結、夜明けの桜

「あーららぁ。やられちゃったの」

 呑気のんきな声が夜風に混じる。手近なビルの上に立ち、地上を見下ろす影ひとつ。

 空色の和服に桜模様の羽織を纏い、足には防水仕様のスニーカー。やや違和感のある格好ながら、長く伸びた黒髪が小粋な風情を映し出す。その顔立ちは、傘に隠れて伺えない。

「カスではあったけど……失敗作、じゃなかったはずなんだけどなぁ。何がダメだったんだろうね? ペルキーツァ、どう思う?」

 和傘を揺すると、桜の羽織が風になびく。飛ばされないよう羽織をつかみ、彼は手にした傘を回し始めた。足元には、巨木に群がる蟻めいて集まるパトカーが集まっていた。飛び出していた鑑識と、制服を着た警官たちはスロープを下り、ぽっかり開いた穴へと入っていく。脇にいる、数名の男女を労って。

「やっぱり彼らが優秀だからかな。ひよこが一匹混じってるけど……ねぇ、ヘリュテュアレー?」

 傘に隠れた彼の瞳が、ある少年に向けられる。紫の鞘に納められた一本の剣に彼はささやく。鳥籠状とりかごじょうつばに入った球体と視線を交わし、彼はゆらりときびすを返した。

「飛び立ちて、我が手に戻らぬ鳳凰の、夏の霧へと消えゆく定めか……」

 羽織から、はらはらと桜の花びらが散る。ピンクの花弁は彼を中心にうずを巻き、夜風に流され飛んでいく。

 仇花あだばなの嵐がせたその場所に、彼の姿は既になかった。


 一同が地下を出る頃には、空はほとんど青かった。

 現場到着が三時半頃。十分後に突撃し、戦ったのを踏まえると、夜が明けるのはむしろ当然なのだろう。……魁人としては、今すぐ帰って眠りたいのだが。

 一足先に出たナジームは、首を回して欠伸をかます。

「はー、だりィ……おい、俺もう帰っていいか? 服が臭ェし風呂入りてえし寝てえ」

「ダメに決まってるでしょ」

 ごきごきと骨をならしながら呟く彼に、ヒグロがランチャーを投げつけた。

「うぉっと!」

「前それやって、課長にえらい怒られたじゃない。私、あなたの分まで報告書書かされたのよ?」

「いーじゃねえかそんぐらい。こっちは命張って特攻とっこんでんだ。なあ、新入り?」

「あー……」

 汗でべたつく髪に触れながら、魁人は生返事を返す。頭から足まで冷や汗でぐっしょり濡れていて、シャワーを浴びて早く寝たい。だが、これでも曲りなりに社会人。初日に仕事を放りだすのはいかがなものか。

 なんと言うべきか首をひねる魁人の肩を、葉木吹の手がぽんと叩いた。

「おいおい、新人に変なことを吹き込むな。ほれ、忘れもんだぞ」

「おっ、わりーなオッサン。燃えちまったかと思ったぜ」

 投げられた上着をキャッチし、素早く袖を通すナジーム。その後ろから、小柄な影がちょこちょことついてくる。

 ツインテールにした黒髪に、くりくりとしたどんぐりまなこ。魁人と同じ紺色のスーツを着ているが、不思議と着られているイメージはない。肩にかついだ巨大な槌の頭部には、眠たげな目玉がついている。葉木吹は幼女の背を押し、魁人の前に進ませた。

「一応お前さんの写真は見せたが、直接会うのは初めてだな。中山なかやまはる。見た目はこれだが、うちで働きかれこれ二年。お前さんより先輩だよ。ハル坊、挨拶あいさつ

「中山華です。えっと……こんばんは? おはよう?」

 首を左右に傾げるたびに、ツインテールが天秤てんびんめいて上下する。やや戸惑いながらも、魁人はどうにか口を開く。

「多分、おはようかな。さっきはありがとう。助かったよ」

「……うん!」

 嬉しそうにうなづく華。潜った修羅場を思い返しながら見上げる魁人に、葉木吹はばつが悪げに頭をいた。

「人手不足がひどくてな。腕っぷしと頭がありゃあ、ハル坊の手も借りたくなる」

「それともうひとつ言っとくぜ。そいつ、オッサンの娘じゃねえから。バツイチではあるんだっけか?」

「余計なことを言うな……全員分の報告書書かすぞ」

「待った。そればっかりは勘弁してくれ」

 悪い笑みのナジームに、葉木吹は帽子のつばをおさえて呆れる。しかし、駆け足で若い刑事が走ってくると流れるように敬礼を返した。

「葉木吹さん、お疲れ様です!」

「ああ、お疲れ。ホシは中で全員寝てる。ガイシャの人数も合ってると思うが、一応確認しといてくれ。それと、デカイのは癇癪かんしゃく持ちでそばに転がしたのは足が速い。逃げられんようにな」

