第9話 静止した時の中で

 夜の帳が街へ降りる。時刻は丁度、24時のことだった。高級ホテルの最上階の一室へ、少年は足を踏み入れた。


「失礼、少し遅れたかな?」


 電子錠はグズグズに溶けて、用をなさなくなってしまっていた。どんな電子ロックだろうが、一流の職人がこしらえた錠前だろうが、化け物にとっては何の意味もない。そんなものは当たり前の人間のルールでしかないのだから。


「おー、先に始めてるぜ」


 広々とした部屋の中央には、一目見て高級品だとまともな審美眼のない『破滅の加護バッドラック・フォーチューン』にもわかる円卓が置かれていた。20人くらいは余裕でかけられそうなそれの上には、その価値に見合うだけの上品そうな食物や飲み物が整然と並べられていた。


「ほれ、こっちきて座れってのに」


 12ある座席の半数以上は埋まっていなかった。こうした会合は何度も行われてはいたがまともでない化け物がまともに集まるはずもない。そもそも『破滅の加護バッドラック・フォーチューン』も随分久しぶりに出席する。そして、埋まっている座席の一つに腰かけている男が自分の隣の席を指していた。別に相手と親しいわけではなかったが、誘いを蹴って不興を買うことは避けたかった。


「珍しいね『扇動の凶ツ星スターゲイザー』」


 軽薄に笑う裏切者は、より一層意味ありげにニヤリと顔を歪めた。こういう時のコイツは面倒で、そしてひどいことをやらかす。きっと、今回も筆舌に尽くしがたい悪巧みをしているに違いない。


「だろうな。俺は俺で忙しいワケよ。今回に限ってはちょっとデカイ仕事だからよ、お伺いの一つでもって思ったワケさ」


 好き勝手絶頂にやりたい放題やらかす彼が、そういう義理を通そうという殊勝な人間であるワケはない。つまりは、本当にシャレにならないことをやらかすつもりだ。それも自分一人の手に余るような。


「そうかい、まぁ僕には関係ないさ」


「そうさな。好きなことを好きなだけ好きなようにやるのさ、俺は」


 ひょい、とリンゴをつまんで丸ごと齧る。そういった粗野ともいえる仕草が妙ににあう。


「しかし、君もまた珍しいね? 御執心の彼女はいいのかな?」


 問いかけるような、という以上に煽るように女が声をかける。下着の上から白衣を羽織っただけという露出狂じみたいでたちでありながら、仕草やその表情には奇妙な品がある。その差異が強烈な違和感を放っている。


「『不協和音ハウリング・エラーコード』か」


「そうだ、私だね? 君が来るだなんて、余程ミームの奴は本気のようだな? 余程強く要請したらしい、違うかな?」


 思い出す。あの悍ましく忌まわしく恐ろしい化物を、怪物を。あんなものに逆らって、あんなひどい目にあわされるのは御免だった。まだ、何も成し遂げていないのに。


「だんまりかな? まぁ構わないがね?」


「ダめダよ、ハウル。そんな風にいジめちゃぁね。そんなダからともダちガいないんダ」


「さてね? まぁしかし、このあたりでよしておくね?」


 唯一、『不協和音ハウリング・エラーコード』に意見ができる存在。『時計仕掛けの法則クロックワーク・メカニズム』が口を挟む。焦点の合わない瞳。虚空を見つめるような眼差しが、どうしようもなく彼女・・を思い出させて、『破滅の加護バッドラック・フォーチューン』は彼女が気に食わなかった。


「悪く思わないデやってくれるかな。どうにもこの子は人を煽るのガ好きデ困る」


「別に、他人が何と言おうが知ったことじゃないさ」


 時計の音がうるさい。


「仲がよさそうで何より。で、他の連中も来るのか?」


「どうだかね? ミームがどこまで本気かどうかだろうけどね?」


「あれ? カギ壊れてるじゃないですか。うわ、これって『破滅の加護バッドラック・フォーチューン』じゃないですか。まったく、壊さないと入れないんですか、貴方」


 舌打ちの一つでもしたい気分だった。出来やしなくても。そういう、細かい調整であったり、応用力のある能力ではない自分の力が疎ましかった。だからこそ、こうやってここに身を寄せ、そして不興を買わぬように小さくなっているのだけれど。


