第5話

 次の日は土曜日だったので、買い物をしたり、高校時代の友達に会ったりしていた。途中、月曜日からアルバイトがあることに気がついて急ぎ電話する。友人に代わってもらい、しばらくの休みを頂いた。

 その日、べろんべろんに酔っ払って帰ってきた僕はまたぐっすりと寝ることができた。


 日曜日の朝。

 頭をぺしりと叩かれる。

「おーい。おーい」と声がした。

 誰だよ。五月蠅いな。

「兄貴起きろー。かわいい弟が会いに来たぞー」

 重い瞼を開くと、目の前に弟の顔。

「おはよう。そしておかえり」

 弟がニヤニヤしている。

「ただいま。そしておやすみ」と僕は寝ようとした。

「おい、起きろよ。もう昼だよ。ご飯できてるってさ」

 弟はどうやら母に頼まれて起こしに来たらしい。

「うーん」

 頭が重い。これは二日酔いだな。

「酒臭い」と弟は鼻を抓む。

「うん。ごめん」

 どうしようもないので謝った。

 僕は起きて顔を洗う。

 母親が嬉しそうに笑っている。

 食卓の上には美味しそうな手作り炒飯が出来あがっていた。


「いただきます」

 弟はもう食べている。

「ところで何でいるの?」

 と、弟に向かって言うと、

「こっちの台詞だよ!なんだよ迷惑そうに。母さんが電話で〝今お兄さんが帰ってきてるから、あんたも明日帰ってきなさい。〟って言うから、せっかくかわいい弟が会いに来てやったのに」と答えた。


 弟は今年から同じ県内の大学に通っている。とは言っても家から通うと二時間ほど掛かるので、今は大学の寮に住んでいる。歳は三つ離れているが、僕は一浪なので学年は大学三年生と一年生だ。

「どう?寮は」

 僕が聞くと、母が、

「ご飯が美味しくないらしいわよ。それでたまに日曜日はご飯食べに来るのよね」と弟に向かって言う。

「あんなの拷問だよ」と弟は言っている。

「なんだかね、コックがまだ日本に来たばっかりの中国人で日本食を勉強中なんだって」

 弟の代わりに母親が全部答えている。お受験の面接を見ている気分がした。

「中華料理はまあまあだけど、他が最低。実験台だぜ、俺ら」と言って弟はガツガツと炒飯を頬張る。

「んで、兄貴は何で帰ってきたの」

 質問に少し考え、やはり答えるのが面倒だったので「内緒」と答えた。

「ふーん。まぁいいや。おかわり」

「もう食べたの?もう少しゆっくり食べなさいよ」と母は驚いている。弟はスリムなわりに大食漢だ。本当によく食う。


 弟がいるだけで家の雰囲気ががらりと変わる。僕は弟のことを、家族の中で一番近い存在だと思う。幼い頃はいつも一緒にいて、孤独な時代を共に過ごした。しかし、性格は全く似ていない。弟は我儘で、純粋で、感情をとても素直に表現する。そんな弟を見ていると僕はいつも仮面を被っているような気分になっていた。僕は弟のそんなところが羨ましいんだと思う。


