平穏の裏側 1

 僕は何をしていたんだろう。夜通しで中学生をつけ回した挙句何の成果もなくその子には逃げられた。夏川さんは深見らんを気に入りでもしたのか。不良どうしで通じ合える点でも見つけたのか? だとしても納得いかない。


 「……ムカつくな」


 あれから一晩経っても思い出しただけで途方のないやりきれなさと理不尽さが僕を襲う。僕にもっと力があればあの場で二人を屈服させて思い通りに事が運べたのだろうか。だけど面白くないことに僕はパチモノにはなれない。レプリカになれるかはわからないが、なりたいとは思わない。腐っても僕は人間なのだから。

 ベッドから重たい身体を起こして時計を確認すると授業開始までほんのすぐだった。どうしようか……今から急いだところで遅刻は間違いないし、電車の時間も合わない。何より面倒だ。月曜日だし。

 ぼーっと寝起きの頭を働かせて結論を出す前に、僕はもう一度ベッドに身体を倒した。それがある意味では結論であった。


 だけど、僕は再び眠りに落ちることはなかった。

 どうにかして眠ろうと身体を丸めて心地の良い姿勢を模索したりタオルケットの位置を調整したりなど数十分間芋虫のようにもぞもぞとしていた。

 何だかこうしていつまでもベッドにすがりつくのも面倒に思えてきた僕は今度こそ身体を起こし、自分の足で立ち上がった。家族は今家にはいない。歯磨き、洗顔と一通りの身なりを整えてから朝食を買いに近場のコンビニまで足を運ぶことにした。おにぎり系統かパン系統かどちらにしようかとくだらないことで頭を働かせながらのろのろと歩いていると、背後から迫る軽自動車に唐突にクラクションを鳴らされた。

 不愉快だと思った。クラクションを鳴らす人は嫌いだ。正直、死ねばいいと思うくらいに。


 「なーにやってんだい?」


 僕が死ねばいいと思ったドライバーは僕の側まで車を寄せて停止し、窓から顔を覗かせ馴れ馴れしくそう言った。


 「ナギ先生?」


 「授業はとっくに始まってるよ。でもそのカッコじゃ学校に行く気はさらさらなさそうだね。成績が悪いくせに堂々とおサボりとはずいぶんと余裕があることで」


 そう言うナギ先生の恰好は上下とも真っ白なジャージで不良っぽく見えた。少なくとも人前で生物の授業をするような恰好ではないと思う。僕はそんな教師に会ったことはない。


 「そういう先生は何してるんですか? 授業はとっくに始まってるんでしょう?」


 「教師だっておサボりしたくもなるさ。今頃生徒諸君は自習という名の休み時間ができて喜んでるところだろうさ」


 「サボりって……怒られないんですか?」


 「怒られるだろうね。最悪クビかも。先生は他の先生ウケがあまりよろしくなくてね。職員室じゃ話し相手がいないんだよ」


 ナギ先生は笑顔でそう話すがどこか嘘くさく、本当のような気もした。正直僕もこの人のことは好きじゃない。何を考えているのか何がしたいのかがちっとも見えてこないからだ。


 「乗りなよ、ごはん奢る。募る話もあることだろうしね」


 「わかりました。お言葉に甘えて回らない寿司なんかどうですか? おいしいですよ」


 「ざけんな」


 普段なら間違いなく断る誘いだ。しかし、今僕は「募る話」がある。とても大事な話だ。車に乗るということで僕は先生に対し優位に立てる。後部座席に乗れば、先生を始末することができるかもしれないと考えた。


 平日の近所の道路は閑散としていた。みんな仕事に行っているんだろう。周りに人は全然いない。


 「木野君は先生のことが嫌いなのかい? 前は助手席にちょこんと座ってくれていたじゃないか。何だってまた後ろに座ったりなんてするんだよ。寂しいじゃないか」


 ナギ先生は運転しながら相変わらずの軽口をたたいた。

 そんな先生の後頭部に銃をそっと押し当てた。厳密には車のシート越しではあるが、このくらいなら弾は貫通するだろう。


 「感心するよ参考書を持ち歩かないで拳銃持ち歩くなんて。殺人がバレる前に銃刀法違反で君捕まるんじゃないの?」


 「その耳はどうした?」


 ナギ先生は前、僕に対して誠意を見せると言って自身の耳を躊躇することなく削ぎ落とした。ナギ先生の側頭部に開いた穴の形は今でも覚えている。中々みられるものじゃないからね。

 そんな耳がまるで傷口の辺りだけ時間が戻ったかのようにあるべきはずの器官が元通り存在してた。傷跡も違和感も何もなく、そこには確かに耳があった。


 「治った」


 「どうやって治した?」


 「治したわけじゃない。治ったんだよ。自然にね」


 「妙なことは言うな。僕はいつでもあなたを殺せる」


 「君は切った爪がまた生えて『どうやって生やした?』なんて聞かれたら気合で生やしたとでも言うのか? そういうことさ」


 「シンプルに聞く。あなたレプリカですよね?」


 「シンプルに答える。ワタシはレプリカじゃない」


 僕は引き金を引いた。確かに言ったよ、妙なことは言うなって。


 弾は確かにナギ先生の頭を貫き、先生の血は車内を点々と赤く染め、真っ白なジャージには大中小と赤いドット模様が新たに付与された。ナギ先生の頭はゴツンとハンドルに倒れ、車はコントロールを失った。

 このまま心中なんてごめんだ。僕は身を乗り出してハンドルを握り、そのまま上手いことブレーキペダルのある位置まで足を伸ばした。死体の処理は考えなくていい。ナギ先生はもうただの塵になるのだから。

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こうして僕は世界を救う 三葉倫太郎 @rintaro3

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