虚ろな背徳 3

 爆弾を扱うことと同じ状況だと思った。深見らんが母親の味方であるなら僕らの正体がバレることがあれば勝ち目は完全になくなるかもしれない。もしそうなればここで始末するしかなくなる。下手をすればすぐにそんな状況に陥ることは簡単に想像できる。

 深見らんの僕らを見る態度は一見すると苛立っているように見える。それ以上の感情は僕にはわからなかった。


 「えーと、つけ回したっていうのは何のことかな? 僕らはたまたま―――」


 「そういうのいい。ウザいから」


 無意味か。予想はできてたけど。


 「何なの?」


 深見らんはそれだけしか言わなかった。彼女の質問に対してどう答えるのが正解なのか? 僕らはレプリカを全滅させるために根源である君のお母さんを始末しようと思っている。そのために君の力を貸してほしい。場合によっては人質として利用することにもなるかもしれないけどいいかな? と、そう言って説得を試みるのか? 馬鹿か。

 ならば当たり障りのない嘘でこの場は切り抜けるか? 考えてきたものはいくつかある。だけどどれも確実じゃない。こういう時は妙なことをされる前に確実に言うことを聞かせられる状態にするのがベストだと思う。


 幸い今は早朝。周りに人の気配はない。


 僕は銃を取り出し深見らんの右足を撃とうとした。我ながら手荒な手段だと思う。だが相手が相手だ。こんなやり方を誰かに非難されることは問題じゃない。目的さえ達成できればそこに至った過程の見栄えくらいは良くなるさ。

 僕は引き金には完全に指をかけていた。気持ち的には撃ったつもりであった。なのに、撃つことはできなかった。


 銃を持つ僕の手首は夏川さんにガッチリと掴まれていた。それはもう、握り潰しにかかっているようなすごい力で。


 「何のつもりなんだ? 夏川さん」


 「それを使うのはまだ早い」


 深見らんは驚きたじろいだ様子を見せたがすぐに落ち着きを取り戻し、今度はあからさまな警戒の色が表情に表れた。

 夏川さんは力を緩めることなく一言「あたしを信じろ」とだけ言い、深見らんに向き合った。僕の右腕は固く握ったまま。


 「場所を変えて話そう。なんなら朝飯奢る」










 場所を変えて僕らが向かった先は二十四時間営業の有名ファストフード店だ。この前ニシマンさんと会った場所とは違うけど。

 夏川さんはコーヒーを注文。いつも通りガムシロップとグラニュー糖を鷲掴みして。僕はまず深見らんに何がいい? と聞いてみると、彼女は何も言わずに一番値段の高いものを指さした。


 「やっぱちょっとは払えよ」


 「話が違う」


 「遠慮を知ってから言え」


 店内に僕ら以外の客は誰もいなかったが、それでも僕らは人目を避けるように一番奥の目立たない席を選んだ。まあ、これから話す内容を思えば当然だろう。

 夏川さんは僕に絶対に撃つなと釘を刺してから話を切り出した。話題はもちろん、レプリカについてだったが、上手いことレプリカを連想させるような言葉を避けて深見藍についての情報を聞き出そうとしていた。

 こんな回りくどいやり方でなくとも、深見らんを抵抗できないような状況にしてから根掘り葉掘り聞くことが一番手っ取り早かったのに。さっきの公園での状況ならやれたぞ。僕が銃を見せてしまった以上、僕らがハンターだと深見らんに悟られるのは時間の問題だ。


 「キミはあのオッサンと何してたんだ?」


 「ずっとつけてたんだから想像つくでしょ? アタシの口から言わせないで」


 僕の拙い男子高校生の頭での予想は当たっていた。衝撃的ではある。


 「何故そんなことを? 『親』とかに問題でもあるのか?」


 「関係ないじゃん……あんたには。ていうか何なの? 何が知りたくてアタシと話なんてしてるわけ?」


 「キミの家庭環境について知りたい」


 「何で?」


 「それには答えられない」


 「おたくらハンターでしょ?」


 いかにも自然な様子で深見らんは僕が特に恐れていた言葉を口にした。焦りの気持ちはあった。だけど慌てるべきじゃない。最大の問題は彼女が母親に服従しているかどうかなのだから。


 「ハンターなんて知らない。だけどレプリカについては知っている。キミはレプリカか?」


 そうだ、単純に嘘をつけばいい。とりあえずはそうするしかないが、それが一時しのぎにすらならないことは理解できていた。


 「会っていきなり拳銃向けておいて何言ってんだか」


 深見らんは僕の方を見てそう言った。咄嗟に「そんなんじゃないよ」と口に出したが、何がそんなんじゃないのかと自分でツッコミを入れたくなるような苦し紛れの言葉だった。


 「ああ、ひょっとしてアタシのこと警戒して嘘ついてる? まあそうだろうね。レプリカはヤバイもんね。ハンターが誰かさえわかっちゃえばすぐに殺されるだろって思ってるっしょ」


 飄々とした態度は余裕の表れなのか? ハンターと呼ばれている僕らはレプリカ達にとっては危険な対象のはずだ。普通は慌てる様子を見せるだろうと思っていたし銃を向けた時だって慌てていた。だけど、何なんだ? この妙な違和感は? 深見らんから敵意と呼べるような感情がまったく見受けられないのは一体。


