虚ろな背徳 2
西満という人に会うのは久しぶりだった。入間君の一件以来の再開で正直二度とこうして面と向かう機会はないと思っていた。
僕は西満ことニシマンさんには良い印象を持っていなかった。いつも怒ってばかりですぐに周りに不平不満を当たり散らす子供のような先輩だと思っていた。そういう感情をコントロールしない人間は嫌いだった。
「この子がそうなのか? 深見らんってのは」
学校の近くのファストフード店の隅っこのテーブルに座る僕と夏川さんの前にいくつかの写真が提示された。これらはニシマンさんが携帯で撮って現像したもので、それらの指示をすべて行ったのは夏川さんだ。夏川さんにはニシマンさんを好きに扱える『とっておき』があるらしいが、それを僕に教えてはくれなかった。
「すぐ見つかったぜ。S中に深見らんを知らない奴はいねえ。後輩に聞いたらあっという間にわかった」
一枚の写真を手に取って奇抜な制服姿の少女の姿を目に焼き付ける。派手に染めた金色の髪の毛には赤いメッシュが入っていてびっくりするくらいに短いスカートを履いている。耳にはピアスが開けられていて見るからに不良少女といった様子だった。夏川さんとは違う、何だか軽そうなイメージの不良だ。そんな少女があの「深見藍」の娘である「深見らん」だった。
「確かに……こんなヤツは嫌でも目に付くだろうな、中学校なら」
「この子、友達は多いのかな?」
「逆だ。S中の生徒はこいつを避けてる。一応ギャルグループはあるにはあるらしいが、こいつは周りに分厚い壁を作っているんだそうで気取った奴としても見られている。そいで、結構トラブルが起こっていたらしいぜ?」
「へえ、見た目に依らず意外だね」
こういう感じの子は似たような仲間と四六時中群れているのが当たり前だと思っていたが、それは僕の偏見だったってことなのか。
「外で何してるかまではよくわからなかった。エンコーでもしてんじゃねえかって噂とかなら色々あったけどよ、まあこっからはそっちで色々やれよ。学校が関係しないのなら好きにやれるだろ?」
そもそもの話、僕が夏川さんに深見藍の娘のことを話して夏川さんがS中にコネを持っていそうなニシマンさんを利用したというわけだ。
「必要があればまた連絡する。今回は助かった」
そう言って席を立ち、指で何かを弾いてテーブルの上に投げ出した。それは百円玉だった。
「それ、バイト代ね」
「割に合わねえ」
「じゃ返せ」
僕と夏川さんは土曜日に集まって深見らんを探そうという結論に落ち着いた。探す方法はほぼ行き当たりばったりでしかなかった。それもそうだろう。こんな田舎の中高生が集まりそうな場所は駅前のショッピングモールくらいだろうと考えるくらいしか友達の少ない僕らには想像が及ばない。だから今日はそこに集まった。
夏川さんはショッピングモールの一階から六階までを貫く中央ホールに面した四階の席に座ってコーヒーを啜っていた。テーブルの上には五つの使用済みのガムシロップと同じ数の破かれたグラニュー糖の袋が置かれいる。
「ごめん、待ったかな?」
夏川さんの向かいに座って言うと、夏川さんはこちらをチラッとだけ見てコーヒーに目を戻した。
「とりあえずこれ飲み終わるまで待って」
「ああ、うん」
私服の夏川さんを見るのは久しぶりだった。僕らはレプリカのことに関してはいつも学校でひっそりと情報交換をしていたから。
制服という個性が封じられた装束から解放された夏川さんの姿は至って簡素なものだった。黒のタンクトップにそこら中で見かけるようなジーンズに迷彩柄のキャップ。少し使い古した感じのするスニーカーとアクセサリーは質素な腕時計だけしか身に着けていないという、同年代の女子の格好と比べたらすごく個性的な恰好のようにも思えた。
「深見らんってさ」
夏川さんがコーヒーに目を向けたまま話し出す。帽子の陰から見えた表情はどこか憂鬱そうだ。
「レプリカの娘なんだよな」
「多分ね。深見藍が薬を持っているかもしれないからっていう割と安直な判断によるものではあるけど、夏川さんはその辺どう思ってるの?」
「あたしは……」
夏川さんは腕を組み、天を仰いで考え始めた。屋内だから天井を仰いでと言った方が正しいのかな。
「わかんない」
「珍しく曖昧な態度だね」
「キミは深見らんがレプリカの娘だったら殺すのか?」
「夏川さんならどうす」
「今質問してんのはあたしだ」
そうだった。この人は質問を無視されることを人一倍嫌っている。しかし、今回はいつものようなあからさまな苛立ちの様子は見られない。
「能力を親から受け継いでいるのなら殺す」
「一応理由を聞かせてくれ」
「レプリカを殺す理由と同じさ。向こうに僕を殺す気がなくても強大な力を持っている以上、いつどんな形で僕に害が及ぶか想像できない」
それだけのことだ。言ってしまえば念のために殺してるだけだ。自分の平和な日々のためだけに。それ以上もそれ以下の理由もない。
夏川さんはそんなことを聞いてどうしたいのだろう。
「そっか」
それだけ言って夏川さんは席を立ち、深見らんを捜しに行くことになった。その声はどこか諦めたような力のなさがあった。
「何か僕に隠してない?」
「それを素直に言っちゃ隠し事の意味はないな」
「まさかとは思うんだけどさ……夏川さんはレプリカなんじゃないのか?」
普通に考えれば気づくことだったが言い出すタイミングがなかったんだ。夏川さんは強くて異常にタフだ。脚の治りもちょっと頑丈な人のという言葉には収まらないレベルなのだから。
僕の少し前を歩いていた夏川さんはピタリと足を止め、ゆっくりと振り返る。その表情はどこか人をからかうようでありながら、暗い何らかの不安のようなものを感じさせる不確かさがあった。
「あたしはレプリカの敵だよ」
「それで……僕の味方なの?」
重要なのはそこだ。
「キミがあたしを信用してくれているなら敵になることはまずないよ」
雑踏のど真ん中だというのに音がなくなった気がした。僕は夏川さんを信用しているのか? そう自身に問いかけてみても曖昧な答えしか見つからない。夏川さんがレプリカを狩る理由を僕は知らない。レプリカを全滅させてどうしたいのかも。
そんな相手を僕は信用していいのか?
