第3話

 立派な初代、凡人二代目がどうだったのかは知らないが、生まれながらにして魔王の地位が約束され大切に育てられてきたというぼんくら三代目は、カビやホコリを見ると超過敏反応を起こすらしい。

 確かにそんな三代目にはカビやホコリを利用して戦う魔物なんていうのは恐ろしい以外の何ものでもないだろう。

 しかし、カビやホコリを撒き散らす攻撃っていったいどんな攻撃? もしかすると三代目が攻撃と感じているだけかもしれないよな……。

 先ほどホコリを集めた一階廊下の中央辺り。

 空間の歪みからしてここに現れるはずだ、と主張する三代目の傍らでボクはホウキと雑巾を持って待機していた。

 三代目から掃除好きだと思われているボクの役目は、三代目にカビやホコリがつかないようにすること。

 その間に三代目はその裏切り者の魔物を何とかするらしい。

 しかし、何とかするって物凄く曖昧な発言。

 かなり不安だけど、まぁボクはボクの平和のために自分ができることをするまでだ。

 そうして、刻一刻と時間が過ぎるに伴い、カビ臭さが増してくる。

 この旧第四号棟で一番カビ臭い場所は多分四階の教材室だと思うけど、今やそれを遥かに凌駕する臭気が立ち込め、少々息苦しいくらいだ。

 それを言うと既にポロポロと涙を零し手を口に当てている三代目は大きく頷いた。

「これが奴の臭いなのだ。私はこの臭いが大嫌いでな。どうも力が抜けていくような気がする」

 ボクだってカビ臭いのは嫌いだ。

 けれども潔癖症の三代目はやはりボク以上にダメらしい。

「そもそもこの建物自体汚らしいではないか。先ほどの小部屋も足の踏み場がないほどホコリが積もっていただろう? 実は今、私は足の裏がムズムズしている」

 靴はいているのにそれでもホコリを感じちゃうのか三代目──と、ふと、思い出す。

「まさかとは思うけど、もしかして棚の上で正座していたのって……」

「うむ。棚はお前が拭いてくれていただろう?」

 あぁ、やっぱりそうか。

 他はたっぷりホコリまみれだったから、ホコリを避けて座ろうとしたら正座しかないもんね。

 と、三代目は開いている手ですっと涙を拭い、どこか遠くを見つめるような目をして言った。

「お前があの棚を拭かずに帽子を置いていたりなんぞしたら、私は最早息絶えてただの帽子になっていたかもしれない」

「え……」

 しまった! 拭かずに置けばよかった! そうしたらこんなことにならずに済んだのに──もっとも、こんなこと予想する方が難しいけどさ。

 そんなボクの心のうちを当然のことながら知らない三代目は、偉いぞ少年よ、と言った。

「お前は人間の社会も救ったことになるのだぞ? 奴は魔物のみならず人間をも支配しようと企んでいるが、私が魔王である以上人間には手を出さん」

 棚を拭いておくことによって守られた平和、か?──って、脱力していいかな?

