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「あ、貴方達は……!」


 今更何をしに来たのだろう。いや、そんな事は言うまでも無い。

 文月があの子から授かった『知識』を得る為に、彼等がこの場に訪れた事は明らかだった。


「ご苦労様でした、木下鈴護さん。そしてジュライ」


 嫌らしい笑みを口元に浮かべながら、こちらに近付いて来る老人と、その取り巻き。


「こ、この期に及んで何の用ですか! もう貴方達にはこの子は……!」


 鈴護は文月を抱き寄せる。

 この期に及んで更に二人の仲を引き裂こうとする障害――それが鈴護達の前へと迫る。

 鈴護は必死に少女を彼らに渡すまいと守ろうとしていた。


「先程、カケラの質量の消滅を確認しました。無事にコンタクトが終わったようですね」


 内に秘めた感情の高まり、歓喜を隠しもしない老人。

 鈴護はその彼のそんな表情に苛立ちを覚え、あの見事な髭を無理矢理引きちぎってやりたい衝動に駆られていた。


「ジュライよ。コンタクトは成功したのか」


 老人がその雰囲気を一変させ、真面目な表情で文月に言葉を向ける。


「私は、文月です。ジュライと言う名では、呼ばないで下さい」


 今や少女自身も否定しているその忌まわしい名前を呼び、老人は少女に問いかけた。

 老人の顔を睨みつけ、嫌悪を露に自身の名の間違いを訂正する文月。


「そんな事はどうでも良い。コンタクトは成功したのかと私は聞いている」


 しかし老人は少女の主張を全く気にする事無く、その身の安全よりもあくまでコンタクトの結果のみを優先した。


「……成功、しました」


 か細く、忌々しげに少女はコンタクトの成功を老人に伝える。

 少女と老人が相対する光景はここに来て始めて目にしたが、あの文月がここまで嫌悪感を顕にしている事からも、彼はカケラの中で真実を知ってしまった少女に相当嫌われている様であった。


「ふむ、そうですか」


 いかにも悪役チックな含み笑いを上げ、湧き上がる喜びを隠そうともしない老人。


「木下鈴護さん。やはり貴方をこの役割に選んで正解だったようだ。貴方は実によくやってくれました。またしても貴方は、我々の思惑通りに動いてくれたと言う事です」


 そして、老人はさぞ愉快と言った風にそんな言葉を口にする。


「それって、どう言う事なの……?」


 老人の言葉は戯言として聞き流そうとしていた鈴護だったが、流石にその言葉は聞き捨てならなかった。


「何故、私が貴方に機密事項の全てを打ち明けたか、解りますか?」


 老人の顔には十人中十人が見ても嫌悪感を覚えるであろう、卑屈な笑みが全面に浮かんでいる。ここまで他人の顔にムカついた事は鈴護の二十数年の人生の中でも初めてかもしれない。


「貴方の性格を考慮しての策でしたが、上手過ぎる位に、まるでドミノが倒れこむ道筋の様にスムーズに事が進みました」


 老人はただ、己がそれを喋りたいだけのように勝手に言葉を続けていく。


「全ての情報を与える事で貴方は怒り狂い、貴方はジュライの元へと舞い戻る。そして、貴方はカケラの間へと赴き、見事ジュライを決心させるための鍵となった」


 まるで演劇役者の様に、大仰に腕を広げて見せる老人。


「貴方はジュライを成長させる備品としての役割の他にも、ジュライを目覚めさせる鍵としても機能してくれたのだから」


 コンタクトの終わり。それは老人にとっての最高のショーが終わった瞬間だったのだろう。

 傍から見ていたこちらは、ちっとも面白くは無かったが。


「大した備品ですよ、貴方は! 幾ら賞賛してもしきれない程にね」


 ククッ……と嫌な含み笑いを残し、老人は再び文月に視線を向けた。


「では、ジュライよ。カケラから得た物……約束の物をこちらへ」


 老人が文月を招く。


「……はい」


 文月が鈴護の腕の中から抜け出す。そして一歩、一歩と老人の方へと近づいて行った。


「ふーちゃん!?」


 少女の行動に驚く鈴護。まさかこのまま彼等の言う通りにしてしまうと言うのだろうか?


