異世界の運び屋

今澵 流良

第1話

 3百万。

 それが彼杵志郎そのぎしろうの値段だった。


 1ヶ月前、土下座をして懇願する友人に負けて、志郎は3百万という大金の保証人になってしまった。案の定友人は夜逃げ、多額の負債を志郎は請け負ってしまったのだった。

 良く言えば優しい、悪く言えばお人好しである志郎は絶望した。

 朝起きて、カーテンを開ければアパートの前には黒塗りの車。仕事から帰ってくればドアには張り紙。寝静まった深夜にはドアを叩く音と怒声。精神的に、限界であった。


 3百万、どうするんや? 保証人はアンさんやろ? スグに用意できないんやったら、ちょっと仕事をてつどーてくれや。断ったら、どうなるか分かるやろ?

 そんなやり取りがなされ、志郎は仕事を辞職。トラック運転手へと早変わり。


 なぜトラック運転手なのか。

 志郎が運んでいるのは高級な『肉』だった。数は少なく、世に出回ることは殆どない。だがその甘美なまでの肉を欲す著名人は、後を絶たなかった。その肉を運ぶにはそれなりに口の固いもの、できるなら陽の光に当たらないような人間が好ましい。そこで仕事の斡旋されたのが、志郎の友人が金を借りたやの字だった。志郎に目をつけたのは丁度その時である。

 志郎はその肉を運び、ソレで得た金を返済に当てるという日々をここ1ヶ月、欠かさずにやってきた。


 志郎自身、その肉を運ぶだけでも精神をすり減らしていた。

 慣れないトラックの運転、その後ろには大量の肉。万が一にもミスは許されない。公道の制限速度なんぞ、1ヶ月前の志郎なら10キロ位はオーバーしていた筈だ。この辺りの警察は緩い。それに加え急いでいればアクセルペダルに乗せる足に、力が入るのも当然だ。


 だがトラックに乗って以来、志郎は一切違法行為はしなかった。

 40キロ制限の道路は30キロ程で走り、信号が黄色にでも変われば必ず停止した。普段の荒々しい運転はどこかへと消えていた。


 スグにでもこんな生活を終えて、安心して夜は寝たい。

 その一心で、今日も今日とてトラックを走らせている。


 卸先は毎回一緒。この1ヶ月で、志郎は加工工場から卸先までの道を、既に頭に入れていた。

 いつも通り、市のデートスポットである池を通り過ぎて3つ目の信号で右折する。

 今ではこの重いハンドルも慣れたもので、ウィンカーを出していつもと変わらないラインで曲がった。


「――! ヤバっ」


 不意に声を上げた志郎の視界には、赤信号にも関わらずスマートフォンをいじりながら横断歩道を歩く高校生が映った。

 このままだとぶつかる。ブレーキを踏むため右足を、ハンドルを切る為に両手を動かそうと試みる。……が、ハンドルもペダルもうんともすんとも言わない。まるで見えない力で固定されたかのようだ。


「な、なんで……っ!!」


 決してパニックになっているわけではない。今の今まで針穴に糸を通すかの様に、細心の注意を払って運転してきた志郎がココに来てそんな馬鹿なことはしない。

 だがどれだけ試してもトラックは動かない。

 サイドブレーキ、エンジンキー、クラクション、どれを試してもピクリとも反応しない。


「おい、おい! 動け、動けよ……っ! 動けよぉぉおおおッ!!」


 再度ハンドルを握る。すると祈りが通じたのか、ハンドルが回り始めた。

 一瞬ホッとした志郎、だが考えても見て欲しい。

 叫び声と共に、見えない何かに抗った志郎の力は普段のステアリングとはかけ離れた力が加わっている。急に抵抗がなくなったその力は、そのままの勢いでハンドルを90度回転させる事になるだろう。そうなれば結果は見えていた。


「……え?」


 トラックの運転席が、電柱に突き刺さる。そこで志郎の意識は途絶えた。



「おっ、目が覚めたかい青年?」

「ん、……ここは?」


 次に志郎が目を覚ましたのは、あたり一面黒色に広がる世界だった。

 果ての見えないこの黒い空間に横たわる志郎と、その顔を覗く女は興味あり気に志郎の顔をマジマジと見ていた。


「ここは、……なんだろうね? お姉さんの空間、ってことにしておいてよ」

「は? というか、アンタは何者なんだ?」

「それはお姉さんのセリフだよ。彼杵志郎くん」


 女が指を鳴らすと、女の横に窓ができる。

 窓には先ほど志郎が事故した現場が映しだされており、警察と救急隊員が慌ただしく動いていた。


「お姉さんはさっき、君のトラックに術式を組み込んで必ず歩行者・・・・・に当たるようにしたんだ。それなのに、君は一体何をしたんだい? 火事場の馬鹿力、……ってだけじゃ説明できないね」

「ちょ、ちょっと待て。何がなんだか、アンタが事故らせるように仕向けたって事か?」

「うん。本当なら、あの携帯を弄っている少年が転生される予定だったんだよ。それなのに君がさぁ」


 現場で事情聴取を受けている高校生を指差しながら、女は感嘆の声を上げる。

 未だに状況が飲み込めない志郎は、頭に疑問符を幾つも作りながら脳をフル回転させた。


「……もしかして、神様なのか?」

「うんそだよ。あ、もしかしてこういう展開知ってるとか?」

「ああまぁ、いや。ちょっと読んだぐらいだが……」


 こんな生活になる前、志郎もそれなりに小説を読んでいた。

 中でもトラックに轢かれて転生するのがブームであるネット小説は大好物で、休みを一日使って読破していたくらいだ。トラック運転手になってからは、なぜハンドルを切らないのだと不思議に思うようになったが……。まさかこんな理不尽を強いて、人を轢かせているとは。志郎の中で神様であるこの女は死神か何かだという認識がなされていた。