 それに三代目は既に、救った、と過去形にしてるけど実際のところまだボクらは戦ってすらないし。

「大丈夫かな……」

 思わず声に出してぼやいたボクの肩を、ポンッと三代目が叩く。

「心配無用! すでに勝ったも同然! 掃除好きのお前に魔王である私が力を合わせて戦うのだからな!」

 やたら力強く言ってるけど。でもなぁ……。

「ボク、一応掃除することはできるけど、別に好きじゃないよ? それに、魔王さまってそもそも戦ったことってあるの?」

 見た目の優男ぶりを裏切らない、まったく頼りない性格の三代目魔王。

 どうも無駄に大切に育てられた様子だし──

「ない! 実戦は初めてだ!」

 ──ああ。堂々と胸を張っての、案の定の反応。

「そんなこと力一杯主張すんな」

「そうそう、その通り……って?」

 誰だ? ボクが言いたかったことをそっくりそのまま代弁してくれたのは。

 声は、やや上の方からだったような──と、顔を上げて息を呑む。

 黒ずんだ木の天井が、くすんだ裸電球もろとも波打った水面の向こうにあるかのように歪んでいる。

 波は見る見るうちに大きくなり、その中心からググググッと透明な球体が生み出された。

「シャボン玉……?」

「否、奴だ」

 その三代目の声に反応したかのように突如球体は伸縮を始め急速に人型に変化していく。

 透明だったその色も白から、赤へ。

 やがて人間に近しい配色の物体になった。

 若い人間の男のような──けれども、燃え盛る炎のように逆立った赤髪、硝子球のような金色の瞳は人外の者の証。

 そして、それを何よりも体現しているのは異様に長い犬歯と額の三本の角。

 大柄で、無駄のなさそうな肉体を包むのは黒光りする甲冑。

 手にしているのは節くれ立った木の棍棒。

 波打っていた天井は間もなく静まり、彼はボクらの目の前に降り立った。

 ……ええっと、そんなわけで何というか三代目より強そうなのが現れましたけど?

「ご無事で何より、魔王サマ」

 その強そうな魔物は慇懃無礼な口調でそう言って、おどけたように頭を垂れる。

「現れたな、裏切り者めが」

 凛とした声で応える三代目、だけど。

「……あの、とりあえずボクの後ろに隠れるのはやめようよ、魔王さま」

「カビ臭いから傍に寄りたくないのだ!」

 確かにカビ臭い。

 何というか、図書室の誰も立ち入らない一角に収められた本を狭い部屋にみっしり集めたようなツーンと鼻を突く臭いがもわーんと漂ってくるけど。

「隠れなくてもいいじゃない。鼻をつまめば」

「鼻をつまむと情けない声になってしまうではないか!」

「でも……」

 仕方ないんじゃないの? と言おうとして、しかし、遮られた。

「おい、人間、退けろ」

 背中にぴったりと張り付く三代目から、目の前の魔物に視線を移す。

「下等動物は引っ込んでろ」

 突き当たったのは見下すような卑下た視線。

「どうした、俺様に怯えて小便チビる前にさっさと消えろよ?」

 明らかにバカにした口調。

 ああ、一瞬で──うん、ホント一瞬で、さっきまでこの魔物に対して抱いていたぼんくらな上司を持った哀れな部下というイメージが消え去った。

 ボクや母のことを知った上でとやかく言ってくるのは一向に構わない。だって仕方ないし。

 けれども、こうやって何も知らないうちから他者を見下したような態度を取るヤツがボクは大嫌いだ。

 たとえ魔物といえども、そんなことは理由にならない。

 嫌いなものは嫌いだ。

「ルイ──それがボクの名前だ。呼べよ」

 魔物は少し驚いたように目を見開き、そして、薄っぺらな笑みを浮かべる。

「いい度胸してるな、クズ」

「それは、こっちの科白。名前を呼ぶのが嫌ならせめて魔王さまみたいに少年と呼べ、カビのバケモノ」

「少年!」

 完全に裏返った声でそう呼んだのは前ではなく後ろの魔物──三代目魔王。

 ったく、このヒトはどうしてまたこんな緊迫した場面で気が抜けるような声を出すかな。

「あのね、魔王さま、今は黙ってくれてていいんだよ?」

「し、しかし、そのように挑発したら我々の勝機がだな……」

 ああ、三代目、震えてる。怯えてる。

「そもそも、魔王さまが蒔いた種でしょうが。魔王さまがしっかりしていればこのカビ臭いバケモノは母さんに依頼書なんて書かなかったわけでしょ。そうすると、母さんがボクの帽子に魔王さまを封印することもなければ、ボクがこうして新学期早々奉仕活動させられることもなかっただろうし、そうしてこんな厄介なことに巻き込まれて、こんなカビ臭いバケモノにバカにされることもなかったんだよ?」

「おい、後ろ三つは魔王云々ではなくキサマの個人的な事情のような気がするが……」

「私もそう思うが……」

「黙れ、カビのバケモノにぼんくら三代目」

 たとえそうだとしても奉仕活動までだよ、許容できるのは。

 この場を片付けなきゃボクの日常は戻ってこない、というようなところまで何で厄介な生き物抱え込まなきゃならないのさ!

