第2話
どこに「どうして」をつければいいだろう?
棚の上に座っていること? 正座していること?
でも、一番は──
「どうして湯呑持ってるの?」
「そこをツッコむか、少年よ」
どうやら不満だったらしい。
お兄さんはこちらをちょっぴり恨めしげに睨んだ。
ボクは肩を竦めて見せる。
「冗談だよ。まぁ湯呑持ってる理由は気になるけどさ。でもね、お兄さんの正体に関しては読めたから、お兄さんから答えを貰わなくてもいいかな、って思って」
そう、ボクは展開が読めてしまった。
読めてしまう自分を悲しむべきかどうかというのはさておき。
耳介の尖った耳、山羊のような角。
今日日絵本にも出てこない非常にアンティークな人型の魔物って、
「お兄さん、母さんが封印した魔王とかいうヤツでしょ?」
「え」
「あれ、違った?」
てっきりそうかと思ったんだけど、と呟いたら、お兄さんはブンブンと首を縦に振って、それから、ブンブンと横に振った。
いったいどっちなんだよ。
「いや、確かにそうなのだが……、驚かないのか?」
赤い瞳の切れ長の目を大きく見開くお兄さん。
フツーは驚くかもしれないけど、ボクは悲しいことにこれしきでは驚けない。
「あえて驚くとしたら、あんなのによく詰まってたな、ってことかな」
お兄さんくらいのサイズの生き物が小さな帽子に。
母が良く使う封印具も決して大きくはないけれども、でも、生まれたて赤ちゃんくらいの大きさはあるカプセルだ。
対してひらりと降り立ちボクの真ん前に立ったお兄さんは平均的な大人の体格。
どうやって帽子に封じ込めたのか、正直ちょっと見てみたい。
「で、ボクの帽子はどうしたの?」
「……次はそこに着目するのか、少年よ」
こちらを見下ろしていたお兄さんはガクッとやや大袈裟に肩を落として首を振る。
それでもまだ中身が入っているらしい湯呑を傾けずにしっかり持っているところは奉仕活動中のボクとしては評価してあげたいところだけど。
「無事じゃないと弁償だよ。あと、ボクの代わりに奉仕活動もやってもらうから」
「胆が据わっているな、少年よ」
驚嘆してる、そんな感じの声。
「私は魔王だぞ? 怖くないのか?」
魔王だと主張するお兄さんの手には湯呑。
黒くゴツゴツとした表面に大きく「ゆ」と描かれているのが指の間から覗える。
ボクの反応が心底理解できないのか、眉尻を下げて眉間にしわ寄せ、すっかりしっかり困惑しきった顔。
その両目が赤色であることや紫色の長髪、耳や角の特徴に目をつむれば、本当にそこら辺を歩いていても違和感ないお兄さんだ。
それも、美形だけど力一杯頼りなさそうなタイプ。
たとえば、カノジョとテートに行って絡まれて威勢良く応対しても一撃で飛ばされてしまいそうな……。
魔王云々加味してもそんなひと、悪いけど怖くない。
「ねぇ、怖がってほしいポイント教えてよ──魔王という名前以外でね」
お兄さんは「ま」の形に開きかけた口そのままに固まった。
そうして、おもむろに視線をそらし口許に手をやる。
「あのね、魔王だけで驚かれたり怖がられたりすると思ったら大間違いだよ。正座して一服している魔王よりは、繁殖期の動物の方がよっぽど怖いって。それに、大体ボクの母さんに捕獲されたんでしょ?」
ボクの母、変わっているとは言っても一応は人間だ。
それも物語に出てくるような勇者なんかじゃなく単なる傭兵。
けれども、その母の部分に関しては言いたいことがあったらしい。ピクリと耳を動かすと、ガバッと勢いよくこちらに向き直った。
「お前の母親! 私の屋敷に無断で進入し名乗りも上げず『あ、魔王らしき生き物発見』と言っていきなり魔術ぶっ放したんだぞっ? 優雅なティータイム中で無抵抗だった私に! おまけに『封印具忘れちゃったから帽子で我慢してね?』とこちらに向けたのは帽子だった!」
勢いよいのは結構だけど泣きそうな顔は勘弁して欲しい。ボクが悪いことした気分になってくる。
それにいったい何てフォロー入れればいいんだろう?
