2015 11月 男生徒

男生徒


顰蹙をかいたくないので、無言だった。今日の私は、いつもと、違った。これから、ここに、書くことは、白々しい独白になるが、許してほしい。何故なら、白々しくもあるが、ちゃんとした話だからだ。因みに、最初の一文は、父が運転してきた車の中での話なのだが、その詳細は、これから文を読んでいけば、わかる。


まず、私は目を覚ました。朝だ。しかし、酷く頭が重い。昨日、快楽にも良く似た夜に身を委ねて、自分を甘やかした。それが祟って、何かしら、身体に異変が起きているのだろうことを、悟った。寒気も、した。酷い寒気で、あった。枕元には、携帯などがある。目の前の炬燵には、太宰治の本が、置いてある。私はむくりと身を起こすと、何事を無かったかのように背伸びをしてみた。何事もなかったかのように、装うことで、自分の身体を、騙そうとしたのだが、それは浅はかな願いであった。人間の、身体は、思っているよりはうんと良く出来ている、と医者などは言うが、それならば、何故、こんな大事な時に、身体に異変が起きてしまっているのだろう。天罰に近い何かを、感じた。今、私は、十八歳。高校三年生の男生徒である。男生徒である私は、遂に卒業を迎えようとしていた。しかし、その前に、進学という、義務に似た儀礼を、せなばならなかった。大学に入るためには、試験というものが、ちゃんとした日に、設定されている。そのちゃんとした日、が、今週末にある。今日は日曜。ちゃんとした日、は木曜。風邪などを引いていたら、少しまずいのでは、とスケジュールを確認して初めて、ぼやけた頭で、認識することが出来た。ここまで、ようやく、と言った感じで話しているが、認識までにかかっている時間は、事実のところ、起きてから、約三十秒くらいである。そうして、二階の私の部屋を出て、一階に降りる。計画、を企てながら。朝食が、出されている。父が「おぅい、早く食え。」、と新聞紙の裏から、言う。決めつけたような台詞で、少し、むっとした。しかし、頭がぼやあとしていたために、そこまでなにか言う気には、なれなかった。そうして、始めに、お父さん、その前の席について「いただきます」と口にする。そして、味噌汁をすする。ここの所で、大方悩んでいたことを決断していた。おそらく、熱が出ているであろう、私の身体について、言うか、言うまいか。私は、天命に任せることにしたい、と考えた。そこで、「今日は、自分、低血圧だ。具合が悪く感じるよ。」と口に出した。さあ、ここから。どう動くかは、私にも、分からない。祖母が、私を案じた。祖父も、私を案じた。「熱を、計ってみては?」と、祖母。食事をぱくぱくと済ませると、私は炬燵に膝まで入れて、具合が悪そうに、机に這い蹲った。あながち、演技ではない。事実、本当に、具合が悪かった。そして、その原因というのも、理解していた。が、今回私の中で問題になったのは、その原因をどう打ち出すべきか、と、いうことであった。熱を計った。私は、熱を計るのが下手なので、なんどか、出したり、入れたりを繰り返したが、遂に結論が出た。その時には、お父さん、もう、気がかり。炬燵、食器棚、お椀、仏壇、天井。あちらこちらに視線をやりながら、私の身体がどうなっているかを気にしていた。熱は三十八度と二部、あった。風邪だ。いや、もしかしたら、インフルエンザ、なのかも、知れない。しかし、昨日は、家にずっといた。そして、試験の科目である、面接の練習を、お父さん、手伝ってくれて、一緒にしていた。あの時のこと。思い出すと、少し憂鬱に、なる。「どうしてこんなことも覚えられないんだ。」と、お父さん。「ごめん。」、と私。演説していた頃のように、台詞を暗記できず、悩んできた。しかも、そこまで覚えることに興味がわかなかったのが、いけない。意味を、上手いように、感じることが、出来なかった。大学に対して、ふわふわしたものしか、私は持ち合わせていない、出来損ないの、感覚をしていた。行きたいには行きたい、けれど。という感情。どうしても、という感覚が、欲しかった。そこに、圧力をかける、父。責任感で、私に、言葉を、投げつける、父。ストレスによる熱ではないか、とは自然に私は考えられた。私は、正直者だ。あまり、嘘をつきたくない。という論理で、私はぽろっと、熱が出たのは、こうではないか。もとい、ストレスのせいではないか、と宣った。父は、無言であった。休んでろ、と、お父さん。祖母と一緒に、何やら相談中である。お父さん、忙しそうに、電話をかける。これを、私は、頭を垂れながら、苦しそうに、見ている。沈黙、であった。そうして、私は、起きたばかりだが、安静をとることになった。部屋に戻る。ふと、俯瞰して、部屋を見ている。よく見ると、俗物ばかりの部屋である。この部屋とも、上手く行けば、今年の春で、お別れ。今まで生きてきたこの家とも、お別れ。お父さんとも、お母さんとも、祖母とも、祖父とも、弟とも、お別れ。しかし、寂しさを未だに感じられない。それは、なんでだ。でも、同世代の仲間も、そんなことを感じている面持ちをしているから、特殊なことでは、ないんだろうな、と、安心する。そして、お父さん、二階にだだだ、と上がってきて、「医者にいく」ことを伝えてきた。医者が開くまで。それまで、待ってろ、そんなことをまた忙しそうに言って、部屋から出ていった。私は、おもむろに、目の前に置かれている、太宰の本を、手に取った。そして、時間潰しに、読み始める。少し経つと、もう、お父さん、「医者にいくぞ」と、言い出した。この時、太宰の本を読んでいるところを、見られた。これが、何故か、いけないことだった。部屋から出て、着替えて、汗もふいた。そして、家から出て、車に乗る。医者にいく車で、「本なんて読んでるんじゃない。無駄なことだ。面接の台本を読め。」と父は告げた。文学が、無駄。文学は、無駄。どうなのだろうか。むかっときたが、真理は、私にも分からなかったし、どんな本にも書いてなかった。だから、私は、何も、言えなかった。文学が有用か、無用か、ということについて、その考えは、一旦ここで、途切れた。そして、この間、私と父の間には、他に、様々な思惑が渦巻いていた。父にとっては、早く行ってもらわねばならぬ大学に、息子が、風邪のために、行けないかもしれない、という、危機感。そして、自分の面接の練習で、ストレスを与えてしまい、熱を出させてしまったのではないか、という責任感。対して、私の胸中。これを期に、父が、あまりストレスをかけないような言葉選びとゼスチュアをしてくれればいいな、という思い。しかし、朝の段階では、あまり、思いやり、というか、は感じなかった。いつもどうり、いや、いつもよりも強固な意思で、つっけんどんという訳では無いが、指示を出してくる。制約的だ。

