ご注文はたぬきですか?

神楽 佐官

第1話

 真田源三郎信繁は心がぴょんぴょんしていた。

 新しい学校に通うため、信州から上京してきたのだ。

 信州の田舎から出てきた信繁にとって、都会は驚きの玉手箱だった。

 石畳を歩く。信繁の町に石畳などない。あるのは獣道ばかりだ。

「ここなら楽しく過ごせそう」

 思わず頬がほころぶ。

 ひょっとしてこれが評判の『らびっとはうす』なのではないか。

 期待に胸を膨らませながら扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 そこにいたのは可憐な少女ではない。

 おやじである。

 小太りのおやじである。

 頭にのっているのはちょんまげ。

 ……だけではない。

 狸だ。小さな狸だ。

 えもいわれぬ不気味な笑みを浮かべている。

「いらっしゃいませ」

 陰謀度100%のさわやかな笑顔で客である信繁を出迎えた。

 信繁は無言のまま逃げようとしたが、それを察した狸おやじは先手を打って、

「ささ、どうぞ」

 中に入るように促した。

 だが、信繁は一歩前に踏み出す気にはなれない。

「ここ、兎のいるカフェではないんですか」

「うちは狸カフェですよ」

「狸カフェ……」

「狸、かわいいでしょう?」

 人生において狸がかわいいと思ったことなどないので、どう答えたらわからない。

 狸というと真っ先に思い浮かべるのが某食品メーカーの、

『赤いきつね』と『緑のたぬき』

 の『緑のたぬき』である。

 店のなかを見ると、信楽焼の狸の置物とかが置いてある。

 左側にはカウンターがある。そこには見るとダンディな老人がグラスを拭いている。目が合うと老人は微笑んだ。老人の背後には日本酒やら焼酎がたくさんある。

「お酒が置いてありますが、居酒屋なのですか」

「夜になるとここはバーになるのだよ。大人になったら夜も遊びにきてね」

 家康と頭の上の狸が同時にニヤリと笑った。

 癒しの空間とは程遠い世界に信繁は辟易した。この喫茶店に入ったのはやはり間違いではなかったのかと頭を悩ませていると、

「なんになさいましょうか?」

 髭のおっさんが水を運んできた。ちなみにそのおっさんはメイド服である。

 武士のなかの武士といった、まさに幾多の戦場をくぐり抜けてきた男の顔であった。

 信繁は飲んでいた水を噴出しそうになった。

 メイド服姿のおっさんなどそれこそアームストロング砲なみの破壊力がある。

「その格好は……」

「徳川の実戦部隊は皆このような服だ」

 どのような実戦なのかと小一時間問い詰めたかったが、荒々しい武者と顔を合わせるとどうも気持ちが萎えてしまう。この武者メイドは店主以上に武士としての威厳を持っていた。

「でも、あの方は男の格好してますよ」

 信繁はダンディな老人を指さした。

「あやつは違う」

「はぁ」

「佐渡守(正信)の腰抜けはまるで違う。同じ本多一族でもあやつとは全く無関係である」

 癒しの空間を求めに来たのにおっさん同士の醜い争いを垣間見てしまった。これ以上詮索するのは薮蛇なので黙っておくことにした。

「注文が決まったら呼ぶように」

 信繁はメニューを見た。ううむ、と唸る。

 品数が少ないのだ。とくに甘味が少ない。珈琲以外だと『ほうとう』とか『信玄餅』しか置いていない。

「いかにも喫茶店みたいな物は置いていないんですか? たとえば『ぱふぇ』とか『ほっとけーき』とか」

 すると一同の表情は暗くなった。

「すまない。いまリメイク中なんだよ」

 店主の狸親爺が申し訳なさそうな顔で答える。

「身内の恥を語るのは恥ずかしいのだが……。この『狸カフェ』は私徳川家康、本多正信、本多忠勝、そして阿茶の四人で切り盛りしている。もともとシェフの石川数正もいたのだが、豊臣に引き抜かれてしまったのだ」

「なんと……」

「うちは珈琲が売りの喫茶店だが、家庭的で『あっとほーむ』な料理も売りにしていたのだ。ところが数正が引き抜かれたものだから、当店自慢の『れしぴ』も流出してしまったのだ。だから、いま新しいメニューを研究中なのだよ。いま、どこの町にも豊臣、豊臣。あのエコノミックモンキーの天下なのだ。いや、チェーン展開はまことに恐ろしい」