「冗談だよ。あたしがレプリカなんかじゃないことは確かだ。ほら、深見らんを捜すんだろ」
いつもの口調でそう言って歩き出した夏川さんに対して僕は何も言うことができなかった。
深見らんを見つけたのは日が沈んでからのことだった。いや、もっと言うと街が夜になってからだ。
闇雲にモールをうろついていても埒が明かないと判断した僕らは二手に分かれた。僕はショッピングモールの最も人通りの多い出入り口を監視し、夏川さんはショッピングモールの他に人が集まりそうな場所を当たった。
そして、まもなく閉店時間という頃に差し掛かった時、深見らんは現れた。
痛々しく染め上げた金色の髪の毛をなびかせ、やけに大人っぽい服装にリュックを背負って閉店間際のショッピングモールにやってきた。写真で見た軽そうなイメージは一目で払拭された。彼女の持つ切れ長の目には他者を一切寄せ付けようとしない拒絶感が浮かんでいる。ひどい目つきだと心底思った。
深見らんは僕から少し離れた席に腰かけると、そのままじっと時が経つのを待っていた。
ほどなくして一つの店舗から小太りの中年男性が現れ、深見らんのもとへ歩み寄った。まさか父親? そう思ったがどこか様子がおかしい。並んで歩きだした二人の背中にはどこかぎこちなさがあった。何より、男性の深見らんへの執拗な手つきが一般的な親子である可能性を否定させる。
『外で何してるかまではよくわからなかった。エンコーでもしてんじゃねえかって噂とかなら色々あったけどよ』
まさかだろう。中学生の身分で本当にそんなことを?
追ってみるしかなかった。とりあえず夏川さんを呼び戻し、二人を尾行する。尾行していけばしていくほど二人が親子である可能性がより顕著に否定されていく。夜の街で実の娘と二人きり、そのうえ万札を四枚も渡す男親がいるものなのか?
「なるほど、そういうことをしてるのか」
合流した夏川さんはどこか冷めきった様子で深見らんのことを言った。レプリカにでも襲われてくれればすぐに本性がわかるかもしれないのにと夏川さんはぼやいたが、最近はレプリカの情報はない。強いて言うなら蜘蛛のレプリカが存在する可能性があったものの、蜘蛛に関する情報は綺麗に途絶えてしまった。
もしも僕がレプリカを手下にでもできていたなら、今すぐあの二人を襲わせてみるだろう。手段は思いつくのにそれができるはずもないというのはどこかもどかしい。
やがて二人は駅でタクシーを拾ってどこかへ行ってしまいそうになったが、夏川さんが別のタクシーを拾ってくれて「前のタクシーを追ってくれ」と運転手に言った。一度言ってみたかったそうで口角が若干吊り上がっていた。
数十分タクシーが走ると、閑静な住宅街にたどり着いた。そして、三階建てのマンションの中に深見らんと中年男性の二人は入っていった。
僕らも少し時間を置いてからタクシーを降りた。しかし、マンションの中に入られてしまったんじゃ僕らとしては打つ手がない。
「タクシー代が無駄になったな」
「僕は……あの公園で張ってみるよ」
そう言ってマンションから少し離れた公園を指さした。公園からはかろうじてマンションの出入り口が見える程度の距離だろうか、どちらにせよこの機を逃すわけにはいかない。深見らんと接触できれば僕はレプリカの重大な情報に近づけるのかもしれないのだから。
「キミ、焦りすぎてないか?」
「そう見えるかい?」
「普通のヤツならここで引き返すと思うけどね」
「普通のヤツがレプリカに勝てるとは思えないな」
夏川さんは「言うようになったな」と笑った。僕も笑った
公園にはブランコと象の滑り台とベンチの三つしかなかった。真夏の夜を過ごすには十分だろう。冬場なら風よけになるものがなくて厳しそうな環境だ。
誰かと二人きりで夜の公園で過ごすというのは以前にも経験した。僕は入間君を今と似たような環境の中で毒殺した。人を殺すことに思っていたよりも抵抗を覚えなかった自分が恐ろしい。
「キミがそこまで平和を追求する理由を聞いていなかった」
眠そうに欠伸をしつつ夏川さんは言った。
「よかったら聞かせてくれよ」
そう言われて僕は昔のことを思い浮かべた。忘れてしまいたくなるような……いや、忘れてしまいたかった過去の話だ。このことを誰かに知られるのはすごく嫌だと感じているし、誰かに話したことすらない。しかし、この話を知っている者は僕以外に存在する。この話の当事者だった人間がこの世界にはいる。
今の僕が僕であるのは忌まわしい過去の当事者である兄さんの影響が色濃く反映されているからだろう。
「怖いんだよ。予想だにしていない何かに日常を壊されてしまうのは」
今はまだそれ以上話す気にはなれなかった。やはり心のどこかで夏川さんを疑っているからなのか? それとも……最初から夏川さんを信用する気がないからなのか?