「了解しましたッ!」

 ビシッと背筋を伸ばして敬礼すると、若い刑事は駆け足で去る。後に続く鑑識や、彼の同僚と思しき刑事たちも、こちらを見るなり会釈えしゃくをして地下へと次々乗り込んでいく。

「さて、邪魔にならんように俺たちゃ帰る。とっとと報告書出して……坊主、歓迎会でもするか?」

「遠慮しときます。疲れたんで……」

「ハハハ、そりゃそうか。なら、またの機会にするとしよう。ナジーム、それ落とすなよ」

 長大なランチャーを持つナジームが絶句する。

「なっ……なんでオレが! アンタが持てよ! ピンピンしてんだろ!」

「お前も十分元気だろう。ほれ、しっかり持て。ルヴァードだって生きてるんだ」

「オレも生きてんだよッ!」

「わかったわかった。早く車に乗せておけ」

「後で覚えてやがれよクソジジイ……!」

 言い争いをしながら歩く二人に、ヒグロはアイグラティカと苦笑こぼす。

「どの辺が疲れてるの、って感じよね」

「……あれが普通なんですか」

「いいえ、全然」

 さらりと言い切る。

「ハルちゃんも、こないだまではああやってたけど……終わった後は毎回うとうとしてたわね。だから、倉島君が寝たいって言うのもわかるのよ」

「じゃあ、寝ていいですか?」

「それはダメ」

 またも即答。半ば予想していたためか、魁人の肩ががっくり落ちる。一方のヒグロはクスクスと笑う。

「ほんとは仕事終わって十二時間以内だったんだけど、ナジーム君がやらかしちゃってね。うちの班は終わったらすぐ書けって言われたのよ」

「あぁ、なるほど……」

 寝過ごして怒られるナジームの絵が想像できて、魁人はげんなりうなづいた。

「わかりました。真面目に書いてから寝ます」

「よろしい。じゃ、早く行きましょうか。ケースは後で送ってくれるから」

 アイグラティカを抱き直し、ヒグロは車の方へ行ってしまう。魁人はその背を追いかけ、ふと出てきた道を振り返った。

 吹き飛ばされたゲートの代わりに、張り巡らされた黄色いテープ。『KEEP OUT』の文字の奥では、刑事や鑑識が忙しそうに走り回っている。

 これから、本格的に調査が始まる。きっと、様々なことがわかるのだろう。ナジームが持つランチャーと、魁人の手にあるナイフの出自も、また……。

 二連刃を持つダガーナイフは目を閉じじっと沈黙している。好きにしろ、と言いたそうな雰囲気は、それこそ刃のように刺々しい。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

「ん……ああ、うん。何?」

 上着のすそを引っ張られ、ダガーナイフから目を離す。腰上あたりに、心配そうな華の顔があった。

「大丈夫? 怖い顔してた……」

「こ、怖い顔? ……してたかな?」

 触れた頬が強張っている。硬い肉で作った笑みは、泣き笑いに近い気がした。

「大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」

「……ほんと?」

「本当」

 華は、なおもじっと魁人を見上げていたが、軽く頭をでると後ろ髪引かれるように一歩下がった。確かめるように顔色を眺め、車の方へぱたぱた駆けだす。魁人は再び、自分の顔に手をやった。まだ、硬い。

「怖い顔、大丈夫、か……」

 細い糸を手繰たぐるようにして得た断片的な情報の数々。『花札』のルヴァードとその売人。ピースの欠けたパズルめいて魁人の頭に散らばるそれらに、『牡丹ぼたん』のロケットランチャーが新たに加わった。

 それらが因縁につながる道かは、まだわからない。しかし、今手元にある業物わざものだけは、確かにつながっているはずだ。魁人の全てを奪った仇敵きゅうてきに。唐傘からかさを差した、あの男に。

「ヘリュテュアレー、その時お前は……ヘリュテュアレー?」

 妙な気配に、愛刀を見やる。桐と鳳凰が刻まれた球体。いつもは感情の薄いはずの目が見開かれ、背後の虚空を強く睨む。同時に感じる、虚無的な視線!

「……っ!」

 氷柱を突きこまれたような悪寒。身をひるがえし、構えた魁人の視線には、しかし誰も映らない。

 ただひとつ、とあるビルの頂上で、季節外れの桜吹雪が細く渦を巻いていた。

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ルヴァード×ヘリュテュアレー(短編) 闇世ケルネ @seeker02

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