「そう! 本当なら、彼が勇者になる筈だったのさ。それを君の意味不明の力で、台無しにされたんだよ」

「……お前、全国のトラック運転手に謝れ」

「ふぇ?」


 志郎は起き上がると、ズカズカと女神に歩み寄りその胸ぐらを掴んで大きく息を吸った。


「いいか!? トラック運転手は命賭けて荷物運んでんだよ!! 法定速度は守らなきゃ警察がうるさいし! 深夜は騒音が煩いからと25キロ以下で住宅街を走らなきゃいけない! 事故1つで自らの身を滅ぼすことになるんだ!! それをなんだお前は、術式? 必ず歩行者に当たる? バッ――――カじゃねぇの!? テメェがやってんのは社会的に人1人殺してることなんだよ! 転生した主人公はいい思いをするだろうがな、事故った運転手がどうなると思ってんだアアァ!? ていうか、俺がココにいるって事は俺が死んだのか!? お前どうしてくれんだよ、まだ借金残ってんだよコンチクショウ!!」


 …………。

 一気に捲し立てた志郎に、途中で唾が飛んできても言い返せないでいた女神。

 その顔は最初こそ余裕だったものの、途中からはどんどん青ざめていき、終いには――。


「ふぇ、ふぇぇええええん! お姉さんそんなつもりじゃなかったもん! 異世界を守るためだもんしょうがないんだもおおおおおおおおおん!!」

「え、お、おい。女神……さん?」


 その後しばらくの間、この途方も無い空間に女神の泣き声がこだましていた。


――――


「ごべんなさい、反省した」

「……いや、俺も言い過ぎたよ……」


 泣き止んだ女神に、頭を垂れる志郎。

 今まで女性と関わりのなかった志郎にとって、どこまで怒っていいのかなんぞ分かるわけもなく。約1ヶ月溜まりに溜まったフラストレーションを吐き出す代わりに女神を泣かしたコトを、志郎は多少なりとも悪いと思っていた。


「それで、俺はやっぱり……死んだのか?」

「ううん、まだ死んでない。今頃病院に搬送されている頃だと思う。ちょっとお姉さんが君の意識をコッチに持ってきているだけ」

「そうか。よか――」

「ただ、悪い知らせがある」


 女神はどこからかティッシュを取り出し鼻を噛むと、神妙な面持ちで志郎と向き合った。


「悪い知らせ?」

「君の事は粗方調べさせてもらった。21歳、小中高卒業後、小売業に就くも転職。職業運び屋。1ヶ月前友人の保証人になり、その友人が夜逃げ。3百万もの借金を肩代わり、そしてヤクザに頼まれあるモノを運び、それで得た金を返済に当てている。……間違いないかい?」

「あ、ああ」

「そのモノが、警察に見つかった」

「なっ……!」

「一目見て分かったよ。アレは――人の肉だ」


 志郎が運んでいる肉、それは人肉だ。

 1ヶ月前、志郎はヤクザに人肉を運送するか、保健に入って自殺するか選ばされた。

 別に志郎が運ぶものを聞いたわけではない。ただ、知ってしまえば後戻りはできない。すでに話を持ちかけられた時点で術中にはまっていたのだ。

 決して明るみに出てはいけない代物。代物だけでなく、それを食している著名人、それを仕入れている所。全てが、この世界の裏側だ。


 志郎の額にはびっしりと汗をかいており、両手は小刻みに震えていた。

 気まずそうに、女神が続ける。


「君が目覚めれば、良くて逮捕。悪ければ……裏で殺されるだろう」

「は、ハハッ。嘘、だろ? 俺、自分の借金でもないのにもう半分返したんだぜ? あと1ヶ月で元の生活に戻れたんだぞ? おい、嘘だって言えよ……言ってくれよ!」

「……お姉さんの責任だ。君の言ったとおりだよ、運転手のことなんか考えていなかった」


 再び沈黙が訪れる。

 志郎は手をダランと下げ、呆然と立ち尽くしていた。

 何がいけなかった? 何か悪いことをしたか? 確かに小さな犯罪の1つや二つした。それで逮捕? 殺される? 意味が分からない。


 そこで志郎の思考は停止した。


「――だから、お姉さんは君に報わなくてはいけない」


 女神の声と共に、志郎の足元が淡く光る。

 この黒い空間で一際輝くソレは俗にいう魔法陣に似ており、複数の図形が忙しなく蠢いていた。


「なんだ今更。いっそのこと、殺してくれるのか? なら大歓迎だ。天国で女神に殺されたと自慢できる」

「殺さない。だけど君がこのままこの世界にいれば、お姉さんの勝手で殺される。異例だけど、君を私の管轄世界へ飛ばす」

「……は?」

「そこで君は幸せに暮らすんだ。せめてもの償いと思って欲しい。……本当に、ごめんなさい」

「ちょっと待て。俺が――転移? するのか?」

「君に世界の命運を預けたりなどしない。君にはただ、幸せに……。いや、これもお姉さんの勝手だね」


 そういって女神は涙でぐしゃぐしゃになった顔を志郎に向けて、小さく微笑む。

 それを最後に、黒い空間から志郎の姿は消えた。

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