「誰だってそうじゃないのか?」
そうかもしれない。誰でも自分の知る世界が突然醜く変わってしまうことを望みはしないはずだ。だけど、自分の知る世界が醜く変わってしまう瞬間を経験した人間はどれくらいいるんだろう。僕の今の行動は後に世界が醜く変わってしまうことを阻止したことにもつながるはずだ。
「だからこそ、こうして僕は世界を救おうとしているのかもしれないね」
「あたしはレプリカを絶滅させることが世界平和になるとは思えないけどね」
「僕の世界が守られればそれでいいんだ。僕の知らない場所や僕のいない百年後の世界なんかに興味はないよ」
「情熱のない男は嫌われるぞ」
夏川さんはからかうように笑う。
「少なくともレプリカを始末することには情熱を燃やしているつもりだよ」
我ながら気の利かない返事のような気がした。情熱があったところで僕を好きになってくれる女性が現れるのだろうか?
会話が途切れてから音のないような時間が淡泊に流れていった。腕時計を確認すると深夜の二時を回っている。夏川さんは気まぐれにブランコを漕いだり滑り台を立ったまま滑り降りたりして暇を持て余していた。僕はその間、ただじっと深見らんが入ったマンションの出入り口を見つめていた。
眠気を感じ始めた頃には援助交際という言葉が何度も頭の中を巡っていた。表向きなのかどうかは知らないが刑事という職業である母親を持っておきながらなぜそんなことができるのだろう。もしくは深見らんは薬の売人で街で受け取った金は薬の代金だったのか? それなら金と薬を交換して終わりのはずだ。二人きりでマンションに入って長時間過ごす理由が見つからない。やはり僕の頭では彼女が援助交際をしているとしか考えられなかった。
女子中学生が援助交際をする理由を高校生男子なりに考えてみる。家庭の環境などの理由でお金を稼ぐ必要ができた。いや、そんなこと刑事の親が許すわけがない。だとすれば何になる? 深見らんは何のためにあんなことをしているんだ?
「木野くん」
思案にふけっていた僕を現実に引き戻したのは夏川さんの一声だ。いつの間にか僕の隣に腰かけている。
「交代で見張りをしよう。深見らんはよくて朝帰りってとこだろう。先にあたしが一時間寝る」
夏川さんの提案に了解の意を示すと彼女は象の滑り台の上で寝そべった。気に入ったのかな?
とにかく、これで僕はある意味孤独な状況に立たされてしまった。このまま日が昇るまでの間、どれくらい頭を働かせられるか正直自信がない。深見らんを監視すると言い出したのは僕の方であるが、今は深見らんを監視するというより眠気に打ち勝つという目的の方が大きくなってしまっている気がした。
やがて空が徐々に明るさを取り戻し、夏川さんと見張り交代して僕が二度目の眠りに落ちようとしたその時に動きがあった。
まどろみの中僕の頭を乾いた音を立てて叩いた夏川さんが目で合図をする。マンションの出入り口に人影があった。その人影は遠目からでもわかる髪の色をしている。そう、ついに深見らんのお出ましというわけだ。
深見らんは特に警戒する様子を見せることもなくこちらに向かって歩いてきている。対照に僕は身構えた。相手は何をするのかわからない。これは決して考えすぎだということにはならないだろう。
深見らんはついに僕らの目の前、声でのやりとりが難なく行える距離までやってきた。そして、僕と夏川さんを交互に見遣ってから言った。
「おたくら何? こんな時間までアタシのことつけ回して何がしたいの?」
どうやら尾行はとっくにバレていたらしい。
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