 そう、ボクは今、はっきり言って怒ってる。

 前と後ろを睨みつけて黙らせ、しっかりこの場の主導権を握ったボクは宣言した。

「とにかく、カビ! 魔王さまはボクの帽子と一体化している以上渡せないから大人しく帰れ。さもなくば、実力行使する」

 間抜けに口を広げていた魔物は、途端、クッと口の端を上げて笑みを作る。

「フン、人間風情が。俺様の華麗な技を受けた後もそうやって虚勢を張っていられたら褒めてやるぜ」

 身構えるボクに一瞥をくれ、そうして、ポンッと後方に飛び退き天井に向かって棍棒を掲げる。

「出でよ! 我が力の門!」

 キンッ、と金属に小石をぶつけたような音。

 直後、棍棒の先を中心に魔術紋様が展開する。

 円を基調としたそれは、母が使う“召喚”の紋様に似ていた。

「や、奴め本気だ……」

 三代目は一層大きくカタカタと震え、ボクの肩にしがみつく。

 ええい、うっとうしい。これじゃ身動きが取れない。

 いったいどんな魔物が召喚されるのかわからないけど、でも、二人同じ場所にいたら危険だ。

「下がって、魔王さま! 一緒に居たら危ない」

 退かすために言ったのになるべく尊厳を損なわない言い方をしたのに、しかし、三代目はピタッとくっついたまま。そして、震える声で言った。

「と、共にホ、ホコリに埋もれようぞ! 少年よ!」

「……え」

「私とお前は運命共同体だ!」

 一蓮托生、ってこと? ここでもう負けを認めるわけ? いや、その前に、ホコリに埋もれるって?

 その答えはすぐにわかった。むしろ、嫌というほど、思い知らされた。そう、ドバッ──と。

 視界が一気に灰色に染まる。

 声を出そうと息を吸い、ノドの奥、肺に至るまで侵食するような違和感にボクはむせた。

 苦しい。

「どうだ、人間よ! 大量のホコリを浴びた気分は!」

 ──ああ、なるほど。これ、ホコリか。

 咳を抑え、湿った口の周りに付着した異物を指で拭って確認すると、確かにそれはホコリらしき粒子の塊。

「魔王もろとも滅びるがいい!」

 ようやくクリアになってきた視界の向こうに、高笑いする魔物が見える。

 頭の上に違和感を感じてポスポスと叩いて払うと、再び視界が悪くなった。

 そんななか目を凝らすと、足元にはボクが掃いて集めた以上のホコリが、まるで雪のようにふんわり積もっている。

 だが、変化といったらこれくらいだ。咳のし過ぎか少し胸が苦しいけど、特別毒ってわけではないような気がする。

 しかし、確かに立派な攻撃かもしれない。

 特に旧校舎掃除という奉仕活動中の僕にとってはこれ以上ない精神攻撃──でも、逆効果かな?