 家康は飢えた狼に狙われているかのように怯えていた。

 信繁も中小企業の社長である父昌幸の背中を見て育ってきたので、弱小勢力の辛さはよくわかる。少ない資本で大企業に立ち向かうのは本当に大変なことなのだ。

「わかりました。では、この家康ブレンドで」

「承知した」

 家康は鷹揚にうなずいた。

 するといきなり家康が近づいて信繁の腕を無造作につかむ。

 脈をとった。

 突然のことに信繁は目をぱちくりとさせた。

「ここ最近、身体が弱っておるな」

「はい。わかりますか」

 信繁は咳をした。

「風邪を引いているのか?」

「はい。ここ最近喉が痛くて」

「左様か」

「あのう、お医者さんなんですか?」

「いや。しかし、漢方についてはずいぶんと勉強した。医者より詳しいぞ」

 自慢げに笑う。

「君、この辺の子に見えないけど」

「高校入学を機にこっちに引っ越してきたんです。住み込みで働きながらこの町の学校に通うことに」

「そうかい。えらいねぇ。頑張るんだよ」

 そして厨房へと向かった。

 信繁が呆然としていると、正信が伊賀の忍のごとく音もなく近づいて、

「これはサービス」

 差し出した皿に載っているのは、カリントウ。

「三方ヶ原産でござる」

「あ、ありがとうございます」

 信繁は一口食べた。

「どうですか。お味は」

「とても味わい深いです」

 カリントウに珈琲も意外と合うかもしれんな、と信繁は思った。

 扉が開いた。三十路くらいの年頃、桔梗の花のごとく美しい女性だった。客かと思ったが、

「すいません。子供あやすのに遅くなっちゃって」

「阿茶ちゃん。遅かったじゃないの」

 阿茶の姿を見て、狸親爺の頬がほころぶ。彼女も店員らしい。

「ところで」

 メイド姿の忠勝が訊ねた。

「そなたは高校に入ったらどんな部活に入る気かね」

「鷹狩りをやろうと思ってます」

「冗談ではない」

 忠勝が不動明王のような顔になったので、信繁はすっかり怯んでしまった。

「いけませんか」

「男なら武術をやるべきだ。剣道でも槍でも柔術でもかまわん」

「でも、今度一緒に学校に入学する秀次くんにも『一緒に鷹狩り部に入ろう』って誘われているのですが」

「ならん。絶対にならん」

 忠勝はぶるんぶるんと首を左右に振った。

「あんな金持ちの道楽みたいなのはスポーツではない。根性が腐る」

「でも、鷹狩りは戦の演習にもなりますし、足腰も鍛えられますよ」

「ならんならん。足腰が鍛えたいのならマラソンでもやっておけ。槍の練習や戦史の研究のほうがよっぽど役にたつ」

 正信は忠勝の方を見ず、黙々とグラスを磨いていた。

「ところで君は兎は好きらしいが」

 家康がなにげなく訊ねると、信繁は過剰なほどに目を輝かせた。

「はい。大好きです」

「上京したというけど、どこからやってきたの」

「信州です」

「だったら兎とかたくさんいるだろう」

「猪ならたくさん見かけますが、兎はあまり見たことがありません。それに都会には『らびっとはうす』なる兎の喫茶店があって、 評判を聞いた私は一度でいいから訪れてみたいと思ってました」

「兎だったら、うちにもあるよ」

「本当ですか」 

「正信。兎用意して」

「かしこまりました」

 よかった。兎に会える。

 信州にいた頃から憧れの兎にこんなところで出会うとは思わなかった。

 これは僥倖……そう思った瞬間。

 心地よい匂いが信繁の鼻腔をくすぐる。

 ぐつぐつとなにかが煮えるような音がする。

 まさか。いや、そんなはずがない。

 信繁が想像しているような事態があるはずがない。そもそも先ほどメニューを見たが鍋料理のたぐいはなかった。いや、『ほうとう』などはあるが、兎料理などメニューにはなかった。

