「尊大すぎる羞恥心」
私が私の持つこのことに気が付いたのは、遅すぎる最近であった。あまりにも抽象的で、文学の風上にも置けぬ殴り書きをいくつか並べてみたところで、ようやく私の正体が垣間見えたのである。経緯を説明しよう。私は挫折した。
これまでに比肩の性を持ち他者と対抗し続け、優越感で腹を満たして生き延びてきた私は、醜い正体を世間に露わにするべく放射された光線のような挫折に貫かれた。無理強いではなく、命令でもないのに、私は自分を呪った。自発的に呪いだしたのだ。この呪いは鮮度を全く落とすことなく私の体を蝕み続け、劣悪な魂を定義づけるかのように、劣等感の沼に私の全身を沈めていった。この時すでに、顔はやつれていた。
死神がいるのなら、間違いなくそれは私の背後にいる。年がら年中鎌を持って私の死んだ眼を遠目から見つめ、ことあるごとに鎌の柄で私をつついてくる。私は項垂れた。頬の肉が重力に従って引っ張られている。眼はぼやあと広範囲を捉えていて、きちんと脳とつながっているのか甚だ疑問に思えるほどに付属品だ。ため息が指に当たり、私はしばし筆を止める。考え続けたことで生じた罪であるのなら、もういっそのこと脳に麻酔を打ち続けて、RADIOでも聞きながら、娯楽に身を投じれば楽になるのかもしれない。精進の魂などを汚らわしき自己顕示の欲求と捉えて身を窶すことが出来るならば、もう今後望みを絶たれることは無くなるのだろうか。
尊敬されることが人生のすべてだと感じていた時期があった。だからこそ、それを失ったときにすべてを失ったと素直に感じたのだ。他人の目を気にせず生きることとか、自分のわがままを通すこととか、すべてが難しい。能力の成長ですら星占いで決まっているかと思われるほどに、自分の思惑はうまく運ばない。難解な数珠繋がりの中で、上手く世界は回っていて、綺麗に理が出来ている。難しいことを考えずに生きるために、いっその事喜劇の中の住人でありたいとも思う。
しかし喜劇の演者はひどく滑稽で、自分のPRIDEがそこに永遠に耐えられるかが不安で仕方ない。だから人は多数決の中に自分を隠したがる。頭角を現したら終わりだと思う。そして自己顕示を中断する。この停滞こそ、臆病が招いた罪なのだろう。しかし、喜劇は演じてみないと悲しみがわからない。そうなのだけれど、またしかし、喜劇は俯瞰して見ているのが一番面白いのである。
「若輩手記」 清水 春次郎 @zzzuke
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