「ホコリは喘息や皮膚炎の元! 今、貴様らに降り注いだホコリは扱う俺様でさえ超過敏反応を起こしてしまう強力なモノだ!」

 ダメじゃん、扱うヒトがそれじゃあ。

「な、何て恐ろしいっ……」

 三代目、同調するなって。

「さぁ、苦しみ悶えながら息絶えるがいいっ! これでこの世界は全て俺様のモノだ!」

 さらに声高く笑う魔物をまるっきり無視して、ボクはホウキの柄をトンッとホコリの積もった廊下に打ち付ける。

「……出でよ、我が力の門」

 柄を中心に展開するのは六角形を基調とする“風”の魔術紋様。

「何のマネだ、人間!」

「しょ、少年……、な、何を?」

 思わぬ展開だったのか驚いたような声を上げた魔物には一瞥をくれてやり、ボクは肩越しに振り返って三代目を見る。

 優男はすっかりホコリまみれだった。

「魔王さま、身体動く?」

「え、あ……」

 カクカクと機械仕掛けの人形のように頷く三代目にボクは半ば命じるような口調で言った。

「じゃあさ、ちょっと退けてて? 後ろにでも」

「しょ、少年、か、風使い、なのか? 魔術師ではないと……」

 ずるずると後退しながらそう訊いてくる三代目に、首を振って見せた。

「魔術師じゃあないよ。風の基本術しか扱えない魔術師なんていないでしょ」

 護身にと母が教えてくれた、ただ風が起こるだけの基本術。

 これくらいならば適格者でなくとも扱うことができ、魔術が廃れた現代ではハッタリ程度の役には立つ。

 そして──

「基本術だと? そんなのでこの俺様を倒すというのか? 人間よ」

「勿論、正攻法じゃ倒せるはずないと思うよ。ただの風だし。でもね……」

 ──巻き上がる、一陣の風。今一度ホウキの柄を廊下に叩き付け、叫んだ。

「基本術発動! ウィンド!」

 イメージするのは足許を包み込む小さな竜巻。

「……あ、なるほど」

 背後から小さな呟き。

 三代目は気付いたらしい。ホコリが取り除かれたからかな。

 そう、小さな風は少しずつ、ホコリを集めていく。

 さっき魔物は言っていた。このホコリは自分にとっても害だと。

 ならば、このホコリをまとめて魔物にぶつければいい。

 そう思ったのだけど──

「ケッ、小賢しいマネを!」

 少し遅れて魔物も気付いたらしい。当然大きな塊になれば気付くだろうとは思っていた。

「猿知恵に敬意を表して風に巻き上げられないようなベッタベタのカビを召喚してやるぜ!」

 予想よりも風速が上がってこない。

 今行動を起こされるとちょっと苦しい。

 もっとも、次召喚されてくるだろうカビもこのホコリの具合からして大したことはないんだろうけど。

 でも、これ以上やられると三代目はただの帽子になっちゃいそうだし……。

 いや、それならそれでいいんだけど、ボク自身後片付けで果てる可能性が高いよな。

 今だって想像するだけで倒れそうだ。

「出でよ! 我が力の門!」

 再び、魔物の掲げた棍棒を軸として“召喚”の魔術紋様が展開する。

 絶対召喚させてなるものか! ボクは風速を上げようとボクの足許で展開している魔術紋様をホウキの柄で叩く──と、

「その紋様ではそれ以上は無理だ、少年よ」

 すっと傍らに立つ人影。

 足許から視線を上げると、後ろに下がっていた三代目が立っていた。

 やっぱりホコリのせいか、あちこちポリポリ掻きながらも、自信に満ち溢れた微笑を満面に浮かべて。

 突破口でも見つけたのだろうか?

 はっきり言って違和感大炸裂だけど、でも、少し頼もしいと思ってしまった。

「魔王さま……」

「助太刀するぞ、少年よ」

 そう言って三代目は右手を前に突き出し、そして、左手を掲げる。

 何をするんだろう?──その答えは直ぐに判った。

「出でよ! 我が力の門!」

 右手と左手、それぞれに展開した二重の魔術紋様展開。どちらもボクの知らない魔術紋様だ。

 だが、魔物は知っていたらしい。

 飛び出るんじゃないかってくらい目を大きく見開いて、三代目の方を見つめている。

 その口許が動いた。

「強化と転送……」

 小さな声でそう言って、酷く慌てたように棍棒を下ろす。しかし、

「遅いぞ!」

 三代目は笑った。

 紋様の展開の軸となっている棍棒が下ろされたのに、なぜか紋様は消えず光を放っている。

 他者の展開する魔術紋様への干渉? これが、三代目魔王の力?