 ピンク色のキッチンミトンを手に嵌めた正信が鍋を運んできた。

「これは……」

「当店自慢の兎鍋でござる」

 信繁の嫌な予感は残念なことに的中した。

「兎をこんな風にするんですか?」

 仰天した信繁は詰め寄らんばかりの勢いで訊ねた。

「ジビエが今流行っておりますから」

 正信は稀代の謀臣らしくエレガントに答えた。

「メニューにはこんなの書いてなかったですけど」

「試作品でござる。今日は特別に提供するのでござる」

「可哀相でしょう。兎をこんな風にするなんて」

 信繁がいまにも泣きそうな顔をしていると、

「じゃあ、君は猪を食べるのに猪さんかわいそうとか思わないのかね?」

 ずずずい、と家康が顔を近づけて言った」

「いや、兎はかわいいですけど猪かわいいですかね?」

「君は猪鍋を食べないのかね?」

「食べます。好物です。信州の田舎で育ちましたから」

「ウリ坊かわいいでしょう? 成長したら食べちゃうの? 猪は喜んで食べるけど兎は食べないなんておかしいじゃないか。それは猪に可哀相じゃないのかい」

 信繁のミルク色の夢は無残にも打ち砕かれた。

「白味噌と赤味噌を会わせた狸カフェ特製の味噌鍋だ。伊達からもらった味噌だ」

 信繁は何ともいえない表情で兎鍋を食べることにした。

 兎を食べるなんて可哀相、でもおいしいという世の無常を感じながら兎鍋をつついていると、

「当店自慢のオリジナルブレンドだ」

 と、家康が珈琲を運んできた。

 信繁は一口飲んだ。

 ひゃぎう。

 声にならぬ声が信繁の口から漏れた。

 なんというか、苦いとか酸っぱいとかそういう問題ではない。

 胃酸が逆流しそうな味である。

「どうかね?」

 家康がにこやかな笑顔で訊ねる。

「え、ええ……」

「戦国武将でいうとどのくらいのレベルか。織田信長」

「いや、もっと下です」

「ひょっとして今川義元か」

「いえ、もっと。もっともっと下です」

「ではいったい誰だと言うのか」

 家康はあきらかに不満そうな顔をしていた。

「一条兼定です」

「なに、一条兼定だと。○ーエーで一番能力値が低いといわれるあの一条兼定のことか」

「そうです。一条兼定というのはコー○ーで一番能力値が低いといわれるあの一条兼定のことです」

「冗談ではない。そなたはこの家康ブレンドの素晴らしさが全然わかっておらぬ」

 家康は荒々しく机を叩いた。バン、と音がした。

「そなたはひょっとして味だけで珈琲の価値を判断しておらぬか」

「珈琲に味のほかに価値があるとでもいうのですか」

「これはただの珈琲ではない。薬膳珈琲だ」

 そう言って家康は一枚の紙切れを渡した。

 紙には漢方の配合が書かれている。

「では、脈を取ったのは私の健康を調べるためですか」

 薬膳珈琲というのは聞いたことがない。

 味はいまいち、いや、いま二かいま三といったところだが、飲めば健康になる珈琲はありがたい。

 信繁の顔色が変わった。

「これはいったいどういうことですか」

 詰問するような口調に変貌している。

「なにか不服かね。殿がせっかく気を遣ってくださって作ってくれた家康ブレンドに文句でもあるのか」

「問題は漢方の中身です」

「どれどれ」

 忠勝は信繁からひったくるように紙を奪い取って読んでみた。

「八味地黄丸……なんじゃ、これは」

 漢方の知識のない忠勝にはなにやら怪しい呪文のようにしか見えない。

「殿。八味地黄丸とはいかなるものでございますか」

「海狗腎をくわえたわし愛用の漢方じゃ。こんなのを飲ませる珈琲店は他にないぞ」

「海狗腎とはなんでございましょうか」

「オットセイの陰茎および睾丸を干したものじゃよ」

「な、なんですと」

 徳川家随一の剛の者本多忠勝は顔を蒼白にした。

「体力低下によく効くのだ。わしは日頃から愛飲している」

「そんなものを珈琲にまぜて飲むとは不思議なものですなぁ。しかし、これもそなたの健康を気遣ってのことだから……」

「問題はそこではございません」

 信繁は声を荒げた。

「その隣が問題なのです」

 人中黄。

 そう書かれている。

「ん? なんじゃこれは」

 忠勝は いきなり稲妻が奔ったような感覚が貫いた。

「まさか……」

 とんでもなく嫌な予感がした。かりにも本多忠勝の主ともあろうお方が、想像しているようなグロテスクな代物を食物に混入させるはずではない。忠勝のなかではそんな物が漢方の薬のはずがなかった。

 疑惑を払拭させるためにも、聞いてみるしかなかった。

「殿。この人中黄とはいかなるものでございましょうか」

「うんこ」

 衒いのない、まっすぐな答えがかえってきた。

 正信は衝撃のあまり拭いていたグラスを落として、主君を見た。

 阿茶は、文字通り顎が外れそうなほど驚いていた。

 忠勝は相手が主君だろうと冗談事では済まさぬぞといわんばかりの形相で、

「うんことは、いかなるものでございましょうか」

「うんこはうんこだろう」

 家康はしれっとした顔で答えた。

「いかなる生物のうんこでございますか」

「人間の」

「どう考えてもおかしいだろう」

 信繁は立ち上がった。

「人のうんこを珈琲に入れて提供するとは、この店の衛生管理はどうなっているのか。来ねえよ。こんな店もう来ねえよ」

 怒りが沸点に達した信繁はそのまま店を出て行った。

「あ、お勘定……」

 家康が追いかけようとすると、忠勝が押しとどめた。

「殿。お止めくださいませ」

「離せ、忠勝」

「無理でござる。いくらなんでもそれは無理」

 すると阿茶も、

「狸親爺ではなくて糞親爺でございますわ。この脱糞親爺」

 情け容赦のない言葉を投げかける。

「正信、なにか言え。言わぬか」

 しかし、正信も黙って首を横に振る。

「今回ばかりは殿が悪い。うんこだけに運がなかったとあきらめましょう」

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