多分、ここはフォロー入れなきゃなんだろうけど。
でないとお兄さん泣き崩れそうだ。
「……たしかに家に無断で侵入して挙句に攻撃してきたら、なおかつこちらが無抵抗だったらものすごく腹立たしいね。おまけに、魔王、と一応まがりなりにも『王』とつく生き物に封印具の代わりに帽子を向けるというのは失礼かもしれない」
後者は何だか苦しいフォローのような気がしたけど、お兄さんは満足したらしい。
すっかり自信を取り戻したのか、力強く二度頷くとしゃんと胸を張った。
「まぁティータイムでなければ人間に捕まるなんてヘマなどしない。魔王だからな」
ティータイムくらいで捕まるんだったら平時でも捕まりそうだけど。
しかし、ティータイムって?
「もしかして湯呑を持ったままなのはそのせいだ、とか言わないよね?」
「いや、その通りだ。しかし、少年よ、お前の母の腕はなかなかいいぞ。時間凍結の封印付きだったらしくティーはまだ温かい」
評価に値する、とお兄さんは真顔で言って、ズズズッ、とそのティーを啜った。
──現実世界における魔王のスタンダードというのを知らないから何とも言えないけれど、これが魔王だというならば世界は概ね平和だと思う。
「で、魔王さん?」
「様付けが好ましい」
「……魔王さま、ボクの帽子はどこ?」
ズズズズズッ、と一気に飲み干したお兄さんはコトン、と棚の上に湯呑を置いた。
「少年よ、その前に私がどうして封印を解いたのかは訊かないのか?」
「前にも後にも興味ないから訊かないよ」
そう答えるとお兄さんはまた泣きそうな顔になった。
「では、何で私がお前の母親に封印されたのかは訊かないのか?」
そう言う声も何となく潤んでいる。このひと、ホント威厳のカケラもないなぁ。
このまま訊かないままでいたら訊いてくれって泣き出しそうな気がする。聴いてもいいんだけど、この手のひとって話長いんだよな。
思い出すまでもなく、ボクは現在奉仕活動中。
最低でも今日中に一階の雑巾掛けは終わらせて帰りたい。
さっさと取り掛かるためには、どうしたらいいか。
「……わかった。今ボクね、廊下掃除の途中だから終わったら話聴くよ。どうしても聴いて欲しいなら帽子準備して待ってて?」
と、そう言ってお兄さんを見ると、その赤い目はボクには向けられておらず真っ直ぐ前を見据えていた。
お兄さんの耳介の長い耳がピクピクッと震える。
「あのー、聴いてる?」
折角の妥協案なのに。
けれどもお兄さんは先ほどの泣きそうな表情とは打って変わった精悍な面持ちで、ボクを押し退けた。
前に何かあるのだろうか? しかし、振り返っても──特に変化は見受けられない。
ただ、この扉の外れた階段下収納の入口がポッカリと口を広げているだけ。
だけど、何だろう? このイヤな雰囲気は。
おまけにカビ臭さが増してる? 窓、開けてるハズなのに。
「何かあるの? 魔王さま?」
傍らのこの頼りないお兄さんが、ほんの少しだけ頼もしく見える。一応、魔王らしいし。
しかし、このヒト、この状況下で何か起こった場合ボクに味方してくれるのかな? お兄さんを帽子に封印したのってボクの母だからなぁ……。
けれども、それに関してはお兄さんは早々に答えを出してくれた。
「奴が来る…… 」
低く、さっきまでの情けなさは全く失せた威厳のある声。
「ヤツ?」
「私を見捨てた配下だ。どうやら私がこうして実体化した気配を察したらしい」
と、するとボクはひとまずこの場では中立、もしくはお兄さん寄りの立場だね。よかった……のか?