「思い知るがいい!」

 三代目が高らかにそう言い放った途端、ボクが起こした緩やかな風が突風に変わった。

 ホコリをたっぷり含んだ、灰色の疾風。

 畜生! と、半ば悲鳴染みた叫び声を上げてこちらに背を向け逃げようとする魔物を瞬く間にその風が捕らえる。

 空気を裂くような声に、ボクは思わずホウキを手放して耳を覆った。

 ホウキは言うまでもなくボクの作った紋様の軸。

 けれども解除されるはずのボクの紋様はむしろ一層輝きを増す──そう、さっきの魔物の紋様の反応と同じだ。

 耳を覆ったまま、三代目を見た。

 その視線に気付いたのか、こちらを向いた三代目は大きく頷き、そして、魔物の方に向き直る。

「これで終わりだ! 消え去るがよい!」

 押さえた耳にそんな三代目の声が届き、ボクは金切り声を上げ続ける魔物の方を見やった。

 途端、真上に留まったままの紋様から魔物の頭上に黒いヘドロのようなモノがボタボタボタッと大量に注がれる。

 それは舞い飛ぶホコリを鎮め、その中心に居た魔物にベッタリと貼り付き黒くドロドロに染め上げた。

 間もなく、声が途絶え、すっかり真っ黒になってしまった魔物はバタンと前のめりに倒れて動かなくなる。

 ボクは耳から手を離し、傍らの三代目を見上げた。

「……アイツ、死んじゃったの?」

「気を失っているだけだ。私はそんな野蛮は好まない──高貴な魔王だからな」

 そんな歯の浮くような科白を吐き、苦しい戦いだった……、と呟いた三代目は左手を上に掲げる。

「出でよ、我が力の門!」

 展開したのは先ほどと同じ複雑な紋様。

 直後、ブゥン、と甲虫の羽音に似た音を立てて魔物はカビとホコリと共に消え去った。

 そうして、旧校舎に戻ってきた静寂。

 ああ、何だか掃き掃除が終わった直後よりキレイになってるみたい。余計な汚れまで持ってってくれたのかな。

 しかし──

「アイツ、どこ行っちゃったの?」

「適当に飛ばしたからよくわからん」

 腕を組み、涼しい顔の三代目。

「……それでいいの?」

「ま、いいだろう。とりあえず、私もお前も無事なわけだし」

 廊下もキレイになったし。

「帽子も無事なわけだしね」

 そう言ってニッと笑うと、三代目もニッと笑い返してきた。

 そして、ボクらはパァンッとお互いの両手を合わせ、固く握り合ったのだった。


***


「え、分離できない?」

 結局拭き掃除は明日に回し、ボクは帽子に変化してもらった三代目を被って早々に帰宅した。

 早く帽子とサヨナラして自分の屋敷に戻りたいという三代目と明日からまた普通の帽子に戻ってもらわないと困るボクは、帰るなり母に事情を洗い浚い話して三代目と帽子の分離をお願いしたのだけど──

「できないわよ。ルイくんの通学帽に魔王──ん? 魔王さま? まぁ、どっちでもいいけど──を封印したのは確かにママよ。だから、通学帽に封印されたままの魔王さまだったら解放することはできたけど、そうやって帽子と一体化してしまったのを何とかしろっていうのは無理」

「どうしてだ! 魔女よ!」

 三代目は半ば膝をつき、イスに座っている母の膝に縋った。今にも泣き出しそうだ。

 母は珍しく困ったような顔で、縋る三代目の頭を撫でる。

「だって……普通は他者の魔術って書き換えられないものでしょ? 魔王さまはできるみたいだけど、私には無理よ。そうして通学帽と一体化してしまった時点で封印の魔術は私のものではなく魔王さまのものになってるのだから、魔王さま自身が解かなきゃ」