「『勝利宣言ミョルニール』、あそこで手出しをしたの、君だよね」


「そうですよ、『破滅の加護バッドラック・フォーチューン』。ご安心を、あの後はさっさと逃げましたから」


「君の心配はしていないよ。君のやらかすことを心配している」


「信頼はありがたく」


「それに関しては俺も確信しているよ、同類」


 『扇動の凶ツ星スターゲイザー』の投げやりな一言に、『勝利宣言ミョルニール』は心外だとばかりに顔を歪めて、割り当てられた席に着いた。彼の両隣はいつも空席で、そこは彼の仲間がかけるらしいが、その二人を一度としてみたことはなかった。


「君のような分別のない奴と同類だとは思われたくないですね。単純に不愉快です」


 『扇動の凶ツ星スターゲイザー』は愉悦を隠そうともせず、一つだけ笑った。


「ほかの連中は随分遅れているようだね?」


「もう来ている」


 最初からそこにいた。そうとしか言えなかった。空いていたはずの座席には着物の女―縁日で売っているような安物のお面で顔を隠してはいたが、声色や体つきから明らかにそうと解る―が心外だと言わんばかりに

不協和音ハウリング・エラーコード』を見ていた。


「これは『次元断ブレイク・ザ・ワールド』、いつから?」


「最初から。話しかけられるのは嫌いでな。ちょっと空間を切っていた」


「相も変わらず、めちゃくちゃだね?」


 細くしなやかな『次元断ブレイク・ザ・ワールド』の指が空間を撫ぜる。そして、そこにくっきりと浮かんだ切れ目からズルリ、と大太刀を引きずり出した。


「帯刀しないのが礼儀と思ったが、どうやらそうではないらしいな」


「失礼しました。強い方がそばにいるとつい、反射的に」


 空気が張り詰める。この瞬間にも殺し合いが始まりそうなほどには。しかしそれでも他の連中は意に介する様子もなく静観している。仲間意識など最初からない。目的意識さえ。


「……遅れた」


 そして、その空気は無造作に破られる。悍ましき化物の手によって。


「いやー、ごめんごめん。『八本腕の亡霊ヘカトンケイル』とちょっと話し込んでてね」


 生気の薄い、防寒着を着込んだ少女が二人入ってきた。片方は俯き、ポケットに手を入れたまま席についてしまったが、もう片方は入り口で周囲をぐるりと見渡した。


「今日の趣向はソレかよ、気持ち悪ィな」


 ミーム、正体を持たない化物。誰でもあって誰でもなく、それでもしかし、決定的に徹底的に化物である存在。協調性の存在しないこのコミュニティが存在し、そして一人として離反せず、最低限の節度が保たれているのは、誰もがこの化物と敵対したくないからだった。


「全員そろったみたいだし、僕からの通達だけは済ませてしまおうか」


「まだ『人形屋ネクロジカル』が来ていませんが?」


「彼女は肉体的に足がないから来れないってさ」


「それはザんねん」


 ミームは空いていた椅子の背もたれに腰かけると、もう一度だけぐるりとあたりを見渡した。


「じゃ、現時点を持ってすべての制限を解除する」


 ぞくり、と背筋に嫌なものが走った。この化物、この、化物が、押さえつけていた気狂いの人外を、解き放つと、言い出したのだ。

今までどんな意図で行動を制限してきたのかわからない、そしてそれを解いたのかも。ただ一つ確実なことは。


「好きなことを好きなように好きなだけ好きかって好き放題、好きにしな。我慢してきた分だけ盛大に、きっと最高に気持ちがいい、最低なことになる。最低なことにしよう。昨日よりひどい今日を、今日より最悪な明日を、この間違ったまま続いてしまった世界をひと思いに終わりにしてやろう。1999年には終わるって決まってた世界だ、ロスタイムもいい加減終わりでいいだろ?」


「俺が好きにやると、月上も組合ギルドも黙っちゃいねぇぞ?」


「そんなことが問題かい、『扇動の凶ツ星スターゲイザー』?」


 椅子の上に立ち上がって、大げさに手を広げ、告げる。


「鐘の音を響かせよう。退屈な、偽物の世界を終わらせるために。そのためにこそ、僕達は、『終末の鐘シンデレラ・ベル』は生まれたのだから」


 熱っぽいミームの声は誰の心にも響かない。それは彼、あるいは彼女が完全な化物だからか、それとも自分たちが心を失っているからなのかはわからなかった。



そして、今日が終わり、また今日が始まる。


 

 


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神様は誰も愛さない くせもの @kusemono0982

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