虚ろな背徳 1

 霜野さんが言っていた巨大蜘蛛もとい蜘蛛のレプリカの件は一切の手がかりが掴めなくなってしまった。最近は波がプッツリと途絶えたように平和に時間が過ぎている。期末テストですべて平均点以下をたたき出した点についてはまったく平和ではないが、それはいい。いつものことだ。


 僕は蜘蛛のレプリカの混乱乗じて警察と接触して写真の女に迫ろうかと思っていたわけだけど、その方法には期待できそうにない。だけど、方法がなくなったというのとは違う。僕は死体を上手いこと隠してくれていたナギ先生に感謝をしていた。


 「第一発見者は君なんだね。とりあえず名前を教えてくれ」


 ナギ先生が試験と称して僕に殺させた三人の老人と一人の少女。いや、少女を殺したのはナギ先生……もっと言うと二人の老人は寄生虫によって殺されたと言っていい。僕は彼らの死体を隠したナギ先生に隠し場所を教えてもらい、第一発見者を装って警察に近づいた。


 「木野裕太です。えっと、ゆうたのゆうは余裕の裕で」


 「ああ、大丈夫だ。とりあえず君を一旦署で保護する。ここは危険だからな」


 若手の刑事と仏頂面のベテランそうな刑事が僕を車に乗せ、S高の近くにある警察署までは若手の刑事の方が送ってくれてその後の対応もしてくれた。確かこの若手の刑事は入間君の現場に写真の女といた人だ。あの時は腕を怪我していたっけ。


 「この辺りは最近ひどく物騒だよな。ちょっと前は行方不明事件が多発していたんだ。犯人は君と同じくらいの高校生だったり、やたら力の強い女の子はファミレス内で暴力沙汰まで起こした。その女の子には怪我までさせられちゃったくらいさ」


 「それは怖いですね。詳しいことは全然知りませんでした。僕の街でそれほどまでに悲惨なことが起こっていたなんて……」


 末端には情報が行き渡っていないのかとぼけているだけなのか……今の段階ではわかりかねるところだ。


 「そうだ刑事さん、巨大蜘蛛の噂って知ってますか? 友達がよく話しているんです。そいつが人を襲っているんだって」


 「ああ、知っているさ。僕なりに捜査していたけど手がかりは掴めなかった。上に話してもちっとも取り合ってはくれなかったよ」


 本当だろうか? パッと見て嘘をついているようには見えないが、どうなんだろう。


 署に着いて案内された先はガラス張りの個室に小ぎれいなソファが二つ置かれていた。そこにやってきたのはスキンヘッドの屈強な男とあの写真の女だった。


 「深見藍です。こっちは大堂君。リラックスしていいからね」


 大人びた微笑を浮かべる深見さんと強面からはイメージできないような爽やかな笑顔で握手を求める大堂さん。この二人もレプリカなのだろうか。

 僕を案内してくれた若い刑事さんを離し、事情聴取が始まった。若い刑事さんのは『加賀』という名前みたいだ。ここで得られる情報は覚えておくに越したことはない。

 事務的な会話の中、僕は何も知らない一般的な高校生を演じながらひしひしと感じることが一つあった。


 『若すぎる』


 神田さんの写真はざっと二十年前のものだ。そこに写る女と深見さんの姿に大きな違いがまるで見られない。女性という生き物は二十年間も美しさを保てるものなのだろうか? レプリカになったら若さが保たれるのか? もしくは今僕の目の前にいる女は写真の女とは別人なのか? 様々な憶測が頭の中を飛び交った。言うなればここは敵陣のど真ん中である可能性がある。僕はどう行動するのが正解なんだ。


 「木野君?」


 「へ? ああ、すいません」


 深見さんが僕を心配そうにのぞき込んだ。近づけられた深見さんの顔はやはり若々しかった。何の話をしていたのか、割と当たり障りのないことを話していたはずだ。それなら、アレを少し聞いてみるのもそろそろいいのかもしれない。


 「あの、巨大蜘蛛の噂を知っていますか? 友達の一人はそいつに父親を攫われたと言っているんですけど」


 友達の父親が攫われたなんてもちろん嘘だが、二人の表情は微妙に強張った。刑事として見過ごせない事件だからなのか、レプリカが世に知らしめられることを恐れてのことなのか……どうなのだろうか。

 大堂さんが答える。


 「我々に任せておけば大丈夫です。君は危ないことはくれぐれもしないよう気をつけてくれ」


 「えっと……身内の方とかで、そういった噂をされていたとかはありませんか?」


 「さあ、娘の学校では特に何もないみたいだけどね。君ってS高なんでしょう? その隣の中学校に通わせているけどそんな話は聞かないわね。正直、君がホラを吹いているようにも思うのだけれど?」


 「中学生は大人が思っている以上に大人です。それでいて歳の近い僕らが思っている以上には子供だ。そんな掴みどころのない世代の子が何から何まで親に話すとは思えませんよ」


 「随分と知ったようなことを言うのね、君は」


 「ちょっと前まで中学生だったんですから、その辺の気持ちは大人よりは知っていると思います。あ、決して大人を貶しているわけじゃないですが」


 深見さんは腑に落ちないといったような表情で話を修正する。大堂さんも今の発言をあまり快く思わなかったようだ。


 「とりあえず巨大蜘蛛の件ね、君は安心していいよ。何とかしてみるからさ」


 「はあ……」


 ダメだ、僕にはこれ以上踏み入る勇気がない。『身代わり』が欲しい。僕の代わりにレプリカについてもっと踏み込んだことを誰かに聞いてほしい。これ以上聞いてしまうのは奴らにマークされる要因になるのかもしれない。夏川さんはまだいいとしても非力な僕の存在が知られることはそれだけでアウトなんだ。


 だからこれ以上は何も聞かない。今後、僕は都合のいい身代わりを見つける必要ができたということがわかっただけでも進展はあったのか。


 「…………」


 娘……か。

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