エピローグ 七月の夏休み

e-1

 三年越しの出会いと別れを経て、コンタクトは無事に終了した。

 漸く落ち着いた二人の間に安堵の空気が流れる。

 そういえば少女と再会してから漸く話が出来る事に、鈴護は気が付いた。

 この一週間はまともに顔を合わせる事もなく、一言も口を聞けなかっただけに、何を話した物かを迷っていた鈴護であったが――


「私ね、あのカケラの部屋で、床に落ちていたふーちゃんの絵を沢山見たよ」


 そこで鈴護の中に小さな悪戯心が芽生え、少女のスケッチブックの事を話題に上げる。


「見た、のですか?」


 恥ずかしげに、そしてどこか恨めしそうな視線で鈴護の顔を見つめてくる文月。プライベートを覗き見した事は少女に対して悪い気もしたが、先程のコンタクトの最中に暴露された自身の恥ずかしい過去の映像のお返しだと割りきっておく。


「勿論。ふーちゃんってあんなに絵が上手だったんだね。私の顔は、随分美化されていたなあって感じもしたけれど」


 その言葉を聞き入れて、トマト以上の赤みを帯びた少女の顔。その人間らしい反応を目にした事で、鈴護は実に微笑ましい気分になる。


「でも、あの絵の事、あの子も知っていたんだよね。一体どうやって……」


 コンタクトの最中、カケラの少女も文月の絵の事に触れていたのが、鈴護は少しだけ気になっていたのであった。


「彼女に会うのは今日が初めてでしたが、あの部屋の培養器に収まっていたカケラの一部を通じて、私達は互いの存在を朧げに感じ合っていました」


 文月がその小さな手を天に掲げる。


「何かを知る度に絵を描いては、カケラに見せてあげていたんです。私は絵を見せる事で、あの人に自分の事を伝えようと考えていたのです」


 文月があの場所で絵を描いていた訳が漸く理解できた。


「そう、だったんだ。もしかして、私達が初めて会ったあの日も?」

「はい。あの場所は、私達が唯一近くで感じあう事ができた場所でしたから」


 今だから言える。あの『カケラ』は空からの素敵な贈り物だったのだろう。

 鈴護と文月がこうして出会えたのも全ては『カケラ』に関わった事による巡り合わせ。

 こうして鈴護が過去のトラウマを克服し、念願だった子供の隣に居る事ができるのも。

 文月が得る事のできた、人間的なモノ。そして掛け替えの無い『家族』と出会えた事も。

 全てはあの少女の――『カケラ』のお陰だったのだろう。

 そうして暫くの間、二人はボーッと夜空の下で佇んでいた。

 どれ位の間そうしていたのだろう。時間の感覚も忘れる程にこの場所で空を見つめている。

 カケラはもう存在しなかったが、その大きさは忘れる事はないだろう。あの少女が残そうとした物も、全ては文月の中に残っている。


「優しい人だったよね。私達、地球の人と何の変わりもない、良い子だった」

「はい」

「でも、ふーちゃんもあの子と同じなんだよ。あの子と貴方は、姉妹なんだから」


 同じ物を分かち合った半身。それが少女達の関係だったから。


「優しいと言う感覚――私にそれが備わっているのかどうかは解りませんが、彼女が私の大切な『姉さん』である事には同意します」


 あの短い出会いの中で、二人の間には本当の姉妹の様な絆が生まれたのだろうと、鈴護は確信していた。


「姉さん。ふーちゃんのお姉さん、か。何ならあの子も私達の家族になるのかな」


 鈴護がしみじみと呟く。文月もその呟きに頷き、鈴護に微笑んできた。


「家族。異星人の家族か。何だか凄い事だよね。星と星を越えた――そう、星の家族」


 この宇宙のどこかから来た、他の星の人間。

 思えば凄い経験をしたものだと、鈴護は感嘆する。まさか用務員の仕事をしに来て、本物の宇宙人と交流する事になるなどと誰が想像するだろう。恐らくは誰にも予測がつかない出来事である筈だ。それだけ凄い体験をしてしまった。

 鈴護は文月の片手を取り優しく握る。少女も驚きもせず、鈴護の手を握り返してくる。

 お互いの温かさ。この温かさを失う事は、二人に今生の別れが訪れるまではもう無い。

 いつの間にか森の遥か遠くの空には太陽の頭が見え始めていた。

 朝焼けに染まる空。もうそんな時間なのかと携帯電話を取り出し時刻を確認すると、いつの間にか時は朝に差し掛かっていた。

 徐々に日が昇り始める光景を、二人で眺める。二人で海に訪れて見た夕日。その光景を思い浮かべながら、鈴護は少女の手から感じ取る温もりを感じていた。

 最早、二人の関係を阻む物は何も無いかと思われたのだが――


「そこまでです」


 その時。鈴護もすっかり存在を忘れていた嫌な声が辺りに響く。

 声のした方向へと振り向くと、あの老人が二人の下へと歩み寄って来ていた。

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