「見捨てたってどういうこと? 魔王さま、見捨てられちゃったの?」
配下に見捨てられた王、って何かすこぶるダメダメな気がする。
特にお兄さんみたいなタイプって配下いないとどうしようもないんじゃないのかな。
「奴は祖父の代からの配下だが、父亡き後、どうも不審な動きが多くてな。どうやら私から魔王の位を奪おうとしているらしい」
ちょっと待てよ? それって──何か読めてきたぞ。
「……魔王さま、」
「何だ、少年よ」
「魔王さまって、もしかして世襲制?」
何でそんなことを訊くんだ? と言わんばかりの顔をしてお兄さんは頷いた。
「私で三代目だ」
立派な初代、凡人二代目、ぼんくら三代目──滅びた国や企業の世襲の定番だ。
魔王さまの言う「ヤツ」というその配下の気持ち、わからないでもない。
ボクだってこのヒトの配下だったら考えちゃうだろう。
配下にとってはこの情けない三代目から権力を奪うのが正義なのかもしれない。
「奴め、私を引きずりおろすために嘘の依頼書を書いたのだ。『ナロウ・ウォーターの漆黒の魔女』と呼ばれる人間に対して、魔王が人間の社会を蹂躙しようとしているとな。もっとも、どこをどう間違えたのかやってきたのは何だか妙な人間の女だったが──いや、失礼。お前の母親だったか」
……その、妙な人間であるうちの母こそ『ナロウ・ウォーターの漆黒の魔女』なんだけどね。
まぁ、いいや、黙っておこう。しかし──
「ということは、その配下が魔女に依頼書を書いたの知っていたんでしょ? 魔王さま」
「ああ、奴の侍女達が人間の魔女が攻めてくるかもしれないと噂しているのを聴いてな。その者達を問い詰めるとあっさり吐きおった」
ボクの母に依頼したというその配下も結構ザルだなぁ。けど、三代目はもっとザルか。
「どうして何もせずティータイムなんか楽しんでいたの。フツーは早々にその配下を始末するか、そうでなくともフツーは来襲に備えると思うんだけど?」
「私ほどではないにしろ一応魔物の間では上位の存在だ。まともな証拠もないまま罰することはできない。だからこそ、もちろん奴に悟られないように万全の備えはしていた。しかしな、まさかティータイムの時間に訪れるとは思わなかったのだ」
「……それは明らかに備えていない部類に入るとボクは思うよ?」
「ティータイムにはきっちりと休息を取るようにというのが我が父の教えだ! 破るわけにはいかない!」
ああ、その配下は知っていたんだ。
三代目がいくら万全の備えをしていようと、ティータイムだけは全く隙だらけだってこと。
だから、多少侍女の間に話が広がっても気にしてなかったのかもしれない。
口振りからして三代目、ティータイムに人間が攻めてくるなんてたとえ耳にしても絶対信じなさそうだし。
「そもそも人間の社会を蹂躙するなんて私がそんな面倒なこと企てるものか! 常にネズミのようにカサカサカサカサ働いて優雅な時間を過ごそうともしない人間とは一緒に過ごせそうにない!」
だからこそ、人間を支配しようとは思わないのだろうか?
自分が優雅に暮らすために下で奴隷を働かせるっていうのが王侯貴族、というのは一庶民であるボクの偏見?
「人間を支配したがっていのはむしろ奴の方なのに! あの妙ちきりんな女は『とりあえず魔物は人間なんかに手を出さず魔物の社会で頑張って』等と言って私を帽子に!──ああ、失礼、お前の母親だったな」
そして、これはもしかして遠まわしな厭味だろうか?
確かにボクの母さんは妙ちきりんかもしれないけど、ぼんくら三代目には言われたくない。
そんなことも相まって、ボクは三代目の配下に大いに同情した。
もちろん、その配下が人間を支配したがっている、というのはちょっと聞き捨てならないけど──そう思った矢先、三代目はさらに聞き捨てならないことを言った。
「とにかく──ここで奴を迎え撃つ」
堂々、かつ、朗々と。
半ばその声の持つ、それが当然だと言わんばかりの雰囲気に呑まれたボクは、そうしたら? と言いかけてギョッとする。
「ちょっと待って! ここで戦うのっ?」
ここはナロウ・ウォーター市立第二初等学校旧第四号棟。
古いだけで歴史的価値も別にないらしいけど、それよりも何よりもここは今月ボクが掃除しなければならない場所だ。
一部でも荒らされたり壊されたりしたら奉仕活動期間が延びる。いや、延びるだけならいい。最悪弁償だぞ?
