最終話

 久しぶりに二人の心からの笑顔が見れた。


 揺れる観覧車にビビった僕を見て、二人が大笑いした。

 萌ちゃんを挟み手を繋ぐ三人は親子に見えたのだろう。記念写真いかがですか?と声をかけてきたバイトの女の子。

 人混みの中、観覧車のゆるキャラと記念写真を撮ることになり、恥ずかしがっているとカメラマンに言われた一言。


『お父さんもっと笑ってください!』


 それを聞いた萌ちゃんは、両手で口を覆い、パパだって!と笑った。


 帰りに寄った雑貨店。

 偶然見つけたイニシャル入りのマグカップ。雪のY、杏奈のA、萌のM。


 帰ってすぐに三人で飲んだココア。


 観覧車の絵を描く萌ちゃんと横に座る僕を見ながら、杏奈さんは嬉しそうにカップを洗い棚に並べた。


 並ぶ三つのカップ。


 家族の始まりを意味しているようで、ささやかだけど幸せを感じた。



 先に帰った二人を想い晩御飯を考える。

 こんな幸せはないと思った。



『……雪くん』

 帰り際、園長が僕を一瞬呼び止めたが僕が急いでいたからだろうか、何でもないわ。と優しく微笑んだ。

 園長には心配をかけてばかりだ。

 近いうちに三人で遊びに行こう。雫にも、きちんと二人を紹介しよう。


 みんな幸せになれるはず。


 足早に歩く、帰り道。


 ふと、前から高校生のカップルが見覚えのある紙袋を抱えて幸せそうに歩いてくるのに気づく。


 ささのベーカリー。


 子供の頃、大好きだったクリームパン。

 急に二人に食べさせたくなった。


 石畳の坂を上ると見える店。以前の僕なら、人気のクリームパンはもう売り切れてしまっているだろうと諦めていたかもしれない。


 でも、なぜか、今日は買える気がした。


 クリームパンを頬張って嬉しそうに笑う萌ちゃんが目に浮かんだ。


 買って帰ろう。


 そう思って、体の向きを変えた。



『ちょうど残り3個だよ』


 僕を覚えていてくれた、ささのベーカリーのお婆ちゃんが目を細めて静かに微笑んだ。


 右手に鞄、左手に紙袋。


 僕の足は今にも走り出してしまいそうなくらい軽い。

 坂の上から町を見下ろすと、どこもかしこもオレンジ色に染められていて、なんだか涙が出そうになった。


 父さん。


 母さん。


 僕は幸せだよ。


 僕らを守ってください。



 そう呟き、深呼吸する。


 その瞬間、風に乗った甘い香りにふんわり包まれた。

 振り返り、僕はまた向きを変える。

 荷物がまた増えることなんて全く気にならなかった。


 ***


 いつもの帰宅時間より1時間も遅れてしまった。

 心配してるだろうか。


 ――だけど。


 僕は背中にこっそり手を回して荷物を隠す。


 買ってきた、クリームパンと。

 ピンク色のバラの花束を。


 花のことはよくわからないから店にいた女の子に任せたが、きっと杏奈さんも喜んでくれるだろう。

 女の子の手の中で幸せそうに揺れる花束を見て確信した。


 そっとドアを開けると、カランとドアベルが乾いた音を鳴らした。



『おかえりなさい!』



 いつもは元気な萌ちゃんの声と優しい杏奈さんの声に出迎えられるのに、今日は少し、いや、大きく違っていた。


「雪、ごめんなさいね」

「雪くん、ごめんなさい」


 僕を出迎えたのは、いつもならこの時間いないはずの祖父母と園長だった。


 なぜか嫌な緊張が走る。


「な、なに謝ってんの」


 後ろ手に隠したままの紙袋が擦れる音だけ店じゅうに響いた。


「引き留めたのよ。雪」


 そこまで聞いて、我慢できなくなりドアノブに手をかける。

 追いかけたら、まだ間に合うと思ったから。


「……今ごろ空の上だ」


 そう祖父に肩を抱かれて、やっと背中の手がダラリと下がった。

 落ちる紙袋と力なく床に咲く花束。

 両親が亡くなったあの日以来、誰かの前であんなに泣いたのは久しぶりだった。



『雪くんへ』


 祖母から渡された水色の便箋。

 杏奈さんの文字はあっという間に滲んでいった。




 雪くんへ


 突然いなくなること。

 あなたを一人にしてしまうこと。


 本当にごめんなさい。


 あなたのそばにいられることが夢のようだと思えた。


 出会って間もないけれど、私は本当にあなたのことが好きでした。


 でも、このまま、これからもずっと、あなたに甘え続けてしまいそうで、なんだか怖くもなりました。


 だから。


 ごめんなさい。


 そして。


 ありがとう。



 追伸 マグカップは持っていきます。私の側にYも連れていきます。

 いつまでも、大切にします。それだけ、許してください。




「……杏奈さ」


 嗚咽と共に零れた彼女の名前。

 口を覆った指に溢れた涙が次々と川を作った。


 涙が枯れる日がくるだろうか。

 僕の中にいる彼女が色褪せる日がくるだろうか。

 僕は、手帳に挟んだままのあの日の記念写真を取り出した。


「もえちゃん……」


 濡れた指でなぞってみる。


 喉の奥がツンと痛んだ。



『大丈夫だよ』



 あの日、彼女に言ったセリフ。

 なぜか今、彼女の声でそう言われた気がした。


 窓にあたる雨音。

 雨が降りだしたことを知る。


 出会ったあの日も雨だった。



「……大丈夫じゃないよ。杏奈さん」



 その夜、雨はどんどん強くなっていった。

 まるで僕を慰めるかのように。

 それとも。

 二人がいなくなったことを悲しんでいるかのように。


 ふと僕は願う。

 この雨は、去ることを決めた彼女の涙ならいいと。


 けれど、やがて僕は願い始める。


 晴れてほしいと。

 いつまでも泣いている彼女を見たくない。


 そう、僕は。




『笑顔のあなたが好きだったから』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たった一度の愛でした。 嘉田 まりこ @MARIKO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