「大丈夫です。安心して下さい、鈴護」


 文月はこちらにだけ聞こえるように、小声でそう呟くと、微笑んだ。その笑みには少女なりの考えが含まれているかの様に見えた。


「そんなに見たいのなら、沢山見て下さい」


 静かに、どこか怒気の篭った声で、少女は老人達に告げた。


「貴方達が教えてはくれなかった物を、私は沢山貰いましたから……!」


 そして、文月は老人に向かって『何か』を発する。


「こ、これは一体……!?」


 老人が突然叫ぶ。その顔は一気に青ざめ、先程までの昂りが嘘の様に変化していった。

 何か信じられない物でも見たかの様に、老人の顔がどんどん絶望へと染まっていく。

 その光景を見ていた鈴護にも、老人の身に何が起こったのかはさっぱり理解できなかった。


「そんな……! こんな物が……こんな物があの『カケラ』が我々に与えた文明の知識だというのか! 認めん! 認められん! こんな事実、私は認めなどしないッ!」


 老人は一人で何か勝手に喚き、頭を抱えていた。


「やめろ、やめてくれ! こんな物はいらん! 私の中に入り込んで来るんじゃあない!」


 そして老人は突然気が狂ったかの様な絶叫を上げると突然森の方角へと走りだして行った。

 残った取り巻き達がどうしていいのかも解らずに、しばらくの間談合していたが、やがて彼らも老人の後を追って、皆一目に森の奥へと消えていった。

 一人事情を飲み込めずに取り残された鈴護。傍から見ていた鈴護には、老人が突然狂いだして逃げ出したようにしか見えなかった為である。


「ふ、ふーちゃん? 一体あの人、どうしちゃったの?」


 文月に何があったのか、と問いかける。


「少しだけ、私の中の『カケラ』の力を用いて、彼に映像を見せたのです」


 文月は去り行く老人達の背中を、実に面白そうな表情で眺め続けていた。


「え、映像? それだけであんな風に取り乱して?」

「はい。彼女の星の『想い』を見せました。私達と同じ様に日々を生きていた星の想いを」


 あの子の星の、想い。地球の人々と同じ様に生き、考えていた人々の想いを見せた。

 老人は文月があの子から受け取った物が『人の想い』だけなのだと勘違いし、そのショックで錯乱してしまったのだろう。

 いい気味だ、と鈴護は老人の顛末を見届けた。その結末に同情する気は全く無い。

 これぞ正に『自業自得』と言う物であろうから。


「あの人達には彼女の『記憶』、そして知識や技術を教える事はしません。それに、彼等と一緒に行くつもりも、今の私にはありませんから」


 ジュライは鈴護に振り向く。その顔にはどこか悪戯好きの子供の様な表情が浮かんでいた。


「じゃあ、ふーちゃん」

「私には、鈴護がいます。貴方の家族として、これからも――貴方の傍に居続けたい」


 その少女の表情を見た事で、鈴護もまた可笑しさを我慢する様に微笑みを顔に浮かべる。


「私も、これで『うそつき』ですね」


 一体どこで覚えたのか、文月は笑顔で口から舌をちろりと少しだけ出す。所謂最近よく耳にする『てへぺろ』と言う奴である。また彼女の笑顔のバリエーションが増えたようだ。

 ようするにこれは――してやったり、という事なのであろうか。


 そこで鈴護は己の服のポケットの中で何かが振動している事に気が付く。

 手を突っ込み確認すると、マナーモードに設定された携帯電話が振動し、着信が来ている事を告げていた。

 着信相手は、愛しの夫・木下英作。

 愛しのだとかほざいた割には、この生活の間すっかり存在を忘れてしまっていた事を、鈴護は思い出す。

 任期を終えたにも関わらず、鈴護の帰りが遅いのを心配し、いてもたっても居られず電話を寄越してきたのだろう。

 このまま電話に出ても良いのだが、今はまだやめておこうと、鈴護は通話停止ボタンを一度だけ押した。

 そう、電話回線を通して話すには、少し報告する事が多過ぎるから。


「鈴護。それは、電話ですか?」


 携帯電話を初めて見る文月が不思議そうに鈴護の手に握られたそれを見つめる。


「そうだよ。今ね、着信が入っているんだけど――もう少しだけ、待たせておくんだ。どうせ後で沢山話せるからね」


 そう言うと鈴護は実に楽しそうに、屈託の無い顔で笑うのであった。

 一体何が面白いのかが理解できなかったが、つられて文月も笑い出す。


(私達に子供が出来たと知ったら、英ちゃん驚くだろうなあ……) 


 少女の事を紹介した時の夫の表情を想像して、鈴護は彼にどう事情を説明した物かと考えを巡らせる。


(あ……。でも、ふーちゃんの権利関係とか、そう言うのは一体どうなってしまうんだろう)


 まだまだ問題は山積みの様な気もするが、それも今は考えないでおこう。

 今はこうして二人、隣に立っていられる事を――その事実だけを笑い合いながら感じていたいから。だから難しい事は後で考える事にするのだ。

 二人分の笑い声が、山彦の様に島中の空気を通じて反響する。 

 約束のコンタクトの日。様々な運命が交差した日、七月二十一日。

 だが、その運命もそれぞれ一先ずの終わりを見せる。


 世間の学校では今日から夏季休校――『夏休み』が始まろうとしていた。


「ふーちゃん、知ってる? 今日からね、学校は夏休みなんだよ」


 子供達にとっての夏の始まりとも言えるその代名詞を、少女に伝える。


「夏休み……。『学校』の夏季長期休暇をそう指すと聞いた事があります」


 相変わらず意味だけは知っているようだったが、それが一体どんな物なのかは解っていない様子だった。やはりここは身を持って体験させてあげるしかないだろう。折角今日この日、彼女はあの『学校』から卒業する事ができたのだから。


「よし、折角だしね。今年の夏は色々な事を楽しもうよ。新しい事、沢山体験しよっ!」


 何にせよ夏は長い。これから沢山、文月と暮らしていく為の後始末など、大変な事が山積みではあったが、一先ず、今は目の前の『どきどき』に集中しよう。

 文月に、これから彼女が生まれてからの三年分の『夏休み』を教えてあげるのだ。


「はい。私も――貴方と共に、世界の『本物』をもっと沢山知りたいですから」


 そう、夏は始まったばかり。学校を卒業した少女の夏休みが、これから始まる。

 彼女自身の、彼女だけのプライベートな時間が。七月の――文月の夏休みが二人の始まり。

 これから毎年の夏が楽しい事になりそうだと、鈴護は未だ見ぬ明日へと想像を膨らませる。

 昇りつつある夏の朝の日差しが、二人分の影を地面に形作っていた。


 願わくば、この二人で過ごせる夏が――いつまでも、いつまでも続きますように。



 「七月の夏休み」 了

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七月の夏休み -Summer vacation of July- 漆茶碗 @tyawan30

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