「兄貴さ」

 母がよそいに行っている間に弟が話し掛けてきた。

「何?」

「今日暇?」

「まぁ。予定はないけど」

「じゃあ買い物付き合ってよ」

 あまりそのような機会がなかったので少し驚いた。

「うん。いいよ」と言うと、

「あら、じゃあ三人で行きましょうよ」と母が言う。

「えー、ちょっとそれは……」迷惑そうな弟。

「何よ」ムッとする母。

「俺らだってもう大学生だよ?こっちには友達も多いし、見られたら恥ずかしいよ」

 同感だ。

「もう。これだから男の子は」と母は不機嫌になる。

「今日は車でイオンに行くからあんたたちは荷物持ち。これで決まりね」

 母の勢いに、大の男二人はぐうの音も出ない。こうなったらお手上げだ。母は強し。

 車の中で弟が「やっぱうちのチャーハンが一番だわ」と腹を押さえて笑っていた。僕も「だなー」と笑顔を返す。母は「当たり前だのクラッカー」と言っては空気を凍らせた。


 幼い頃。僕ら兄弟はめちゃくちゃ喧嘩をしていた。でも喧嘩をするほど仲が良いと言うか、いつもはこんな感じだ。今でもたまに気まずい空気になったりもするが、次の日にはケロっと忘れたように振る舞う。そんな時の弟のニシシと言うような笑顔にいつも助けられていた。


 百貨店で母と離れた時、弟が不意に話し掛けてきた。

「女だろ」

 僕は体が固まった。

「何が?」

「失恋旅行か」

 弟はニヤニヤしている。

「何で」

「だって、昔から兄貴が失恋すると いつもそんな感じだよ。挙動不審というか、影を背負うというか。きっと母さんだって本当は気づいてるよ。でも兄貴言わないから」

「言わないんじゃない。言いたくないの」

 突き返すように言った。

「ほら、やっぱそうなんじゃん」

 弟が笑っている。やられた。

「別に迷惑かけてないから良いだろう」

 投げやりに言う。

「うん。母さん喜んでるし、良いんじゃない?」

「人の不幸を喜ぶなんて」

 自嘲気味に言ってみせた。

「そんな大袈裟な。最近連絡しないからだよ。女ができるといつも疎遠になるんだから」

「そう?」

「そうだよ」

「そうゆうお前はどうなんだよ。彼女いるんでしょ?」

 話題を変える作戦に出る。

「俺はちゃんと適度な距離を保って付き合ってますよ。兄貴はベタベタし過ぎなんだよ」

 また話題が戻ってきた。どうやら早くも作戦は失敗したようだ。

「見てもないくせに」

「わかるさ」

 ムッとする気持ちを抑えて「そっか」とだけ言う。

「大人になったねえ」

 そんな僕を見て彼はしみじみ言った。


 帰りの車内で弟が母にバラし、僕は白状する破目になった。母は「やっぱりね。そんなことだろうと思ったのよ」と言う。そんなにわかりやすいかな、なんて考える。夕食時、僕も弟もあまりすることがなかったので、料理を手伝うことにした。前菜、副菜、主食と出てきて何とも豪勢な夕食になった。


「言ってスッキリした?」

 弟がまたニヤニヤしている。

「話して余計にモヤモヤが膨らんだ」

 僕は冷たく答える。

「そう?でも大丈夫だよ。兄貴ならすぐに次ができるって」

「慰めるな。つらくなる」

 僕は耳を塞ぐ真似をした。

「若いわね」と母が割り込んでくる。あたかも自分は百戦錬磨であるかのような言い様で。「子供ができると、それどころじゃないんだから」

「子供って、何年後の話?」僕が笑う。

「そう言うけどさ、こんなに良い息子いないよ。手間かかんなくて」と弟が。

「そうよねえ、本当に。二人ともしっかりして。でもね、あんたたちが子供の頃は大変だったんだから」

「兄貴の反抗期が長かったんでしょ?母さん、その話何回も聞いたし、俺居たし」

「そうよ。本当に、あのバカ親父が出て行ってから、本当に子育てが大変で。でも我ながら、良い子に育ったわよね」

「親バカ」と僕が言う。


 母が父の愚痴を漏らし始めたのも最近になってからだ。いずれ離婚すると言うことはあっても、愚痴は僕が子供の頃は本当に言わなかった。きっと多く有り過ぎる不満を必死に隠していたんだろう。それに当時は未練もあったんだと思う。


「隠し事が多いからな。兄貴は」

 話の流れで出た弟のその言葉で、僕はスマホに残る『ベッドの下』のことを思い出していた。

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ファミリー・コンプレックス XYI @XYI

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