 「アタシはレプリカでもないしおたくらの邪魔をする気もない。中立なの。アタシを訪ねてきたってことはきっと『あの女』のことを嗅ぎ付けたんでしょ? だからそんな危険人物の娘であるアタシを警戒するのは至極当然のこと……そんなとこでしょ? どうせ」


 「……信用できると思う?」


 僕は率直に思ったことを言った。それにしても母親のことを「あの女」呼ばわりか。それだけ不仲だから深見らんはあんなことをしているのだろうか。


 「信用しなくても話はできる」


 夏川さんは一言吐き捨てるように言った。そして、僕を睨み付けてから続けた。


 「キミの能力は何だ? 親から受け継いでいるはずだ」


 夏川さんの睨みは僕に深見らんを殺すなという意味合いだったのだろうか。昨日、僕は深見らんが親から能力を受け継いでいるなら殺すと言ってしまったせいだろう。


 「言わなかった? 中立なの。どっちかが有利不利になるようなことは言わない。レプリカなんて親が勝手にやってるだけで娘のアタシには何の関係のない話。そういうわけだから」


 深見らんは言い終えてから食べかけのバーガーを頬張りながら席を立った。

 冗談じゃない。このまま帰せるわけがない。中立なんて便利な言葉を使ってはいるが、それを裏付ける証拠なんて何もない。


 僕は深見らんに待てと命じた。身動きできなくさせてやりたかったが、ここは店の中だし夏川さんの目もある。

 深見らんは面倒くさいそうに僕を振り返った。


 「君が中立の立場ならそれを僕に信じさせてみろ。それができないならレプリカについての情報を一つ喋ってもらう。そうでもしないと割に合わない。君は僕らというハンターだと疑わしい人間の情報を掴んだんだから」


 これくらいなら問題ないだろう? と夏川さんに確認を取ると、夏川さんは頷いてくれた。


 深見らんは来るんじゃなかったと言うように大きくため息をついた。ため息をつきたいのは僕も同じだ。


 「大堂っていうゴツイおっさんには気をつけな。あの人に狙われたらホントのホントにもうおしまい。とんでもない馬鹿力のレプリカってことだけ頭に入れておくといいよ。ハンターであろうおたくらがどれくらいのレプリカを狩ったか知らないけど、あの人とだけはやり合わないで逃げるんだね」


 「……どうせなら君のお母さんのことを知りたかったな」


 「あの女に近づくんならどう頑張っても必ず大堂とやり合うことになるよ。ま、大人しく手を引いた方が身のためだね。それじゃ」


 「待て」


 今度は夏川さんが深見らんを呼び止めた。二度も呼び止められたことで苛立ったのか、舌を打って横目で夏川さんを見据えた。いつの間にか夏川さんの口には火のついた煙草が咥えられていた。また、手元には何かが書かれていたノートの切れ端のような紙があった。

 夏川さんはその紙を彼女に手渡し、言った。


 「情報ありがとう。何か困ったら連絡しな」


 「はあ?」


 素っ頓狂な声を深見らんは上げた。僕も上げた。夏川さんが手渡した紙には彼女の携帯電話番号が書かれていた。


 「何のつもりなのさ?」


 「疑うような目で見るなよ。ただの親切心さ。身体だけが目当ての男よりは気楽に頼れるだろ?」


 女でしかわからない友情のようなものなのだろうか? 男である僕には想像も及ばないが、夏川さんが他人にこんなに親切心を見せるのは初めて見た。何を考えているんだ? 夏川さんは。信頼を得てから少しずつ情報を得ていくつもりなのか? そうであれば心強い気はするが、そうでなかったら僕はどうなるんだろう。

 輪郭のない不安が僕の心に満ちていく。深見らんのことは信用できないし、夏川さんの妙に深見らんを庇うような姿勢も僕には理解できない。こんな不安はすぐに拭い去りたい。そのためには何としても深見らんを逃がすわけにはいかないが……今後のことを考えると殺すわけにもいかない。僕は未だに深見藍のことについて理解できていないのだから。


 殺したい。だけどできない。もどかしいと思う。


 「好意は受け取る」


 不愛想にそう言って夏川さんの手から紙切れを取り、去っていった。

 僕が夏川さんよりも強ければこんなことにはならなかったのだろうか? 貴重な情報源をみすみす逃してしまうなんて……。


 「不服そうだな」


 夏川さんが大きく煙を吐き出して言った。


 「不服じゃないわけないだろ」


 「あの子のこと……あたしに任せてくれないか?」


 「夏川さんは……深見らんのことをどう思っているんだ」


 「気になるんだ。個人的に」


 「馬鹿じゃないのか? その程度の理由で逃がしたっていうのか?」


 「馬鹿はキミだ。野蛮なやり方だけがすべてじゃない。最近のキミちょっと変だぞ」


 「相手が相手だ! 上のヤツらに僕らのことを知られたらアウトなんだ!」


 こんな風に激昂したのはいつ以来だろう。僕は初めて女子に向かって大声を出した。大声を出して鬱憤が晴れたわけではない。夏川さんを説得できたとも思えない。ただ、自分に対して虚しい気持ちが湧いただけだ。


 「今日は帰るよ」


 「あの子、殺すなよ?」


 夏川さんは深見らんを殺せばお前も殺すとでも言いたげだ。


 「善処するよ」

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