「他所でやってよ! 何かあったら叱られるのはボクだよっ?」
「手伝ってくれないのか? 少年よ。魔物社会だけではなく人間社会の危機でもあるのだぞ」
「ボクは掃除中なの!」
「……今してないじゃないか」
「それはアンタが」
「アンタじゃない、魔王様だ」
「ま、魔王さまが邪魔してるんでしょ! ボクはここに雑巾を取りに来ただけだ!」
「しかしだな、お前の母親は依頼を受けて戦う傭兵ではないか」
「ボクは傭兵じゃあない!」
「だが、私が万が一負けたりしたら帽子が返ってこないぞ?」
「返ってこないって言っても……え? はい?」
返ってこない?──ボクは言葉を切ってお兄さんの顔を凝視した。
それに応えるように、うむ、とお兄さんは頷く。
「実のところ、私は完全に封印を解いた訳ではないのだ。まともな封印具ではなかったおかげで拘束を免れた私の精神を封印の媒体となった帽子と分子レヴェルで一体化させることによって、こうして物質界に姿を現しているに過ぎない」
何だかよくわからない話だけど、つまり、それって──
「魔王さまが、ボクの帽子? ボクの帽子が、魔王さま?」
「うむ、まぁそういうことだ。ちなみにこの状態から帽子になることもできるぞ」
ああ、めまいが。
よろめいたボクをお兄さんが支える。
「大丈夫か、少年よ。これから戦いに赴かなければならないというのに」
「勘弁してよ……」
購買部が開くのは確か明後日。それから注文して手元に届くのは二十日ほど後。その間はもちろん、帽子がない状態で通学しなければならない。
理由を書いて提出しさえすれば奉仕活動は免れるけど、でも、問題はその理由。
いったい何て書けばいいんだろう?
母が帽子に魔王を封印し、帽子と魔王が一体化してしまいました。その状態で魔王が彼を裏切った配下から攻撃を受けたので帽子が破れてしまいました。よって現在新しい帽子を注文中です──なんて書くくらいならば奉仕活動の方がマシだ。そもそも信じてもらえないだろうし。
けれども理由を書かなければ、いや、この場合書いたとしても毎日放課後呼び出されてその都度一ヶ月の奉仕活動が課せられる。
それが二十日も続けばボクは二年生の間中どころか、三年生になっても奉仕活動をし続けなければならないことになる。
いや、そんなに毎日続いてそれで済めばいい。下手したら退学勧告とか……。
転校は構わないけど、今の家からだと金持ちばかりが通う私立に通わなきゃならなくなる。
今以上に浮くだろうな、ボク。
ああ、想像するうち、何だか寂しくなってきた。
一応ここで三代目に協力して危機を切り抜けて、そして、早々に母に封印解いて貰う方がまだマシか?
「あーもー……、協力すればいいんでしょ?」
三代目の手を振り解き、半ば投げやりにボクは言った。もうどうにでもしてくれ。
「言っておくけど、ボク何もできないよ? 精々オトリに使ってよ」
すると三代目は、とんでもない、と首を振った。
「オトリどころか主戦力だぞ、少年よ」
「はぁ?」
いったい何てこと言うんだこのぼんくら三代目は。
「ボクは傭兵でも魔術師でもないって! だから何もできないって言ってるでしょ!」
「そう言われても、私も何もできない」
「はぁ?」
このヒト魔王じゃなかったっけ? ああ、世襲制だったか。いや、それでも、だ。
「どうして! その帽子と一体化するような力があれば何とかなるでしょ!」
「奴の攻撃は恐ろしいものなのだ……」
そう言う三代目の顔は険しく、よくよく見ると肩が細かく震えている。
ちょっと待ってよ、何なの? そんな世襲制でぼんくらといえども一応魔王であると主張する三代目が震えるような生き物とボクは戦わなきゃならないわけ?
「今まではまがりなりにも私の配下であったから恐れることはなかったが、こうなってしまった以上私にはもうどうすることもできない……」
「そ……そんなの、ボクにもどうしようもないんじゃあないの?」
「いや、お前ならばできる、きっと成し遂げるだろう、少年よ――頑張ってホウキを振るい、雑巾で拭き上げてくれ」
「……はい?」
ホウキ。雑巾。
三代目、今、ホウキを振るい、雑巾で拭き上げてくれ、って言ったようなそんな気がしたんだけど。
「ホウキ、と、雑巾。で戦えと?」
いったいどんな戦いをしなきゃなんだ? 聞き間違いと信じたい。
だが、三代目は縦に首を動かした。
「お前は掃除が得意なのだろう? 奴はカビとホコリの魔物。カビやホコリを撒き散らす攻撃を主とする。カビとホコリ──それは高貴な私の最も恐れるものだ」
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