かれたんじゃないかという位小さい文字で、『Gift』と書かれていたのだ。SDカードみたいな記録媒体に違いない、と僕は思った。だが、端子が虹色に輝く様な物が再生できるハードなんて、僕は全く知らなかった。

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Ⅱ/アイズ @hanta000

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