「こんなの、こんなの複雑すぎて解けないぞ!」

「解けないんかい」

 とうとうオイオイと母の膝に顔を伏せて泣き出した三代目の頭をボクは半ば反射的にペシッと叩いた。

「な、何をする! 少年!」

 頭を押さえ振り返った三代目。あ、鼻水出てる……じゃあなくて、

「魔王さまが解けなかったらいったい誰が解くんだよ」

「私の父や祖父ならば……」

「んじゃあ、解いてもらってきてよ、明日までに」

「残念ながら、すでに冥府の住人だ」

「それって解けないってことじゃん!」

「その通り!」

「胸を張るなぁ!」

 あの魔物との戦いでちょっぴり見直しちゃったりカッコいいなと思ってしまったりしたけれど、すべて撤回。

 三代目魔王はやっぱりぼんくらだ。

「帽子に戻れ! 旧校舎で一番カビカビした教材室に置き去りにしてやる!」

「最早私は帽子と完全に一体化し、以前の力を取り戻している。それくらいの仕打ちでは消滅したりはしないぞ、ハッハッハッ!」

「力を取り戻したんだったら帽子と分かれろよ!」

 そう怒鳴るボクを、まぁまぁ、と母がなだめる。

「落ち着きなさいよ、ルイくん。ママも一緒に考えてあげるから」

 その横で頷く泣いた跡そのままの三代目。

「そうだ、落ち着け少年」

「何で母さんと並んでボクをなだめてるんだよ! 全部アンタの――」

「魔王さまだ」

「うーっ! 魔王さまのせいだろうが!」

 ああ……泣きたい。

 こうなったら絶対新しい帽子を買ってもらおう。

 この際、三代目は半帽子魔王として生きていってもらえばいいや──そう決めてグッと拳を握るボク。

 その横で、呑気な母と呑気な三代目はのんびりと会話を交わす。

「ところで、魔王さま? これからどうするの?」

「屋敷に戻りたいのだが、油断したら帽子になってしまいそうだからな。この状態ではとても戻れないので困っている」

「ねぇ、半年くらいうちに居てくれない?」

 ──ちょっと何か今とんでもない母の言葉を聞いたような気がする。

「解術の方法を考えて考えてあげるから、代わりにルイくんの面倒見てほしいんだけど?」

「ちょっと待った!」

 今、母、ルイくんの面倒見てほしいって言ったような気がする。

 いや、間違いなく言った。

「何で! 何で魔王さまに面倒見てもらわなきゃならないんだよ!」

「ママね、最果ての大陸に仕事で行かなきゃいけないのよ、明日から半年ほど」

 さして重要ではないことのように、あっさりとそう言って母は三代目を見上げる。

「ちょっとばかり長いからさすがに家政婦さんを雇わなきゃダメね、と思ってたんだけど――魔王さまお願いできる?」

「うむ、引き受けよう。解術の方法を共に考えてもらえるのはありがたいし、何より少年とも気が合うしな」

 あっさりと引き受けた三代目は呆気に取られるボクに対し笑顔で手を差し出してきた。

「共に戦った戦友よ、半年という短い期間だがこれからもよろしく頼むぞ!」

 戦友なの? 半年って短いの? ってそもそも何でそんなにあっさり引き受けるの? 母は三代目を封印しようとしたんだよ?

「配下やら手下やらがいるんでしょうが! 帰れよ! 失脚するよっ?」

「私が生きている以上、私が魔王だ。だから安心しろ」

「その自信はいったいどこから来るんだよぉ!」

「心配せずとも、魔物の世界に姑息な者はいない。魔王の地位が欲しい者は戦いを挑んでくる。それを私とお前で返り討ちにすればよいだけだ」

 姑息な者がいないというよりは策のない奴ばかりだと言わないかそれは? 私とお前で返り討ち、ってボクも戦うの?

「母さん、ボクいいよ、独りで頑張るから」

 三代目のほっそりとした手を見つめながら、ボクは母に助け舟を求める。

 しかし、母の目は節穴だった。

「ルイくんもお年頃ね。照れちゃって。でも、仲の良いお友達なんだから時には素直にならなきゃダメよ?」

 母のその円らな鳶色の目はいったい何を見ているのだろう? ボクのどの辺りが照れているように見えたのだろうか? 大体仲の良いお友達って何? このヒトは母が退治する目的で封印した魔王じゃなかったっけ? いや、それはホコリとカビの魔物の罠で、三代目は人間に害を及ぼそうという意識はないんだけど、でもさ、魔王だよ? 別の生き物だよ? それより何よりボクの方が面倒見る羽目になるよ?

「さぁさ、握手握手!」

 母は茫然自失のボクの手を取り、三代目の手をがっちりと握らせた。

「これでママも安心して出かけられるわ。よろしくね、魔王さま」

「うむ、任せておけ!」

「勘弁してよぉ……、ボクもう嫌だよ……」

 泣き言は、しかし、三代目と母の高らかな笑い声に掻き消されていった。


 ──結局、約束の半年が過ぎ、母が戻ってきても、ボクの帽子は魔王さまだった。

 分離できないのを口実にずるずると居座り続ける三代目、それをのほほんと許容する母、三代目の存在がばれてシャレにならないくらい苛烈になった学校でのイジメ、そして、魔王の位を狙ってじゃんじゃん押し寄せてくる魔物に精神も肉体も鍛えられた結果、ボクは平和な世の中であるにも関わらず物凄く立派な魔術師になってしまった、ということを付け加えておく。


 (了)

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ボクの帽子は魔王さま 岡野めぐみ @megumi_okano

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