そして、父に、責任感を感じさせてしまっている申しわけなさ。しかし、多分、この熱は、しょうがない事だ。ストレスのせいだ。私を案じて欲しい。そう。甘えの心。子供の甘えんぼうな、わがままの、心、だ。あと二年もすれば、私は、成人する。それだというのに、この、ゆらゆらとした、モラトリアムな空間を大事そうにして、マージナルな自分に、甘美に酔っている。この、甘えから、解き放たれて、大人に染まっていくのであれば、きっと、なにかを失っていくんじゃないか、という不安。ピーターパンのように、夢を見ているわけじゃないのに、気持ちよくもない、霧の中を彷徨っていたい、そういう気持ち。布団から出たくない、という気持ち。もっと言うなら、トンネルから、出たくない、という気持ち。そうすることで、お父さんには迷惑が、かかる。誰しもが、それを、切り捨てて、いつか、大人になって、そして子供を産もうとする。すごいお父さん、その点では、成功例。具体的な、成功例。それが、私の関係上において、父という人の持つ、すごさ。そのすごい人に、頼っていたい。十八でありながら、まだ、殻にこもっていたい。おしゃぶり野郎だ、私は。醜い甘え。空疎な夢から脱出する術を知らない、無知な男。そして、責任感も芽生えていない。自分用の責任感も、他人用の責任感も、今。だから、きっと、頼るのだろう。虚ろな目をして、血色の悪い顔を持って、並列化した言語を流しながら、私はまだ、そんなことを宣う余裕があるのだ。きっと、鬼のようなお父さんであれば、最早、そんな余裕は、何処にもない。従うのみ、だ。眠気さえ、抱けない。私が父になった時の接し方に、いくつか参考点を見出そうとするが、未だに収穫は、ない。父になったとき、私はどう子供に接することができるのか。お父さん、できるのか。そもそも、お父さん、なれるのか。無口でも、自然な成り行きで、休日には釣りに連れていってやるような、そんな父になりたい。子供が欲しいものは、責任感と一緒に、それを与えられて、あと、子供がトランプをして欲しいと言ったら、やってあげるような父であらねば、なるまい。私の子供が、子供を卒業する、その時までは。子供の定義息も明確化しない。していない。私の中では、未だに、していない。だからこそ、今、私は、こうしている。大人になりきる直前に、こうして、醜悪な甘えを持って、行く先に思いを馳せている。ぼう、とした頭で、滔々と。この時の私の頭は、そういう思いを糞のように垂れ流しては、いたものの、感情としての、欲求というものとは、しっかり、乖離していた。頼りたいという、要求。それは核としてあった。醜悪で卑怯な頼り方。そんな、醜い感情が先行していたように、思える。私は、醜い。嫌だなあと、感じる。そう、そして、だからこそ、もう一つの絶望がある。こうして、私が思っているということは、生物学的に、父から遺伝している可能性は、大いにある。だから、父も、なんだかんだ言って、私と同じ方向性。他人を案じる一面と、自分を案じて欲しい一面の二面性を持ちながら、最終的には自分を先行していしまう、方向性、傾向。それがあるとしたら、それが父にもあるとしたら、そうしたら、二重の絶望だ。そうした醜い心を隠すために、無言を保っている自分。それと同じように、車の中で無言だった父。重なり合う、この沈黙は、意味ある沈黙であり、絶望でもあった。そんな沈黙も終わり、私は悟る。私も父になれば、こうなるだろう、と。お父さんとように、なるだろう、と。そう思いながら、車を降りた。医者につき、カルテを見ると、「緊急」と書かれていた。案じているお父さんの一面をそこに見た。しかし、その感情も遂に、いつか、薄れて、私はもう、お父さん、と呼べなくなる、そんな日が来るだろう。ぼやあとした頭を抱えながら、医者の目の前でも、そんなことを、考えていた。お父さん、こんな、私を、どうか、許してください。

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